第2話 始まり
迷宮に入ってすでに3時間ほど経過している。
粘性ゲル状の魔物であるスライム、小鬼の魔物ゴブリン、犬頭の魔物コボルト、大百足等が引切り無しに襲って来るが、8組の中でも一、二を争う実力者であるカラムとミャーのおかげで魔物にエンカウント次第即倒すという行為を繰り返している。
具体的には、カラムが槍の一突きで息の根を止め、ミャーが第1位階の魔法の火球で炎滅するといった具合だ。
ミャーは本来光魔法も使える稀有な人物ではあるが、威力が高すぎるせいか滔々実習では一度も使おうとしなかった。
カラム達はレンも戦闘に参加するように繰り返し求めて来たが、普通の実習ならいざ知らずこれは試験。足手纏いのレンのせいでカラム達の評価が低くなるのだけは御免だった。
だから、スライムやゴブリン等の自身でも無理なく倒せる魔物のみを倒し、コボルトや大百足などの今のレンではやや荷が重い相手はカラム達に任せ魔石の回収に尽力することにした。
キャロル殿下も終始興味深そうに戦闘の様子などを見ている。ゴブリンの緑の血を見ても顔を顰めないところを見ると殿下は精神が太い方なのかもしれない。
5階の中間試験の指輪の置かれている祭壇のある部屋に入る。
この迷宮には11階、21階に祭壇が設置されている。女神が造成したと言われる祭壇を真似てこの迷宮の数か所に国は祭壇を設置し安全地帯としている。
この安全地帯の部屋の出入口に設置してある魔物認識システムにより魔物が部屋に侵入しようとするとシャッターが下りる仕組みになっている。何でも魔石化する前の魔物にも独特の周波を有する核がありこれを認識するらしい。
祭壇の部屋の中には十数人の人だかりができていた。見たところ一組の生徒のようだ。
「どうしたんだろう?」
「行ってみようぜ!」
好奇心旺盛なカラムに促されレン達も人混みに近づいて行く。レン達が近づくと人混みがまるで神の奇跡のごとく割れる。言うまでもなく、レン達のせいではなくパーティーにキャロル殿下がいるからだ。
「どうかしたのか?」
レン達のパーティーを代表してカラムが1組の少年に尋ねる。尋ねられた少年はカラム、さらにレンに視線を移すとあからさまに顔を顰める。
このロイスター王国の貴族は血をこの上なく重要視する。これは多くの貴族が1500年もの年月を得て、英雄ベオウルフの血を受け継いでいる事に起因する。その血脈にない養子のレンは貴族であって貴族ではないのだ。しかも、資格だけではなく、才能の欠片もない者が貴族を名乗っているのだ。彼らは平民以上に強烈な嫌悪感を抱く。
特に今回レンが棚から牡丹餅的に自分達が崇拝しているキャロル殿下と一緒のパーティーになった事はさらにその嫌悪感に拍車をかけていた。
貴族の少年達のレンへの態度に気付いたカラムとミャーが射殺すような視線を向けていたからか、それともキャロル殿下の手前か1組の貴族の少年は直ぐに貴族特有の外面の良い笑顔を浮かべながらも答える。
「この祭壇の部屋に不思議な扉が発生したんだ。あんな扉、以前教官方との模範実習で来たときにはなかった」
「不思議な扉……」
今まで笑みを絶えず張り付かせていた近衛騎士団副団長のアハルが能面のような硬質な表情を浮かべる。
「この人盛り、まさか部屋に入ったんじゃないでしょうね?」
アハルが今までの柔和な声色を消しさり、有無の言わせぬ言葉を投げかける。そのあまりの迫力に言い淀む貴族の少年。
「そ、それが私達は止めたのですが、それを無視して1組の数人が探索のため部屋に入ってしまって、フレイザー様が彼らを連れ戻すために部屋に入り……」
「愚かなことを! 君達はこの実習で何を学んだ!? 迷宮の恐ろしは十分に教えられたはずでしょう?」
訳も分からず怒鳴りつけられた少年は思わず首を竦める。アハルはキャロル殿下に向き直り、右腕を胸に当て軽く頭を下げる。
「殿下、緊急事態です。今すぐ子供達を先導し地上に戻ることを進言いたします。許可を頂きたい」
キャロルは少し思案していたがレンと同じ15歳とは思えない神妙な表情をアハルに向ける。
「キャロル・ダイアス・ロイスターの名において許可いたします」
「殿下。賢明なご判断感謝いたします」
アハルは非常事態につき試験は中止、生徒は直ぐに校庭に非難するように指示する。
アハルの鋭くも力に満ちた声が轟き、生徒達は我先へと地上へ移動を開始し、あっという間に部屋にはアハル、殿下、レン達のみとなる。
「それでは私達も地上へ戻りましょう」
「部屋に入った人はどうなるのでしょうか?」
「可哀想ですが救助隊の到着を待つしかありません。運が良ければ無事助かるでしょう」
キャロル殿下の問にアハルは部屋の扉に視線を向けながらも答える。
その扉は大型魔物も通過できそうなほど巨大であり漆黒でもあった。
そして、その表面には黒い霧を立ち昇らせる魔法陣が描かれている。こんな形の魔法陣など授業では一度も習わなかった。漆黒の魔法陣はあたかも死を体現しているようでレンは自身の体を強く抱き締める。
「そんな……。見捨てるのですか!?」
「迷宮が牙を剥いたのはこの百年間で数度しかありません。その際の被害の甚大さは殿下もすでに御存知でしょう。
今日の殿下の迷宮訪問も今まで10階層より上層でアクシデントが発生しなかったことからの経験則に過ぎません。
問題が起これば私の指示に従って頂くことは殿下の迷宮訪問を許可する際の絶対条件だったはずです。よもやお忘れですか?」
「それは……」
殿下は悔しそうに唇を噛み締める。殿下はすがる視線をアハルに向ける。
「フレイザーは私の大切なお友達なのです。アハルがお助けする事はできませんか?」
「私とてバルフォア家の御子息を助けたいですし、私ならおそらく可能でしょう。ですが絶対ではない。今私は近衛騎士団副団長として殿下の護衛をする身。職務上、殿下を危険に晒すような行為は致しかねます」
殿下が言葉を発しようとしたそのとき――。
『――――グオオオオオオオオオオオオッッ!!』
耳が麻痺するほどの凄まじい猛り声が轟く。
漆黒の巨大な扉がゆっくりと開き、悲鳴と共に数人の少年、少女達が転がり込んで来る。
そして、そいつは地響きとともに漆黒の扉からゆっくりと姿を現す。漆黒の鱗に、鰐を数倍巨大化したような大きな口と鋭い牙。鋭い爪に五メートルをも超す巨体。縦に割れ金色に輝く瞳孔がちっぽけなレン達を睥睨する。
「ド、ドラゴン……。しかも伝説の邪竜? 冗談ではない! こんなの炎王様クラスでなければ討伐は無理……」
アハルの口から言葉が漏れる。そうだ。あれは竜。神話や御伽噺に必ずといってよいほど出て来る伝説の生物。人間種である限り決して勝てない最強クラスの種族。
物怖じした姿など見たこともないカラムとミャーでさえもガチガチと身体を小刻みに震わせている。
「フレイザーはどうしたのです?」
キャロル殿下が血の気の引いた顔でフレイザーとパーティーを組んでいた少女に尋ねる。
「フレイザー様は私達を逃がそうとして囮になって……」
少女の震える指の先には血だまりの上にうつ伏せに倒れるフレイザーの姿あった。
「い、いやああああぁぁあ!」
殿下の絶叫がレンの耳にも入る。
竜の咢からチロチロと黒色の炎が漏れ出す。おそらくブレスだ。このブレスを真面にもらえば全滅。頼みの綱のアハルも硬直してしまい人形のように身動き一つしない。
レンだって馬鹿じゃない。気絶しそうなほどの迫力と威圧を浴びせられれば、この化物には絶対に抗えない事くらい十分すぎるくらい理解できる。
この竜が軽く撫でただけでレンの身体など真っ赤なザクロのように弾け飛ぶ。あの漆黒のブレスを浴びれば骨も残らず炎滅する。
涙が出るほど、肺が押しつぶされ息が出来ないほどこの竜が怖い! 怖い! 怖い! 怖い!
そう。怖いはずだ。なのに……なのになぜだろう。それよりもレンの大切な親友達が傷つき倒れる姿を見る方がずっと怖いと思ってしまっている。レンの憧れのお姫様が大切な人を失い、涙を流す姿を見る方がずっと怖いと思ってしまっている。それだけは許容できないと思ってしまっている。
竜の退治は勇者や英雄の役割だ。そしてレンはどう頑張っても勇者や英雄にはなれやしない。
だけど親友達を身を挺して守る力のない戦士の役ならなれるはずだ。お姫様が待つ勇者を、身を犠牲にして救う力のない戦士の役ならなれるはずだ。それは勇者や英雄でなくてもできるはずだから。そして、それこそがレンのこの世界での唯一の役割。
身体は自然に動いていた。地面を這うように疾駆する。
竜は五月蠅い蠅でも叩き落とすかのように尻尾を振って来る。豪風を巻き起こしながら迫る尻尾を後方にバックステップしながら剣で受ける。
突如、身体を破裂するような凄まじい衝撃と共に遥か後方に吹き飛ばされ、視界が何度も反転する。即座に左手で起き上がる。右腕は滅茶苦茶に潰れている。口から吐血が止まらない。内臓も少なくない損傷をしている。
マジで笑えてくる。後ろに跳んで攻撃の威力を半減しても致命傷をもらってしまった。
だが賭けには勝った。足元に倒れているフレイザーを無事な左腕を利用し肩に担ぐ。精神に幾多の釘を刺されたかような途轍もない痛みがレンを襲う。
その全て無視し、地面を疾駆する。瀕死の蠅だと舐めているのか竜は殊更レンに攻撃は仕掛けて来ない。
「レン。大丈夫……」
駆け寄って来たミャーはレンを視界に入れ大きく目を見開き、悲鳴を上げる。カラムも真っ青な顔で目に涙をためている。
「アハル様。皆を連れて早く逃げて! しんがりは僕がつとめます」
アハルの手は震えていた。思う所があるのだろうが、竜の攻撃が止んでいる今が最大のチャンスなのだ。躊躇は即死を意味する。
「…………」
どの道、レンはもう死に体だ。仮にここで生き残り延命しても数時間の命。なら好きに使わせてもらう。自己の信念を遂げるのに使わせもらう。それだけは誰にも邪魔させやしない!
「早く!! もう時間がない」
レンの絶叫に、アハルは無言で頷きフレイザーを担ぎキャロル殿下の手を取る。キャロル殿下は度重なる非現実な出来事にとうとう精神に限界をきたしたのか目の焦点が定まっていない。
「学生諸君、直ちにここを離脱する!」
アハルの言葉に恐怖と絶望で顔を涙でぐしゃぐしゃにしながらも学生達は立ち上がる。
「ニャ? レンを置いてくニャ? そんなの嫌ニャ!」
地団駄を踏んで暴れるミャーに溜息をつきつつ、カラムに視線を向ける。カラムは目尻に涙を溜めつつもミャーを脇に抱え走り出す。
「カラム! 離すニャ!」
仲間の騒々しい声が遠ざかるのを少し寂しく感じながらも、床に置いていったアハルの剣を左手に握り構える。あとは、時間を稼げばレンの勝。
『人間、気が済んだかい?』
頭の中に直接若い女性の声が聞こえる。
「…………」
意識も朦朧して来た。この竜と仲良く世間話をする余裕はないが、皆が逃げる時間をできる限り稼ぎたい。理由は不明だがレンが瀕死の重傷を負ってから竜は攻撃をする気配がなかった。何か魂胆でもあるのだろう。
『だけど、まだ終わってないよ』
竜と言う凶悪な姿に相応しくない、透き通るような声色は逆にレンの嫌悪感を掻き立てた。
「終わって……ない?」
『そう。ではぁ~、クイズです。これな~んだ?』
漆黒の竜の顔の前に金髪の少女が浮かんでいた。
「キャ、キャロル殿下!」
レンの口から悲鳴が漏れる。
(なんで殿下がこんな所にいるの? 逃げたはずじゃあ?)
心の中を掻きむしられるような激しい焦燥を感じる。
『心配しなくても無事だよ。君が傷ついているのを見て彼女発狂しかかってたんで、その記憶を消すために取り敢えず寝かしつけただけ。慣れない記憶操作はマジでしんどかったよ』
フッとキャロル殿下の姿がこの祭壇の部屋から掻き消えた。
「殿下をどこへやった? 彼女をどうするするつもりだ!?」
レンは呪殺するような視線を竜に向ける。
『そう。怖い顔しない。短気は損気だよ』
「ふざけるな!!」
『大真面目さ。ボクの言う通りにすれ彼女は無事地上へ帰れる』
殿下が人質にとられている以上、レンには拒否権はない。
「……何をすればよい?」
『まあ、君ならさほど難しい事ではないよ。というかさ、君、もう少しで死にそうだよ。それはそれで困るんでとっとと治ってもらう。じゃあ、暫らくお休みぃ』
「何を言っ……」
急激な眠気がレンを襲い意識はあっさり刈り取られた。
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