始まり
既に残暑を終えた9月20日。
俺の日常が狂い出したのはこの日だった。
多少肌寒い夜風を受けながら、俺は、学習塾からの帰路についていた。
長いようで短かった高校生活も、残り半年。
俺の通っている高校は進学校で、この時期になると周囲は受験ムードで包まれる。
朝早く起きて勉強し、学校では眠気に耐えながら授業を受け、放課後になると塾に行って遅くまで勉強する。
朝から夜まで勉強漬け。
勉強は嫌いではなかったが、毎日この生活の繰り返しとなると流石に嫌気がさす。
そして、最もモチベーションを下げるのが、
「何のために勉強してんのか、分からないことなんだよねぇー。」
溜まった疲れを吐き出すように、俺は声を漏らした。
自分には夢がない。
将来やりたいことがない。
かといって、勉強しない訳にはいかない。
引きこもりになって親に迷惑かけたくないし、しっかり自立して親の期待に応えたい。
そうは言うものの、一種の辛さを感じながら毎日を過ごすのは嫌で、こんな生活やめたいと思う…。
複雑な感情が入り混じるのが思春期であり、俺はその真っ只中にいた。
無意識下で動いていた足のおかげで、気付くと既に駅まで近いところに来ていた。
学習塾は学校の近くにあり、家から学校までは電車と歩きで1時間程度の距離にある。
駅前は夜でも人で賑わっていた。
「くそっ、眠いし腹減った。」
眠気との戦いには慣れているが、それに空腹が加わると、消化出来ない苛立ちに襲われる。
俺は、それらを振り払うかのごとく、歩く速度を上げた。
ーその瞬間。
世界の景色が変わった。
暗い赤色に染まった。
「うん?」
違和感を感じた。
だが、何が起きているのかわからない。
ただ、辺りを見回すと。
ついさっきまで居た、人の群れが消えていた。
「あ…。」
いや、消えていたのではなかった。
地に伏していた。
地に伏して、暗い赤色の液体を流していた。
「あ…。う…。」
後ずさりすると、ナニかを踏んだ。
人の手だった。
「あ、あぁ…。ああああ!」
駆け出していた。
思考が急激に回転する。
何が起きた。何がどうなっている。
今踏んだのは何だ。この液体は何だ。
人が死んでいる。
「そうだ‼︎人が死んでいる‼︎」
どうすればいい。
救急車か。死人は何人だ。
何をすれば、
「おぇっ…。」
突如嘔吐した。
「うっ、おぇっ…。ぺっ…。」
それは、肺が悲鳴を上げたせいか、もしくは、辺りに転がる死体とその異臭に気付いたせいか。
「はぁ、はぁ、ふぅ…。」
わからないが、とりあえず吐いたことで、俺はパニック状態を脱した。
「…くそっ、どうなっている?」
足を止めた俺は再び辺りを見回し、状況を確認した。
ずいぶん長い距離を走ったみたいで、駅からはだいぶ離れていた。
そこは一応、覚えのある通りだった。
普段から車の通りが少ない道であったが、今は異常な静けさがこの空間を覆っていた。
「月が赤い…?」
気が付かなかったが、今日は満月のようで、月の存在がより一層強く感じられた。
その月の色が赤かった。
「…そうだ。他に生きている人はいないのか?」
何が起きたのか分からない。
なぜ人が死んだのか、自分では分からない。
理解するだけの情報が必要だった。
俺は立っている人の姿を求めて、再び駅へと向かった。