砕けた心
「おい」
その日はいつもと違っていた。由衣の方から話しかけることが殆どだったのだが、この日は珍しく、トウマの方から声をかけてきた。
「な、何?」
「この前、俺を誘ったな?」
「は?」
いきなりそう聞かれてもすぐには思いつかない。そもそも由衣は自分からアプローチするようなタイプの女性ではない。
だが、少し考えてあることを思い出した。由衣は先日、この男に何処かへ一緒に行かないかと誘ったのだった。が、そのときの答えはNo。由衣自身、何となくそんなことになるのだろうなと予想していた。
「その誘い……受けてやっても、良い」
「は?」
「受けると言っているのだ、お前の誘いを」
これはまたどういう風の吹き回しだろう。それにこの恥ずかしそうに目を泳がせる様。こんなトウマ、今まで見たことが無い。普段の彼はもっと強情で、冷たい性格だった筈。ときに由衣の首にも手をかける程の恐ろしさも見せた。しかし今の彼からは恐ろしさが微塵も感じられない。まるで人間の様だ。
「で、でも、この前は駄目だって」
「気が変わった。……とっとと場所と予定を教えろ。俺の、俺の気が変わらないうちに」
途中で言葉に詰まるトウマというのも珍しい。そしてなかなか面白い。
「何よいきなり。今までそんなこと無かったのに」
「黙れ。これも、これも、現代の人間というものをよく知るためだ」
現代社会に溶け込むための情報収集、というわけらしい。しかし由衣にはどうしてもそれが主な理由だとは思えなかった。この恥ずかしげな態度。由衣の推理も突拍子も無いものだが、彼女はこれを彼なりのアプローチだと捉えたらしい。業獣との戦いの中で、トウマと由衣は幾度となく関わって来た。由衣が彼に救われたことも少なくない。喧嘩になった際も、結局トウマが由衣を傷つけることは無かった。
きっと彼も、少しずつ自分に心を開いてくれているのだ。由衣は直感的にそう感じた。そしてそれを嬉しく思った。トウマに、信頼の置ける人間だと認められたような気がしたのだ。この前も彼は業獣狩りのために彼女に助けを求めている。かなり強引だったが、何だかんだ、由衣はトウマの手伝いが出来たことが嬉しかった。
「は、早く、早く予定を教えろ。誘いに乗ってやるのだから、ありがたく思え」
「……違うでしょう?」
由衣はニコニコしながらそう言った。
「一緒に行きませんか、じゃないの?」
「貴様、俺に命令を……」
「人間のことを知りたいんでしょ? だったら言う通りにしなさい」
まさか由衣から命令される羽目になるとは。トウマは俯き考えた挙げ句、小さな声でこう言った。
「い、一緒に……行きませんか」
心はこもっていない。棒読みだ。だがそれでも由衣は満足だった。トウマが初めて自分の言葉を聞いてくれた。そのことが嬉しくてたまらなかった。
「……喜んで」
由衣はすぐにトウマの誘いを受けた。
その後、由衣は最初にトウマとデートの予定を立てることにした。
「で、まずは何処に行きたい?」
「人間が恋人と騒ぎ合うのは何処だ?」
「何その言い方? もっと人間にわかるように言ってくれない?」
「人間の男と女が子供の様にいちゃつくのは主に何処かと聞いている」
言い方が汚いが、これはおそらく、主なデートスポットは何処か、ということを聞いているのだろう。
しかし困ったものだ。由衣自身、異性とデートに行くのはこれが初めてだ。どういう場所が人気があるか、というのはすぐにはわからない。なので、取り敢えず自分が行ってみたい場所を適当に幾つかあげてみた。
「公園とか……」
「公園?」
三神斗真の記憶を受け継いでいるため、公園等の基本的な知識はほぼ完璧だ。なのでトウマは「公園」という単語を聞いた途端眉間に皺を寄せた。きっと彼の脳裏には、大学付近のあの公園の映像が浮かんだのだろう。初めて彼が現世に召喚されたときの場所だ。
「こ、公園って言っても、大きめの公園ね。池があったり、ボートがあったり……」
「何でも良い、他は」
「説明してるのに。……じゃあ、遊園地とか」
少し考える仕草をした後、トウマは由衣の意見を鼻で笑った。遊園地のこともちゃんと理解しているらしい。が、きっと彼は、子供が遊ぶ場所だと捉えているのだろう。
「人間とは何処までも愚かだな」
「失礼ね。アンタだって最初は人間だったんでしょう?」
「それは昔の話だ。今はもう人ではない。……業獣のままでいるのも御免だがな」
と、彼は自分の手のひらを睨みつけた。業獣を倒す存在とはいえ彼もまたその業獣の1体。何かしらの業を背負ってあの様な悪魔に変貌してしまったのだ。
「……それで終わりか」
「えっ?」
「人間は、公園と遊園地ではしゃぐだけで嬉しいのか」
「解釈の仕方はおかしいけど……でも、こんな感じかな。あとはお食事したり、景色を見たり」
「小さい欲だな」
「いちいちうるさいわね!」
「事実を述べたまでだ。じゃあ早速……」
「ちょっ、ちょっと待って! 今から行くつもり?」
幾らなんでも早すぎる。出かけるのならもう少し準備をしたい。先延ばしにしてくれないかと説得すると、トウマは渋々承諾してくれた。何が彼をデートに駆り立てているのだろうか。
「それならいつだ、いつが良い?」
「え? えーっと……」
「とっとと決めろ。こちらも暇ではない」
「何よその言い方! じゃあ携帯貸して。後で決めたらメールするから」
「ふん、今日中に送れ」
言いながら、トウマはポケットからスマートフォンを取り出した。携帯の使い方まで把握しているとは。
由衣はそれを受け取ると赤外線通信でアドレスを交換した。登録が完了すると、携帯をトウマに返した。
「必ず、必ず今日中に送れ。わかったな」
「はいはい、わかりました」
ひとまず別れることになった2人。今日中に希望日を送らなければ、明日何を言われるかわからない。信用も失ってしまうかもしれない。トウマと別れた後、由衣は早速自身のメモ帳を見て予定を考えた。その一方で、あることに対して幸せを感じていた。
携帯のアドレス帳を見ると、そこには“三神斗真”の名が。初めて、初めて斗真とアドレスを交換した。
初めはそれを見ていて微笑んでいた由衣だったが、すぐに彼女の顔から笑みが消えた。交換したとしても、相手はもう斗真ではない。“トウマ”なのだ。
「何考えてるんだろ、私」
冷静になると、何だか空しくなって来た。
翌日、由衣はいつも通り登校した。
メールはちゃんとトウマの携帯に送信した。今週の日曜。色々と考えてみたが、そこしか空いている日は無かった。これでトウマの側に予定が入っていたらまた練り直さなければならなかっただろうが、幸いトウマもその日は予定が入っていなかった。これでデートの日程は決まった。
今日もトウマは最前列の席に座っている。そしていつものように新聞を読んでいる。由衣は後ろから彼に近づいて声をかけた。
「また化け物探してるの?」
トウマは少し間をあけて、「関係無い」とだけ答えた。
「関係あるわよ。そんな状態で、デートなんて出来るの?」
「嘗めてもらっては困る」
「あぁ、そうですか」
「お前こそ、授業もろくに手がつかない状態で、本当に問題は無いのか?」
どうやらトウマには全てお見通しのようだ。背中に目でもあるのか。彼は一応業獣だ、そういうことも物理的に充分あり得る。
だが、この頃由衣はしっかり授業を受けられるようになっている。まだ斗真がトウマになる前は、恋愛感情の方が強くなっていたが、ここ最近はそうでもない。もう三神斗真という男はいない。そうケジメをつけたからだろうか。業獣としての彼も何となく気になって、稀に授業に集中出来ないこともあるが、それでも前ほどではない。
「時間は午後1時。遅れるなよ」
「そっちこそ、化け物追いかけてて遅れたって言っても許さないからね」
「調子に乗るな、人間」
「何よその態度」
と、そこへ教授が入って来た。他の生徒達はトウマを含め皆席に着いている。立っているのは由衣だけだ。
「草薙さん、席に着いてください」
「あっ」
「席に着いてください」
トウマが復唱した。文句を言ってやりたかったが、由衣は足早に自分の座席へ戻っていった。
冒頭部分で恥ずかしい思いをしたためか、授業にはいつも以上に集中することが出来た。一方トウマは、教授の話を聞きつつ新聞にも目を通している。しかし教授の質問にはすぐに、そして正確に答えられる。三神斗真の脳が成せる技なのか、それとも業獣の力の1つなのか。由衣もこれには脱帽した。
そして授業が終わると、トウマはいつもの様に屋上へ向かった。業獣を探しに行ったのだろう。
もし、業獣のせいでデートが中止になったら。由衣はそのことが不安でならなかった。
が、当日、彼女の不安は一気に晴れた。
集合時刻の10分前に待ち合わせ場所の公園に到着したのだが、トウマは由衣よりも早くそこに着ていた。彼はベンチに腰掛けて雑誌を読んでいた。由衣が近づくと視線を彼女の方に向けた。
「遅かったな」
「ご、ごめん」
「まぁいい。早く行くぞ」
雑誌を鞄に仕舞ってトウマが立ち上がり、1人で歩き出した。慌てて由衣もその後を追い、彼の手を掴んだ。トウマは初めびっくりしていたが、それを離すことなく受け入れた。
この公園は由衣が選んだ場所だ。彼女が思い描くデートのイメージにピッタリの場所だった。広く、木々が生い茂り、大きな池とボートがある。公園には星やハートを象ったオブジェもある。まさか、自分の思いが現実のものになるとは。トウマもそれを否定することは無い。だが、
「こんなことで満足出来るのか?」
どうやらずっと歩くだけで、本人はあまり楽しめていないようだった。幾ら業獣でも心はある。それにこれはデートと言うより、正確には「現代の人間を知るため」の外出。自分だけが満足するのではなく、彼の要望にも応えなければ。
「ええっと、じゃあ、ボートに乗る?」
「良いだろう」
相変わらず王様気質は変わらないが、それでも彼が由衣の意見をすんなり聞き入れてくれることなど滅多に無い。2人は池に到着すると、近くにあったボートに乗った。白鳥の形をした物ではなく、ごくごく普通の長細いボートである。
漕ぐのは勿論トウマ。だが、彼の体力は人間とは違う。早すぎてあっという間に中心に到着してしまった。
「ちょっと、早いって」
「……すまない」
トウマはすぐに速度を落とした。もう遅いのだが。
動きが遅くなった所で、由衣は持って来たサンドイッチを出して食べ始めた。トウマにも薦めてみたが、断られてしまった。
こうして向かい合っていると恥ずかしくなってくる。由衣は顔を赤らめてトウマから目を逸らした。漕ぎながら、トウマは目の前の女学生を睨みつけている。
「何だその態度は」
「べ、別に」
「ふん、単純な生き物だな、この程度のことで興奮するとは」
「別にそういうわけじゃ……」
はっきりと否定出来なかった。気候はほんのり暖かくなって来たが、由衣は妙に暑く感じている。それはきっと、大気に依るものではない。持参した水を飲んで身体の火照りを冷ますが、熱は一向に下がらない。
焦る由衣を見てトウマはため息をついた。そして再び速度を速めて岸に向かい、先に上がってしまった。
「もう帰るの?」
由衣の問いに、トウマはこう答えた。
「お前が満足しなければ意味が無い」
彼は自分自身のためだけではなく、由衣のことも考えていたのだ。また体温が上がる。同時に、心がスッと晴れ渡ってゆく。トウマはそんな彼女を他所に先に歩き出した。由衣もボートから降りて後に続いた。追いついて手を握ると、彼はまた払うこと無く許してくれた。
次に行くのは遊園地。そこまではバスで向かう。公共の乗り物を使うことが滅多に無いトウマ。トラブルを起こさないかと心配だったが、三神斗真の記憶を呼び起こしたのか、何の問題も無く乗車することが出来た。運良く席が空いていたので、2人はそこに腰掛けた。窓際に座るのは由衣。初め由衣はトウマに席を譲ろうとしたが、彼はそれを拒否した。何でも、三神斗真の記憶があるから、景色を見ても感動は無いのだとか。
バスに揺られること30分。由衣は恥ずかしくてひと言も話せず、結局そのまま目的地に着いてしまった。
チケットを買って中に入る。因みに料金は全てトウマが出している。しかも手際が良い。前日に調べて来たのだろうか。
「まずはアレか?」
トウマが指差したのはジェットコースター。由衣は絶叫マシンが苦手だったが、彼の意見に同意した。彼と一緒ならばまだ耐えられるかもしれない。
休日だからか人が多い。1時間ほど待って漸く乗ることが出来た。安全装置を嫌がるトウマの姿が、由衣には何だか面白く見えた。
準備が整うと機体が動き出す。まずはドンドン高く上がってゆく。由衣はびくびくしていたが、トウマはずっと真顔だった。機体が勢い良く下降する。怖くなり、目の前の手すりに捕まる由衣。対してトウマは終止真顔で、恐れる様子も無かった。普段恐ろしい怪物と戦っている男だ、無理も無い。
ジェットコースターの次に彼が選んだのはお化け屋敷。ここは案外混んでいない。すぐに入ることが出来た。
暗くて何も見えない。まだ亡霊は1体も出て来ていないが、由衣はもうトウマの服の裾を掴んでいる。トウマに身を任せて歩き続ける由衣。少しすると、突然真横から何かが飛び出して来た。人形だ。思わず小さな悲鳴を上げた。
「心配するな、ただの人形だ」
この暗闇でも、彼の目は正確に物を捉えていた。何か仕掛けを見つけると、小さな声で「気をつけろ」と知らせてくれる。彼の優しさを見たのは今日が初めてだ。
しかしここであるトラブルが起きた。
半分程進んだ頃、いよいよスタッフが変装した恐ろしい亡霊達が姿を現した。襲いかかってくる亡霊達に恐れ戦き、由衣は大きな悲鳴を上げた。更に怖くなってトウマの背中に抱きついた。すると、その直後、トウマが足を止めた。その場所は赤いランプがついていたため、彼の様子をしっかりと確認出来た。トウマは頭を抱えている。息も荒くなっている。
「ちょっ、大丈夫?」
体調は悪くなってゆく。トウマは遂にその場にしゃがみ込んでしまった。ただならぬ様子に、亡霊の姿をしたスタッフ達も生者に戻って2人に歩み寄る。
だが、少しすると彼の体調も元に戻り、何事も無かったかのように歩き出した。由衣はスタッフ達に頭を下げながら彼の後を追った。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
「問題無い。次は何だ? アレか?」
「一旦休もう。でないと心配だよ」
「……そうか」
トウマは由衣の意見を聞き入れ、近くのベンチに腰掛けた。
時刻は午後3時。まだまだ客は多い。
由衣は近くの自販機でスポーツ飲料を購入、それをトウマに手渡した。初めは拒否していたが、由衣が説得するとため息をついて飲み始めた。
「俺に構うな」
「そういうわけにはいかないの。人間のこと、もっと知りたいんでしょ?」
「これが、人間の習性だと言うのか?」
彼は人間を下劣な存在だと認識している。それゆえ、人間が優しさを持っていることを信用出来ないのだ。彼自身元は人間なのだが、生憎その記憶を無くしている。
「……不味い」
スポーツ飲料のことだろう。そんなことを言われても、業獣の味の好みなどわからない。
それから暫くして、2人はまたアトラクションを探し始めた。次はメリーゴーランド。このときトウマは馬の乗り物に乗ったのだが、その瞬間の彼は何だか生き生きとしているように感じた。
その後も色々なアトラクションを楽しんだ。トウマはずっと表情を変えなかったが、一応満足はしているらしかった。
あっという間に時は過ぎ、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。
「楽しかったね」
「お前がそう感じているのなら充分だ」
「あ、ありがとう」
「次は何が良い?」
「えーっと……あ。あれかな」
由衣が指差したもの。それは、観覧車。ベタなアイデアかもしれないが、恋人と一緒に観覧車に乗るのも彼女の夢だった。トウマもそれに賛同し、2人は列に並んだ。列はそれほど長くはなく、20分程で乗ることが出来た。2人を乗せた機体がゆっくりと動き出す。地上から少しずつ離れてゆき、代わりに空が近くなってゆく。
2人だけの小さな空間。由衣は心から満足していた。デートの初めは緊張していたが、時間が経つに連れて緊張も薄れていった。
「トウマ」
名前を呼ぶと、トウマは振り向くこと無く小さく返事をした。
「さっき気分が悪くなったのって、もしかして」
「記憶の1部が蘇ろうとしていた」
由衣が叫んで抱きついた瞬間、彼は頭を抱えて苦しみだした。あの状況が、彼の記憶にも関係しているのかもしれない。彼の業に。しかし、いったいどんな業だろう。他の業獣達の様な単純なものではなさそうだ。
「記憶、そんなに取り戻したいの?」
「どういう意味だ?」
「今の人生……人生っていうのも変だけど、今のまま生きてみようとは思わないの?」
「お断りだ。あのまま無様な業獣と同じ存在として生きるなど、考えたくもない」
「でも、記憶が手に入っても、怪物をやめられるわけではないんでしょう?」
これは由衣の憶測だったのだが、概ね当たっていた。
そう、記憶が全て蘇ったところで、彼が業獣以外の何かになれるわけではない。トウマは業獣のまま。三神斗真も戻って来ない。人間界で暮らすことを選ぼうが、業獣であるという事実は変えられない。天国に行けるわけでもない。行けるのは地獄、或いは業獣界のみだ。
何も答えず、トウマはじっと考えている。記憶を取り戻すための狩り。だが、取り戻した後のことは何も考えていない。自分でも未来がどうなるのか全くわかっていないのだ。
「おかしいと思うか?」
反対にトウマが質問して来た。
「記憶を取り戻す、ただそれだけのために同族を殺す。その後のことなど全く考えず、ただ記憶を手に入れることだけを考えて戦う。おかしいと思うか?」
「うーん……」
「素直に答えるがいい」
「うーん……別に、おかしいとは思わないよ。寧ろ、今の人間みたいだもん」
「人間みたい?」
「何て言うか、目先の目標は立ってるんだけど、そこから先の、もっと大きな目標は全く立ってない、っていうか。私も、同じだし」
由衣にも昔は夢があった。女優になるという夢が。だが、歳を重ねるに連れてその思いも薄れ、今では完全に無くなってしまった。大学にも毎日通っているが、何か明確な進路があって通っているわけではない。日課として授業を受けているようなものだ。
「人間と同じ、か」
トウマは夜空を見ながらそう呟いた。自分にもまだ、人間らしさが残っている。そのことが何となく嬉しかった。
「あ、そろそろ終わっちゃうね」
「……ああ」
観覧車はもう1週してしまった。あっという間のことだった。もっと楽しい会話をすれば良かったと由衣は後悔した。
これでひと通りアトラクションは体験した。今日のデートもこれで終わりだ。遊園地から出ると、夢から覚めた様な気分になった。
「トウマ」
由衣がまた彼に声をかけた。
「今日は、ありがとう」
あっという間で、しかも自身が緊張したせいで良いデートにはならなかったが、トウマとより深く通じ合えた、そんな気がした。彼が誘いに乗ってくれなかったら、この時間は無かった。
トウマは足を止め、ゆっくりと振り返った。
「礼を言うのはこちらの方だ」
「トウマ……」
「ヤツが引っかかった」
と、トウマはあの剣を呼び出して由衣の背後に向けた。
何が起きているのかさっぱりわからない。恐る恐る振り返ると、そこには気味の悪い姿をした怪物の姿が。筋肉が剥き出しになった姿で、顔や身体のパーツは虫の様になっている。右手も大きな鎌になっている。黄色い大きな目玉が不気味だ。
トウマは悪魔の姿に変身すると、その怪物目がけて突進した。怯んだ怪人もすかさず鎌を振り回して応戦するが、悪魔のパワーには叶わない。
「お前が来るのを待っていた、ヴァーミン」
ヴァーミン。害虫の名を持つ業獣が気持ちの悪い雄叫びをあげた。
「コイツは人間の恋愛感情を察知してやって来る。臭いがわかるらしい」
戦いながら、ヴァーミンのことを説明する悪魔。
そう、これまでトウマが読んでいた記事は全て、このヴァーミンが起こしたであろう事件のものだったのだ。この頃、若い男女が相次いで殺害される事件が多発している。被害者は全員交際中だった。また、皆首に深い切り傷が残っていた。これらの情報から、トウマはヴァーミンのことを突き止めたのだ。
「だがコイツは逃げ足が速い。簡単には捕まえられない」
「それで……」
由衣は漸く、このデートの真相を知った。
トウマは自分を認めたわけではない。この怪物をおびき出すために自分を誘ったのだ。ここまで育んで来た暖かい思いが、音を立てて崩れてゆく。彼が時折見せた優しさも、全てはこのヴァーミンを呼び寄せるための餌だったのか。由衣の心に亀裂が入る。その傷は見る見るうちに大きくなり、砕けてゆく。
同時に悪魔もヴァーミンの右腕を斬り落とし、トドメの一撃を喰らわせた。素早いヴァーミンも悪魔には叶わず、その場で破裂してしまった。
業獣との戦いが終わると、トウマは人間の姿に戻り、由衣の方を見た。
「俺も礼を言う。お前の……」
言い終わる前に由衣が彼に近づき、その頬を強く叩いた。トウマを睨みつける彼女の目には涙が浮かんでいた。
「……さようなら」
由衣はそれだけ伝えて1人立ち去った。
トウマは怒るでもなく、ただその場に立ち尽くしていた。何の感情も浮かばない。悔しさも、恥ずかしさも感じない。何故叩かれたのかもわからない。彼はそれなりに由衣のことを信頼していた。前回も業獣狩りを手伝って貰った。今回も同じように、彼女の助けを借りたかっただけなのだ。
「何故だ」
それから暫く、トウマはその場から動けなかった。
一方由衣は泣いていた。1人、誰も居ない寂しい場所で涙を流した。自分の思いが踏みにじられた。これまで抱いて来た望みが絶たれた。勢い良く壊された。
深い悲しみが、再び由衣の心を支配した。
VeRMiN……昆虫の姿をした業獣で、愛し合う者達を忌み嫌う。愛し合う者達の思いを探知して行動、彼等を殺害する。素早い業獣だが、トウマの作戦に引っかかって倒されてしまう。




