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KaRMa  作者: 鵤牙之郷
10/16

叶わぬ夢

 真夜中。

 数人の若者が、塀や柱にスプレーで落書きをしている。

「おい、コレどう?」

「え? ……うっわ、ダセぇ! もっと上手く描けよ」

「はぁ、お前も人のこと言えねぇだろ」

 互いの絵を貶し合う者達。シンとユウスケは他人の家の塀に汚い落書きを描いて、どちらが上手いか競い合っている。

 その傍ら、帽子を被った青年、コウジは1人黙々と壁に絵を描いていた。適当に描いているシン達とは違い、コウジは真剣に絵を描き続けている。スプレーも1、2本ではなく、様々な色を使い分けている。今描いているのは夕日と人間の横顔。顔にはトカゲの刺繍がしてあるようだ。よく見ると夕日の中にもトカゲの様な影が見える。かなり凝っている。

 それもその筈。彼の夢は世界的なアーティストになることだ。今はまだこんなことしかしていないが、いつか誰かがこの絵を見て、自分に声をかけてくれるのではないか、そこから有名になれるのではないか、そんな希望を持っているのだ。

 そんな彼の姿を見て、シンとユウスケが笑いながら近づいて来た。

「おい、何真面目に描いてんだよ?」

「関係無いだろ」

「ぁあ? お前新入りのクセに嘗めた口聞いてんじゃねぇぞ?」

「嘗めてねぇよ」

 淡々としたコウジの返答に苛ついたのか、突然シンがスプレーを手に取り、コウジが描いている絵目がけて噴射した。黒い塗料が夕日を容赦なく汚した。当然わざとである。

「おい、何してんだよ!」

「あぁごめん、手がすべっちゃって」

「てめぇ」

「ああっ、俺もだ!」

 今度はユウスケが青のスプレーで人の顔を塗りつぶした。

 自分の作品が汚されてゆく。自分の夢が遠のいてゆく。止めなくては。コウジはスプレーを吹きかけるシンに詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。バランスを崩したため、シンは自身のズボンを汚してしまった。

「あっ、おい! これプレミアもんなんだよ! ふざけんじゃねぇ!」

「てめぇこそふざけんなぁ!」

 殴り合いの喧嘩が始まった。服が破けるほど激しい喧嘩。ユウスケはどうにかシンを助けようと辺りを見回し、近くに落ちていた大きめの石を手に取った。ソレを見たシンが、コウジが彼に覆い被さる形になるよう体勢を変えた。

 2人がある作戦を企てていることなどつゆ知らず、若干有利になったコウジがシンを殴り続ける。が、その直後、

「死ねやおらぁっ!」

 背後からユウスケが、コウジの後頭部目がけて石を振り降ろした。突然の痛みに殴る手を止め頭を抱えるコウジ。弱った彼をユウスケが更に殴打、シンも加勢して蹴り続ける。初めは悲鳴をあげていたコウジだったが、徐々にその声も小さくなっていった。そのことにも気づかず2人は一心不乱に彼を攻撃し続ける。

「この野郎、ふざけやがって! このっ、このぉっ!」

 その途中、ユウスケが異変に気づいた。コウジが動かなくなっている。

「おい、おい! シン!」

「ぁあ?」

「コイツ、もしかして本当に……」

 攻撃を止めて様子を窺う2人。そんな筈は無いだろうと、シンがコウジの身体を軽く蹴る。すると、彼の身体はだらりとひっくり返り、仰向けになった。白目を向いていて、口も情けなく開いている。

 興奮してやり過ぎてしまった。人を殺してしまった。事実を知った2人は顔面蒼白になった。

「に、逃げよう」

「え?」

「いいから早く!」

 シンに連れられて逃げるユウスケ。これから何処に逃げるというのだろう。証拠隠滅もしていないし、見つかるのも時間の問題だ。だがシンに反論すればまた喧嘩になる。ユウスケは仕方無く彼について行った。しかしそのとき、予期せぬ事態が巻き起こった。突然ユウスケの腹部に何かが触った。何か、硬い物が。足を止めて確認すると、何か長い物がユウスケに巻き付いている。

 恐る恐る、物体が伸びて来た方向を見ると、死んだ筈のコウジが起き上がり、口を大きく開けて中から舌を伸ばしていた。そう、巻き付いていたのは彼の舌だったのだ。鉄の装飾がなされた舌。逃れようにも逃れられない。

「うわあああ! シン! シン!」

 悲鳴を上げるがもう遅い。シンが足を止めて振り返った頃には、ユウスケはコウジの元まで引き戻され、彼の夜食にされていた。

 目の前で友人が喰われている。シンの心を恐怖が支配してゆく。逃げなければ。自分だけは助からなければ。その思いだけで必死に足を動かす。が、何かに足を取られてつまづいてしまった。転んだ瞬間、強烈な力で彼の身体は引きずられていった。服がはだけ、肌が傷つき出血する。足を止めたのはコウジの舌だった。

「い、嫌だ、助けて、助けて」

「ありがとうよ。お前等のおかげで、俺もこっちに来られたぜ」

 コウジはそう告げると、先程のユウスケ同様シンの身体を食べ始めた。甲高い声を上げて助けを求めるシンだったが、長く強固なコウジの舌に絡み取られ、そのまま彼の口へと飲み込まれてしまった。

 食事が終わると、コウジは壁に描かれた絵を食い入るように見つめた。そしてその絵を、長い舌でべろべろと嘗めて消してしまった。

「叶わぬ夢の味……へへへ、これこそ最高のディナーよ」

 コウジは壁を這って別の場所に行ってしまった。

 後に遺されたのは、若者達が使っていたスプレーだけだった。





 今日も斗真は苛ついている。

 先日仕事の手伝いを任せてから、由衣がますます調子に乗るようになってきた。どうでも良い人間界の雑誌を持って来て、どうでも良いアクセサリーの写真や、どうでもいい観光地の記事を見せて来る。

「どう? どう?」

「悲しい女だな。一緒に遊びに行く相手もいないのか」

「その口直した方が良いんじゃない? こっちはアンタを楽しませてあげようと思ってるのに」

「結構だ。それにお前こそその口の聞き方は何だ? いつから俺を“アンタ”と呼ぶようになった?」

「良いでしょ? 何て呼べば良いかわからないんだから」

 どうやら業獣達にはそれぞれ固有の名前があるらしい。が、彼はいつになっても自分の名前を教えてくれない。言いたくないのか、忘れているだけなのかはわからない。

 それともう1つ。由衣には、一緒に遊びに行く友人がいないわけではない。親友の1人は業獣にすり替わっていて、これから一緒に行こうと思っていた男も、同じく業獣と入れ替わり、冷たい男になってしまった。表には出さないが、由衣は少々ショックを受けていた。斗真も後になってそれに気づいたが、謝るでもなくただ一点を見つめるだけだった。

「……ねぇ。1回で良いから、人間らしいこともしてみない?」

 どうにか沈黙を破ろうと由衣が話を続けた。

「何度も言うが、俺は三神斗真の代わりにはなれない。なるつもりもない。俺は俺だ」

「そうじゃない」

「何が違う?」

「私は、私は……」

 業獣としての彼のことを知りたい。

 そう言いたかったのだが、急に恥ずかしくなって言葉が出なくなってしまった。

 理由などわからない。何故彼のことを知りたいと思ったのか。だがここ最近、彼に対する興味は増すばかり。観察対象としてなのか、はたまた別の感情が働いているのか、それすらもわからない。自分の感情が、自分でもわからないのだ。

 戸惑っている由衣を見て、斗真はため息をついてその場から立ち去った。業獣を探すためだ。

「何処に行くの?」

「奴等を探す」

「また?」

「俺はまだ、目的を成し遂げていない」

「前世の記憶を取り戻すってヤツ?」

 斗真が足を止めた。そして振り返らずにただひと言「そうだ」と答えた。

「もう1度言っておく。俺達に興味を持たない方が良い。死にたくないのならな」

 業獣に興味を持てば、いつか彼等によって殺される。由衣がこのまま彼等を追い続ければ、若くして死ぬことになる。

 と、ここまで考えて、斗真はまた自分のことがわからなくなった。何故由衣のことを気にかけているのだろう。彼女は仕事の邪魔以外の何者でもないのに。

「あっ、ちゃんと考えといてよ! こっちも予定組まなきゃならないんだから!」

「お前と出かけることは無い」

 斗真はまた屋上へ行ってしまった。

 由衣はため息をつくと、1人階段を下り始めた。

「どうなってるんだろう、私」

 由衣もまた、自分のことを理解出来ていなかった。





 都内のホテル。そこでは今日、パティシエコンテストが行われていた。毎年行われている大会なのだが、今回の規模は最大級だった。

 1次、2次と勝ち上がって来たパティシエ達が、自信作を持ってホテルへやって来る。ある者達からすればどうでも良い大会かもしれないが、これは彼等の未来に関わる大きな大会なのだ。この大会で優勝出来るか否かで、パティシエとして成功出来るかどうかが変わってくる。

 楠田啓太もまた大きな夢を持ったパティシエの1人。彼は何度もこの大会に参加しており、今回初めて最終選考まで残ったのだ。

 しかし、結果は惨敗。彼は1人用意された個室に戻り泣き噦っていた。子供の様に声を上げて泣いていた。あと少しで優勝出来た。それが、僅か2点の差で負けてしまった。その2点分の努力があれば、今頃は式場で賞を受け取り、インタビューに答えていた筈だった。こんな筈ではない。小さな部屋で惨めに泣いている。こんな未来は望んでいない。床に泣き崩れる自分、そしてテーブルに置かれた自分のケーキ。自分が描いていた未来はこんなものではなかった。

 泣いていてもしょうがない。また1からやり直すしかない。帰り支度をしていると、上の方から声がして来た。

「可哀想に」

 男の声だ。若干嗄れたような声。それが、啓太の真上から聞こえて来た。続いて水が上から滴り落ちて来た。頭の水を軽く払って恐る恐る上を見ると、天井に汚れたシャツを着た若者が張り付いているのが確認出来た。若者は啓太を見下ろして笑っている。非現実的な出来事に、啓太は小さく悲鳴を上げた。

「お前の叶わぬ夢、俺様がきちんといただいてやる」

 若者は口を大きく開くと長い舌を伸ばしてきた。舌には所々鉄のプレートの様な物が埋め込まれている。それが啓太にあっという間に巻き付いてしまった。金属が埋め込まれているためかかなり重く、身動きが取れない。

 啓太を捕らえると、舌は口の方へと戻ってゆく。それに合わせて啓太の身体も宙に浮いた。

「い、嫌だ、嫌だ嫌だぁっ!」

 暴れる啓太だったが、舌が彼の身体全体を覆い尽くすと、声も段々小さくなり、最後には全く聞こえなくなった。舌を巻き付けて窒息させたのだ。獲物が動かなくなったのを確認して、若者は啓太の身体を丸呑みしてしまった。

 食事を済ませると、若者は天井から下へ降り、テーブルに置かれたケーキを見つめた。そして、そのケーキを長い下で舐め回し、綺麗に食べてしまった。

「叶わぬ夢の味。確かにいただいたぜ」

 若者はそう呟くと、舌を窓に向けて伸ばした。舌の金属が窓ガラスを突き破り、大きな隙間を作った。彼はそこから、トカゲの様に這って外へ出て行った。





 それから4日後。由衣は斗真とあまり話をしていない。自分自身のことがよくわからない。こんな状態がずっと続いている。斗真のことを知る以前の問題。何故あの業獣のことが気になっているのだろう。外見だけは三神斗真と同じだから? いいや、違う。三神斗真にまだ会えるかもしれない、そんな期待はもう捨てた。1度死んだ人間は生き返ることは無い。業獣でもない限り、それは不可能だ。では、何がここまで斗真への好奇心を強めているのだろうか。

 考え事ばかりしているから、今日も授業に集中出来ていない。こんな調子で単位は取れるのだろうか。

 斗真の方に目をやると、彼もまたあまり手を動かしていなかった。同じように自分のことがわからない業獣。最近は急な頭痛に襲われることもある。彼の記憶が絡んでいるのかもしれないが、その記憶を取り戻す前に彼の身体が壊れてしまうのではなかろうか。

 授業終了後、斗真はまた1人席を立ち、教室から出て行こうとした。が、由衣を視界に捉えると足を止めて少しの間だけ彼女のことを見つめた。由衣もその視線に気づいて彼を見つめる。

 そこから先は特に進展もなく、斗真の方から視線をズラし、外へ行ってしまった。声をかけるタイミングを失い戸惑う由衣。こんなとき、今までの様に恵美が隣にいたら、何か役立つアドバイスをしてくれる筈。その恵美はいない。彼女がいなくなってからかなり日が経ったのだが、ここにきて再び悲しみがこみ上げて来た。斗真を誘ったのも、その寂しさ、悲しさを埋めようとしていたからだろう。

 由衣も荷物をまとめて教室から出て行った。当然、斗真は待っていない。今日も1人で家に帰る。

 キャンパスを出て、1人とぼとぼ歩いていると、あの公園にさしかかった。最初に業獣を見たあの場所だ。あそこで三神斗真が死に、代わりにあの業獣がやって来たのだ。今までなるべくこの道を避けて来た筈なのだが、何故ここを通ってしまったのだろう。

 気分転換にと、由衣は道を変える。公園は結構広い。木々に囲まれた道を行けば、美しい自然を見て帰ることが出来る。確か緑色には癒しの効果があると聞いたことがある。

 しかしそんな緑の道もあっという間に終わってしまい、由衣は住宅地に出た。呆気ない癒しの時間だった。この住宅地を抜ければ駅に着く。ため息をつくと、由衣はまたとぼとぼと歩を進めた。俯いて歩いていたため、前方から来た男性に気づかなかった。直前で顔を上げれば回避出来たかもしれないが、それも無く、由衣は向かい側から来た男性の肩にぶつかってしまった。

「あっ、すいません」

 慌てて謝る由衣。相手は痩せ形で眼鏡をかけており、手には何か長方形の物体を持っている。物体は大きく平べったい。布がかけられているため何であるかは正確には言えないが、きっと絵画だろう。

 由衣が謝ると、男性は彼女に怒鳴り散らした。

「危ないだろ! 前見て歩けよ、前!」

 何か悪いことがあったらしい。由衣は何となくそう感じた。また俯いて先へ進もうとしていると、突然背後で男性の悲鳴が上がった。驚いて振り返ると、先程の男性が、何か長い物に巻き付かれて宙に浮いている。その奥にも若い男がいるが、長い物は彼の口から伸びていた。彼の舌が男を捕らえているのだ。

 若者はあっという間に男を飲み込むと、次に地面に落下した物体の布を取り去り、絵画の表面を嘗め始めた。

 間違いない、業獣だ。気づいてから行動するまでに若干のタイムラグがあったが、由衣は一目散に駆け出した。

 食事を済ませた若者……コウジは彼女の方を見ると不敵な笑みを浮かべた。

「叶わぬ夢……」

 コウジも壁を這いながら、彼女を追いかける。2人の距離はあっという間に縮んでゆく。

 追われているのを知った由衣は方向を変えて相手を撒こうとする。が、相手は壁を這いながら移動しており、由衣が逃げた方向もすぐに探知、また追いかけて来た。

 人気の無い道を走り続ける由衣。体力も限界に近づく。業獣は彼女が疲れ果てる様を見て楽しんでいるのか、なかなか捕食しようとしない。

 迷路の様な住宅街を走り続ける由衣、そしてそれを追うコウジ。暫くすると、由衣の目の前に大きな塀が現れた行き止まりである。振り返ると、ちょうどコウジも到着するところだった。

「お前の、叶わぬ夢を喰わせろ」

「叶わぬ夢……?」

「隠しても無駄だ。俺には見える。友を失ったお前の悲しみ、最愛の人物が死んだ苦しみ、そしてそれらによって崩れ去った、お前の夢がな」

 コウジの言う通り、由衣の夢は大きく崩れてしまった。2人と共に何処かへ行ったり、笑って楽しむという夢は、もう叶わない。

 少しずつ距離を縮めてゆくコウジ。逃げるだけの力は無いと踏み、そろそろ食事へ乗り出す。口を開け、鉄が埋め込まれた長い舌を伸ばそうとした、そのとき、突然後頭部に強い痛みを覚えた。頭を押さえその場に転がるコウジ。見ると、1人の青年が剣を持って立っていた。

「あっ」

 斗真だ。彼も業獣を探していて、偶々コウジを見つけたらしい。この業獣はまだこちらに来て間もない様だ。芭蕉の息もかかっていない。

「叶わぬ夢を喰らう業獣……ヴァサーゴか」

「けっ、コイツも来てやがったか」

「……とっとと行け。邪魔だ」

 由衣は黙って首を縦に振ると、その場から走り去った。

 どうせまた隠れているに違いない。が、近くに彼女がいなければ楽に戦える。斗真は剣を振ってコウジを甚振り、怯んだところへ更に蹴りを入れた。圧倒的な力の差。コウジもその身体能力を生かして斗真を翻弄するが、何処へ逃げても彼の攻撃の餌食となってしまう。しかもここは行き止まり。コウジは若干不利だ。

「へへへ、噂は聞いてるよ。業獣を殺す業獣がいるってなぁ」

「そうか。それがどうした?」

「アンタも考えなおさねぇか? 人間なんて守る価値も無いだろ? 本来の行き方はどうした? え?」

「俺は人間を守っているのではない」

 剣をひと振りし、説得を試みるコウジに更に攻撃を加えた。そのせいでコウジはバランスを崩してしまった。

「俺は自分のためにお前達を斬る。それだけだ」

「野郎……てめぇなんかに、てめぇなんかに殺されてたまるかよぉっ!」

 両腕を1度クロスさせ、再び強く広げる。すると、コウジの姿が瞬く間に目の無いトカゲの様な怪物に変貌してしまった。怪物は気味の悪い雄叫びをあげて斗真を威嚇する。これが彼の身体を借りて人間界に来ていた業獣、ヴァサーゴの真の姿だ。

 ヴァサーゴが本性を晒すと、斗真も交錯の印を切って悪魔の姿に変身した。いよいよ本格的な戦闘が始まる。先攻はヴァサーゴ。相手は長い舌を伸ばして攻撃を仕掛けた。半金属化した舌が地面や塀を抉る。悪魔は向かって来る舌を剣で弾きながら相手に近づいて行く。

 悪魔が近づいたのを知ると、ヴァサーゴは慌てて塀の向こうへと逃げてゆく。ここでは狭いからだ。悪魔も塀を飛び越えてその跡を追う。塀の向こう側には空き地がある。ヴァサーゴはその中央で悪魔を待ち受け、舌を伸ばして来た。剣でそれを弾き、業獣に飛びかかる。業獣も横に転がって回避、更に舌で攻撃を仕掛けて来た。伸縮自在の舌をどうにかしなければ戦いが長引く。

 次に舌が飛んで来たとき、悪魔は舌の肉が剥き出しになった部分を探し出し、そこを剣で切り裂いた。血しぶきと共に長い舌が切断される。これにはヴァサーゴも叶わず逃げ出した。

「逃がしはしない」

 再び高くジャンプすると、剣を構えた状態でヴァサーゴの方へ降下、着地と同時に相手の胴を切り裂いた。斗真が人間の姿に戻るのと同時に、ヴァサーゴは灰となって消えてしまった。

 今回は運が良かった。芭蕉のサポートを受けていない業獣を見つけることが出来た。

 相変わらず、斬っても彼の記憶に大きな変化は無い。前回の様に、もっと大勢の相手を斬らなければ、大きな変化は見込めないということか。

 元の場所に戻って来ると、やはり由衣が待っていた。

「やはりここにいたか」

「あ、アイツは?」

「今頃は元の場所に戻っただろうな」

 業獣は1度死んだ者達だ。斬られることは死を意味しない。彼等は逝くべき場所へと戻って行くだけである。それは業獣界かもしれないし、地獄と呼ばれる場所かもしれない。いずれにせよ、彼等に良い未来は無い。

 剣を仕舞うと、斗真は由衣に忠告した。

「過ぎたことは忘れろ」

「え? 過ぎたことって?」

「業獣が喰らうのは肉だけではない。ヴァサーゴのように叶わぬ夢に魅入られたもの、失恋した悲しみを求めるもの、人間の絶望、虚無感を望むものもいる。お前の心に闇があるのなら、それは業獣達にとって格好の餌となる」

「……忘れられないよ」

 と由衣。たとえ業獣だったにせよ、失った友と過ごした時間は大切なもの。確かにその記憶が今も残っているから辛く感じるのだが、それでも誰かに言われて簡単に忘れられるものではない。ここ最近、業獣のせいで彼女の生活は大きく乱れ始めている。だからこそ、楽しかった日の思い出がより強く蘇って来ているのかもしれない。

 いつもなら反論する斗真も、今日はそうしなかった。

 また由衣を気遣う様な言葉を。この頃彼の感情にも変化が起こっている。記憶が少しずつ戻り始め、それに合わせて、人間に対して抱いていた感情が変質し始めた。それまで人間を見下し、彼等の思想を貶していた斗真だったが、今ではその考えも薄れている。

 彼女といると、自分が壊れてしまいそうだ。斗真は黙ってその場から立ち去ろうとした。すると背後から、

「でも、ありがとう」

 由衣が声をかけた。驚いて足を止める斗真。業獣界にいても、感謝されたことなど1度も無かった。感謝されることに対する抗体が出来ていないのだ。

「ありがとう……トウマ」

 今度は驚いて振り返った。

「それは、俺のことを意味しているのか?」

「他に誰がいるのよ?」

「俺は三神斗真ではない」

「名前を教えてくれなかったそっちが悪いんでしょう? 兎に角、こっちは今日からトウマって呼ばせてもらいますから」

「ふざけるな。お前に何の権限がある」

「そっちこそ、人間のやり方に従いなさいよ。だいたいこの名前の方が、そっちだって溶け込みやすいでしょ?」

「頼んでいない」

 また今日も口喧嘩をしながら帰る2人。由衣の帰り道が、少しだけ賑やかになった。

VaSSaGoヴァサーゴ……夢を追い求め、そのためにライバルや邪魔者を殺し続けた業を持つ、イグアナのような業獣。半金属化した鎧を身体だけでなく舌にも纏っており、その舌を伸ばして捕食、攻撃を行う。前世の業が関わっているのか、人間達の“叶わぬ夢”が大好物。

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