尖兵
山奥に建てられた古い神社。
水無月芭蕉と猿の業獣はそこにいた。2人とも傷は殆ど癒えたようだが、まだ疲労が残っていた。業獣と同等、それ以上の力を出せるようになってもなお、業獣界の王・奈落には叶わなかった。芭蕉の目的は業獣界の繁栄と、自身が彼等の頂点に立つこと。そうなるとやはり奈落の存在も邪魔になってくる。
「……だが、焦る必要は無い」
独り言を言うと、芭蕉は奥の間に入った。そこには何かの儀式でも行っていたのか、大きな祭壇が組まれている。中央には小さな棺。その周囲に奇妙な文様が描かれた木札や球、古い本が幾つも置かれている。
「あなたが言った事が確かなら」
芭蕉は棺を撫でながら話しかけた。その口元には笑みを浮かべている。
「あなた方の王は、私が手を下さなくとも死ぬ……」
自身の野望が達成される事を想像しているのか、芭蕉は1人、高らかに笑った。
業獣に魅せられた男、水無月芭蕉との戦いから早3日、斗真はずっと不機嫌そうな顔をしている。芭蕉の存在自体認められないということもあるが、何より高々人間如きに恐れをなしている自分自身に腹が立っていた。
斗真の憤りは、草薙由衣もひしひしと感じ取っていた。彼女は3日前に何があったのかは知らない。斗真が彼女に話す筈がない。
そんなこともあって、いつもなら自分から話しに行くのだが、ここ数日は声をかけないようにしている。気になるところだが、自分が相談に乗っても解決出来る問題ではないし、前の様に殺されそうになっても困る。
機嫌が悪くてもやることはいつもと同じ。授業が終わると斗真は席を立ち、1人屋上へと向かう。業獣を探すために。
由衣は荷物を纏めると席を離れ、さっさと帰宅することにした。
教室を出て間もなく、由衣はある光景を目の当たりにした。
廊下で、斗真が誰かと話をしている。赤黒いスーツを着た、スキンヘッドの男性だ。誰かはわからない。斗真はその男性を問いつめている。男性は苛つく彼の姿を見て笑っているだけ。質問に答えようとはしない。
きっとあの男も人間ではないのだろう。由衣は何となくそう感じた。斗真が人間にあそこまで真剣な態度を見せることはない。だとすれば相手は人間ではなく、あの獣の1種だと考えられる。斗真と戦わない業獣を見たのはこれが初めてだ。他の業獣と戦っているイメージしか無い。
「勿体振らずに教えろ。どうすればあの男を倒せる」
「だぁかぁらぁ、俺は戦いに参加する気はねぇの。この前はお前が念を送って来たから助けてやっただけだ。自分で探しな、自分で」
2人の会話を、由衣は距離を置いて聞いている。どうやら先日強敵と遭い、勝つことが出来なかったらしい。そこで斗真は赤いスーツの男により強い力が欲しいと頼んでいるようだ。ならばあの男はただの業獣ではなく、地位のある存在なのかもしれない。
「お前が死にかけたら考えてやっても良いが、そんなことは起こりえないからなぁ。それはお前もよくわかってるだろ? あれだけ業獣を斬って来たんだからよ」
「……俺が理解したのは、お前に頼んだのが間違いだったということだけだ」
男がこれ以上何も語らないことを悟り、斗真はやや早足で屋上へと向かって行った。
笑みを浮かべて斗真の背中を見つめる男。と、男が由衣の方に顔を向けた。口角を上げたまま由衣の顔をじっと見つめる男。少しすると、彼は更にニッと口角を上げてその場から歩み去った。
きっと業獣なのだろうが、彼はまだ信用出来る存在だ。明確な根拠は無いが、由衣は何となくそう感じた。
男が立ち去った方向をじっと見つめていると、後ろから彼女の名を呼ぶ声が。振り返ると、そこに1人の学生が立っていた。大柄で元気の良い男子。友人の1人、大沢武だ。ラグビー部の主将を任されていると聞いている。彼に会うのは久しぶりだ。
「草薙! 久しぶりだな、おい!」
「久しぶりって、1ヶ月ぶりでしょ?」
「いやいや、1ヶ月って長いぜ?」
嬉しそうに笑う武。その笑顔につられて由衣も微笑んだ。
「あれ? そう言えば恵美は?」
その質問を聞いて、由衣は真顔になった。
武と知り合ったのは、友人だった恵美を介してのことだった。彼女と武は高校時代からの友だったのだ。
事実は言えない。もう彼女はこの世にいない。もしかしたら、由衣が武と知り合った頃にはもうすり替わっていたのかもしれない。そんな話をしても信じてはもらえない。
「うーん、最近来てないんだけど、そっちも連絡貰ってないの?」
と、どうにかごまかした。下手な嘘である。
「ああ。そっかぁ、草薙なら知ってると思ったんだけどなぁ。ありがとう。じゃあ、また今度な!」
「うん、じゃあまた!」
廊下で別れる2人。それぞれ違う方向に行こうとしていたが、窓に映ったあるものを見て、2人とも元の場所に戻って来た。
窓の外を凝視する2人。きっと誰もが同じ反応をとるだろう。
校舎の壁に、人の様なものがびっしりと張り付いている。きっと由衣達がいる校舎の壁にも同じようなものが張り付いているのだろうが、2人とも怖くて窓の下を見ることが出来なかった。
2人が確認するまでもなく、相手の方からやって来てくれた。下の方から何かが這い上がり、窓にぴたっと張り付いた。由衣達はソレの腹部を見る形となった。
「な、何だこれ?」
何も答えなかったが、由衣にはその答えがわかっていた。業獣だ。目の前に張り付いているのも、他の校舎の壁にくっついているのも全て。だがこんなことは今まで無かった。先程斗真と男性が話していた内容と何か関係があるのかもしれない。
と、ここで、目の前の怪物が由衣と武に気づいた。怪物は背中から生えた刃を使って窓ガラスを破り、校舎内に侵入した。
「に、逃げよう!」
武が走り出す。それに釣られて由衣も走り出した。怪物は壁をクモのように這いながら追いかけて来る。
1体ならまだ撒けるかもしれない。が、ここでアクシデントが起きた。別の窓ガラスも破られ、そこから更に怪物が入って来たのだ。
続々と侵入して来る怪物。いつのまにか、由衣達は彼等に取り囲まれていた。これでは逃げ場が無い。相手も逃がしてくれそうにない。
これはもう駄目だ。その場に踞る武。由衣はただその場に立ち尽くしていた。もしかしたら、また斗真が来て助けてくれるかもしれない。それだけを信じて。
いよいよ怪物達が飛びかかって来る。目を瞑る由衣。その瞬間、彼女が期待していた事態が巻き起こった。近くで轟音が鳴り響く。目を開けると、怪物達が皆いなくなっている。代わりに周囲には大量の灰が。やはり斗真が助けてくれたのだ。そう信じて振り返ると、
「全く、いよいよ大胆なことまでしてきやがったか」
そこにいたのは斗真ではなく、彼と話をしていた男性だった。
一刻も早くあの男を倒さなければ。斗真は焦っている。ただ業獣を探すだけなのに、もう剣を呼び出している。奈落はもう頼りにならない。自分で全て片付けた方が早い。業獣を斬り続けていれば芭蕉も姿を現すだろう。前回は止むに止まれず奈落の力を借りたが、次こそは必ずトドメを刺す。斗真はそう心に決めていた。
一点だけを見つめて剣を構える斗真。彼はそのまま口を開いた。
「そこで何をしている?」
背後から視線を感じ取った。斗真は同じ体勢のまま、後ろにいるであろう何者かの様子を窺っている。由衣か、いや、彼女のものとは違う。この頃由衣に付きまとわれているせいか彼女の気配を区別することが出来るようになった。奈落のものでもない。
視線はまだ感じる。相手が動く気配はない。ここは先手を打つべきか。斗真は振り向き様に剣で衝撃波を起こした。攻撃はフェンスにあたり一部損壊してしまった。そこに業獣の姿は無い。気のせいではない、あの気配は間違いなく業獣のものだ。相手は素早く移動することが可能な敵。見つけてもすぐに逃げられてしまうかもしれない。また厄介な相手が現れたものだ。
剣を仕舞ってその場から立ち去ろうとした、まさにそのとき、前方から何かが斗真目がけて飛んで来た。慌てて攻撃を躱したが、足に直撃してしまった。飛んで来たのはクモの巣に似た糸の塊。粘着質で、足が地面から離れなくなってしまった。
斗真が動けなくなったのを確認し、物陰に隠れていた何者かが姿を現した。顔だけが白い、筋肉質の怪人。背中からは刃でで来たクモの足が計8本生えている。
「何だコイツは?」
業獣であることは間違いないが、何か様子がおかしい。この怪人からは他の業獣達の様な念や業が感じられない。業獣界にいたときも見たことがなかった。
剣を呼び出して糸を斬ろうとするが、弾力もかなりあるらしく簡単には斬ることが出来ない。そうこうしているうちに、筋肉質の怪人は斗真に迫って来る。
「ちっ、小癪な真似を」
糸を斬るのを止めて、向かって来た怪人へ衝撃波を放った。今度はしっかり直撃したようで、怪人は吹き飛ばされてフェンスに直撃した。
その隙に斗真は交錯の印を切り、悪魔の姿へと変身。立ち上がると同時に力ずくで糸を引き千切った。
変身した悪魔を怪人がおぞましい目で睨みつける。相手はクモの様に地面を這いながら悪魔をかく乱し、隙をついて飛びかかった。が、そんな攻撃は彼には通じない。悪魔は飛んで来た怪人を剣で切り裂いた。空中で真っ二つになると、怪人は霧のようになって消えてしまった。赤い、禍々しい色をした霧だった。
厄介な戦法を使ってくるが、それほど強い相手ではなかった。斗真を狙って来たことを鑑みるに、芭蕉の部下だったのかもしれない。
人間の姿に戻ろうとしたが、途中でそれを止めた。また気配を感じとったのだ。
「誰だ?」
悪魔が声を掛けると、階下から先程と全く同じ姿をした怪人が3体飛び上がって来た。同時に向かって来た敵を素早く斬りつけ、バランスを崩した1体を切断、残り2体にダメージを与える。が、そこへ更にもう2体の怪人が現れた。これだけの量の怪人が斗真を監視していたというのか。
戦いの最中、悪魔はあることを思い出した。怪人を切断したときに発生した赤い霧だ。あれはもしかしたら、怪人が自身の念をまき散らしていたのかもしれない。それはちょうど、斗真が奈落へ自身の念を送ったときのように。この怪人は同じ方法で次々に仲間を呼び寄せているのだ。
これで確信した。裏で彼等を操っているのは芭蕉だ。先日斗真が行った方法を真似ているのだ。
「何処までも面倒な人間だ」
悪魔を取り囲むように飛びかかって来た怪人達に向け、悪魔は回転しながら衝撃波を放ち、5体を同時に切り裂いた。するとやはり、彼等の肉体からは赤い霧が放出された。霧は斬ることが出来ない。もたもたしているとまた彼等がやって来るかもしれない。ここは戦いには適さない。悪魔は先程破損したフェンスの隙間から縁の方へと移動し、そこから飛び降りた。同時に下から飛び上がって来る敵数体を空中で切断、着地してキャンパスを見上げた。
下に降りてみて状況がわかってきた。現在このキャンパスは、同じ姿をした怪物達に取り囲まれている。そこかしこにあの怪物が張り付いている。別の階からは火や剣が窓から噴き出している。あれはきっと奈落だ。彼もこの業獣達を倒しているのだ。
怪物達を見て騒ぎ、逃げ惑う学生達。本当に耳障りな悲鳴だ。悪魔にとってこれらの怪物など取るに足らない存在。恐れる必要も無い。
「だが、これは良い機会だ」
剣を構えると、再び業獣達の方へとジャンプする。飛んで来る相手や糸を全て衝撃波で切り裂き、敵の数を減らしてゆく。あるときは飛んで来た相手を踏み台にして更に高くジャンプ、敵を殲滅していった。
ひとまず奈落がいる所へ向かおう。飛びながら、刃が噴射されている階を探す。場所はちょうど……普段授業を受けている階。この時点で何か嫌な予感がする。が、戻るのも面倒臭い。仕方無く窓を突き破ってそのフロアに突入した。
「奈落!」
声を掛けると、奈落が敵に攻撃しながら悪魔の方を向いた。彼の側にはやはり由衣の姿が。そしてその隣には大柄な男子生徒の姿も。男子生徒は悪魔の姿を見ると甲高い悲鳴を上げた。
歩み寄ると、悪魔はまず由衣を怒鳴りつけた。
「何故いつもお前がいるんだ!」
「知らないわよ! この変な化け物の方から襲って来たのよ!」
「ちっ、これだから人間は面倒臭い」
「まぁまぁ」
と、奈落が悪魔を宥めた。
「良いじゃないの。そんなに怒らなくても」
「黙れ。そもそも何故お前はコイツ等を助けた? 見ているだけじゃなかったのか?」
「色々ワケがあるんだよ。それに……お前にとっても重要なことだからな」
話しながら業獣を蹴散らす2人。窓から侵入して来るものを奈落が吹き飛ばし、別の窓から侵入して来た個体を悪魔が剣で切り裂く。残りが10体未満になると、敵も恐れをなしてその場から逃げ出して行った。やはりそれほど力のある業獣ではなかったようだ。
一応事は収まった。斗真は人間の姿に戻ると由衣を睨みつけた。由衣もまたしかめっ面で斗真を睨む。そして武はいよいよ耐えきれなくなり、より一層甲高い声を上げてその場から走り去って行った。
「……今のは何だったんだ?」
由衣から視線をずらし、斗真が奈落に尋ねた。
「確かに奴等は業獣だ。だが、業獣であって、業獣でない、そんなところだな」
「答えになっていない」
「いいや、ちゃんとした答えだぜ。……奴等は前世の業を背負ってああなっちまったんじゃない。誰かが意図的に、無関係の人間や霊を兵隊に変えちまったのさ」
いつもよりも業や念を感じられなかったのはそのためか。
いよいよ、前世の業など関係無しに誕生する業獣まで現れた。当然斗真の知らない業獣も出て来るだろう。これでは相手を探すのも難しくなりそうだ。
「まぁ硬い話はそれくらいにして、お前も人間にもっと寛大になりな」
そう言うと、奈落は手を軽く上げてその場から立ち去った。続けて由衣が斗真に歩み寄り、彼に嫌みを言った。
「ほら、人間にもっと寛大にならないと」
「調子に乗るな。人間に優しくする必要など……」
言いかけて斗真は言葉を止めた。
由衣の顔を見た途端、激しい頭痛が彼を襲った。何かの映像が、目の前の情景に重なって映し出される。その映像は目を瞑っても脳内に流れ込んで来る。現代ではない。もっと昔の、何処かはわからないが今より遥昔の映像らしい。
大きな部屋。白い壁には様々な絵画が飾られている。目の前には美しい装飾を纏った若い女性。斗真は彼女と向かい合うようにして立っている。
周囲が騒がしい。辺りに男達の怒号と罵声が響き渡っている。その声を聞くと虫唾が走る。声はどんどん大きくなり、そして……
そこで映像は途切れてしまった。頭痛もピタリと治まった。
推測が正しければ、今のは斗真の前世の記憶。何故自分が業獣になったのか、その秘密を解き明かすために必要な記憶だ。
少しずつだが、確実に欲しいものは近づいて来ている。このまま業獣狩りを続けていれば、いずれは完全な記憶が手に入る筈だ。
「ちょっと、大丈夫?」
「近寄るな。何ともない」
斗真は剣を仕舞って歩き出した。すると、由衣もその跡を追って歩き始めた。足音を聞いて斗真が足を速く動かす。すると由衣も歩調を合わせて来る。苛々が募り、斗真は振り返って由衣を威嚇した。
「何の真似だ!」
「私も帰るの!」
「だったら別の出口を使えば良いだろう! 俺から離れろ!」
「こっちの方が近いの!」
廊下に響く程の大声で口喧嘩をする2人。
結局、2人はそのまま、同じ出口へと向かって行った。
aSSaSSiNe……クモの特性を持った最下級の業獣。前世の業に関係無く、どんな人間でもこの業獣になりうる。その点で業や念が薄く探知されにくいが、戦闘力は通常の業獣よりもやや劣る。