閑話 疑念
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ディアナ・イーストン少佐は中央軍の練習所でAチームの鍛練を終え帰路に着いていた。
レンのためだとは言え、素人の修行に付き合うなど正直気乗りしなかったが今は逆に面白いと思っている。
カリーナはLVも高く才能もある。唯一足りないのは実戦経験くらいだ。
彼女にはひたすら高レベルの兵士との戦闘をさせるが、その絶望的ともいえる能力値の差にも関わらず数度兵士に攻撃を当てていた。
このようにカリーナには戦闘の才能がある。だがそれ以上に彼女には強さに対する執念のようなものを感じる。何か理由があるのだろうが、それに踏み込むほどディアナは無粋ではない。
一方、パット、ダン、エゴンは才能は平凡だが根性だけは人一倍あり、歴戦の兵士でも逃げ出すディアナの修行に泣き言一つ言わずついて来た。
その理由も検討が付いている。レンの存在故だろう。
パット達3人のレンへの気持ちは実に複雑怪奇であり、女のディアナには理解し難い。
今回のパット達の修練に手を貸す際にパット達の父親から粗方の事情は聴いた。
レンとパット達3人は父親が軍属で仲が良い事もあり、幼年部生時代はよく遊んでいたようだ。パットがガキ大将のような立ち位置でレンを虐める貴族の子弟に殴りかかり、怪我を負わせてしまった事もあったらしい。
だが人の気持ちなど時と共に変わるものだ。今ではすっかりレンを憎んでいるのだと思っていた。それもパット達の話の中に 昔のレンの話題が出てくることで誤まりだとわかる。レンが情けなかった話題を話してはいるのだが、3人とも妙に懐かしそうで嬉しそうなのだ。
確かに純粋に嫌いなだけならパット達の性格からして殊更絡んだりはしないだろう。
パット達がこうも屈折した原因は一つではあるまい。確実に複数の要因が複雑に絡み合っている。そして、その一番の原因はレンが冒険者の道を選んだことにあるのはほぼ間違いあるまい。パット達にとってレンは同じ軍の道を歩まない裏切り者というわけだ。
パット達や中央軍同様、レンは冒険者になるべきではないという点ではディアナも同感だ。
だが、同時にレンは軍属にもなるべきではないとも思っている。そもそもレンは闘いに向いていない。少女の服を着させて御飯事をさせたらさぞかし似合うような少年なのだ。本人のためにももっと優しい職業を選択すべきだ。
もう一つ気に食わない事はヴァルトエック夫妻がカティとレンを婚約させようと目論んでいることだ。おまけに本人のカティが満更でもない様子であることがディアナを余計にイラつかせた。レンはディアナの妹、もとい弟のような大切な存在。できる限り血生臭いことから遠ざけたい。それなのになぜ軍属なのだ? 他に眉目秀麗な令嬢など沢山いるだろうに。
不機嫌なしわを眉間につくり歩いていると前方から今回のディアナの共犯の一人――ハミルトンがヨロヨロと歩いて来た。
ハミルトンは王立騎士学校からの腐れ縁だ。右手を上げて挨拶をするが心ここにあらずの状態だ。ハミルトンはレンのいるBチームの担当だ。レンの身に何かあったのだろうか。焦燥感が嘔吐のように次々襲ってくる。
その感情のままにハミルトンを近くの喫茶店に強制連行することにする。
「ハミルトン、レンに何かあったのか?」
「……レン君……か。なあ、ディアナ、君は精霊を見たことがあるかい?」
「精霊? なんだ。ハミルトン、お前主義者か?」
『精霊』。それはエルフたちや一部の妖精の血が混じっている地方部族達が崇める神のような存在だ。従って女神同様誰も見たことも触れたこともない神話や御伽噺の中だけの存在とされている。
だが、近年ロイスター王国、北部大陸のアハル帝国を中心とした一部の人間族の間でエルフ国ミューゼルの千年を生きるハイエルフ達が精霊を呼び出しその恩恵を受ける魔法の知識を有していると主張する集団が現れた。
彼らはエルフ達が本来平等であるべき魔法の力を不当に独占していると主張しその魔法知識の解放を求めている。
これに対し、エルフたちは否定も肯定もしないといういつもの秘密主義を貫いており、その真偽は闇の中だ。
しかし、人間はエルフと比較し寿命も短く魔力も容姿さえも圧倒的に劣る種族だ。しかもエルフたちの純血種たちは秘密主義でプライドが高く大抵高慢なものが多い。そのやっかみだとディアナは思っている。
「いや、俺は違ったよ。今朝まではな。そんな事より質問に答えろよ」
「あんなのは魔法解放主義者達の単なるやっかみだろう? 生憎と私は御伽噺や神話などという絵空事を信じるほど暇ではない」
「くく……君はそうだった。恐ろしい程の現実主義者。その現実主義者の君に聞きたい。俺が今日兎の精霊に会ったと言ったら信じるか?」
「はぁぁ~? 兎の精霊? お前、私をからかっているのか?」
「だよなぁ~、それが正常な反応さ。ディアナ。悪いけどレン君は俺ら冒険者機構がもらう」
「はぁ? 今更お前なに言ってるんだ? そんな事をすれば――」
「無論、先輩夫妻は怒髪天を衝く勢いで怒り狂うだろうよ。
だけどもうそんな次元の話じゃない。レン君を一介の国の軍が独占するなど恐ろしすぎる」
「……一体何があった?」
「だから言っただろう。兎の精霊に会ったって。俺は嘘など言ってないぜ。それが信じられん限り、俺と君の話は平行線だ。あとな、今度の試合は諦めろ。棄権した方がいい」
「お前……」
一般人ならば魂を握り潰されるが如きディアナの殺意の濁流をハミルトンは平然と受け流し、テーブルに自らの珈琲代を置くと席を立ちあがる。
「一応、忠告はしたぜ」
ハミルトンが店の外に出るまで視線を向けていた。
ディアナは珈琲の入っていたカップの取っ手を掴みゆっくり口に運ぶ。味がない。というより珈琲などとうに飲み干しており一滴も残っていなかった。肺にある空気を吐き出し、ウエイトレスに珈琲の追加を頼む。ディアナは普段このようなへまはしない。ディアナをこれほど動揺させるほど先ほどのハミルトンの姿は異様だった。
ハミルトンはディアナ同様ヴァルトエック夫妻には多大な恩がある。その恩人からの依頼を一度引き受けたにも関わらず反故にするなど通常はあり得ない。つまり通常ではありえない事態が進行中ということだろう。ヒントは『兎の精霊』。気は進まないが調べる必要がある。
ディアナは再度注がれた珈琲に口を付ける。口一杯に広がる苦味を合図にディアナは思考の濁流にのまれていく。
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