第9話 回想 アジ
キャロル・ダイアス・ロイスターと融合したアジ・ダハーカことアジは、現在王族専用の超高級車の後部座席の中のから高速で後ろに流れゆく外の景色を眺めていた。本来外界など千年ぶりのアジからすれば全てが物珍しく興味津々なはずだ。幼児が玩具を与えられたかのように目を輝かせるはずだ。しかし、今のアジの頭の中を占有しているのは一人の人間の少年のこと。
蟻の強さの違いなど人間にはわからない。同様にアジも人間の個別の強さなど正直よく分からない。人間同士を比較してその強さを図るしかない。そんなアジの見立てではレンは他のどの人間よりも断トツで弱く才能の欠片も感じられなかった。どこにでもいる何の力もない臆病で、幼さが抜け切れない少年。それがアジのレンについての最初の評価だ。だがこうして改めて振り返るとレンという人間の異常さが浮き彫りになる。
最初の違和感はアジの分身体の攻撃で生き残ったことだ。手加減していたとはいえ、人間にとっては即死レベルの強さで殴打した。だが、レンは生き残り金髪の少年の救護という目的を果たす。ゴブリンさえ右往左往していた少年がアジの分身体の一撃で意識を保ち自己の目的を達したのだ。冷静に考えればこれは異常だ。現に、金髪の少年はアジの一撃で再起不能となっている。
二つ目の違和感はレンの潜在能力を引き出したときだ。アジでも身震いするほどのとてつもない力がレンという小さい人間の身体の中には眠っていた。あのときは世界の広さと自らの幸運に歓談したものだが、実際問題、あれ程の力が人間のちっぽけな器においそれと入っていること自体世界が広いで済まされない。
最後の違和感は一つ目の巨人を策を弄して倒したことだ。傍から一部始終を見ていたアジはレンを素直に賞賛した。圧倒的力の差を知性と運と一握りの勇気により覆し勝利を収める。それはアジが好きな少年漫画の主人公のようで胸が高鳴った。そんな呑気な感情もレンが141階層の門番を倒し現実を認識する事で瞬く間に冷え切った。
陰険女神は門番のいる部屋の扉に一定の力がないと入れないような術を施している。従って分身体のアジでは入る事は出来ず、141階層の門番の強さを今の今まで知らなかった。だが仮にも女神がアジを止めるために設置した魔物だ。普通の強さではないだろう。案の定141階層の門番はキャロルと同化し敵の強さの判別能力が著しく低下したアジでも認識できる程の絶対的な強者だった。その絶対的強者はレンが空中に出現させた幾多の紅糸によってまるで蟲でも踏み潰すがごとく屠られてしまう。道理に合わない。少なくともBクラスはあったのではなかろうか。とすると、レンはBクラス以上の力を有していることになる。レンに確認するがAクラスらしい。ふざけている。人間がAクラスの力を持つ? 冗談にしては笑えない。
クラスとは女神よりもさらに高次の存在により創り出されたこの世界の絶対不可侵のルールであり、その個体の魂の強さを示す。このルールは神、竜、幻獣、精霊といった高次の存在にのみ自己認識可能である一方、その絶対不可侵という性質上他者のクラスを正確に認識し得ないという制限が付く。もっともあくまでクラスを正確に認識できないだけで大雑把には判断が付く。例えば自分と同等の強さ、少し強い、凄く強いと言った塩梅だ。キャロルと同化しこの判別能力が著しく低下したアジはレンの強さを150階層の魔物の撃破をもって判断していた。
アジは本来Sクラス。SクラスとAクラスには世界のどの海溝よりも深い溝が存在する。だからアジにとってAクラス以下は全て凄く弱いとしか判断できない。それでもアジも数千年を生きる悪竜だ。数千年で培ってきた外界での経験で迷宮に閉じ込められた当初150階層に生息している魔物達は全てDクラス程度であると判断できた。だが約千年にも及ぶ迷宮への幽閉でこの感覚は著しく鈍る。加えて魔物達がゆっくりとアジの魔力を吸収し強くなれば尚更判断などつきようがない。
人間のような精神生命体以外の存在は精神生命体である魔物達のように上位のクラスの存在の魔力を吸収することはできず、これによりクラスを上げる事は出来ない。精神生命体ではない人間がクラスを上げる唯一の方法はより上位のクラスの者を打倒することなのだ。とすれば、この迷宮150層の魔物達の中にはアジの魔力という養分を与えられAクラスまで到達した個体が存在した事を意味する。
つまり150層でレンが初めて倒したあの一つ目の巨人はBかAクラスであった確率が極めて高い。ゴブリンにてこずるくらいだ。レンのクラスが当初Hクラスであったのは間違いない。確かにレンはアジの魔剣の力を得ていたがあの魔剣はクラスの壁まで超える能力はない。ただ、クラスの壁を越えダメージを与える事は出来る。要はよく切れる剣に過ぎない。
つまり、Aに限りなく近いBクラスの一つ目の巨人をHクラスの人間に過ぎないレンが倒した事を意味する。Bクラスは神話上の怪物。魔王や竜王クラスでさえも捻り潰す事が可能な正真正銘の怪物達。これはHクラスがDクラスの魔物を倒すのとは質が違う。こんな事は世界創造以来初めての事ではなかろうか。
レンは冒険者としての第一歩だと喜んでいたが冗談ではない。これは神話クラスの偉業だ。この偉業が第一歩とするならレンは将来どんな冒険者になるつもりなのだろうか。考えただけで震えが来る。ずっと傍で見てみたいと思う。そして、それはこの体の持主の願望でもある。キャロルのためにも是非叶えてやりたい。無論問題は山住だ。キャロルの王族という立場もある。なによりもレンが朴念仁すぎる。それに――。
アジはそこで思考を強制停止させる。それ以上は決して考えてはいけないことだから。
お読みいただきありがとうございます。これで1部は終了です。2部がメッチャ長いんで、配下がでてくるところまで投稿できたらと思っています。
ではまた!!