第8話 発覚
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中央軍第一訓練所 資料室
時間はハミルトン達が【鬼兎王】と激戦を繰り広げているときに遡る。
パット達の修練は昨日で終了し今日は体調管理とした。
カリーナはすんなり従ったがパット達は案の定猛反発した。
パット達3人に休息も武人の義務だと強い口調で諭すと渋々従う。ディアナが今日休日した理由は確かに子供達の休息の意味もあるが真の理由は他にあった。ディアナはハミルトンの様子の激変と『兎の精霊』という言葉に妙な引っかかりを覚えておりその調査をするためだ。
現在、その調査のためにディアナは第一訓練所の所長に頼み込みこの訓練所の資料室で情報収集を行っている。
この部屋の『資料室』という名はカモフラージュで遠隔視覚魔法を使う軍の機密部署となっている。本来遠隔視覚魔法の使用には中央軍本部の許可が必要なのだが、歌姫――キャロルのサイン付珈琲カップと交換条件にこの無茶な作戦を決行したのである。
この点、ディアナがキャロルのサイン付の物品を所持しているのには訳がある。
ディアナはロイスター王家とは母方の親戚にあたりキャロル殿下が幼い頃から親交がある。
ディアナにとってキャロルはレン同様歳の離れた妹のような存在だ。
キャロルの人気は凄まじい。特に男性は子供からお年寄りまでほぼ全員熱狂的な信者と言って良い。そこで今度のような無理を通すため予め多量のカップを買い込みキャロル殿下にサインをしてもらっているのだ。
ディアナの眼前には遠隔視覚魔法の行使者の見た映像を映し出す巨大なスクリーンが置かれている。
部屋にいる全員が、その大画面を顎が外れんばかりの大口を開けて見ている。それもそのはずだ。あの廃工場の中心にいる兎顔した鬼は『兎の鬼王』、かつて数百人をも殺戮した伝説の魔物。その魔物にハミルトンと子供達が傷つきながらも何度も挑んでいる。
これは異常だ。まずこの廃工場に伝説の魔物がいるのが異常だ。その怪物に子供達が恐れもせずに幾度となく挑むのも異常だ。ハミルトンと子供達が傷つくと女装をした巨躯の髭ずらの男性の抱擁により瞬く間に傷が癒えるのも異常だ。その治療中、『兎の鬼王』が金縛りあったように硬直しているのも異常だ。何より異常なのは『兎の鬼王』がまるで子兎のように髭ずらの女装男に怯えていることだ!
「う、嘘だろ……『兎の鬼王』を倒しやがった……」
「おい、ディアナ! これはどういう事だ? 詳しく説明しろ!!」
遠隔視覚魔法の行使者の震える言葉に我に返った中央軍第一訓練所所長――ロメオ・カルカスがディアナの胸倉を掴む。
このキャロル殿下の親衛隊長を務めるロリコン変態紳士は普段女性にこのような振舞いをする人物では決してない。もう頭の中は複数の疑問でぐちゃぐちゃなのだろう。ディアナも同様であるからロメオを攻めようとすら思わない。
「私にも何が何だか……」
ロメオの掴む手を払う気も起きずもう一度スクリーンに視線を向けると巨躯の女装男と視線があった。そう巨躯の女装男はこちらに刺すような視線を向けて来ていたのだ。
あり得ない。あり得るはずがない。この遠隔視覚魔法は幽体離脱のようなオカルトチックな仕組みではない。ディアナも詳しく理解できているわけではないが この魔法は電気機器を通して視覚情報を得る魔法。
この廃工場の上に照らす蛍光灯から魔法により視覚情報を獲得、電気信号に変換。次いでこの資料室まで情報を運んでいる。
つまり、それは直線距離にして十数キロメルからの視線に等しい。気配がない遠距離視覚魔法。それこそがこの魔法の恐ろしいところなのだ。それに気付く?
どこぞのヒーローものの漫画じゃあるまいしあり得るはずがない。偶々のはずだ。
しかし、その期待を真っ向から裏切るかのような強烈な悪寒がする。
「ヤバイ! あれは絶対ヤバイやつだ! 直ぐに止めろ!! 強制停止だ!!」
遠隔視覚魔法の行使者がロメオの悲鳴じみた怒鳴り声に暫しまごつくも強制停止を実行する。
だが一足遅かった。資料室の床に二つの魔法陣が出現しそこから水着姿の二人の美しい女性が出現する。
一人目は血のような赤く長い髪、赤目を持ち、赤い水着を着用した三メルにも達する巨大な剣を持つ女性。
もう一人は青い水着と両拳に青色のナックルを着用した吸い込まれそうな青眼、青色ショートカットの女性。
いずれの女性も頭に長いウサ耳を持つのが特徴だ。
その麗しくも美しい姿にも関わらず二人を見たときディアナが感じた唯一の感情は恐怖。まさに大蛇に巻き付かれ大きな咢で齧り付かれる直前の蛙のような心境だった。冷たい汗が滝のように全身から流れる。
「目標確認。今から捕縛に移ります」
掃討ではなく捕縛と言っている時点で殺すつもりまではないのだろう。しかし赤髪の女性の氷のような冷たい目を見れば捕えられた後の自身の幸の薄い未来をいくらでも思い描ける。
怖い。どうしょうもなく怖い。直ちにここから逃げるべきだ。ロメオと情報職員を抱えてであってもディアナの高速移動魔法ならこの場からの離脱が可能かもしれない。
だがその前に聞かなければならないことがある。即ち。レンの安否だ。あの慎重なハミルトンが『兎の鬼王』という伝説の魔物と戦うのだ。それ相応の理由があると考えるべきだ。
生徒のレンを人質にとられ無理やり闘わされていると考えれば一応の辻褄が合う。あの女装男が闘いを強要する理由は検討もつかないが、人質として捕らわれているならレンが無事な可能性も高い。だから聞くまでここは動くわけには行かない。
「レンは……無事なの?」
ディアナの震え声が発せられるのと赤髪の女性の大剣がディアナの目の前で停止するのは同時だった。赤髪の女性の能面のような顔には玉のような汗が浮かび明らかな動揺が見られる。
「レ、レン様のお知り合いの様子。命令の撤回を求めます。……許可受託確認」
赤髪の女性は焦ったような声を上げ一礼するとまるで逃げるように姿を消す。
次いで青髪の女性も恭しく一礼し地面に吸い込まれていった。
危機が去りディアナは急に身体中から力が抜け床にペタンと座る。ロメオも同様らしく頬をヒクつかせながら椅子にしがみ付いていた。十数分間思考が完全停止していたがやっと真面な思考回路が戻って来る。
(あの兎女はレンの名を聞いた途端攻撃を止めた。それにレン様と言ってた。そしてハミルトンのあのときの不可解な言葉――『兎の精霊に会った』。
あの子はキャロと同様、女神様の恩恵を受けているはず。そんなの眉唾ものだと思ってたけど、あの兎女が実在する以上精霊を使役する能力でも得たんでしょうね。確かにハミルトンがレンを中央軍に渡したくないと思う気持ちがわかるわ)
マシンガンのようなロメオの質問に簡単に答え王立中等騎士学校の校長室へ訪問する。
言うまでもなく明日の試合の中止を求めるためだ。『兎の鬼王』を撃破するようなチームとの戦闘などやるだけ無駄だし、第一危険極まりない。
校長は当初全く取り合おうとすらしなかったがロメオの必死の形相からただ事ではない事を察したのかその時の録画映像をみせるようロメオに要求する。
機密事項でもあるのでロメオは渋ったがこのままでは冒険者機構の全取となるというディアナの言葉に折れ提出を許可した。
校長、教頭、レンの担任教師アラベラ・ヘイズと共に録画映像を見る。校長達は全員真っ青な幽鬼のような顔をしていたが、直ぐに明日の試合の中止とハミルトンに対する事情聴取を決定しハミルトン達のいる廃工場へ直行した。
予想通り黒ずくめの仮面の男はレンだった。ハミルトンがレン君と口走った事からもう否定しきれないと悟ったのかレンは仮面を取りその姿を露わにする。
レンとハミルトンから簡単な説明を受けた後、校長室へ場所を移動しレン達をソファーで待たせた上で今後の方針を校長達と話し合う。
そして現在ディアナ、校長、教頭、担任教師アラベラが炎のような激しい怒りを顔一面に張らせつつ、レン達の眼前に仁王立ちしている状況だ。
俯き目尻から涙が滲んでいるレンの姿はまるで小さな女の子みたいで思わず抱き締めて頬ずりしたくなるが今は甘い顔は一切出来ない状況だ。
ロメオは後ろで目を瞑って何やら瞑想中だ。
「おい、ハミルトン。私の大切な生徒を危険に晒すとはどういう了見だ? 事と次第によってはただでは済まさんぞ!」
「アラベラちゃ~ん。マジで勘弁してよ。俺的に危険がないと判断したのさ」
「ああ? 危険がないだと? 貴様どの口がほざく! 『兎の鬼王』の攻撃で現にこうして燃えているだろうが?」
アラベラが蟀谷にビキビキマークを浮かべ、目の前で流されている録画映像を指さしつつハミルトンに蟲でも見るような視線向ける。
「あはは……確かに燃えてるネ……」
「ああ、そうだよ。火達磨だよ。これのどこが危険がないのだ? 御教授願おうか?」
「でも、その後回復してるんだから別にいいじゃん?」
「「そういう問題じゃない!!」」
教頭、アラベラの言葉に首を竦めるハミルトン。校長は溜息を吐きつつ言葉を発する。
「兎も角、Aチームの子供達の身が危険じゃし、明日の試合は中止。
確かに問題はあるがBチームの子供達に落ち度はない。Aチームの子供達は言わずもがなじゃ。加えてディアナからAチームの子供達の上達は耳に入れておる。
従って、Aチーム、Bチーム全員が迷宮実習以上の実力を付けたと判断し実習評価点の8割を与える」
レンがまぶしいような深い喜びを顔一杯に浮かべる。心が痛む。後に続く校長の言葉を知っているから。
「だが、レン・ヴァルトエック。お主だけは別じゃ。お主は女神様に頂いた力を私的に行使した。これがどれほどの不公平を生むかなど聡いお主が知らぬわけがあるまい?」
レンの顔から喜色が消え代わりに絶望一色に塗り替えられる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。レン君を唆したのは俺ですよ。なぜレン君が罰を受けるんです?」
狼狽の色を隠せないハミルトンが即座に異議を申し立てる。
「ハミルトン、お主は論外じゃ。子供達を危険に晒す事を提案した。本来守るべき教官がだ。この罪は重い。冒険者機構には厳重に抗議しておく。ただで済むとは思わんことじゃ。
そして、レンや。その話に乗ったお主も同罪じゃ。お主なら女神様の力など使わんでも、その智謀によりB班の子供達を勝利に導けたじゃろう。
確かに、真面に闘えばB班が勝利する確率は低かった。じゃから、勝利するにはレンが指揮するしかない。そう考え儂らはお主に指揮者としての参加を認める手筈なっておったんじゃ。安易な手段に走ったお主には評価点はやれん。儂らも迷ったんじゃがな、これは我等全員の総意じゃ。すまんな」
「ふざけんなよ!! 手前らレン君が情報伝達の魔法使えねぇって知ってんだろう? あのままやれば負けるのは誰の目にも明らかだ。こんなふざけた出来レース俺は認めねぇ!!」
「お主に認められんでもよいわ。
この実習の評価の仕方は実習終了時の力の大きさではない。実習を通し試行錯誤しどれほど自らの力を高められたかじゃ。
よってレンの指揮の下で仮に負けてもそれなりの闘いを演じた場合には評価点はちゃんと付けるつもりでおったよ。これは教頭、アラベラ先生が文書として持っておるから真実じゃ」
「じゃあ、僕があのまま指揮していれば――」
「お前の事だ。魔法以外の情報伝達の方法を編み出していただろうしそれなりの評価点がついたろうな。
だが、今回お前自信に何か実習を通して得るものがあったか? ないだろう? お前はただ女神によって得た力を使っただけだ。冷静に考えても評価点などやれんよ」
アラベラの言葉を最後にレンは唇を噛み締めていた。顔から感情を消し強く握り締めた拳を小刻みに震わせている姿からその悔恨の大きさは想像を絶する。
レンには悪いがディアナはほっと胸を撫で下ろしていた。
これでレンは冒険者にはなれない。
ロメオは怒り狂うだろうがこの事実はヴァルトエック夫妻に報告するつもりだ。
元々、ヴァルトエック夫妻はレンを軍属にする事には否定的だった。同じ仲間を一時的にでも危険に晒した行為への責任を取らせる形でレンの将来の軍隊への入隊を拒否する事になるだろう。
レンは頭がすこぶるいい。王都の超有名進学校などよりどりみどりだ。
ディアナは今でも最初に人を殺したときの夢を毎日のように見る。そのような血と硝煙に塗れた人世などレンには絶対に送ってほしくはない。
結果オーライと言う奴だ。仮に恨まれたとしても、レンが幸せになればそれでいいのだ。後で相談に乗ってあげよう。次の生き甲斐を探せるように!
お読みいただきありがとうございます。




