第3話 封印されし竜
意識が覚醒していく。瞼をゆっくり開けると、徐々に鮮明になる視界に女神のごとき美しい顔がレンの網膜に映し出される。
(エーフィ?)
エーフィが起しに来たみたいだ。そういえば今日は奇天烈な夢を見た。竜と戦いフルボッコになる夢だ。せめて夢くらい無双してほしいものだ。
だが悪い事ばかりでもない。憧れのキャロル殿下にも会えた。キャロル殿下はテレビや雑誌で見るよりもずっと可愛く優しく強かった。二度寝したくもあるが、またエーフィがうるさい。そろそろ起きるとしよう。
「エーフィ……ありが……」
ゴンッ!
「痛ぁ!」
後頭部を石床にぶつけて悶絶し転げ回るレン。
「酷いや。エーフィ! あれ?」
涙目で非難の対象に視線を向けるとつんとそっぽを向いている金髪の少女がいた。寝ぼけた頭が覚醒し徐々に状況を把握し始める。
(あのベッドのような柔らかな感触は殿下の膝?
ま、まさかこれで死罪なんてことは……)
嫌な汗がレンの全身からダラダラと流れ落ちる。
「殿下御免なさい。ぐっすり寝てしまって気付きませんでした」
「…………」
「本当に御免なさい。僕、寝起きが半端じゃなく悪くて妹に起されても中々起きられないんです」
「エーフィ様って妹様?」
やっと反応してくれた殿下にほっと胸を撫で下ろす。
「はい。僕の妹です」
「妹様……。ふふ~ん」
殿下は先ほどのピリピリした様子が嘘のようにいつもの優しい雰囲気に戻っていた。
『ラブラブなところ申し訳ないけどさぁ。話進めていいかなぁ』
やる気のない澄んだ女性の声が直接頭に響く。キョロキョロと周囲を確認する。そこは、巨大な石造りの部屋であり、視界を埋め尽くす限りの黒色の天井、壁面、床面から成っていた。基本5階の祭壇の部屋の構造とそっくりだ。違いは祭壇の頂点には禍々しい漆黒の剣が突き刺さっていることと、その剣の刀身から黄金の液体が絶えず滲み出て流れていることだ。
(この声、あの黒竜?)
『そうだよ。ちなみに、この声は君にしか聞こえないから気兼ねなく発言してもらって構わない』
今更だがレンの潰れていたはずの右腕は傷一つなく、口から溢れ出ていた多量の血もすっかり止まっている。あの瀕死の状態からまるで最初から怪我などしなかったかのように完治していた。話の流れから目の前の竜がレンを助けたのだろう。
(なぜ、僕を助けた? 僕らをどうするつもりだ?)
『なぜそう喧嘩腰になるかなぁ』
(フレイザーさんにお前がしたこと忘れたのか?)
『ああ、あのボクの尻尾の一撃でグロッキーになっていた人間の少年ね。ちゃんと治しておいたよ。今頃ピンピンしてるんじゃない?』
治した? 此奴が? じゃあ、何故あんな事をした? 殿下を攫った目的は?
(……君の目的は?)
『おお! やっと聞く耳持ってくれましたねぇ。じゃあ、お言葉に甘えて。
ゴホンッ! ボクの名前は漆黒竜アジ・ダハーカ。よろしくね』
漆黒竜アジ・ダハーカ? それって確か女神に封印された悪竜の名前だったような。
(僕の名は――)
『レン・ヴァルトエック君だろう。キャロルちゃんの記憶を見たから知ってるよ。
彼女、本当に女の子してるよねぇ? 7年前の約束まだ信じてるんだもん』
(7年前の約束?)
『ありゃ。肝心の本人が忘れてらっしゃる。キャロルちゃん。可哀想! いやマジで!』
(煙に巻くなよ。君の目的は? 目的がないなら僕らを地上へ返せ!)
『う~ん。最初に謝っておくよ。ごめん!』
(ちょ、ちょっと待て! まさか……)
済まなそうなアジ・ダハーカの声色に血の気が急速に引いて行く。
『その通り。この迷宮はねぇ、ボクの封印のために作られた迷宮なのさ。だから僕がこの迷宮を完全に脱出し、迷宮の機能を完全停止させない限り、上層への転移はできない』
(ふざけんなよ! そんな勝手な!)
『勝手は承知の上さ。ボクも切羽詰っててね。この機会を逃したらまた何年待たなければならなくなるか、考えただけでも恐ろしい。
これでも、迷宮の機能を一部乗っ取るまでかなり苦労したんだよ。でもまあ、おかげで下層への転移は自由となったし、ボクの分身体も一部以外は自由に迷宮内と一定範囲で外を移動できるようになった。そして、今キャロルちゃんがいる。今こそがチャンスなんだ。お願いだから地上へ出るのを強力してよ。
それに、どの道、君達はボクの協力なしに地上には出られないよ』
言っている事の大部分が理解不能だ。この竜、話し自体が久々のせいかかなり興奮している。
(もっと、順を追って説明してくれ。君の話は飛び過ぎて要領を得ない)
『了解! 少し焦ってたかもね。
誰にでも恥ずかしい暗黒時代はあるだろう? 人間で言えば厨二病ってやつ? ボクも例に漏れず世界征服なるものを嗜んでいたわけ。
だけどさ、調子に乗り過ぎて女神の逆鱗に触れちゃったんだ。
あのおばさん、マジで酷いんだぜ。ちょっと、女神がよく通う温泉、リゾート海水浴場、山岳別荘を木端微塵にしただけのなのにさぁ。
怒り狂ったおばさんに死ぬほど追い回されたよ。いや~、おばさんのヒステリーは怖いねぇ』
(いや、いや普通怒るだろう! というか、温泉や別荘を破壊されて怒る……? 女神様はもっと世界平和とか崇高な目的で動いていると思ってたんだけど)
『あの戦闘狂のおばさんが世界平和なんて考えるわけないよ。気に食わない存在を片っ端から潰す任侠映画に出て来る親分のような柱だもの。
兎も角だ。ボクはそこに刺さっている剣に封印されて千年間この迷宮に封印されていたってわけ。まあ、頭冷やすには丁度良かったけどさ。流石に千年も地下でモグラしていたら外界が恋しくなってね。いい加減外に出たいわけよ』
(君はまだ世界征服をするつもりなの?)
『黒歴史って言ったろう? そんな気はさらさらないよ。大体世界征服したら連載中の漫画の続き読めないし』
竜が漫画を読む? つくづく、竜のイメージを壊してくれる奴だ。
(ちょいまち。君どうやって漫画読んでたの? 迷宮に漫画持ち込む阿呆はいないと思うんだけど?)
『さっきも少し言いかけたけど、ボクの分身体、迷宮外でも王立中等、高等騎士学校までなら出られるんだ。学生寮などに夜な夜な忍び込み拝借してたってわけさ』
(寮で日用品が紛失していたのあんたのせいかぁ!)
『あは、あははは。まあ、ドンマイ、ドンマイ!』
(もういいや。つっこむのも馬鹿馬鹿しくなってきた。続けてよ)
『それでさ。この迷宮を出たいんだけど。この迷宮は龍族の本体は出れないようになっているんだ。キャロルちゃんと同化すれば人間族になるじゃん? 外界に出られるようになるって寸法さぁ』
(殿下は駄目だ。僕で我慢してよ)
『それができないんだよね。こんななりでもボク一応女の子でさ。同化できるのは女の子だけなの。それに、女の子の青春謳歌したいしねぇ』
(龍族に性別あんのかよ! つうか、君、殿下の身体に入って何するつもり?)
『彼女が寝ている間に少し身体を使わせてもらおうかなぁと。大丈夫、男遊びとか絶対にしないから。大体、ボク人間の男なんて興味ないし』
半眼で漆黒の剣を見るレン。
(具体的には何するの?)
『少年漫画は粗方読み終えたし、次は少女漫画の名作を片っ端から買い込みたいね。あとは、アニメも見たいかな。そんでもってコスプレもしてみたい』
(は~。それで? 脱線しきった話を元に戻してほしい)
『ゴホンッ。失礼をば!
それでね。迷宮に封印されていた千年間分のボクの魔力を吸収してこの迷宮の魔物の強さがヤバイことになってる。
さらに、ボクの本体に近いより下層の方が強い魔力を浴びて魔物が強いわけ。ボクはキャロルちゃんと同化すると十年間ほど力が著しく抑制されるんだ。それだとこの迷宮の魔物しんどいんだよね。ボディーガードが必要となるってわけだ。それで君が選ばれたぁ! おめでとう~!』
(嬉しくないよ! 押売もいいところじゃないか!)
『そう言わないでよ。その代わり君が了承すれば君の潜在能力を引き出して上げる』
(本当にできるの?)
『あ~、その目、信用ないなぁ。数少ないボクの特技だよ。これだけは自身があるんだ! ホントだよ』
(数少ないって自分で言うなよ。まあいいや。少し考えさせて)
『オッケー!』
話を整理したい。アジ・ダハーカが殿下を地上へ転移出来ないのは本当だろう。仮にできれば殿下と同化すると同時に転移すればよくレンの協力を仰ぐ必要がない。
レンと同化できないのもおそらく真実だ。本当に外に出たいなら同化する者の性別など二の次だろうし。
アジ・ダハーカの力を借りないのはそれこそ論外。この迷宮の階層が何階層まであるのかはわからないが、アジ・ダハーカの助けなしにレンと殿下だけで降りられるとは思えない。
さらに封印されている剣のまま運ぶのも剣のままでは外に出れず、アジ・ダハーカが協力するはずもない。
最悪だ。殿下と同化しないという選択肢が見当たらない……。
(今僕達地下何階層にいるの?)
『150階層だよ』
(ま、まってよ150階層? 確か現在王国で攻略されているのは30階層までのはず。120階層以上も未知の領域を攻略しなければならないわけ?)
『そうなるね。少なくても、二、三ヶ月はかかると思うけど安心して。
ボクの特技その二で特殊な空間作れるからそこに住めばいいよ。この日のために寮から拝借した食料とかしこたま貯め込んでるし、仮に日用品が足らなくなったらボクの分身体が外界から集めて来るから問題ナッシング!』
(そ、それって、殿下と二ヶ月以上も同居生活するってこと?)
『その通り! 眉目秀麗の歌姫との数か月の同居生活。こんなのもう生涯二度と味わえないかもしれないよ。ボクからの御褒美さ!
あっと、でも、手は出さない方が身のためかも。キャロルちゃんのお父さんとお兄さん、《キャロルたんは余(俺)の嫁》とかキモい事ほざいているらしいし、手を出したら首飛ぶね。確実に!』
眉間に太い青筋を張らしたロイスター王国国王と第一王子がバズーカや戦車によりレンを砲撃しているイメージが生々しく頭の中で再現されブルリと身を竦ませる。
(最後の質問さ。なぜ、僕なの? アハル様やフレイザーさんの方が適格だと思うけど)
『逆に効くけどさ。あの中で君以外に適任者っているのかな?
フレイザー君は多少見込みあったけど、君よりもかなり手加減した尻尾の攻撃で簡単に戦闘離脱したし、アハル君を初めあの場にいた全ての者が子ウサギのようにガタガタ震えていて論外だ。消去法的にも君が理想的だったのさ』
この伝説の竜が手こずる魔物共だ。レンの想像を絶する強さだろう。今回のような死ぬ思いは幾度もするだろうが殿下を地上へ無事に届けるには他に手段がない。それにこの迷宮を抜けきればそれなりの力が付くだろう。竜の助けを借りて真っ当な冒険者になるための鍛練をすると思えば多少気が楽になるというものだ。
(僕は殿下が受け入れることを条件に了承する。殿下に了承をもらう際にはさっきの話の内容を包み隠さず話してもらう。その上で殿下が了承しない限り僕も認めない)
『それでオッケー。彼女が拒否するわけないしぃ』
アジ・ダハーカはキャロル殿下と話始めたようだ。殿下はレンと同様しきりに辺りを見渡していたが、神妙な顔で頷いたり、目を見開いて驚いてみたり、ホオズキのように赤い顔で頬に両手を当てたり、顔の前で両手をブンブン振り慌ててみたりとレパートリーに飛んだ演劇を展開している。
殿下のこの感情表現豊かな仕草は途轍もない美しい容姿をさらに引き立てており、美女に耐性のある高位貴族達でも一瞬で心を奪われることだろう。国王陛下と王子殿下がキャロル殿下を溺愛するのも十分に理解できるというものだ。手を握って打ち首獄門は御免だ。極力殿下に触れるのは御法度にする。
殿下はアジ・ダハーカと同化する事を決断したようだ。両手を組み、瞼を固く閉じる殿下。祭壇の漆黒の剣から黒い靄が滲み出て空中で渦をなし、それが殿下の身体に高速で入って行く。黒靄が全て入り切ると殿下はクタッと気を失って倒れ込むので、急いで身体を支える。
アジ・ダハーカの言に若干毒気を抜かれたが、此奴は悪竜。今殿下を守れるのはレンだけだ。命に代えても殿下だけは地上に送り届ける。例え何を犠牲にしても!
殿下は暫し気を失っていたがすくっと立ち上がる。外見には特に変化がない。
しかし、恍惚の表情で自分の身体を触りまくるという奇行に及んでいる時点でアジ・ダハーカの奴だろう。直ぐにでも止めさせねば、このままでは殿下はただの痛い人だ。
「アジ! あまり殿下の身体を触るなよ!」
「そのアジって何だい?」
「君の名前、アジ・ダハーカだから『アジ』」
「そんな適当な! どうせならもっと格好いい名前を付けておくれよ!」
「なら、『古の邪龍神』にでもする?」
「……アジでいい」
流石に痛名は嫌だったらしく力なく俯き気味に前方に等身大の黒い靄を創り出すアジ。クイクイと前方に指先を向けるところからすると、あの靄の中に入るということだろう。
アジが靄の中に消え、レンも黒い靄に足を踏み入れる。
部屋の中は少女趣味全開の部屋だった。ヒラヒラしカーテンに、棚に置かれている多数のぬいぐるみ、可愛らしい枕。その中に、御叮嚀に本棚に並べられている少年漫画の存在は違和感ありまくりだ。
少年漫画の存在を除けば、もしかしたら、エーフィよりも少女趣味かもしれない。レンの竜のイメージはすでに八割方崩壊している。これ以上、イメージを破壊するのは止めてほしい。
勧められるままに部屋の中心にある円型のテーブルのアジの対面の席に着く。
「で、僕は何すればいいの?」
「ボクが今から君の潜在能力を引き出す。その後、この剣を使って一ヵ月この150階層でレベル上げをしてもらうよ」
アジが右腕をあげ、パチンと右手の指を鳴らすとレンの前に漆黒の絢爛な装飾がなされた鞘に収められた剣が姿を現す。柄には見覚えがある。おそらく祭壇に突き刺さっていた剣だ。
「この剣は?」
「ボクがキャルロちゃんと同化したことによりその剣はただの剣に戻ったのさ。
とは言え、ボクを封印するほどの剣だ。元々とんでもなく強力だよ。
加えて、ボクの魔力を千年間も直に浴び続けたおかげで魔剣化している。この世界では最強の一振りさ。ボクにはもう必要はないし君にあげる」
「この剣だけでこの階層の魔物倒せるの? 自慢じゃないけど僕滅茶苦茶弱いよ」
「それは大丈夫。見たところ君の潜在能力はかなりものだし、さっきも言ったおり、その魔剣マジでとんでもないから。それにこれもあるしね」
再びアジが指をパチンと鳴らすと黄金の液体の入ったガラスの小瓶が姿を現す。ポーションと似た形の瓶に入っているということは回復薬の類だろうか。
「この瓶は回復薬?」
「これは万能薬。死んでも魂さえあればよみがえらせる万能の回復薬。君も名くらい聞いたことあるだろう?」
「そ、そりゃあまあ、御伽噺や神話には必ずと言っていいほどでてくるし……」
レンは黄金の液体入った瓶を振るえる手で掴み色々な角度から眺め見る。ありとあらゆる傷、状態異常を癒し、ときには死者さえも蘇らす万能の回復薬。錬金術師達の追い求める二つの到達点のうちの一つ。
レンの驚愕の表情を見てアジは腰に両手を当て得意そうにフフ~ンと鼻を鳴らす。
「万能薬生成がボクの特技その三さ。死んだら生き返らせるから何度でも挑戦できるよ。
ただし、キャロルちゃんと同化してボクの力抑えられているから、万能薬の生成は1日5瓶までしか作れないから注意してね」
1日にどんなに多くても死ぬ目に合うのは4回までということだろう。そう何度も死ぬ目に合えば身体は治っても精神が死にかねない。寧ろその方が都合がよい。
「わかったよ」
「じゃあ、さっそく、ボクの特技その一、『潜在解放』だね。少しの間目を閉じていて」
言われるままにレンは瞼を閉じる。アジの掌の温かくも柔らかな感触がレンの額にする。
「少し痛いと思うけど我慢してね。じゃあ、おやすみぃ」
アジの言葉と同時にレンの身体の芯から途轍もない力湧き上がり、身体中を縦横無尽に暴れ回る。同時に神経をノコギリでガリガリ削られるような激痛が襲う。
(これが……少し痛い? ふざけん……なよ!)
「……このでたらめな力……何? こんな化物が今まで騒がれもせずに眠ってたっての?
ははは……世の中広いや」
遠ざかる意識の中でアジらしからぬ震える声色がやけにレンには印象に残った。
性格破たんした竜でしたが、彼女との出会いが全ての始まりです。次回がレベル上げ。頭と勇気で乗り切ります。
お読みいただきありがとうございます