第17話 貴賓室での出来事
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迷宮実習二十日目午後15時半 王立高等騎士学校貴賓室
悪竜アジ・ダハーカことアジは貴賓室のテーブルに置かれているクッキーをポリポリと食べている。まだ数週間しかたっていないが久々の外界は殊の外新鮮だった。
特に竜の身体では感じる事が出来なかった味覚はアジの全身を熱くたぎらせた。この胸の高鳴りはもう抑えられないよと色々な食べ物を食べ歩いた結果、体重が1キロほど増えキャロルに数時間に及ぶ説教を受けた事は甘酸っぱくも苦い思い出だ。
公式の場は通常キャロルの担当なわけだが、現在はアジがその任を負っている。堅苦しい場所が苦手なアジがこうして表に出ているのには別に深い理由があるわけではない。単にレンに無視されキャロルがいじけてしまい深層世界に逃げ込んでしまっただけだ。
キャロルは数日前から髪を切ったり、当日どんな服を着て行くかに頭を悩ませていた。前日などレンに会えるのが待ち遠しくて寝られなかったくらいだ。
その待ちに待った当日、レンはキャロルの前に中々姿を現さず、姿を現しても決してキャロルに視線を向けようとしなかった。あまつさえ迷宮にいた猫娘といちゃつく始末。キャロルでなくてもいじけたくもなる。
今面倒事を押し付けられた腹いせでクッキーを絶え間なく口に運んでいたのだがこれ以上食べると不自然だ。アジはクッキーから視線を部屋内に向ける。
部屋の中にはロイスター王国の要人、外交官、冒険者機構の幹部達など錚々たる面子が揃い踏みしていた。
次いでアジの左隣に視線を移す。金髪の美青年が隣でアジに慈愛のこもった眼差しを向けていた。アジがクッキーを食べるのを止めたのもこの視線が原因だ。
カルヴィン・ダイアス・ロイスター。キャロルの兄であり、このロイスター王国第一王子だ。
アジから見ても完璧極まりない人間なのだが如何せん、極度のシスコンだ。そのシスコンぶりは竜のアジをしてドン引きさせるに十分なものだった。病気の域に達していると言っても過言ではない。
このカルヴィン、どうやら最近のキャロルの僅かな変化に気付いたらしく鬱陶しいくらい付き纏って来る。どうでもいいがこれ以上見つめるのは止めてもらおう。気が散って困る。
「お兄様、そう見つめられては照れてしまいますわ」
「いや、ごめん。ごめん。キャロがいつも通りで安心してるんだ。
この頃キャロの様子が変だからてっきり悪い蛆虫が付いたと思ってしまってね。でもやっぱりまだまだキャロは食べ盛りの子供だよね。俺の気のせいだったよ。あはっ! あはは~」
(う、蛆虫って……。そこだけ妙に強調するのは止めて欲しい。
あとさ、食欲があると子供というのは短絡的やしませんか?)
「いやですわ。お兄様。私はもう十分に大人です」
頬を膨らませプンプンと怒ってみせるアジ。キャロルの仕草を真似たのだ。こうするとロイスター王家の大半のものが骨抜きとなる。
「ごめんよ。でも兄として心配になってね」
(キャロルがレンにメロメロと知ったらこの人どういう反応を示すんだろう。
少し怖いけど興味はあるね。聞いて見よう)
「もう! そんなことで私がお慕いする方が出来たらどうするつもりですか?」
突如、ゾクリッと背筋に冷たい氷柱を押し付けられたような感覚に襲われる。メキメキとカルヴィンの右手にあるスチール製のコップが粘土細工のごとく握り潰されていく。
(こ、怖いってぇぇ~!)
「駄目だよ。キャロにはフレイザーという許嫁がいるんだから。俺も父上もフレイザー以外、キャロの交際は認めない。いいね?」
「は、はいぃぃ!」
(キャロル。これは前途多難だよ! チーンだよ!
ボクはキャロルを応援はするけど協力はできないかな……)
「御兄妹で大変仲が御宜しく微笑ましい限りです」
長い金髪に耳が長く肌が透き通るほど白いエルフ国の外交官の男性がカルヴィンに微笑を向ける。恐怖で縮こまっているアジに気を使ってくれたのだろう。
「いや~、それほどでも~」
場の雰囲気が弛緩しアジは胸を撫で下ろす。
そこで貴賓室の扉が勢いよく開き、数人の迷宮実習の教官らしき者達が部屋の中に転がり込んできた。彼らが騎士校の校長に近づき耳打ちすると校長は表情を一辺させ部屋から出て行く。
校長のあの慌てよう。迷宮で厄介な事が起きたのだろう。
自然に巻き込まれ体質の少年の事が頭をよぎる。少し情報収集をするのも良いかもしれない。キャロルに伝えるのはその後でも十分だ。運よく今日は深層世界のかなり深い場所にキャロルはいる。アジが干渉しない限り外界の変化に気付かないだろう。
キャロル達は混乱防止のためこの貴賓室を出ないよう釘を刺されている。理由を付けて部屋の外に出ようとするがカルヴィンに全て拒まれる。結局部屋の外での情報収集は出来なかった。
2時間ほど待つと青い顔した校長と数人の冒険者、騎士校の教師が貴賓室へ入ってきた。
校長は教師に促され重い口を開き始める。
内容はアジの想定を超えていた。即ち再び迷宮に少年少女が取り込まれた。
あり得ない。それだけはあり得ない。迷宮には転移系のトラップはない。仮に真に転移がなされたのが真実ならそれは外部からの干渉によるものだ。
校長の説明後は実際に現場に出くわしたマルツとか言う冒険者が涙ながらに当時の状況を説明し始めた。
概要はこうだ。マルツは班を規則通りAチームとBチームに分けて迷宮探索をしていた。
実習の終点である祭壇の間に到達し、いつものように1チームずつ入るように指示する。Bチームが先に祭壇の間に入り、祭壇から全員指輪をとるが、Bチームの少年の横柄な態度に同じチーム少女が怒りを覚え注意をすると少年は激昂し少女に斬りつけた。マルツはこれを必死で庇うと、少年は教官であるマルツにまで攻撃を仕掛けてきた。マルツはランクDの冒険者、少年の剣術などに遅れは取らず少年を壁まで追い詰めるも、少年が床から兎の耳をした大男を呼びだしマルツを壁まで吹き飛ばす。絶体絶命で殺されると思った矢先に床に幾つもの魔法陣が浮かび上がり生徒達はその床に吸い込まれてしまった。こんな話だ。
「それで、その少年の名は? 我等にも聞く権利くらいあると思いますが?」
スキンヘッドの太った50代前半の男だ。彼からは冒険者機構ラシスト支部の支部長――ダッド・ブルと紹介を受けた。周囲の大半の者達もダットを支持する様子だ。
何も言葉を発しない校長に冒険者機構ラシスト支部の幹部の一人が教えるように求める。
「お断りしますじゃ。儂はこの王立中等騎士学校の校長。学生を守る立場にある者。その者がマルツ殿の話の真偽も確かめず不用意に生徒を貶めるような事は言えません」
「なっ! 貴方はDランクの冒険者であるこのマルツよりあの『皆殺しのガルトレイド』の忌子を信じるというのか?」
マルツは目じりを険しく吊り上げて激昂する。
「貴様っ!!」
校長はマルツに呪殺するような視線を向ける。マルツはその迫力に圧倒されつつも嫌らしい笑みを浮かべる。校長の怒りも後の祭り、貴賓室内が鳥カゴみたいにざわつく。
「『皆殺しのガルトレイド』。ルーカス殿の御子息……そうか彼が…」
「私は一度話したときがあるがそんな大それたことをするような子には見えなかったぞ」
「人は見かけによらないとは言うからねぇ。別に珍しい事ではあるまいよ」
「Dランクの冒険者と一介の学生だ。どちらを信用するべきかなど火を見るよりも明らかだ」
「ふん。だからあのような呪われた子など名誉ある騎士校に入れるべきではなかったのだ! ジェラルド校長、この件に関する貴方の責任はじっくりと追及させてもらいますぞ!」
ダッドのこの言葉をきっかけにダットの取り巻きらしき冒険者機構ラシスト支部の幹部達が次々にレンを侮蔑し始めた。
アジにとっては喜劇に等しかった。このマルツとかいう雑魚がレンを追い詰める? 力を失ったアジのワンパンで爆砕できそうなほど弱い人間が? あの怪物のようなレンを?
「まったくだ。女神様に力を授かった事を良い事にいい気になってたんでしょうなぁ。きっと罰があたったんだ。因果応報というやつですかな」
(五月蠅い! 黙れ!)
「息子から聞いております。この学校では『最弱』と呼ばれるほど無能な子供らしいですぞ」
(貴様ら力なき虫けらにレンの何がわかる? ボク知っている。レンはすごい奴なんだ! 神さえ不可能な偉業を成し遂げた奴なんだ!)
アジの中にどす黒いものが渦巻いて行く。それはとっくの昔に捨てたはずのもの。
「キャロル殿下とあの呪いの子が数時間でも同じ空気を吸っていたと思うと怖気が走る。
大方キャロル殿下が2ヵ月も長期に巻き込まれたのもあの呪われた子供が原因だろう。まったく殿下にまで御迷惑をかけるとは何たる疫病神」
(お前らは知らない! キャロルのためにレンが何度自らの身を犠牲にしたのか! 何度命を投げうったか! 何度意識を失うほどの激痛を味わったか! 何度恐怖に頬を濡らしたか! 何度! 何度! 何度――!)
「キャ、キャロ?」
カルヴィンがアジの表情を見て目を見開く。
(ごめんよ。キャロル。ボクは限界だ。我慢できない。お叱りは後でゆっくり受けるよ)
アジは大きく息を吸い込むが――。
「黙れぇぇぇぇぇぇ!!」
鼓膜が破れんばかりの大声が部屋中を震わせる。アジも皆と同様声の発生源の方向に眼球を動かす。右目に眼帯をする金髪巨躯の中年の男性。この男には今日幾度となく話かけられたから強い印象として残っている。中央軍第一訓練所所長――ロメオ・カルカスだ。ロメオはマルツに視線を向け眺め回す。
「お前よぉ。法螺話を作るにしてももっと練れよ。稚拙すぎて笑う気も起きねぇ」
「わ、私の言う事が偽りだと? 私はランクDの――」
その刹那、ビュッという風切音と共にロメオの右手に、銀色の鈍い光を放つオートマチック式の拳銃が握られていた。その銃口向く先はマルツの眉間。
「へ? ひっひぃぃー!」
「おい、おい。まさか今の反応ができねぇのか? それであの化物兎の一撃を凌いだだぁ?
本気で俺がそんな法螺話信用すると思ってたのか?」
「ロ、ロメオ殿? 貴方は自分のしている事がわかっておいでか?」
ロメオのこの言動がよほど想定外だったのか、ダッドは狼狽したような妙な瞬きをしていた。
「テメエらこそ理解してんのかよ? テメエらはアイザック・ヴァルトエックの御孫さんを辱めた。冒険者機構は王国の大英雄にして人間種最強の怪物に真っ向から喧嘩を売ったんだ」
このロメオの言葉に貴賓室にいたほぼ全員から血の気が急速に失せて行く。冒険者機構ラシスト支部の幹部は勿論、ジェラルド校長やカルヴィンでさえも額に冷たい汗を浮かべている。
「な、何を馬鹿な! アイザック大元帥閣下ほどの方があの呪われた子供の事で御怒りになられるはずが――」
バンッと貴賓室の扉が勢いよく開き教官の一人が勢いよく部屋の中に飛び込んできた。
教官は目の前にいるダッドを乱暴に押しのけ校長に向かって叫ぶ。
「こ、校長、大変です! 迷宮から魔物の大軍がぁ!」
「き、貴様ぁ、この私に何たる無礼!」
額に太い青筋を張らしながら激昂したダッドは教官を睨み付けるが、校長も教官もダッドを無視して話を進める。
「魔物の大軍? 種類は? ゴブリンか? それともビッグウルフ?」
「いえ、魔法武具を装備した巨人に、高位のアンデッド、火や水、風を操る蛇系魔物の大軍勢です。全てがとんでもない強さで、その上統率までされていて手が付けられません」
「なっ……」
校長は暫し金魚のように口をパクパクさせていた。無理もない。1階層に力の強い魔物が出るなどアジが封印されてから一度たりともなかった。
これはアジの封印が解かれたから? いやそれだけなら魔物が統率などされまい。確実に裏でヤバイものが動いている。
「ジェラルド元帥閣下。中央軍に連絡し軍を派遣します。手続きに数十分かかりますが持ち堪えてください!」
「ロメオ、恩に着る」
ロメオは校長に敬礼をすると貴賓室を後にする。
「全教官は生徒の避難誘導のグループと魔物討伐のグループに分かれよ。儂も前線に出る」
「はい! 直ちに!」
校長の脇にいた教官らしき男性の冒険者が一歩前に出て進言する。
「校長。阿呆共に変更された高ランクの冒険者にもすぐに協力を要請します」
「か、勝手な事をするのではない! 教官の変更は私が許可したのだ。それを戻せば私の面子にも関わる。今の人員のままで迎え撃てぇい!」
ダッドは口調に怒気を混じらせながら冒険者に命令を下す。だが誰も聞く耳など持たない。
「頼む。できる限り早く冒険者機構中央局から危険度レベルの指定をもらう。今まで済まなんだと伝えてくれぬか」
「は! ですが彼奴等かなりブチギレてましたから応じてくれるかは半々という所です」
「じゃろうなぁ。災害指定されるまでは討伐戦参加義務は生じんし、それは仕方ないのう」
「校長! 貴方は冒険者機構の中央の手まで煩わすつもりか? 騎士校だけで処理できねば各国の笑いものぞ! やはり貴方は名誉ある騎士校の校長の器ではない!」
ジェラルド校長はゴミ虫でも見る様な視線をダッドに向ける。
「ああ、そうじゃ。儂にはアイザック・ヴァルトエックの後を継ぐほどのカリスマも力も持ち合わせとらん。あの人ならお主のような無能をのさばらせる事もなかったじゃろぅよ。
だがな。小僧ぉ。それでも儂は校長なんじゃ。この騎士校の生徒の命を守らなきゃならんのじゃ。これ以上足を引っ張るようなら実力で排除するぞ!」
ジェラルド校長の形相は鬼面を思わせるように殺気立ち、ダッドを睥睨する。ジェラルド校長にすごまれ潰れた蛙のような悲鳴を上げるダッド。
パチパチと手を叩く乾いた音が室内に反響する。視線が音の方に集まった。
「はい、は~い! 今は仲たがいしている場合じゃないよねぇ」
カルヴィンが一目で作りものとわかる笑顔を顔一面に浮かべていた。
「殿下私は――」
ダッドの言葉を遮り、カルヴィンは微笑を消し、あやしいほど真率な表情を漲らせる。
「「「「「オリヴァー・ダイアス・ロイスターの名代として命ずる。この騒乱を止めてみせよ!」
はは! 」」」」」
ジェラルド校長と教官達、ダッド達冒険者機構ラシスト支部の幹部達、近衛騎士団が跪く。
「オリヴァーとしての命を伝える。
現場の指令系統はジェラルド校長とダッド君の2つに分割。教官達は自由意志でその2つのいずれかに所属し行動せよ。
近衛騎士団は騎士団長炎王と合流次第俺の直属の指揮下に入れ! 作戦は俺とジェラルド校長とダッド君の3人の合議で決める。
冒険者機構中央局への危険レベルの指定とSランク以上の冒険者の要請は僕からしておくから安心して。ほら、僕中央局に友達多いしねぇ」
「殿下! それは――」
「だからさ、これは第一王子カルヴィンの言葉ではなく国王オリヴァーの言葉であり決定事項。迷宮は王家の管轄であり、問題が起きれば王家に指揮権があることは法律でも明記されている。
王家の決定事項に真っ向から反対するとはすごいねぇ。君もしかして王族にでもなったつもり?」
一瞬にして場の空気が冷え切った。近衛騎士団は腰の剣の柄に手をかけ、今までダッドの肩を持っていたラシスト支部の幹部達でさえ批判のたっぷり籠った視線をダッドに向ける。
「ご、御冗談を! 私如きが殿下の意見に反対するなど恐れ多い!」
ダッドは身を震わせ項垂れる。
混乱の極地にあった状況をほんの僅かなやり取りで治めてしまった。流石としか言いようがない。このキャロルの兄君レベルの覇気を持った人物は数千年生きたアジの人生の中でも数人にしかお目にかかったことがない。まさに英雄の器を持つ人間だ。
人でありながら人を超えた怪物レン・ヴァルトエックに英雄カルヴィン。実に世界は面白い!
「では気張って行こう!」
再びカルヴィンは手を数回合わせると同時に、各々が己の身に宿す決意、忠義、陰謀を実現させるべく動き出す。
これは凡そ300年ぶりの魔王と人間との邂逅。そして人類史上凡そ1500年ぶりとなる複数の魔王との戦争。だがこの戦争はアジの予想を遥かに超えた結末を迎えることになる。
お読みいただきありがとうございます。
ここからが2部の盛り上がるところです。一人でもお読みいただける方がいれば幸いです。




