春メきと……
午前六時四七分三五秒、起床。窓から射し込む光が眩しい。忙しなく目覚めを促し続ける転寝機能の転換器を切り、腕から外した。徐に身体を伸ばす。
二分三五秒、寝過ごしていた。余り問題はないけれど。
寝床から降り、制服に着替える。濃紺の水兵服はとても可愛らしく、袖を通す度、国立第三五高等教育女学院の生徒で良かったと思う。適性検査の結果だけでは難しかったので、学力の御陰だろう。両親と遺伝子に感謝しなければ。
生体監視装置を腕に着け直し、春に設定した。生身のままでも問題はないが、過剰反応抗原物質が飛び交っているらしいので仕方ない。とは云え、反応を示すことなど、屹度ないとは思っているけれど。
私たちの生活は、とても合理的だ。合理性のための生体監視装置、とも云えるだろうか。腕に着ける小型の画面付き帯革は、起床時間の管理や気候の変化への対応、緊急時における警報の役割も果たしている。更に、自分では気付けない細かな体調の変化等を読み取り、医務省からの配薬の段取りまでこなしているのだ。まさに万能で、私が普通級に産まれて良かったと、思う所以でもある。
水兵服の襟を整え、髪を結う。きちんとした三つ編みは国立第三五高等教育女学院の校則ではあるけれど、私の好きな髪型でもあった。何より、気持ちがしゃんとするのだ。
時間を確認するために、生体監視装置の転換器を入れた。そう云えば、と思う。私の装置は白色だけれど、学友の装置は鮮やかな色をしている、と。ひょっとしたら、級によって色が違うのかもしれない。学友は学者級や貴族級の出身者が多いので、訊いてみれば判るだろうか。
自分の属する級より上の級の情報は、普通に生きていれば知ることなどない。本来ならば。必要がないし、何より失礼にあたる。けれど私は、国立第三五高等教育女学院の生徒なのだ。選良学院に通っていると云うことは、即ち級変更候補生でもあると云うこと。庶民の中の上級から、本物の上級になれるかもしれないのだ。それはとても名誉なことで、優秀さの証でもある。矢張り、両親と遺伝子には感謝しなければなるまい。
窓を閉めた。放っておいても八時になれば自動で閉まるが、吹き込んでくる風が髪を乱しそうで嫌だった。春は風が強くて困る。風圧による影響も、生体監視装置の偏向が効けば良いのに、と思う。上級用の装置には、そう云う機能が付いているだろうか。付いていれば良い。そうであれば、私は春を好きになれる。
衣類棚から靴を取り出し、足を乗せた。するすると嵌まる履き物は制服と同じ濃紺の、学院指定の革靴だ。寸法は二二糎。体格の良い貴族級の学友たちと比べると、私の身体はかなり小さい。貧相なのは仕方がないとは云え、こればかりは遺伝子を恨めしく思ってしまう。遺伝上の両親が学者級に成れなかったのは、体躯のせいではなかろうか。そしてその困難は、娘である私にも引き継がれてしまっているのだ。見たことがないので、想像でしかないけれど。
遺伝上の両親と会えるのは、私が成人するその日だけらしい。染色体情報蓄積機構に登録する際、遺伝上の両親と私との相違を確認するために引き合わされるのだ。姿形なども情報として残してあるはずなのに、態々本人たちと会わなければいけないなんて。興味深くはあるけれど、正直なところ、面倒に思う気持ちが勝っている。
私の両親も屹度、何処かの誰かの遺伝上の両親なのだろう。訊いたことはないけれど。
部屋の扉を開け、食事部屋へと向かった。母の作る手料理は美味しく、日々の楽しみとなっている。適合性の御陰とは云え、良い両親の下で育っていると思う。私も、将来は良き親に成りたいものだ。そのためには、選良としてしっかりと学ばねばなるまい。社会の繁栄が、家族の幸福だ。享受する側から支える側へ。普通級から、学者級へ。
そう云えば。私が級変更したら、両親もみなし上級になるのだろうか。或いは、階級に差が生じてしまうのだろうか。上級から下級への面会は時間さえ取れれば容易いが、その逆はほぼ不可能らしい。つまり、私は親の死に目に会えないかもしれないのだ。この辺りは、確認してみなければ判らないことではあるけれど。
思考の堂々巡りをしていると、食事部屋が見えてきた。同時に、とても美味しそうな良い匂いが漂ってくる。今日の朝餉は焼き魚に味噌汁と云った、正統主義的和食らしい。出汁は煮干しだろうか。何れにせよ、母の料理に外れはないが。
「お早う御座います」
食卓机に並べられた朝餉を眺め、席に着く。茶碗に装われた白米は艶やかで、味噌汁は柔らかな湯気を立ち上らせていた。程良く焼けた鯵の開きからは、じんわりと脂が滲んでいる。胡瓜の漬け物が入った小鉢に、一口大の奴豆腐。均衡はさほど良くないが、食欲をそそるのは間違いなく。
「戴きます」
箸に手を伸ばした。一人で戴く食事は味気なく、けれどとても美味しかった。母の料理は矢張り素晴らしい。学院で食べる昼餉の方が栄養の均衡は採れているように思うが、家庭のそれとは違う。私は家族に恵まれている。
不意に、下等級の人々は朝餉を食べないと習ったのを、思い出した。食事は一日一回、固形栄養素のみだと云う。私には想像のつかない、つまらない生活。勿論、体験したことがないので、実際のところは判らないのだけれど。
ゆっくりと箸を運ぶ。口内に旨味が広がる。両親は既に家を空けていたが、食べたものは同じだろう。それをとても、家族だ、と感じる。同じ家で眠り、同じ食事をし、同じ苗字を使用する。それはとても家族で、遺伝子よりも強固なもので。少なくとも、私にとっては。
成人が近付いているからかもしれない。家族について考える時間が増えていた。学院を卒業すれば、私は成人と見なされる。つまり、家族も解体なのだ。それまでに私は、母の料理を覚えることが出来るだろうか。分担がどうなるのかは未知ではあるが、出来ることは多い方が良い。新しい家族の元で順調に過ごすには、可能が多いに越したことはない。
「御馳走様でした」
最近、両親が忙しいのは、新たな家族を迎えるべく適合性検査をしているからだろう。新たな遺伝子提供先があるのかもしれない。何せ、両親は未だ若い。私が初めての子供だから、当たり前ではあるのだけれど。
そのうち私にも、子供が出来るのだろうか。それなり以上に優秀な普通級なら、少なくとも二人は造られるらしいが。しかし優生学と人口推移計画の均衡に因るので、一概には言えない。勿論、優秀と認められれば、優先権が与えられるのは間違いないけれど。何れにせよ国立第三五高等教育女学院に通っている時点で、既に私には資格があるのだ。遺伝子を遺すと云う、資格が。
ふと、腕を見やる。未だ学院送迎車が来るまで時間があった。十七階の停車場までは、自動床で五分程かかる。私の家が上級だったら、もっと近くに住めていたろうに。級が上がれば、住処も高所になる。我が家の所在地であるところの十二階は低くはないが、別段高くもなく。けれど下等級の住処が見えない分、少しだけ上級寄りかもしれない。伝え聞いただけの知識ではあるけれど、下等級の生活は、覗き見るだけでも私には耐えられそうにない。申し訳ないが、気色悪いとすら、思う。
一日一食の固形栄養素もそうだし、勉学に触れることのない生活もそう。下等級の生態は想像の範囲を超えている。ただ肉体を動かし、死ぬまで生きるだけの生活。生体監視装置もないと云う。言語は解するが、識字率は低く。全くの零でないのは、普通級からの落伍者がいるからだろうか。何れにせよ、同じ国民として、到底解り合えるとは思えない。解り合える必要もないけれど。
そう云えば、下等級は寿命が短いらしい。生体監視装置がないのだから、当たり前と云えば当たり前だが。病になった臓器は取り除くらしく、そう云ったところも野蛮に感じる所以かもしれない。私たちのように、新しい臓器に取り替えれば良いのに、と思う。臓器工場は国中の至る所にあるのだから、下等級用の臓器も用意出来そうな気がする。とは云え、臓器交換で治る度合いの内に、疾病の存在に気が付かない可能性はある。生体監視装置がないおかげで。
ああ。矢張り私は、普通級に生まれて良かった。肉体の変調はどんなに些細なことでも察知してくれるから、大病を患うこともなく。未然に、事前に、防がれる。過剰反応抗原性の不調も、偏向が影響を排除してくれるので、問題なく過ごせる。原因が外気の場合も、食品の場合も。なので自身の過剰反応抗原物質を知らないままの人も多いが、不要な情報を知る必要はないだろう。全ては、生体監視装置が解決してくれるのだから。
私の腕で時を刻んでいる、小型の画面を見た。物心が付いたときには既に持っていた、私のもうひとりの家族とも云うべき存在。全てを正確に記す。私の脈拍、血流量。食事から得た栄養素まで、きちんと管理記録している。生まれてから今までの、全てを。
確認してみたいと思う反面、膨大な情報から必要なものを取り出す作業は骨が折れそうだとも思う。人間にとっての過剰反応抗原物質は、果たして何種類あるのだろうか。遺伝子解析である程度は解るものの、環境も人類も日々進化しているのだ。新たな、微細な反応しか示さないような過剰反応抗原物質が存在しないとは限らない。それら全ての情報を精査する価値など、好奇心を満たす以外に存在し得ない。つまり、無駄でしかないのだ。学者級の、抗体の専門家でもない限りは。
そう云えば、私は、将来何になるのだろう。学者級になるのであれば、単純労働ではなく、研究開発が主になるはずだ。国立第三五高等教育女学院の卒業生は、国立研究機関に入所する者が多い。そのまま学院に残って指導者に成る者もいるが、少数だ。何れにせよ、解るのはもう直ぐだろう。卒業の前に通知が来る。何処に住むのか、どのような仕事につくのか、伴侶は誰か、学者級に成れるのかどうか。全ては、決まっている。初めから。殆ど、例外なく。
選ばれし者による、選ばれし幸福。遺伝子情報に基づいた、完全なる平等。これ以上の社会など、屹度あろうはずもなく。
この理想的な世界に生まれるとは、私はなんと幸福なのだろう。悩むことなく、困ることなく、苦しむことなく。社会に望まれるままに、遺伝子を紡ぎ繋いでいく。当たり前に用意された道を、当たり前に歩み進む。ただそれだけで、これほど幸福な人生を送れるとは。
ああ。幸せだ、私は。