第7話 試練
◇◇◇◇
迷宮実習18日目 午前7時 廃工場
明日は試合で明後日は実習試験。事実上、今日が最後の鍛練となる。そのせいか全員の顔は水をかけられたようにキュッと引き締まっている。
「今日はこの鍛練の最終日だ。午前中は今まで通りの鍛練を行う。
後半は今までの総括であり、お前達が真の戦士と慣れるかの分水嶺。今までの試練とは性格が全く違う。だから希望者のみ後半の鍛練を行う」
「やはり子供達を覚醒させようとしてたわけか。たった5日間でLV1の者を覚醒させようなど、考えるのは君くらいだよ」
ハミルトンが乾いた笑みを浮かべる。後先を考えないレンの行為に呆れているのかもしれない。だがレンは教官の役を引き受けたからには全力で教えるし、出し惜しみなど欠片もするつもりはない。
なぜなら、それは仮にレンがバリー達の立場ならば絶対にして欲しくはないことだからだ。それに自らの保身や奢りのために手を抜くような人物はレンが理想とする冒険者ではない。レンの理想の冒険者はいつも全力投球。そんな御伽噺に出て来るような冒険者なのだから。だから彼らにクラスGへのチェンジの機会を設ける。なによりもレンの自身の意思によって!
「ねえ先生達ぃ。覚醒者って何ですか?」
バリー達の頭上には幾つもの疑問符が舞い踊っている。
「それは後半の試験を受ける者だけに教える。ちなみに今日の鍛練は俺も受けるからな」
ハミルトンは皮肉気に片側の口角を吊り上げつつ答える。
「「「「へっ……? え、え~~~~~~~~~!?」」」」
「別に驚くことじゃないだろう? 真の戦士になるは俺の念願でもあるのさ」
「無駄口は終わりだ。時間もない。今日の前半鍛練を開始する。ピョン子さん!」
「了解ですピョン。いでませ! いでませ! ピョピョンのピョン!」
部屋の真中に一際巨大な魔法陣が出現し三メル程もある直立不動した巨大兎が出現する。
この兎は【巨兎】。
兎というより鬼にしか見えない巨躯と凶悪そうな容姿。右手に鉄製の棍棒を持っている。
この兎こそクラスH最強の兎。ハミルトンが戦闘に加わる以上、この兎の撃破も可能と判断したのだ。内心では召喚を命じておいて若干引いているわけなのだが。
ハミルトンを始め全員が血の気の引いた真っ青な顔で頬を引き攣らせていた。
「これってもう兎じゃないよね? 怪獣じゃん?」
「全くだ。彼の出鱈目ぶりもここまできたか……」
「さあ、闘ってくれたまえよ。御代わりは吐いて捨てるほどある。わははははっは!」
天を仰ぎわざとらしく笑うレン。こうなったらヤケなのである。
『ギィシャアアアァァァァ!!』
兎とは到底思えない大気を震わせる【巨兎】の奇声を狼煙にハミルトン以下の文字通り命を賭けた鍛練が始まった。
「し、死ぬかと思った……」
ベラの言葉に皆が地面にへたり込みならが無言の同意をする。
凡そ5時間。全員がLV20に到達するまでにかかった時間だ。倒しては召喚し、倒しては召還する。無限御代わりの末、最後のコーマックがLV20となり前半の修練は終了した。
やはり一番乗りはハミルトン。次が、ベラ、フェイ、バリー、コーマックの順だった。LVが上がり能力値が上昇しても剣術等の技術が身につくわけではない。その差は歴然だった。
それにしてもフェイがやたら攻撃的で驚いた。あの戦闘中に浮かべる薄ら笑いといい戦闘中性格が変質しているのではなかろうか。
「それでは今から一時間の休憩後、最後の鍛練に入る。事前の予告通りここからは希望者のみとする。この鍛練だけは回復程度しかピョン子さんの補助は受けられない。何度も死ぬ目に会う事なるだろう。熟考してから決めてほしい」
レベルアップとクラスチェンジはまったくの別の概念だ。
レベルアップが単に筋力や魔力などを上昇させる概念だとすれば、クラスチェンジは身体の構造自体を変質させ一段階上の種族へ導く進化のような概念だ。
人間を止める以上、クラスHの者達だけの力で試練をクリアすることでしかクラスGへは至れない。だから今までのように戦闘中相手の攻撃を半減したりすることは絶対にしない。
従って、幾度となく狂わんばかりの激痛を味わう事になるだろう。幾度となく恐怖と絶望を抱くことだろう。その度にピョン子さんに回復され地獄の試練に挑むのだ。
これは今までの鍛練などお遊戯に思えるほどの試練だ。ハミルトンに視線を向けると軽く頷く。後は任せて大丈夫だろう。レンは工場を後にする。
アジにもらったペンダントで異空間にあるレンの部屋を訪れ1時間ほど休んだ後、廃工場へ向かう。
工場内では5人全員が敵地に足を踏み入れたような険しい表情でレンが訪れるのを待っていた。この試練の意味を知るハミルトンなら間違っても甘い事は言うまい。ならもうレンが言うべきことはない。
「今から第一段階覚醒への試練を行う」
ここからは人生をかけた試練。それに相応しい演出も大事だ。レンは右手を空高く上げる。指を鳴らした途端、クラスG、レベル1の兎が召喚される手筈となっている。
クラスHとクラスGはまったくの別の生物だ。強さの次元が違う。その怪物に自らの意思で立ち向かうのだ。
殿下のために仕方なく挑んだレンとは違う真の勇者たち。そんな勇者達には相応しい言葉を送るべきだ。勇者達に勝利と栄光を! ある英雄譚の一節をレンは静かに紡いでいく。
「試練に挑みし勇者達よ。武の限りを尽くせ! 叡智の限りを尽くせ! されば勝利は与えられん!」
パチンッと言うレンの指の音と共にピョン子さんがクラスGの兎を召還する。
地面に魔法陣が浮かび、そこから現れたのは一体の真っ赤なローブを着た背丈がレンほどの人型の兎。頭上にある角と口腔から漏れる緋色の火花がなければただの兎の顔をした人だ。
見た目は【巨兎】の方が強そうに見えるかもしれない。しかしこれはそんな生易しい生物ではない。
「そ、そんな馬鹿な! 兎の鬼王……?」
ハミルトンが顔を絶望に染め上げる。
レンの住む世界『エインズワース』では数十年に一度出現する兎とも鬼ともつかぬ怪物。過去に数個の街を焼き払った魔物の王。正確な名は【鬼兎王】。
クラスG、レベル1の候補兎は他に二体ほどいたが『皆が良く知る魔物の方が達成感あって良いよね』という理由からこの魔物が選択されたわけである。
「ハミルトン先生。この魔物って強いの? さっきの巨大兎の方がずっと強そうだよ」
「阿保! 授業で習わなかったのか? 6年前の『血のバネン』を引き起こした魔物だ!」
ベラの顔から血の気がサーと引いていく。それはそうだろう。『血のバネン』とはロイスター王国北端にある人口一万の小規模都市が一匹の魔物により壊滅した有名な事件だ。死者は数百人にも及び結局SSSランクの冒険者でありカリーナの父――『迅雷』のプルートにより討伐されている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。『血のバネン』を起した魔物って兎だったんですか? 授業では鬼だと習いました」
「顔が兎に似ている鬼。冒険者機構はそう結論付けた。だが実際俺達の目の前にいるんだ。兎だったようだな。
くはははっ……なるほどプルートさんが今の俺には覚醒はまだ早いといった言葉の意味が良く分かる。こんな化物を倒さないと至れないなら不――」
無駄口を叩く愚かな勇者を【鬼兎王】が見逃すはずもない。
【鬼兎王】は大口を開けると超圧縮された緋色の雷炎を空中に放出する。赤色の輝線をともなう獰猛な炎の塊は回転しつつ高速でハミルトン達に迫り着弾する。
大爆発!
凄まじい爆風と爆音が響き渡る。おそらく、ピョン子さんが結界を張っていなければこの廃工場など木端微塵だっただろう。兎も角、たった一撃の兎の攻撃で勇者達は全滅する。
ピョン子さんは【鬼兎王】を一睨みで黙らせ、傷を負ったハミルトン達を速やかに回復させる。最初に意識を取り戻したのはやはりハミルトンだった。
ハミルトンの顔色はすでに青色を通り越して緑色となっている。力のない暗い目つきで虚空を見る様子からも戦意は完璧に喪失していると思われる。
ハミルトンは【鬼兎王】という伝説の怪物が相手で絶対に勝てないという先入観に取りつかれている。本当に勝てない程の力の差ならさっきの攻撃で死んでいる。【鬼兎王】の最強の一撃を正面から受けて即死せず火傷で済んでいる時点で勝機は十分あるのだ。後はそれに気付くかだが歴戦の勇者のハミルトンがこの様子だ。バリー達も同様だろう。残念だがこれで終了かもしれない。
暫らくしてバリー達も意識を取り戻す。バリー達はムクりと起き上がり身体が無事なのを確認しほっと胸を撫で下ろした後、皆で集まり顔を突き合わせ話し合い始めた。
「まいったな。また恐怖で思考停止してたよ。俺達マジで懲りないなぁ」
バリーが頭を掻きながら苦笑する。
「ははっ! 本当ですね。ですがお陰ではっきりしたこともあります。
あの鬼の兎ですが遠距離攻撃のところなど魔法使いの兎に似てますよね? ならあの魔法使いの兎と基本的対策は変わらないはずです」
「だよねぇ~。それは私も思った。とするとあの糞兎のように風の防壁とかで接近できないとか?」
「それも……確かめる必要はあるよね。でも……今一番考えなければならないのはさっきの口から吐く炎弾だと思う。早いし……避けられない」
ベラの問にフェイがいつもの消え入りそうな声で答える。
「つ~ことは、コーマックの風魔法で防御壁を作るとか?」
「僕の風の防壁ならきっと半減ぐらいはできますね。でも全てを防ぐのは無理ではないかと」
「あの件の魔法使いの兎と同様相殺する必要があるということか……」
ハミルトンは目を皿のようにしてバリー達を見ていたが、弾かれたように尋ねる。
「君達、今の攻撃を浴びてなぜそんな平然としていられるんだ? 俺達はたった今死にかけたんだぞ?」
「死にかけましたけど、もう毎度の事ですんで慣れましたよ。それに『鮮血の黒騎士』先生が試練を課す以上、ムリゲーじゃないのは間違いないですし、後は撃破方法でしょ?」
ハミルトンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「……そうか。そうだよな。あの炎弾は建物など塵も残さず燃やし尽くす兎の鬼王最強の一撃。それでも俺達は生きている。つまり、あの兎では俺達は殺し切れないということ。勝てないというのは俺の勝手な思い込みか。
まさか教官の俺が生徒に諭されるとはね。まったく君達どんだけ成長するつもりだよ!
もういいや。この際教官は返上することにしよう。俺はハミルトン・ランバート。ただの挑戦者だ!」
ハミルトンを加えた五人で【鬼兎王】討伐の作戦を練り上げて行く。そして――。
【鬼兎王】の最大の攻撃は口から吐く炎雷弾。これをほぼタイムラグなく打つ事が出来る事が最も厄介だ。加えて体術もそれなりの腕を持つため拳を受けたら火達磨と言う事も当然あり得る。
しかし、どんな能力にも一つくらい穴があるものである。この能力も例に漏れず一度放つと数秒硬直するという法則があった。それに気付くまでに数回全滅したが、一度気付けば勝つのは簡単だった。
ハミルトン、バリーとベラが四方から【鬼兎王】を攻撃する。接近戦を強いられた【鬼兎王】は硬直を恐れて炎雷弾を吐くことが出来ない。距離をとろうとするとフェイ、コーマックの遠距離からの魔法による直撃を受けてたたらを踏まされる。そこを再び、三人により攻撃される。こうして【鬼兎王】は防戦を強いられる。
格下の相手を中々倒せない事に苛立ちを募らせた【鬼兎王】の攻撃はつい大ぶりとなりバリーの大剣を殴り体制を僅かに崩す。
コーマックがその隙を見逃さはずもなく束縛の魔法をかけ数秒の硬直に成功する。
間髪入れずハミルトンが兎の耳を刎ね、直後ベラの【渾身の木槌】が【鬼兎王】をバラバラの肉片まで分解する。直後、フェイの第4階梯火炎魔法【極大火炎球】が直撃し肉片を塵まで炎滅した。
【渾身の木槌】により生じた巨大なクレーターに視線を向けていたハミルトンは地面に両膝緒をつき、ガッツポーズをとる。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
声がかすれるほど張り上げ続けるハミルトンを合図にB班の全員が勝利に湧く。
散々勝利に酔った後、カードで自己がLV1になっているのを見て再び歓喜に叫ぶハミルトンとB班のメンバー。
クラスGへは全員チェンジしていた。おそらく一人でも欠けたら【鬼兎王】を倒せなかったという事実が全員分のクラスチェンジを可能にしたんだろう。
その後、クラスチェンジの効果を試したいというハミルトン達の強い要望により【鬼兎王】とクラスG、レベル1の他の2体の候補兎との戦闘を残り時間の全てを使い繰り返した。
全員が単独で互角、二人一組では圧勝するまで力が上がっていた。中でもハミルトンなど単独で圧勝してみせた。
クラスG、レベル1の【召喚兎】を倒したときドロップアイテム【兎祭の腕輪】を獲得する。これは倒した兎を登録し1日6体に限り召喚し使役するというユニークな道具だ。
野兎など召喚しても意味がない。通常人には無用の長物だがこの鍛練を受けたものにとっては天上の宝物だ。
順番的にコーマックが装備する事となる。コーマックは補助系の魔法が中心で攻撃や防御がやや弱い。妥当な結論だと思われる。
【鬼兎王】、【爆兎】、【召喚兎】を登録し鍛練は終了となる。
ハミルトンから明日の試合でやりすぎないよう厳重な注意なされ解散となる。
『鮮血の黒騎士』が明日の試合を観戦しに来るものと考えているBチームのメンバーはすんなり解散の指示に従う。レンが『鮮血の黒騎士』となるのも今日が最後だ。明日からはレン・ヴァルトエックに戻る。二度と『鮮血の黒騎士』がバリー達の前に現れる事はないだろう。
ピョン子さんも精霊界にある兎の国とやらへ帰り廃工場にはレンとハミルトンが残される。
「レン君。ありがとう。俺一人では一生かかっても覚醒には至れなかった」
「それは違います、遅かれ速かれハミルトン先生は覚醒していました。
それより、今はレンではなく『鮮血の黒騎士』です。もし誰かに聞かれでもしたら……」
「ははっ! ないない。こんな街の外れなんて誰も来やしな――」
「そうね。私達以外には!」
ハミルトンの声を遮りバンッと勢いよく扉が開き数人の男女が廃工場内に入って来る。
その真中にいる人物を見たときレンは自分の籤運の悪さを心底呪った。そこには悪鬼の如き形相のディアナが佇んでいたのだ。
お読みいただきありがとうございます。
次がやっと魔王襲撃です。




