日常
9月21日、朝。
俺は自室のベッドの上で目覚めた。
昨日寝るのが遅かったせいか、気怠い気分を断ち切ることが出来ない。
こんなに目覚めが悪いのも久しぶりだった。
「はぁ〜、あ。」
口から勝手に欠伸が出てくる。
眠気を覚ますために、とりあえず洗顔。
「よしっ。」
朝食を手早く済ませ、学校の支度を整える。
「行ってきます。」
家族に別れを告げると、俺は足早に家を出た。
「よっす。」
校門に着くと、背後から声を掛けられた。
振り向くと、そこには見慣れた顔があった。
「よう、久原。」
久原は8月まで共にサッカー部で過ごした仲間の一人だ。
同じクラスということもあって、特に仲が良い。
彼は今日も調子が良いようで、いらない情報をペラペラと話してくる。
すると唐突にこんなことを言い出した。
「昨日の夜は綺麗な満月だったな。」
ー不意に、赤い月が、美しい女性の姿が、脳裏によぎる。
「いつからそんなロマンチストになったんだよ。」
俺は、一度無くなった左腕を撫でながら言った。
昨日の夜のことを、彼は知っているのだろうか。
朝から注意してみたが、テレビにも、新聞にも、昨日の事件は取り上げられていないみたいだ。
だが、試しに聞いてみる価値はあるかもしれない。
「なぁ、久原。」
「うん?」
「…今日の一限って何だっけ?」
聞けなかった。
教室に入ると、俺の視覚は無意識のうちに一人の姿を捉えた。
俺の瞳に映る彼女は、一番後ろの席で英単語帳を開いていた。
「おはよう、いいんちょ…いや、上宮。」
俺は昨日の夜にも会った、理知的な彼女に声を掛けた。
「あら、おはよう、桐谷くん。何か用かしら。」
彼女はまるで何事もなかったかのように振る舞ってくる。
「説明、聞かせくれよ。」
俺は彼女に逃げられないよう、やや強めに言った。
俺はなんとしても知りたかった。
昨日の夜の出来事をー。
「い、委員長?」
月明かりに照らされている中で俺が見た姿は、同じクラスの委員長、上宮春奈だった。
彼女は成績優秀かつ、運動神経も抜群という文字通りの優等生で、そのお淑やかな性格も相まって、多くの男子の憧れの的だった。
「なんで委員長がここに?」
俺は驚いた。
そして驚愕のあまり、彼女の何かに対する苛立ちに気付けなかった。
「うるさいわね。」
彼女は静かにそう言うと、再び俺を蹴り飛ばした。
「うぐっ。」
俺は再び痛みで地を転げ回った。
「知り合いか?」
男の声が彼女に尋ねた。
「さぁ?向こうは私の名前も知らないみたいだし、違うんじゃない?」
彼女は学校での彼女と雰囲気が違った。
お淑やかとは正反対の、強気な少女のように感じられた。
「う、上宮。悪かったよ、色々…。」
こちらが折れた方が話が早く進みそうだった。
「あら、同じクラスの桐谷翼くんじゃない?どうしたの、そんなところで無様に寝転がって。」
俺は多少の苛立ちを感じながら、なるべく合理的なルートを選んだ。
「上宮、何があったのか知っているのか?知っているなら、教えてくれないか?」
「…そうね、今日は眠いから明日教えてあげるわ。」
彼女の態度はどこか人を苛立たせるようだ。
「今教えてくれないか。」
「うるさいわね。もう一度這い蹲って貰おうかしら。」
彼女は射るような視線をこちらに向けて言った。
俺は恐れを抱くよりも早く、呆れに至った。
「…わかった。じゃあ、明日な。」
「クロス、事後処理頼むわよ。」
「了解した。」
…結局、最後まで彼女は俺を相手にしなかった。