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悪魔調整士

作者: Reckhen

 たくさんの人で賑わっていた休日のショッピングモール。だが和やかな雰囲気は吹き飛んでしまった。日常とはかけ離れた緊張感に包まれている

「悪魔が出現し、女子高生を人質にとっている」

 非常線が張られ、機動隊が建物を取り囲んでいた。のんきに群がってくる野次馬たちに警官隊がどなっている。

 悪魔……。人間にはまったく理解できない存在。いつ、どこに出現するかも、その目的も行動原理も明らかになっていない。低級な悪魔ならば人間の操る兵器でも撃退は可能である。しかし、今回のように、女子高生を人質にとるような知性を持った悪魔には、機動隊といえどもただ手をこまねいているしかなかった。そう、今までは……。


 不気味な地響きを巻き起こし、荒々しく現場に近づいてくる一台の車両。小型のバスくらい、または大きめのワンボックスカーくらいのサイズ。黒い光が放たれる特殊な回転灯、そして灰色の装甲に、意味不明な悪魔語のペイント。

「77式特別調整装甲車だ」

 野次馬の中の物知りがつぶやいた。悪魔調整士が移動時に搭乗する、特殊な車両である。完全オーダーメイドで、購入額は普通自動車の100倍以上する。すべて税金なのをいいことに、兵器メーカーがいろいろと無駄な機能をつぎ込んでいる。

 ノーパンクタイヤ(通常業務では舗装路しか走行しないので無駄である)がブレーキで鳴く。大げさなため息のような排気が響いた。周りの人間を威嚇するための装置で、実際には排気などされていない。

 重々しくドアが開く。ここでも「プシュー」という演出が施される。実際は電動である。なんと上方向に開いた。これは雨の日に傘をたたむときにドアが雨よけになるから便利だ。

 腕を組んだまま、悪魔調整士は助手席から降りてきた。自動運転である。ゆっくりと、もったいつけて。

「ご苦労」

 現場の責任者の、機動隊の隊長が走ってきた。

「はい、お疲れさまです」

 悪魔調整士は、特殊なゴーグルとヘッドホンを着用しているので顔はよく分からない。逆にゴーグルの内側はヘッドマウントディスプレイのようになっていて、隊長の顔をスキャンするやいやな、氏名、階級、所属などの情報が表示される。離婚歴あり、まで分かる。

「状況が分かっているのか?」

 のんびりした口調の悪魔調整士をとがめるようだ。

「状況は聞いてますよ。人質って、ねえ」

 状況は、の「は」を強調した。

「で、依頼は『こちらも悪魔を召還して、人質ごと吹っ飛ばせ』で、合ってますか?」

 隊長の顔がこわばった。かなりイヤミをきかせた。

「最悪の場合は、悪魔の攻撃が人質に当たってもやむを得ない、と言ったんだ! 最初から人命をないがしろにした依頼なんかしてないぞ!」

「ふん。ならなぜBランクの悪魔を依頼してきたのか? 金を惜しんで、人命とやらをないがしろにしているのはそちらではないか?」

 呼び出す悪魔のランクが上がればそれだけ難しいミッションもこなせる。人質を救出しながら敵を倒せるかもしれない。だが、高ランクの悪魔は要求される金額も大きい。税金とはいえ、なるべく低く押さえたいというのが現場の本音なのだろう。

「人質に危害が及んだら、お前の責任だ。悪魔使い」

「私はSランカーを推薦した。Aならまだしも、Bランクではリスクが大きすぎる」

「お前の上司が『Bランクでもいけないことはないんじゃないかな』と言っていたからそう書いたんだ! 大体、Sランクだかなんだか知らないが、高すぎる! 10倍以上違うなんておかしいだろ!」

「忙しいところをわざわざ来ていただくのだから! 金額は二の次でしょう」

 分かってないなー、というふうに首を振った。そして、上司はいつも適当なことを言うものだ。

「早くしないと人質が心配なんで、契約書の特約条項も読んでいただいたということでよろしいですね?」

 バインダーにはさんだ契約書を差し出す。早くサインしろと言う意志表示だ。

「ちっ」

 時間がないのか、面倒くさいのか、隊長は契約書をむしりとると、乱暴にサインを書いた。

「何かあったら悪魔使い側にも責任がいくんだろうな」

「それは契約書に聞いてください」

 読まない方が悪い。そんなだから離婚されるんだ。

「それと」

 ゆっくりと隊長に顔を向ける。ゴーグルの目の部分に、キリリとした眉とくりっとした目が電光表示版の原理で浮かび上がった。(『現在表情表示システム』という)

「悪魔使い、ではなく、悪魔調整士です。姫路総太と申します」


 ゴーグル内のディスプレイには、テレビ中継の映像が右下に表示されている。人質の女子高生のことは常に気にしていた。放っておいて隊長とのんきに雑談をしていた訳ではない。

 女性タイプの悪魔だ。ロングの黒髪である。人質となった女子高生は、ロープのようなもので縛られ、吊されている。スカートが短いので白いふとももが露わになり、不安げに閉じ合わされていた。テレビ画面にはもちろん録画マークが点灯している。

 女悪魔は検索の結果、Cランクであった。白石と呼ばれている。200歳、人間でいえば20歳くらい。まだまだこれからの成長株だ。

「我々は、人間に危害を加えるつもりはなーい」

 白石は、さっきから演説をたれている。しかしテレビにには映ってない。テレビカメラが女子高生ばかり狙っているからだ。

「我々は警告する。この女の子を無事に解放してほしかったら……」

 さらに『悪魔語』という独特の言語なので一般の人間には理解できないのだ。悪魔によってはおぞましいうめき声にも聞こえる。白石のようなは若い女性タイプだと、何か不可解な、神秘的な歌声のようになる。総太のヘッドホンには自動翻訳システムがあるので理解できるているのであるが、仮に彼のように悪魔語検定一級まごけんを所持していても、人間の耳でネイティブの悪魔語を完璧に聞き取る(ヒアリング)のは難しい。

「責任者が、この公開質問書を受け取り、しかるべき回答を10日以内に大手新聞に掲載すると確約すれば、この女の子は速やかに解放する! ってさっきから言ってんじゃん! ちょっと! 聞いてんの?」

 周りを取り囲む人間たちが目も合わさず、遠巻きに控えているまま無駄に時間だけが経過していく状況に、だいぶ白石のフラストレーションがたまってきているようだ。

 何を主張しているのだろうか。このような政治的なデモストレーションは今までもたびたび行われている。たいがいは天使の統治方針に対するクレーム、あるいは悪魔の待遇改善、そして名誉回復といったところだ。

 今回も同じようなことだろう。そもそも人間である総太には関係がない。どんな思想を持とうが勝手だが、表明するのにはもっとスマートな方法があるだろうに、くらいの感想しか持ち得なかった。


『テレビ! 映ってるよ!』

 ヘッドホンに通信あり。急いでテレビ画像のウィンドウを拡大する。悪魔調整士は両手に黒いグローブを装着している。指のわずかな動きを感知して、ディスプレイ内のカーソルを動かすのだ。ソフトキーボードから文字も打てる。操作には慣れが必要である。

「……あ、ほんとだね」

 テレビカメラは相変わらず女悪魔(白石)を映さない。政治的な発言をお茶の間に流さないような配慮だ。さっきから映すものがないので、やっとやってきた悪魔調整士にピントを合わせたのだろう。

 画面越しに見る、自分の後ろ姿。黒のスーツにゴーグル、ヘッドホン、ごつめのグローブという出で立ち。我ながらちょっと変わっているかな、と思う。悪魔を扱う特殊な職業としてあまり親しみを持たれてはいけないという事情があるから仕方がない。

『再び悪魔学がご専門の魚住教授に聞きます。先ほど怪しげなゴーグルを付けた男性が到着しました』

 アナウンサーが解説者に聞いている。

『あのコスは、悪魔調整士ですね』

 解説は初老の教授である。御用学者ともいう。

『これから、あの悪魔に交渉をするということでしょうか』

『いえ、それはないですね。危険ですから』

 悪魔の一撃を食らったら生身の人間はひとたまりもない。

『調整士が出てきたということは、おそらく、より強力な悪魔を召還しようということでしょう』

 総太はこの教授に面識があった。悪魔資源開発計画にも関わっている。大学で授業を受けたことはない。(総太の卒業した大学は偏差値が高くない)

『あっ! 魔法陣です! 地面に魔法陣が浮かび上がりました!』

 自分の行為がリアルタイムで実況されているのも変な感じがした。

『調整車、あの、装甲車みたいなのが見えると思いますが、あの車からライトで模様を写しているんですね』

 あんまりばらさないでほしいな、とも思った。

 ちょっとしたスペースに魔法陣を写し出す。もったいを付けた歩き方で、適当に、二本立てた指をフリフリする。ドロドロドロという効果音もスピーカーから流れている。ライトもスピーカーも遠隔操作している。

 悪魔は、どこか別の次元とか、魔界などからやってくるのではない。もともとこの世界に存在しているのだ。かつての大戦で勝利したものが天使と呼ばれ、敗れて散り散りになったものが悪魔と呼ばれている。天使は統治者として人間を支配し、悪魔はそれぞれが好き勝手に暮らしている。

 無駄に消費されていく悪魔のエネルギーを、なんとか有効活用できないかということで始まった『悪魔資源開発計画』。その一環で発足したプロジェクトが『悪魔調整制度』。悪魔調整士の資格をもった人間が、悪魔がらみのトラブルの解決法として「より強力な悪魔をぶつける」というものである。協力した悪魔には謝礼が支払われる。半額が税金による補助される。


 すでにビルの屋上には、知り合いの悪魔にスタンバってもらっている。Sランクである。Bにするのどうのとか、この魔法陣とかは、すべて演出である。

『何か、呪文を唱えているようですね』

『大変に高度な集中力が要求されます。召還に失敗すると、調整士自身が魔界に引きずり込まれることもあります』

 年に一回の研修会(および懇親会)で、だいたいの口裏は合わせている。魔界など存在しないのだが、交渉がこじれて調整士が気まぐれ悪魔に攻撃される例もなくはない。立場上、殺されても文句は言えない。


 そこに響きわたる、場違いな女性ボーカル。総太が車の中で聴いていた曲だ。

「あっつ、ちが、違う」

 おどろおどろしいBGMが流れるはずのところでロックテイストの曲を大音量で再生してしまった。

『ばーか!』

 ヘッドホンの中で大爆笑された。キャーキャー笑っている。

 ゴーグルの横に付いているカメラの映像は事務所のオペレーターや上司も見ている。特にオペレーターの『さぁさ』とは常に連絡を取りながら作業している。さぁさは一応は天使であるが、まだまだ若い。90歳、人間の年齢に直すと9歳くらいである。

『ちょーうけるー!』

 これくらいの緩いネタに異常反応する。悪いやつじゃないんだが、たまにカチンとくる。

『先ほど、音声が乱れました』

『悪魔は特殊な電磁波を出すことがあり、電子機器に影響を与えることがあります』

 ナイスフォローだぜ教授。


 屋上からSランク悪魔が顔をのぞかせた。「まだ?」という感じだ。白石の方もそろそろ待たせるのは限界だろう。デンドンデンドンいっているBGMのボリュームを強引に引き上げ、最後の演出ボタンをクリックした。

『今、激しく光が点滅しだしました! ああ、白い煙のようなものが立ちこめていきます!』

 魔法陣の周りを歩いているときに、小道具をさりげなく準備しておいたのである。

 煙にまぎれ、屋上に合図を送る。特別なものではない。「それでは張り切ってどうぞっ!」と虚空にチョップを繰り出すだけだ。


「むっ! この感じ、魔皇帝か!?」

 白石さんが屋上の悪魔に気づいた。悪魔は個体ごとに、それぞれ独特の気配を発している。屋上で控えていたときには潜めていた気配を、総太の合図とともに解放したのだ。

 同時にサイレンが鳴る。悪魔線と呼ばれる気配を感知する装置があちこちに設置されており、人間にも悪魔の接近を知らせるようにしてある。

『緊急悪魔警報が発令されました。Sランク悪魔が接近しています。繰り返します。緊急悪魔警報です。Sランクの悪魔は数百人を一瞬で消し飛ばすと言われています』

 アナウンサーがヒートアップしている。

『半径1キロ圏内にお住まいの方は、警察の指示に従って速やかに避難してください』

「おい、悪魔使い!」

 逃げまどう人でパニックの中、隊長に怒鳴られた。

「Sランクってどういうことだよ!」

「すみません、手違いで」

 本当は現場に到着する前からSランク悪魔に根回ししていた。「Bランク悪魔を召還する儀式の途中、突発的な事象が発生し、Sランク悪魔が召還されてしまった」というシナリオである。

「料金はBランク分しか払わないからな!」

「そんなことより野次馬の避難の誘導をしてください。請求は契約書通りに、後日ということで」

 もちろんSランク分の料金を請求するつもりだ。契約書には『召還する悪魔のランクは、状況を総合的に判断し、担当調整士が任意に決定する』みたいな書き方になっている。依頼はあくまで希望にすぎない。ド素人の意見などに左右されてたまるか。


 ドシュ! という轟音とともに悪魔線を解放し、Sランクユニット『中村』が姿を現した。白石と同じく女性タイプ(260歳)だが、イメージは大きく違う。白石は白いハーフコートにロングの黒髪がウェーブしているのに対し、中村は黒いゴシック調のフレアスカート、赤い帽子、薄茶色の髪をしている。

 屋上の縁に立ち、両手を広げてポーズを決めた。テレビカメラにもバッチリ映っている。野次馬も見上げながら息をのんだ。総太も見とれてしまって、次の行程を忘れてしまった。

『入場曲は?』

 さぁさのツッコミに我に返る。タイトルホルダーのみ個別の入場曲を持つことが許されている。「ババーン!」と装甲車のスピーカーから流れると、タイミングを見計らい、中村がゆっくりと体を前に倒すのが見えた。

「これは魔皇帝のテーマ! やはり!」

 白石は大きく飛びのき、身構えた。曲中は攻撃しないのが暗黙のルールだ。


 魔皇帝・中村が夕焼けの空に舞う。ダイブしていく。スローモーションのようにゆっくりと。もちろんワイヤーなどで吊っているのではない。中村は、飛行能力を持ってる、数少ない悪魔なのだ。

 着地するちょっと手前で横に回転した。周囲の煙も巻き込み、地面に円を描く。両足を曲げ、前傾した体勢で降り立った。右手で帽子を押さえ、左手には鞘に収まった剣が握られている。ちなみに煙幕も装甲車から噴出されている。

「第151代 魔皇帝、中村だ」

 低いトーンだがよく聞き取れる。

「今宵は『歩道の向こうのマボロシ』と名乗ろう」

 ゴーグル内蔵のカメラで録画もしているが、紙にペンでメモも取っている。大事なことは手書きでメモするのが総太の信条だ。彼にとって『大事なこと』とは『悪魔のこと』とイコールである。仕事関係のスケジュールなどはゴーグル内のコンピューターで管理されている。メールも送受信できる。

「今、中村って普通に名乗ったよね」

 白石さんが腕を組んでいる。

「お噂は聞いてますよ。Sランクっていったって、魔皇帝だけなんでしょ?」

 そう、何か一つでもタイトル(称号)を獲得すると自動的にSランクに昇格する。『ランク』は実力そのものをリアルタイムで表したものではないので注意が必要だ。

『ランクが高い方の悪魔が必ず勝つということではありません。あの悪魔の場合は『魔皇帝』のタイトルホルダーなので、現在はSランクなのです』

 ほら教授も言っている。

「運だけで魔皇帝を穫って、ほかの魔戦ではパッとしないくせにタイトル防衛戦だけは急に強くなるって、もっぱら! 評判よ!」

 腕を組んだまま、首をクンと上げる。

「そんな安い挑発に乗れるか。そういうアンタは挑戦者にもなれてないでしょうが」

 帽子で半分隠れた目が光る。

 総太は中村のファンなので試合(魔戦という)はすべてチェックしている。先ほどのような『防衛戦だけ』とか『魔皇帝セレブ』など揶揄されているのを耳にする度に胸が痛んだ。けっこういいところまで勝ち進んだ魔戦もあるのに。

「わたしだって、魔将軍は準決勝まで行ったんだよ!」

 白石が声を荒らげた。他の悪魔もみんなそれぞれがんばっている。ただ、タイトルを獲得するというのは並大抵ではない。結局は一部の強力な悪魔が独占することになる。それに、どうしても防衛する側が有利になる。たいていのタイトルは「引き分けならば防衛」となり、リスクをかけてチャレンジする挑戦者は、冷静に対処されると攻め手がなくなってしまうのだ。

『……先ほどから何か言い合っているようですね』

 アナウンサーがそろそろしびれを切らしてきた。視聴率は高いだろうからいいじゃないか。


「おっと危うく挑発に乗るところだった。さすが、場外の心理戦には長けている」

 白石が人差し指をあごに当てた。

「このまま、普通に非公式戦をやったって意味がない。こちらは政治活動をしているんだから。

 総太の中では、すでに演説も女子高生(そういえば人質)も興味がなくなっている。早く中村の戦闘シーンが見たくてしょうがない。白石のことも前から知っている。女王様っぽくて、好きなタイプだ。二人の戦闘をこんな間近で見られるなんて幸せすぎる。まだですか?

「わたしは人質なんかとりたくないんだ。でも、こうでもしないと取り上げてくれないし、だれも聞いてくれない。リザードの危険性も分かってもらえない。本当にヤバいんだって」

 リザード、とサラっと言った。ニュースなどでたまに聞く単語だが、総太はよく知らない。まったく興味がない。何か、リスクがあるけど、メリットの方が大きいからと、天使たちが強引に導入した、……何だったかな。でかい設備の映像だけ覚えている。発電所だったか?

「ヤバいの?」

「ヤバいマジで」

 白石の表情から、同じヤバいでも悪い意味に間違いない。

 中村がこちらに顔を向けた。『どうする?』という顔だ。どうすると言われても、このまま政治的な主張をたれ流す訳にはいかない。契約も交わしてしまった。

「不許可出現悪魔に警告します。直ちに人質を解放し、政治的なスピーチを中断しない場合は、悪魔資源安全運用法および天使悪魔人間三者新契約に基づき、第151代魔皇帝の助力をもって強く排除します!」

 総太の声は装甲車に搭載されているスピーカーから発せられている。テレビでも流れているが、悪魔語で話しているので普通の人間には分からないはずだ。

 白石は苦々しくこちらを見た。総太があの鞭で打たれることはない。悪魔調整士を攻撃した場合、かなり重いペナルティーを受けることになっている。ちなみに普通の人間だったら泣き寝入りすることになる。天使が法律で守ってくれるという建前はあるが、現実はひどいものだ。

 中村もこちらを見た。今度は「やっちゃってオーケー?」という顔だ。回りくどい言い方ですみません。

『調整士が何か、警告をしたような口調でしたね。なんと言ったか分かりましたか?』

『特に大したことは言ってないですね。人質を解放しないと魔皇帝をけしかけるぞ! くらいじゃないですか?』

 三者契約とか言い出すとややこしいというのは分かります。

『えー、ここで、二者の、対戦成績、というデータがあるということなので、ちょっと見てみましょう』

 テレビ画面が切り替わった。デカデカと『初顔合わせ』と書いてある。

『解説の魚住教授、これは?』

 アナウンサーが少し怒っている。

『初めての顔合わせということですね』

『でしょうね』

『中村は一足飛びに魔皇帝まで上り詰めましたので、白石が在籍しているランキングでは、なかなか対戦する機会が巡ってこないのでしょう』

『それって、わざわざ画面に出すことなんでしょうか』

『私に言われても知りませんよ』

 中村の剣はまっすぐで、両側に刃があるタイプである。片手で華麗に振り回す。左手には金属製の鞘を握っている。ヒュンヒュンと右に左に回転させると、何本もの剣が宙を舞っているように見える。目にも止まらぬ剣さばきに総太はうっとりとした。ひとしきりヒュンヒュンさせると、いつの間にか逆手に持ちかえた剣の切っ先を白石に向け、静止する。左手で帽子を押さえているので、腕がクロスした格好である。白石からは片目たけが見えているはずだ。

「私は私の仕事を終わらせるだけだ。どんなにかリザードというのが危険かは知らないけど、契約は契約だ」

 決然と宣戦布告した。

「なにが契約だ! こっちは人間のことを心配して警告してるのに! 何のための契約か!」

 白石は鞭を両手でビーンとした。とても憤っているようだ。

「そういうのは悪魔連盟の本部に言って」

「言ったよ! 車谷さんが何回も!」

 悪魔は全員が『悪魔連盟』に所属している。給料もそこから支払われる。各タイトル戦のスケジュールなど管理しており、悪魔調整士からの依頼も悪魔連盟を通して行われる。車谷という名の悪魔は総太も知っている。めったに表に顔を見せないと思っていたが、裏で政治活動を行っていたのか。

「えっ! あ、そうだったの?」

 中村がひどく驚いた。

「いや、兄弟子だから、わたしも協力してやってるんだぁ。そんな関係じゃないから、そういうんじゃないから」

 人質になっている女子校生は、右手が自由なのでさっきからずっと携帯でメールをしているようだ。たまにテレビカメラの方を見て変な顔をしたりしている。パターンはそれほど多くない。寄り目をしたり、鼻の穴を広げたり、その両方をしたりしている。若いからかわいい。

 悪魔の中には『師匠』につくものもいる。同じ師匠の弟子になった場合は『兄弟弟子』となる。車谷と白石の師匠は葉山という。総太クラスのフリークになるとスッとでてくる。葉山は第一線を退いているが、かなり強力な悪魔である。

 するり、と女子校生を縛っていた鞭がほどかれた。当の女子校生はキョトンとしている。

「行きなさい。早く」

 白石が中村の方をにらんだまま早口で言う。

「ごめんね、主義主張に巻き込んじゃって。これ、お詫び。取っておいて」

 鞭が触手のように器用にくねり、四角いカードのようなものを差し出した。どうやらサイン色紙のようだ。総太は激しく嫉妬した。悪魔がサインをすることは滅多にないことで、総太ほどのマニアをもってしても数枚しか持っていない。そしてそれは家宝として部屋に大事に飾ってある。

「あ、いいです」

 女子校生はそのまま友人とおぼしき数人の女子校生の元へ小走りで走っていった。同じ制服である。「奇跡のせいかーん!」とか言ってキャーキャー言っている。


 人質を解放したので何事もなく収まるのかと思ったが、白石から「やってやる」のオーラは消えない。ウェーブした髪を逆立たせ、無言で鞭を振り回し始めた。地面やビルの壁にビシビシと当たり、砕けた破片が飛び散る。

「これで心おきなく戦えるわ」

 サイン色紙を受け取り拒否されたショックを紛らわすかのように、激しく鞭が踊っている。総太は色紙の飛んでいった後をスキャンした。運が良ければ戦闘後に拾えるだろう。

「どうしても戦うというのなら」

 中村はゆっくり剣を構え直し、少し腰を落とした。

「もう理由はいらない」

 さらに空気が張りつめる。

『先ほど、人質が解放されたようです。繰り返します。人質が解放された模様です。今入った情報によりますと、人質となった女性に怪我はないということです』

『もし怪我させてたら大変ですよ』

『二体の悪魔は戦闘態勢を解いていません。近くにいる方は十分注意してください』

『いいなあ、近くで見られて』

 白石の鞭は、黒くて、直径は5センチほどである。細い繊維が編み込まれたつくりで、は虫類のような光沢があり、繊維一本ごとに意志を持つかのようにうごめいている。

「ハッ!」

 気合いと共に鞭の先端が打ち出される。空気を引き裂くパン!という音がした。

『あの鞭の一撃で、戦車を15メートルほど吹き飛んだことがありました』

 テレビで教授が豆知識を披露している。総太が生まれる前のエピソードだろう。

 キュイーンとデジタルな音をたて、中村は横にかわした。輪郭がピンク色の残像を残す。鞭を横に払うと今度は後ろに下がってよける。残像が消えていく方向でどちらによけたのかがかろうじて判断できる。基本的に総太には鞭の軌道は見切れていない。

『サマーミラージュです』

 これは知っている。かなり有名である。

『鞭はSランク悪魔に当たっているようにも見えますが、残像を通り抜けているだけで、マボロシを残しながらかわしているのが画面を通してもお分かりいただけるかと思います』

『このモードの魔皇帝に攻撃を当てることはほとんど不可能です』

『あの、ピンク色の残像のようなものは?』

『サービスでしょうね』

 ただよけるだけじゃ味気ない。

「ちょこまかと! 逃げるだけか?!」

 白石の息が上がってきた。圧倒的なスピードを誇る中村魔皇帝に対して、見失わず、近づく隙を与えず攻撃を繰り出しているのはさすがである。

「そうやって姑息に時間切れを狙って……が!」

 白石の手元で火花が散った。鞭の根本の堅い部分で何らかの攻撃を弾いたようだ。

『フライングアイズ!』

 総太と教授が同時に叫ぶ。

「おまけに飛び道具か! ズルイヨ!」

 二度三度、白石は移動しながら中村の攻撃を弾く。大したものである。

『これは、剣を、投げているのですか?』

 テレビでスロー再生が流れた。

『いえ、剣が自分で飛んでいるのです』

 二本の剣が自在に宙を舞い、めいめいに白石につっこんでいく。

『サマーミラージュで距離を保ちながら、あの剣で、トライソードと言いますが、フライングアイズという遠距離攻撃を繰り返していく、この戦法で中村は魔皇帝を穫りました』

 悪魔関係者からは賛否両論あった。総太は結果がすべてなんだからいいじゃないかなと思っている。

「セコい手で勝って楽しいのか! 魔皇帝専門!」

 ああ、いよいよキレてしまった。鞭を体の周りで回転させ、防御しながら突撃をするつもりだ。

「くらえ! カオスブラック!」

 鞭で攻撃しながらタイミングを計っていたらしい。次に中村が移動する方向を読んで、鞭をドリル状にして突っ込んだ。

『今なにか叫びましたね』

『必殺技ですから』

 常識だろ。

 中村は、相手がじれて感情的になるのを待っていたのだろう。そんな短時間で読まれるような動きではない。もうちょっとで当たる、ぎりぎりのところで、今度は上に飛んだ。

「なにぃ!?」

 虚を突かれた白石が無防備に天を仰ぐ。中村は手に持っていた三本目の剣を両手で逆手に握り、白石の脳天に突き刺さんとばかりに降下してきた。勝負あった。

その瞬間!

 総太のゴーグル内に警告音が鳴る。別の悪魔を感知した。

『Bランク! もう一体いる!』

 無線越しのさぁさも気づいた。示された方向にあわてて目を向ける。遠くのビルの屋上に小さく人影が見えた。中村からは死角だ。

「9時45分! スナイパー!」

 中村には通信用のヘッドセットを付けてもらっている。イヤホンとマイクが一体になったやつである。総太の助言に即座に反応し、空中で止まって向きを変えた。

「……ちっ」

 ビルの屋上から舌打ちが聞こえた気がした。次の瞬間、ものすごい轟音をたてて中村の後ろにあったコンクリートの壁が吹き飛んだ。

「わー!」

 爆風と破片から総太を守るために、素早く装甲車が盾になる。さぁさの遠隔操作である。危ないところだった。

『大規模な爆発的事象が発生しました!』

『今のはレーザーライフルですね。もうちょっとでした』

 なにがもうちょっとなのか気になった。

 白石はしりもちをつき、中村は攻撃者の方をにらみつけている。とっさに回避できたらしい。さすがの魔皇帝といえども、さっきのビーム攻撃が直撃していたらただでは済まなかっただろう。

 総太は急いで起き上がり、ゴーグルをズームした。1キロ先の新聞の見出しが読めるそうだが試したことはない。

 肩から吊っていたライフル状の武器をゆっくりと下ろし、総太を見て不適な笑みを浮かべている。Bランクでは最強との呼び名も高い、岡本。『よけいなことをしやがって』という目でこちらを見ている。男性タイプ、270歳。「狙撃王子」の通り名で知られているように、髪が長めで(耳が隠れるくらい)、端整な顔立ちをしている。

「じゃ、邪魔が入ったな。決着は、つぎに持ち越しだ」

 白石がフラフラと立ち上がる。

「私の勝ちだったけど」

 ジャ! と音を立てて中村は剣を鞘に収める。もう岡本は撃ってこないと分かっているようだ。

『レーザーですか? すごい威力ですね』

『チョーキングミラという技だと思われます。本来、悪魔は一対一で戦うのがルールですが、これは非公式戦ですので、だから調整士もアドバイスしたのでしょう』

 あのアドバイスも本当なら反則になる。我ながらとっさにナイスジャッジだった。

「お前は一級調整士だったな」

 白石が総太の前で仁王立ちになった。少し髪が乱れている。機嫌は悪そうだ。

「読んでおけ」

 封筒に入った書類をポンと投げられた。茶封筒が渋すぎる。

 くるりと振り返り、モデルのような歩き方で去っていった。白いエナメルのハイヒールをコツコツと鳴らしながら、タクシーに乗り込んでいった。


「いや~、今日もかっこよかったです~」

 封筒の中身は政府に渡す予定だったらしき要望書だった。素早く装甲車の中に放り込み、タオルとドリンクを持って中村に駆け寄った。

「あれ?」

 中村の横に誰かいる。黒いスーツの男。親しげに話している。180センチ以上ある。サングラスをしている。

 ドリンクを受け取る中村は視線を下げ、表情も晴れない。それを総太は見逃さなかったが、初対面の男性を無視してフォローにかかる訳にも行かない。

「あ、お世話になりますー」

 ゴーグルに内蔵されている悪魔線センサーの感度はすさまじく高く設定されている。上級悪魔が気配を殺していても、わずかに漏れだしている悪魔線を感知することができる。

『うわー!』

 その情報はさぁさもモニターで見ている。悪魔ファンならシルエットでピンと来なければだめだ。おまけにサングラスとくれば。

「古井さんですよね?」

 Aランク悪魔。350歳。過去に「魔王」と「魔神」のタイトルを取ったことがある。なにより、悪魔連盟の理事である。

「おお、総太君?」

 連盟を通じてやりとりがある。メールや電話などである。実際に会うのは初めてなのでテンションが上がった。

 反比例して中村の表情は晴れない。無言で総太からドリンクを受け取った。ペットボトルにストローをさしてある。中身はハーブティーである。

「良かったですよね?」

 古井に聞いた。

「え、ああ、得意の形でてたね」

 中村のテンションが低いのは、さっき白石に「せこい戦法」とか「魔皇帝だけ」などと言われて傷ついたからだろう、と予想した。古井を経由して励まそうという作戦である。

「どうせ私はセコいですよ」

 とても気にしているようだ。

「そんなことないですって。スマートでかっこいいですよー」

 中村はじっとりとした目で総太を見た。信じていないようだ。

「うん、もうちょっとリスクを負ってもいいかもね」

 古井はあまり空気を読まない、と初対面で思った。

「あれって岡本君だよね」

 古井が本題を切り出してきた。先ほど狙撃してきたBランク悪魔のことだ。

「間違いないですね」

 個体識別パターンといい、攻撃方法といい、ビームの色といい、総太には絶対の自信があった。

「いや、最近、連盟の方に出てこないから、探してたんだよ」

 理事として、他の悪魔のケアもしなければならないようだ。

「白石さんのグループとつるんでるのかー。困ったなー」

 岡本はどちらかというと一匹狼タイプだと思っていた。白石のような怪しげな政治活動を共にするというのは総太も意外だった。そして総太も古井も、悪魔のプライバシーには立ち入ることができない。

「何の活動?」

 ドリンクを飲んでるうちに落ち着いてきたのか、明るめの声だった。

「ええ、岡本さんが……」

 そこまで言って総太は視線を感じて振り返った。先ほどの隊長がこちらを見ている。何か文句があるのかもしれないが、SランクとAランクがそろい踏みでは近づけないのだろう。

「立ち話もナンですし、どうですか、この後」

「いいねえ! 中村さん、どう?」

「着替えてから行くから、先行ってて」

 戦闘直後だからね。シャワーでも浴びるのだろう。

 総太はもう一度隊長を振り返った。まだびびっているよ。遠く離れて、目も合わさない。「ゴミみたいだな」と思った。悪魔に比べたら人間なんてゴミだ。悪魔は最高にクールだぜ。


 中村は空を飛べるので家に帰って着替えてくるという。総太は古井と装甲車で居酒屋へ移動した。装甲車は遠隔操作もでき、自動運転もできる。お酒を飲みに行く時には便利だ。店に到着したら、後は勝手に事務所に帰ってくれる。総太達の帰りはタクシーでも電車でもいい。

「いいお店知ってるねえ」

 おしぼりで手を拭きながら古井が店内を見回している。

「ありがとうございます。でも古井さんならもっといいとこ行ってるでしょ?」

『千以上の手を持つ男』や『神の手』などの通り名を持っているので、総太はしげしげと見た。

「いやいや、慎ましいもんですよ」

「またまたー」

「運営厳しいんだからー。本当だよー」

 古井はサングラスに黒いスーツである。店内でもサングラスは外さない。総太もゴーグルやヘッドホンやガントレッド(手袋)を外さない。客観的に見るとかなり異様である。店員がおそるおそるといった感じで生中2を持ってきた。

「じゃあ早速カンパイ!」

「中村さん! お先です!」

 オシャレな居酒屋で、創作多国籍料理の店でもある。エキゾチックなサラダや豆腐のオシャレなやつなどを食べた。


「……遅いなー」

 すでにビールから水割りに移った。

「電話してみます?」

「場所は知ってるんだよね」

「店の名前メールしたんですけどね。わかりにくいですか?」

「僕に聞かないでよ」

「私の携帯には連絡ないですね」

「あれじゃない? 空飛んでるから」

「あ、看板が、上から! 見えなくて!」

 男二人で大笑いしている。この間にも料理はどんどん運ばれてくる。古井の大食漢ぶりは噂で聞いていた以上だった。体は細いのに。

「どんどん食べてくださいね。経費で落としますから」

「大丈夫? って言うか、税金でしょ?」

「予算化されてしまったら使い切らないと。次回から減らされますもん」

「何その制度。正気とは思えないね」


「他の悪魔と飲んだりするんですか? 岡本さんとか」

「……ああ」

 中村が来る前だが、総太は少し踏み込んだ話を振った。もうすでにかなり酔っている。

「最近、付き合い悪いんだよねー」

 水割りの氷をカランカランとさせた。

「すみません、おかわりー」

「あとサイコロステーキとバンバンジーサラダ」

 食うわー。

「テレビで白石さんが出てたから、近いし、冷やかしに行ってみたら、岡本君がねえ」

 しばらく見ないうちに、遠いビルの屋上で狙撃手をしていた、と。

「何か知ってる?」

 頬杖をついてこちらを見る。腹の探り合いです。

「私もびっくりしましたよ。あれ、岡本さんじゃん? みたいな」

「白石さんと仲いいのかな」

「はあ……、お似合いと言えば、言えなくもない、かも」

「ショックだなあ」

 総太はゴーグルにビックリマークを表示させた。

「何それ? 電光表示?」

「ゴーグルだと表情が分からなくて、不気味じゃないですか。だからこうやって表情を時々表示させるんです」

「十分不気味だよ。あってもなくても」

「あんまり評判は良くないですね」

「自動なの? 内側にセンサーとか付いてたりする?」

「いえ、自分で操作してます。アイコンをクリックする感じです」

 ガントレッドをカチカチとさせた。親指でポインタを動かし、人差し指でクリックする。慣れると直感的な操作が可能になります。中指が右クリック。

「内側でいろいろやってるんだ。気持ち悪いなー」

 酔うと本音が出ますな。

「白石さんは良くない噂を聞きますね。例の集団にたぶらかされてるというやつ」

「ああ、車谷くんのやつな」

 何の目的があって、何に反対しているのかがイマイチ分からない……、おお。

「そうだ、白石さんに書類をもらったのだった」

 茶封筒をカバンから取り出した。ずっしりと重い。開くのに躊躇し、ちょっと古井を見た。

「すみませーん。海鮮焼きそばとイカ焼きくださーい」

 古井はこちらを見ていなかった。仕方なく封筒の中から書類の束を取り出す。


 無言で入ってきた一人の女性。やっと来た。

「お疲れ様です! 待ちくたびれましたよー」

「すみませーん! 生でいい? 生と、サイコロステーキと、あと海鮮焼きそばね」

「ちょっとちょっとー。焼きそばはさっき注文したでしょー!」

「は、見てた? しっかり見られてたかー」

「……もう追いつけない」

 中村はタートルネックのサマーセーターを着ていた。薄いピンクであった。

「遅いね、何してたの?」

 古井はだいぶ酔っている。デリカシーなども置き去りである。

「テレビ見てた」

 さらりと言ってのけると、ビールに口を付ける。

「ものすごい量を食べてない?」

「いやいや、まだまだ序盤戦ですよ」

 すげーな。

「今日は私におごらせてください。と言っても、経費で落とすんですけどね」

「じゃあ、お好み焼き」

「ないよ」

 古井が即答する。メニューの暗記は完了しているようだ。

「すみませーん。お好み焼きってできますか?」

 男らしいところを見せようと総太は果敢に店員へと挑んだ。

「ありますよ」

 店員は、驚愕する古井の頭上を指さす。すごいスピードで古井が振り返る。そこには『本日のおすすめ』が!

「限定スペシャルお好み焼き! 他にもオススメが!」

 この後おすすめメニューも制覇することになるだろう。


「何これ」

 書類に気づかれた。

「さっき白石さんに『読んどけ』って渡されたんです」

 白石、聞いた瞬間、中村の眉が不機嫌そうに動いた。戦闘直後にも発せられた不快感を総太は見逃さなかった。

「惜しかったですよね。岡本さんが邪魔しなければ完勝でしたよ。会心のできだったのに」

 戦闘が途中で終わったのを不快に感じてるのだろう、と予想した。

「うん」

 中村はこちらを見ずに梅チューハイを見ている。違った。

「これは、先輩としてのアドバイスだけど」

 急に古井が箸を置いてシリアスなトーンになった。中村はさらにムッとした気を放った。

「あの戦い方では、この先ちょっとツラいと思うな」

 そう言うと一人で頷いた。

「そうですか? 立派な戦法だって寺尾さんも言ってましたよ」

 フォローを試みる。寺尾とは悪魔連盟の偉い人である。魔皇帝の就位式でのスピーチより。

「勢いで魔皇帝は獲れたけど、研究もだいぶ進んでるしなあ」

「その後、ずっと防衛してるじゃないですか。勢いだけじゃないですよ」

「どうせ」

 中村は飲み干したグラスを、音を立ててテーブルに置いた。

「どうせ私は、魔皇帝専門ですよ」

 白石が言った悪口を根に持っていたのか。『魔皇帝専門』とは、他のタイトル戦では結果が出せてないのに魔皇帝だけ防衛し続けていることへの皮肉というか、当てつけである。本人も分かっていて努力していることを総太は知っているので、その意見には賛成しない。

「魔王も狙える逸材だと僕も思ってるよ。だからこそもったいない」

 タイトルは『魔皇帝』の他に『魔王』『魔神』『魔将』『魔聖』の計5つ存在する。

「元魔王から見てもそうですか? やはり」

 古井は数年前に魔王になったことがある。普通の悪魔ではまず到達できない。一度でも魔王になった悪魔は、失冠した後も尊敬の眼差しで見られる。

「どうせ今の実力じゃ、魔王には適いませんよー」

 中村は資料を読んでいる。居酒屋の薄暗い照明にとけ込んで、ぼんやりとした輪郭になっている。

「なんか、数字ばっかりで、何を言わんとしているのかわからん」

「ですよねー」

「今の魔王は強いからねー。嫌になるよね」

 古井はサングラス越しにも目が据わっているのが分かる。

「もう魔王の話よくない?」

 中村が資料をたたんで総太へ放り投げた。

「て言うか、私じゃなくても勝てなくない?」

 5つのタイトルの内、3つを同時に保持している、現魔王。魔王、魔神、魔将。悪魔に詳しくない人間でも名前は聞いたことがあるという。特に魔将については20年連続で防衛を果たしている。前人未踏の大記録だ。

「あずきさん……。何であんなに勝てるのだろう。特に変わったことをしていないのに」

 対戦した悪魔は口々に『どこで間違えたか分からない』『気が付かないうちに不利になっていた』と言い、首をひねる。

「ミステリアスだよねー。僕もプライベートでは会ったことない」

「古井さんでも?」

「私も」

「悪魔総会とかにも出席しないんですか?」

「あいさつだけして、いつの間にか居なくなってるんだよね。あれ? さっきまで居たのに、みたいな」

 古井は理事も兼務している。その男が会話すらないのか……。噂には聞いていたが、想像より遙かに謎が多そうだ。

「普段何してるんだろうね」

「やたら忙しそうなんだよね。案外、お堅い職業だったりして」

 普通の人間に混じって働いている悪魔も多い。中村がCDショップの店員として働いているのは、悪魔ファンの間では有名な話である。

「何にせよ、挑戦者になれないと話にならないからね。僕はもう今年は望みないけど」

 ちらりと中村を見た。

「そうですよ。中村さん、行っちゃいましょう。魔王奪取と魔皇帝防衛。カッコイイ!」

 魔王に挑戦するには、1年かけてリーグ戦で優勝しなければならない。10名の悪魔による総当たり戦で、そのリーグに入るにも並大抵なことではない。トップ10名(正確には魔王を入れて11名)ということになる。成績が悪ければ下位リーグと入れ替えになる。白石も岡本もトップリーグには入れていない。

「目の前の一戦に集中するだけです」

 総太と古井は同時に吹き出した。あずき魔王がインタビューなどで多用するセンテンスだった。

「僕も残留目指してがんばるよ」

 中村は2位グループ、古井は残留争い。それぞれの戦いがある。そんな二人を総太はキラキラした目で(ゴーグルの中で)見ていた。


 二日酔いでムカムカする腹をさすりながら総太は出勤した。電車からバスに乗り換え、だいたい1時間くらいかかる。海沿いの工業団地の一角に『西二見ニシフタミ悪魔調整センター』がある。センターと言っても、地味に古ぼけたしょぼい事務所である。隣に特殊警察の車両やヘリコプターなどの格納庫・整備工場があり、総太専用の装甲車(77式特別調整装甲車)も車庫を間借りし、整備してもらっている。整備代は手数料の名目で税金がやりとりされている。たまにペンキの匂いがすごいことがある。

「おはようございます」

 ほとんど誰にも聞き取れない声で総太はあいさつした。足音を殺してデスクへと向かう。隣のデスクにはさぁさ、少し離れて上司の植田がすでに出社して座っている。二人とも天使である。植田のさらに上司の席はだれも座っていない。形だけの在籍で、ほとんど出社してこない天下り天使の席である。それが3つある。パートの事務員さんは午後のみの勤務なので、午前中はこの3人(天使二人、人間一人)だけのオフィスである。

「……」

 二人ともあいさつは返さない。聞こえていないのかもしれない。

「……テレビ……」

 誰へともなく、植田がつぶやいた。

「出てたわー」

 植田はマニキュアにふーふーと息をかけながら言った。150歳、人間でいうと15歳くらいの外見である。女性型である。前髪を直線で切りそろえ、眉毛がいつも薄い。

「はっ!」

 右隣のさぁさがオフィスチェアーを左にくるーんと回して総太の方へ向いた。

「総太! テレビで! ぷぷーっ!」

 半ズボンの少年が隣で思いっきり嘲笑している。

「さあこれから召喚! って時に、思いっきり『みなさんでジャーンプ!』ってゴキゲンな曲かけちゃってんのー!。ぶひゃひゃひゃげほげほげほ」

 その向こうで女子高生くらいの子が仏頂面でむくれている。そんな職場。


「総太君、ちょっといい?」

 植田が言った。こっちに来いということだろう。

「何この領収書」

 呼び寄せた総太の前の机に紙切れを投げ出した。

「え、経費で」

 使った経費は、まずは自分で立て替えて店に払い、後から事務所で精算するシステムである。精算(個人の口座に振り込まれる)には上司の承認が必要がある。

「居酒屋と、キャバクラ? 何のお仕事ですか?」

 あの後、古井と二人でもう一軒行ったのだ。

「接待ですよ。古井さんですよ? 理事ですよ理事」

 驚いた風を装った。イヤミを言われるだろうことは想定内である。

「居酒屋は、まあ分かるわ。魔皇帝に戦闘後にメシ食わせるくらいは」

 何と無礼な。

「おっさんと二人でキャバクラ? 魔皇帝は?」

「一軒目で解散しました」

 カラオケに誘ったが断られたのだ。疲れてただろうし。

「理事なのか知らないけど、キャバクラくらい自分で払え!」

 想定以上に怒っているな。

「あ、あれですよ、普通の、健全なキャバクラですよ」

「知るか!」

 領収書の内一枚を突き返され、ゴーグルに『申請は却下されました』とメールがすぐ来た。居酒屋代とタクシー代は承認された。タクシーで古井を送って帰ったのだが、さすがにそれは分かってくれたらしい。実際には、総太は独身な上に公務員で福利厚生が充実しており、キャバクラ代が経費で落ちなくてもそれほどのダメージではない。『タダ酒』か否かという、心理的な問題だけである。

 キャバクラの領収書を見つめながら自分の席に戻った総太に、さぁさが話しかけてきた。「キャバクラってどんなことするの?」

「90歳にもなって、そんなことも知らないのかい?」

 領収書を、捨てるべきか、古井と一緒に行った記念で取っておくか迷いながら答えた。

「天使がそんないかがわしいところ行けるわけないでしょ」

 いかがわしいことが行われている店、という認識のようだ。

「子供には……。フフフ」

「うわー!」

「うるさい!」


「さぁさちゃん、ちょっといい?」

 しばらくして落ち着いた頃合いを見計らって話しかけた。

「デジャブ?」

 植田のマネをしたのに敏感に反応してくれた。

「これって分かる?」

 白石にもらった資料を取り出した。仕事してるフリをして読んでみたが、さっぱり理解できない。

「……古代語?」

 さぁさは目をしばしばとさせた。言語は共通語だが、内容がちんぷんかんぷんだということだろう。

「リザードがどうのこうのって、白石さんに渡されたんだけど」

 さぁさがパラパラとめくる。不意に首をのけぞらせた。

「これは、まずいぜ」

「分かるんだ。さすが」

 無言で、二つ並んだグラフを交互に指さす。

「……?」

 数字の単位も、何の物質なのかも全く分からない。人間って馬鹿だなーという顔をされた。

「こっちが、公表されてるデータなんだあ。天使庁のホームページとかで」

 すごく分かりにくい書き方だった。言われてやっと理解できた。

「んで、こっちが実際に計ったときのデータ」

「え?」

 大きな声を出してしまった。慌てて植田を見たが、おやつのチーズケーキに夢中のようで安心した。

「うそのデータを、政府が?」

「スキャンダルね」

「で、どうやばいの?」

「スキャンダってるね」

「それあんまり面白くないよ」

「……何の物質なのか調べてみよう」

 デスクのパソコンを操作しだした。しばらく横で待っていたが、険しい顔をしたまま何も返事をしなくなったので自分の席に戻った。隣からはときおり『ウーム』とか『デジデジー』とかうなり声が聞こえてくる。


「……こうなったら最後の手段だ……」

 定時(一七時)近くまで粘っていたさぁさが聞き取れる音量でつぶやいた。

「そんなに入れ込まなくていいよ。分かんなければ、それはそれで」

 何だか悪い気がした。

「一日無駄にさせちゃってごめんね」

「いいよいいよ。どうせヒマだったし」

 それはそれで問題である。

「学校の同期に、超先端資源取扱主任の資格を持ってる奴がいる。聞いてみる」

「大丈夫?」

「いや、大丈夫でしょ? ちょっと興味があるんで教えてー、ぐらいの」

「反政府主義の悪魔から、悪魔調整士経由で来た資料だなんて、ばれたらかなりまずいからね」

「ホームページでも晒してるわけだし、問題ないない」

「聞き方気をつけてよ。うそのデータとか言わないでよ」

「この俺を誰だと思ってる? そんな凡ミス、今までしたことある?」

「はあ、まあ、そうか。しかし、ネットでそんなに調べても分からないんだなあ」

「マニアックすぎて誰も興味が無いんだよきっと」

 それ以前に、リザードがなんなのかもよく分からない。総太もパソコンで調べたが、『安全だ』ということ以外はぼんやりとして理解できなかった。安全だという割に、ものすごくへんぴな海沿いに施設が存在している。

「メールで聞いてみる。早ければ明日にも返事をくれるだろう。すごく真面目な奴だったからね。ものすごく真面目だった」


 翌日、上司である植田と、その部下総太は、天使庁へと呼び出された。

「何を、何をしたの何を」

 装甲車の助手席に乗っている植田は、顔面蒼白である。

「おっかしいなあ」

 恐ろしいことに、さぁさは匿名で質問していた。回答は総太宛に送るようにと。

「パパから、えらいことになってるって電話で」

 植田の父は偉い役人である。完全にコネだけで今のポジションにいる植田にとって、父親を巻き込む形の不祥事は致命的なのだろう。

「やはり何かおかしい。白石さんたちはそれに気が付いて、警告しようとしてたんだな」

「何? 白石? 聞いてないよね? 私は何も知らないよね?」

 朝一で飛び出してきたらしく、ノーメイクである。普段とだいぶ印象が違う。

「日報に書きましたよ」

 読んでないんすか?

「消せる?」

 隠滅っすか?

「ファイルにとじてあるから、印刷し直しましょうか」

 植田はすごい勢いで携帯を取り出した。

「もしもしさぁさ? 総太の日報のファイル分かる?」

 ゴーグル内で警告音が鳴った。電波を何者かに傍受されている可能性あり。ゴーグルを電工表示板モードにし、『盗聴されてますよ』と流れる文字で表示させた。

「はああ! あ、さぁさ何でもない。今日はトイレ掃除と草むしりを一日中ね。命令だから」

 携帯を切ると、ダッシュボードを思い切り蹴り上げた。

「危ないところでしたね」

「うるさい!」

 感謝どころではないようだ。

「私が私的に、悪魔から入手した資料、ってことにしましょう」

 植田に責が及ばないよう配慮する。なんて上司思いなんだ。

「実際そうでしょうが!」

 怒鳴る、というより絶叫である。すごい汗である。

「それにしても、質問したくらいでそんなに怒られないと思いますけどねえ」

 天使庁と一口に言っても、数限りない組織が存在し、数限りない高層ビルが建ち並んでいる。指定されたビルは、その中枢であった。黒くて、頂上はとんがっている。真っ黒に立ちこめている雲に突き刺さる形だ。装甲車の天井ハッチを開いて植田が見上げている。

「うわー!」

 一般の人間は近づくことも許されない。植田のような下級の天使でも、展望台に上るには紹介者が必要な上に、入場料も取られる。

「このビル? まじで?」

 植田が何度もカーナビと見比べる。

「虚勢を張りたいのは勝手だけど、税金で建ててんだよなあ」

 キャバクラくらいいじゃないか、と思った。


 もう、エレベーターとか、廊下のじゅうたんとか、すごいことになってます。

「ちょっと何してんの」

 ゴーグル内蔵のカメラであちこち撮影していたら怒られた。シャッター音は当然消しているので、キョロキョロする不審人物そのものである。

「それ、外して」

 ゴーグルを指さした。

「何でですか?」

「失礼でしょ!」

 ひそひそ声で怒鳴る感じで。

「これ駄目です」

「ああ?」

 薄い眉毛を段違いにされた。

「就業時間中は外しちゃ駄目なんですよ。法律で。いつ悪魔が来るか分からないから」

「こ、このビルに、悪魔が入れると思う?」

 応接室の前の廊下で、椅子(ソファー?)が置いてあるスペースに通され、呼び出した本人が来るのを待っている。植田は、緊張やら、部下への怒りやらで極限状態らしい。

「法律ですから、そういう柔軟な発想ではやってませんし」

「何か言われたらすぐ外してよ。こう、『なにそれ?』みたいな視線でもすぐ外せよ」

「えー。顔を覚えられたくないんですけど」

「それが本音か。今すぐ外せ。ならば」

「もっと他に心配するべきことがあるような気がしますけど」

 廊下の角の向こうから、足音が聞こえてきた。ボクボクと、迷い無く、余裕があり、隙が無い。硬い靴底で、心地よくじゅうたんを叩いている。総太くらいの人間だったら靴だけであっさりと殺されてしまうだろう。まったく次元が違う足音だった。

 角を曲がらずに通り過ぎた。一瞬だけ見えた。黒いショートヘアに、スーツ姿、女性であった。

 金色の仮面を着けていた。目と、鼻の上のあたりを覆っている。鼻と口は出ているので、薄いゴーグルとも言える。変わっているのは、目がデザインされていないのだ。金色の板に模様が彫刻してある。バラの花とトゲが絡み合うような模様に見えた。どこから外が見えているのか不思議だ。金属の板で目隠しをしたまま歩いているような印象を受けた。

「通り過ぎちゃった」

 戻ってきた。威厳が台無しだ。

「あ……」

 植田は絶句した。知っている人(天使)だろうか。

 そして総太は狼狽した。ゴーグルが警報を鳴らしているのだ。全ての項目で『未確認』と表示されている。あり得ないことだ。データベースに存在しない天使。エラーかもしれないが、さぁさはトイレ掃除で席を外しているらしく応答がない。ピー。『ただ今、上司の不条理なパワハラによりトイレ掃除をさせられているため、電話に出ることができません。ご用のある方は……』その後ろの方で薄く『職場にはー、それはそれはー。理不尽な上司がおるんやでー』と自作ソングが流れている。いつの間に録音したのだろうか。

「ごめんねーわざわざ。ささ、入って入って」

 落ち着いているが、どこかひょうきんな声だ。


「名刺」

 女性はどっかと応接室のソファーに腰掛けると、総太らに手を差し伸べた。『名刺をよこせ』という意味だろう。二人は慌ててポケットなどを探った。

「ににに、西二見悪魔調整センター、副センター長の植田と申します。どうもこの度は誠に」

「あ、いいから」

 さっと名刺を奪うと、持っていた携帯でカシャと撮影した。名刺リーダーが内蔵されているのだろう。

「はい笑ってー」

 そのまま携帯を植田に向ける。反射的に小首をかしげ、Vサインをし、にこっと笑った。これもカシャと撮られた。名刺と写真とを結びつけてデータ管理をしているらしい。こんなに堂々とできるものだろうか。写真を撮るときにのぞき込むような仕草をしていた。仮面越しに見えているようだった。小さなカメラでもあるのかもしれない。

「君はいいや」

 総太は名刺を受け取ってもらえなかった。差別もこんなに堂々とできるのか。

「悪魔調整士だよね」

 逆にふられて余計に驚いた。何で知ってるの?

「そのゴーグル、私が作った。知ってた?」

 指をパチンと鳴らすと、『未確認』だった項目が次々と更新されていった。統括官。特級天使。名前はあずき。年齢は『ヒ・ミ・ツ』。

「と、統括官、ですよね……」

 植田が呆然としながら聞いた。こちらは名刺をもらえないらしい。

「イエスです」

 顔の横で手を二度打つと、ドアが開いてコーヒーが運ばれてきた。風のようにしなやかに入ってきた。これも相当強い天使なんだろう。


「このゴーグルって」

「この度は誠に申し訳ありませんでした。今後はこのようなことがないよう、厳重に注意いたしますので、なにとぞよろしくお取りはからい」

「私作ったよそれ。プロトタイプだけどね」

「そうなんですか? 基本設計したのは謎の天才だ、って」

「ひとえに私の監督ふゆ、ふゆき、ふゆきとどき」

「よく言われる。ミステリアスって」

「すごい、こんな偉い人が、悪魔資源活用計画に関与されていたんですね」

「あの、すみません」

「人じゃなくて、あく、いや、天使ね」

「あ、すみません」

「すみません」

「謝り過ぎてない?」


 あずき統括官はコーヒーを一口飲んで、息を大きく吐いた。

「私も、全ての事業の隅々まで把握してない」

 金色の仮面プレートはそれ自体が発光しているかのようだ。

「今回のこれも言われるまで気付かなかった」

 例の忌々しい資料を見る。ひもで綴られている。

「悪魔調整の方は立ち上げから関わっていられるのですか?」

 話の腰を折るのはどうかと思ったが、悪魔調整士としてはやはり気になる。

「おおよ。気合い入れましたよ」

 腕を組んでソファーの背もたれに寄りかかった。

「大学に学部を作ったでしょ。資格も作ったし、機関も、あ、悪魔連盟との契約書も私が下書きしたからね」

 総太は中ぐらいの大学の悪魔学部を卒業し、一級悪魔調整士や甲種悪魔召喚士などの資格を取った。資格のおかげで採用もされた。

「そうでしたか! お目にかかれて光栄に存じます! 人生の恩人ですね!」

 運命的なものを感じた。

「ふふ……」

 あずきは(おそらく)寂しそうに笑った。

「世間では、まだまだ悪魔への風当たりは厳しい。悪魔のイメージアップも、調整士としての大切な仕事だから。頼むよ」

「了解しました!」

「君は人間にしては中々優秀だから。大学のころから気にかけていたんだよ」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 会話に入れない植田がブンむくれている。

「お礼なら君のお祖父さんに……、いやなんでもない」

「?」


「話を戻してしまおう。そうしよう。私もこのような資料は見たことがなかった。全ての事業を監視することはできない。リザード関係も、ちゃんと仕事をやってるって思いこんでいたよ」

 あずきは体を前に倒し、テーブルに肘を突いて指を組んだ。

「植田副センター長、経緯を説明したまえ」

 植田の背筋せすじがビクンと伸びた。

「そ、それがその、わ、私は何も知らなくて、ですね」

 これが、しどろもどろ、だ。

「これに控える、総太と申すものが、私的に勝手にやったことでして、その」

「そうなのか?」

「え、ええ」

「私的に? メールを超しげ主任(超先端資源取扱主任の略)に?」

 困って植田を見た。さぁさの名前を出していいものか。

「まあいいや。では総太一級悪魔調整士、君の用意したストーリーを聞かせてくれ」

 総太はこれまでのいきさつをかいつまんで説明した。白石の政治活動。中村との戦闘後に渡された資料。悪魔連盟理事の古井も気にしていたこと。

「その後でキャバクラなんか行ってんですよこいつ」

「最低」

「なんで今言うんですか」

 あずきは腕を組み、「のりりんはどこから資料を手に入れたのだろうか」とつぶやいた。『のりりん』とは白石の愛称である。かなりコアな悪魔ファンじゃないと知らない情報だ。


「あの、質問よろしいですか?」

 しばしの沈黙の後、総太が聞いた。

「なんだい?」

「リザードっていうのは、何なのですか?」

 あずきと、植田も「はあ?」と言った。植田知ってたのか。

「私もよく分からないな」

 あずきは口元をニヤリとした。

「植田君、知ってる?」

「え、ええ、実は私もよく知らないのですが」

 はあ?

「何か、防衛施設、ですよね?」

 植田はおそるおそるあずきに言った。

「あ、防衛って、兵器?」

 それがなぜあんなに分かりにくくされているのか。

「特殊で、危険な兵器ってことですか。それならトップシークレット度合いも理解できるし、白石さん達が騒ぐような危険なものが使われているってことなら合点がいきます」

 一人で勝手に納得してしまった。なぜか発電施設だと思いこんでいた。

「配備するのに、周辺の住民がすごく反対したり、国際的にも問題になったりした記憶はありますね」

 ちなみに現状は、隣国と戦争などはしていない。抑止力のようなことだろうか。

「そんなに危険だとは聞いてない。データを改ざんするとかありえない。資料が流出したのは、たぶん内部告発だと思うけど……」

 内部の人間が、意図的に白石らのグループに情報を流した、と。直接天使庁に送ると早めに抹殺されてしまう(今の総太たちのように)と予想したとすれば、考えられる話だ。


「よし、決めた」

 急にあずきが大きな声で言った。

「内部はこっちでぼちぼち調べるから、そっちは実地を見てきてくれる?」

「そっち、って?」

 素で聞き返してしまった。指さされた。

「見て、くる?」

 なんで? 俺が?

「しがらみも無いし、危なくなったら悪魔に助けてもらえるし、遊撃隊としては打って付けじゃない」

「ちょっと待ってください」

 毅然とした態度を取らなければならないと思った。危険だと言われてるのに、なんでわざわざ実物を見に行かなければならないのか。

「私は悪魔調整士ですから。悪魔に関係してるなら使命感もありますけど、偉いさん方での話を持ってこられても困ります。公務員がやったことは、公務員が片を付けるべきです」

 がんばって不快感を示そうとした。

「……お前……」

 あずきはのどの奧から声を出した。

「……お前も公務員だろうが……」

 歯ぎしりしながら言った。

「植田君」

「はい?」

「こうなったら君の父上から説得してもらうしかないか」

「はああっー!?」

 植田は体を回転させ、総太へ向き直った。

「総太君、行こう! ここは、行こう!」

 圧力をかけてくる。心なしか目が潤んでいる。

「父上?」

「ほら、君、戦車とか、戦闘機とか好きでしょ? いいなー間近で見れて」

「別に、装甲車フェチではありますけど」

「ね! 装甲! 好きだもんね!」

 こんなに強引な植田は今まで見たことがない。父親が弱点なのか。

「そら、どうした」

「見に行くだけだから! 戦闘とかしてないから! 平和! ほんと!」

 楽しいのでもう少し見ていたい。

「あ、なんだったら、古井と一緒に行ってー、帰りにキャバクラとかピンサロとかありだしー」

 その辺はごっちゃになってるのだな。

「有給も取っていいですか?」

「あははは! 休め休め! リザードを見に行って統括官に報告した後だったら、いっくらでも休めばいいじゃない!」

 そういう場当たり的な仕事の進め方が、後々自分に返ってくるのに。


 結局、明日、総太はリザードを視察することになった。アポは統括官経由で取ってくれるそうだ。時間にして三十分ほどだったが、印象深い面談となった。

「お父さんって、怖いんですか?」

 帰りの車中、ぐったりしている植田に聞いてみた。

「死ぬかと思った……」

 質問には答えなかった。うつろな目をしている。

「これは、早引けだな」

「まだ午前中ですよ」

「明石デパートの前で降ろして」

 サボって買い物か。まあ、こちらも気が楽だが。

「明日、くれぐれも、絶対に行くように」

「行きますよ。行っきゃあいいんでしょ。古井さんもOKとのことですので」

 今度は正式なオファーをした。報酬を払っての護衛してもらう。別に古井でなくてもいいのだが、先方も気になるところがあるらしく、自ら出動するという。第一人者を護衛にするなんて、贅沢な出張だ。

「おみやげね。おみやげ」

「私がいつ、出張に行っておみやげを忘れたことがあるでしょうか。いつも買ってきてるじゃないですか」

 基本的に、日持ちするお菓子である。あまりおいしくないやつ。

「まんじゅう禁止」

 こわいわけではないらしい。


「しっかし、遠かったね」

 タクシーを降りた古井が背伸びをした。高速鉄道の駅から、タクシーで一時間はかかった。トータル三時間。移動だけで。

「たくさんお話ができて、私は嬉しかったですよ」

「ないしょだよー」

 ゴシップや裏話、人生哲学も聞けた。総太にとっては至福の時間であった。

 コンクリートの高いバリケードの向こうに、立方体(正六面体)の建物が見える。うさんくさく空や雲がペイントされている。不気味な明るさがある。

「この中にリザードが入ってるのか」

 ゴーグルでサーチしても何も分からない。報告書のための写真を撮る。ちなみにさっきからGPSのインジケーターが点滅している。何者かがGPS機能を使って、総太の位置を確認しているのだ。おそらく植田がさぁさに命じているのだろう。ずっと監視されている気分である。

 門は厳重に警備されている。受付に身分証明書を見せたり、何か色々書かされたりした。事前にあずき統括官から話が行っているはずなのに、この煩雑な手続き。

「あ、悪魔?」

 古井さんの書類を見た警備員が驚愕している。無理もない。普通に入ってきたからな。


「いやー、どーもどーも」

 いかにもサラリーマンなセリフと共に一人の男が寄ってきた。

「遠いところまではるばる、ようこそおいで下さいました」

 体の線がやたら細い。そして、髪の毛が、両サイドでとんがっている。顔色がものすごく悪い。

「悪魔調整士の総太です。こちらはAクラス悪魔で、悪魔連盟理事の古井さん」

 ゴーグルの測定によると、この男は天使だ。悪魔そのものの外見のくせに。

「悪魔を従えて来られるなんて、さすがは統括官直々のご指名でございますね」

「従ってはないけどね」

「私はこういうものです」

 名刺を出してきた。口で説明せえよ、面倒くさい。

「……予防防衛機構、超先端技術安全保安推進部、の副部長でいらっしゃる」

 漢字が羅列して頭がぼんやりとする。ネットで調べてても、ずっとこの調子なのだ。

「斉田と申します」

 腰は低いが、プライドは高そうだ。

「やっぱりあれですか。部長は名ばかりで、副部長が実際の担当者っていう」

 うちの悪魔調整センターもなんです。

「いえ、いますよ部長」

 ほう。

「ただ、本日、用事が入っておりまして、なにぶん急なお話でしたので」

「ご出張でしたか」

「いえ、普段は、こちらに在駐はしてないです」

 いけしゃあしゃあと言ってのけたよ。

「それは、危険だから?」

 古井が堂々と聞いた。

「とんでもない! このリザード施設がどれほど安全なものか、今日はタップリと見学していっていただきますよ!」

 そして、普段は官庁の近くにある本社に駐在していて、何かあったら偉い人とすぐに協議できるようにしているそうだ。

「それならもっと近くに建てればいいのに」

「防衛施設ですから、国境に近くないと意味無いですよ」

「それもそうか! ハハハハハ!」

 総太は笑ってごまかそうとした。

 

 『リザードしりょうかん』というフロアに連れて行かれた。無駄に天井が高く、無駄に造りが派手で、高価そうな材質である。あちこちに怪しげなキャラクターがうごめいている。こんな僻地に子供連れが来るはずないだろう。税金をなんだと思っているのか。予算を使い切ることしか考えてないんじゃないか。ああ嘆かわしい。

 そして先ほどから古井の様子がおかしい。具合が悪そうである。

「大丈夫ですか?」

 悪魔が体調を崩すなんて聞いたことがない。

「うん、ちょっと気持ち悪い」

 お腹をさすっている。総太本人は特に異常は感じない。

「やっぱり、何か悪い物質が出てるのかも」

「どっちかっていうと、吸い取られるような感じかな」

「パワーを?」

「うーん」

 案内している斉田には聞こえていないようだ。パネルの前で止まった。

「これがリザード本体のイラストです」

「え……」

 二人は愕然とした。

「に、二足歩行……?」

「ふ、フルアーマー……?」

 人間型の巨大ロボットが、装甲を身にまとっている。顔だけトカゲのようになっているが、それ以外は戦闘ロボである。

「かっこいいでしょう?」

 斉田が得意気に言う。イラストなので、手に持ったライフルからビームが出ている。他にもいっぱい武器を装備している。

「何と戦ってるところですか?」

 笑わせようとしてるのか?

「これは、未知の宇宙生命体が飛来してきた場合を想定しています」

「そいつは頼もしいな」

 まあ、想像で描いたイラストだからね。

「現実にならないことを願うばかり」

「全長は?」

「14メートルほどです」

「思ったより小さいな」

 18メートルくらいありそうなイメージだった。

「この武器は、実際に装備してるの?」

 古井が聞いた。どういう仕組みでビームが出るのか総太も興味がある。

「してますよ。この、肩のふくらんでる部分にジェネレーターがありまして……」

 しばらく説明されたが、専門用語が多くて全く理解できなかった。古井もあくびをこらえている。

「で、人が乗って操縦するんですか?」

「あはは、人は乗りませんよ」

「天使?」

「天使も乗りません。自律式ですから。専用のパイロットが必要だと、汎用的に投入できないでしょ」

 そ、そうかな。

「遠隔操作とかでもなく?」

「はい、完全に自分で考えて行動します」

「それって大丈夫なの?」

「大丈夫もなにも、そういう生き物ですからねえ」

 総太と古井は大きく口を開けて、停止した。

「生き物!?」


 次のフロア、『リザードが実践配備されるまで』。

「こちらをご覧下さい。初めてリザードが発掘された時の写真です」

「生き物なのに、発掘?」

「超古代文明の遺跡で発見されました。長生きでしょー」

 数万年前から生きている?

「生き物と言っても、ほとんど機械ですけどね。すごい技術です」

「生きている機械か。ロボ生体って呼ぼうよ」

 具合悪いなりに興味はあるようだ。

「はい、こっちです。こちらの写真は、初めてリザードの制御に成功した時のものです。研究者の血と汗の結晶です」

「一個飛ばしたよ、写真」

「なにこのでっかいクレーター」

「それは関係ないです」

 じゃあわざわざ展示するな。

「どうやって制御するんですか」

「歌です!」

 ちょっと溜めて言い放った。自信がある角度のようだ。

「移籍から一緒に発掘された石版に描かれていた文字を解読した結果、リザードは特定のメロディーと歌詞に決まった反応をするよう、設計されていることがわかったのです!」

「歌詞もいるの?」

「発音までは解明できました。意味は分からないんですけどね」

「攻撃のテーマとか、休憩のテーマとか?」

「そんな感じです。その、休憩させておくと言うか、眠らせておくのが、実は一番大変なんです」

 嬉しそうな、困ったような顔をしている。総太はだんだんハラハラしてきた。

「どういうことでしょうか?」

「一度起動すると、その後は周りをみさかいなく攻撃するのです。完全に止まるまで数百年かかります」

「なにそれ……」

「そんなもの、なんでさっさと破壊しないんですか?」

「もったいない! 破壊なんてとんでもないです! あんな素晴らしい技術を!」

 科学者にもいろいろいるんだろうなあ。

「それに! 破壊したくてもできません」

「なんで?」

 ハラハラが増しています。

「強いんですよー」

 ささやく声で言った。おどけている。

「天使より強い? 軍よりも?」

 天使が自ら戦うことはほとんどない。大抵は権力闘争に終始している。

「軍なんて目じゃないです! たとえ上級悪魔といえども……」

 ちらりと古井を見た。

「たとえ上級悪魔が束になってかかってきても、決して負けません」

「それはない」

 総太は鼻で笑った。

「悪魔同士が連携したり、共闘したりするなんてありえません」

「そっちか」

 悪魔同士は仲が悪い。先日、中村と古井が同席したのなんかは非常にまれなケースだ。

「ずいぶんな自信ですが、根拠はあるんですか?」

 プライドを傷つけられた古井が聞いた。

「それはヒミツです。言えない言えない。国家機密レベルです」

 おどけてるというよりふざけている。


「で、どうやって眠らせてるんですか?」

 起きると攻撃しだすという。

「こちらの部屋で説明しましょう」

 防音の扉を開いた。音楽室のような感じだ。薄暗く、シャンデリアがかすかにきらめいている。

「これは、子守歌?」

 古井がキョロキョロとする。総太は衝撃を受けていて、構っている余裕がなかった。

「こ、この声って、歌姫、ですよね?」

 興奮が抑えきれない。

「僕、大ファンなんですー!」

 毎日聴いている。装甲車で。悪魔召喚の演出で間違えて曲をかけたこともある。

「悪魔ファン以外にも趣味があるんだね、あ、いいことだと思うよ」

 古井は総太のミーハーぶりに少し呆れているようだ。

「そうです! 歌姫制度は、ここに生かされてるんですねー」

 歌姫制度については、実は総太も良く知らない。『歌姫』という称号を名乗るには、色々な条件をクリアしなければならないとか、その程度だ。歌姫になれば、政府に手厚く保護してもらえる。テレビに出たり、ライブなどを国営で行ったりする。女の子のあこがれの職業である。

「一日に一回、『癒やしの歌』を聴かせることによって、リザードを安定的に制御できるのです」

 生歌が毎日聴けるなんて、うらやましいな。

「僕、聴いたことないや」

「マジですか? 超いいっすよ! 私、ファンクラブも入ってます!」

 ファンクラブに入ると、ライブのチケットを優先的に予約できたり、オフィシャルグッズを通販で買えたりする。

「かわいいの?」

 おいおい、勘弁してくれよ。この声を聴いて分からないのかい?

「ったく、しょうがないなあ」

 ポケットから携帯を取りだそうとした。待ち受けにブロマイドを使っている。悪魔調整グローブのせいで中々出てこない。指が太くなっているのだ。

「ああ、この子か」

 部屋の壁にポスターが貼ってあった。何のために?

「おすましして座ってるけど、根は明るそうだな」

「さすが古井さん、よくお分かりで。実際はすごく明るくて楽しいです」

「会ったことあるの?」

「いえ、ライブとか、ラジオとかで」

 直接会えるわけない。イベントで握手会などする格ではないのだから。

「こういう子がタイプなんだ。隅に置けないねー」

「やめてくださいよ」

「中村さんに言いつけるぞー」

「それだけは堪忍してください」

「この浮気者めー」

「……そろそろよろしいですか?」


 結局、リザード本体は見ることができなかった。案内してくれた斉田と別れ、総太と古井は併設されているレストランで食事を取っている。

「ああ、だいぶ落ち着いてきた」

 三杯目のカレーを食べ終えた古井が言った。

「具合、良くなってきましたか」

 それはポジティブなことだ。

「腹減ってしょうがなかったからね」

「え、原因はそれですか?」

「はは、でも今までこんなこと無かったけどなあ。朝飯もちゃんと食べてきたのに」

 総太が半分食べたピザに手を伸ばす。

「で、レポートはいいの書けそう?」

 後であずき統括官に提出する報告書のことだ。

「どうですかねえ。ちょっと材料が足りないかなー」

 古井はピザのチーズをニュルーンとさせながら小さく頷いた。

「一日一回、歌姫の『癒やしの歌』が途切れると、暴走するリスクがある」

 歌詞の意味は分からなかった。独特の発音であった。子守歌のような曲調だった。

「暴走すると、軍隊でも歯が立たないほど強力である。どのようなスペックなのかは国家機密なので一切オープンになっていない」

 上級悪魔でも勝てないと言い切った。

「装甲が硬いのかなあ。大きさから言っても、例えば岡本君のビームとかで吹っ飛びそうなもんだけどね」

 今度はラーメンの麺を持ち上げてフーフーしている。

「古井さんのハンドミサイルでもひとたまりもなさそうですよ。だいたい、顔がかっこわるい。は虫類顔で」

 写真パネルで見た限り、あまり強そうではなかった。

「それくらいは統括官もとっくに押さえてるだろうなあ……」

 総太は食後のコーヒーを一口飲んだ。これからスパイ的なことをしても、警備は厳重すぎるし、もし捕まったら後から統括官に迷惑がかかる。

「となると、他に行く場所はあそこしかないんじゃない?」

 古井が窓の外を指さした。そこには『リザードぷれいらんど』の看板が掛かっていた。


 数日後、総太は有給を取ることができた。提出したレポートはさんざんケチを付けられたが、植田の必死の添削のおかげで、なんとか統括官に提出するまでに至った。半日以上、遊園地で遊んでいただけなので圧倒的に資料が足りなかったのだ。おみやげの「リザードくんストラップはすこぶる不評であった。

「運命的なものを感じるよなあ」

 今日は歌姫のライブである。有給が取れてよかった。街の中心にある、大きな多目的ホール。総太が到着するころには、ライブグッズを買うための長い行列がすでにできあがっていた。

「……やっぱり、ライブとかに来ると、ファンの人数の多さを実感させられるよなあ」

 さっきから一人ごとを言っている。休日なのでゴーグルをしていない。情報も表示されず、さぁさによるナビゲートもないので、ものすごく不安なのである。ライブでもない限りゴーグル無しで出歩くことなどまずない。楽しいライブ会場で不気味な悪魔調整士が座っていたら周りのファンが盛り下がるだろうという心遣いである。

 目当てのグッズは無事に購入できた。ストラップ、マフラータオル、スリッパ、そしてなにより、ライブ会場限定CD! うおお! 保存用と普段聴くようの二枚ゲットしたぜ!

 会場の中に入り、チケットをもぎられる。席番号を目印に行くが、先にトイレに行くのが経験者の知恵だ。荷物を座席に置いておくのは不安なので。

 席はどんどん埋まってくる。始めは開いていた隣の席にも、若い男性が座った。大人しい感じで、歌姫のファンはだいたいこんな人種だ。逆の席にはカップルが座った。ちょっと腹立たしかったが聞こえてくる会話がとても初々しい様子だったので祝福することにした。

 隣の若い男、さっきから様子がおかしい。受付で渡されたサイリウムをしげしげと眺めている。初めてなのか? 使い方が分からないのか? 一緒にビニールに入っていた紙にやり方が書いてあるだろうに。

 とうとう、プラスチックのフタを取ろうとしている。飲み物かなにかだと思っているらしい。隣でライブ前から発光されては適わない。気が散って集中できない。総太は意を決した。自分に渡されたサイリウムと説明文書をそれぞれ手に持ち、にこやかに話しかけた。

「あのーすみません。これのやり方は、ご存じ……、はあぁ!」

 隣に座っていたのは岡本だった。Bクラス悪魔。狙撃してきたやつ。

「あ、はい? あ、これ、何だろうと思って」

 へへへっ、と岡本は顔をくしゃっとした。

「え、あ、これ、折ると光るんすわ。パキッと折れるんで」

 虚を突かれ、総太の口調もぶれている。

「あ、ライブDVDなんかで、みんなで振ってるやつだ!」

 すごくピュアなんですけど。

 他人のそら似かもしれない。Bランクとはいえ実力的には中村や古井とも十分渡り合える若手ホープが、人間のライブに、普通に観に来るかね。一般の席だし。

 気になるどころの話ではない。せっかくのライブが台無しになりかねない。いや、本物かどうか気にしながらだと楽しめないだろうということであって、岡本が嫌いという意味ではない。

 カバンからそーっとゴーグルを取り出す。なんかすごい速さで赤いランプが点滅している。上級悪魔接近警報だろう。もう分かっってるけど一応かけてみよう。

『総太ー! 応答しろー!』

 さぁさが絶叫し続けていた。いい奴だ。

『肩と肩がぶつかる距離だよー! 死んじゃうよー!』

 左向きの矢印も出っぱなしである。ゆっくりと左を向く。『岡本・Bランク悪魔・不許可出現』とでっかく画面いっぱいに表示された。まあ、そうだろうな。

 岡本も隣が騒がしいことに気が付いたようだ。振り向いて「あぁ!?」という顔をした。

「悪魔調整士? なんでこんな所に……」

 慌ててメガネをかけた。もう遅いですよ。

「岡本さんこそー。どうしたんですかー」

 ゴーグルを外しながら言った。さぁさには『私が岡本さんの代理で出現許可書を悪魔連盟にメールで送ります、心配しないでください』とメールしておいた。

「べ、別に悪魔がライブ観たっていいだろ」

「許可さえ取っていれば問題無かったんですけどねー」

「何の許可?」

 知らないのか。

「悪魔連盟に、いついつ出現します、って、書類で」

「あーあーあれか! 出したことないわ」

 それで古井さんの方で所在が掴めないんだ。本人に悪気は無かったようだ。

「もうBランクなんですからね! 来年はAも、いいえ、タイトル挑戦だって射程圏内なのに、もうちょっとちゃんとしてくれないと」

 タイトル奪取、は射程外、かなあ。

「ああ、俺はそういうのじゃないから」

 めんどくさそうに答えた。ロック気取りめ。

「ライブは初めてですか?」

「いや、何回かあるよ。これは初めてだけど」

 サイリウムを振って見せた。ある回とない回がある。

「僕なんかデビュー当時のころからファンクラブに入ってますからね!」

 会員証を見せる。96番。かろうじて二桁なのが誇りとなっている。

「なにそれ」

 のぞき込まれた。

「ご存じない? よくチケット手に入りましたね」

「え? あ、ああ、知り合いに譲ってもらった」

「あー、なるほど」

「なんだよ。別にやましいことはしてないぞ」

 オークションとか、ダフ屋とかはやめましょう。


 ライブ終了後、総太は岡本と共に夜中も開いている喫茶店に入った。反省会である。

「いやー。すごかったー」

 総太はテーブルに突っ伏した。

「やっぱライブっすわー」

 堪能したのだった。浮遊感すら得られた。ピークエクスペリエンスである。

「生で聴くと全然違うのなー」

 岡本はうっとりとパンフレットの表紙を見ている。噛み合わない会話を三十分ほどだらだらと繰り返している。

「しかし、岡本さん、がねえ」

 大スクープである。悪魔ファンのコミュニティーにおいて、今年の十大ニュースに必ずノミネートされるだろう。

「いや、あのさ」

 岡本は顔をさっと上げた。

「しゃべったら、殺すよ」

 そして、しばらくの沈黙。

「え? なんでですか? すごく素敵なエピソードじゃないですか」

 特ダネがおじゃんになってしまう。

「いいから」

「えー。そこを何とか、何とかなりませんか」

 総太がここまで食い下がることは珍しい。基本的には悪魔の言うことは無批判に受け入れる。岡本の親しみやすいパーソナリティーがそうさせるのだろうか。

「だーめ」

 ごそごそとグッズを取り出し、テーブルに展開している。

「あれ?」

 総太は目を輝かせた。限定CDが無い。買い逃したのか?

「CDは? 買えなかったんですか?」

 開場してすぐに売り切れたとアナウンスがあった。そして総太は二枚持っている(褒められた行為ではないが)。これは、恩を売るチャンスか?

「じゃーん! これでーす!」

 両手で捧げ持って左右に振って見せた。歯ぎしりして悔しがるがいい!

「あ、それは持ってる」

 またしても沈黙。CDだけが空しく宙を泳いでいた。

 ……これは大事件だ。

「なんで……」

 総太の指が震えている。

「なんで、今日だけライブ会場限定発売のスペシャルCDを、事前に手に入れているのですか……」

 岡本は「あ、やべ」という顔をした。

「関係者に、いるんですね? 知り合いが」

 発売前のCDを持ってるなんてことは、あってはならない。

「いいじゃん別に」

「岡本さんっ!」

 総太の声は静かな喫茶店の中で響いた。

「うるせーな。殺すよ」

「あ、すみません」

 調子に乗りました。

「関係者っていうか、この間、何かのついでにもらったんだよね」

「だれにだれに?」

「だれ……」

 岡本は斜め上を見上げた。

「あ、前の、お前もいたじゃん」

 だれかと間違えていませんか? いや、待てよ……。

「白石さんの時?」

「そうそう」

 ものすごく遠いビルの屋上から狙撃してきただけじゃないですか、とは言えなかった。常人とは距離の感覚が違うのだろう。

「あん時にもらったよ」

「だから、だーれーにー?」

「え、白石に」

 当然だろう、といった感じだった。

「へー」

「いや、そういうんじゃないから。勘違いするなよ」

 白石が歌姫と繋がっているという情報。歌姫はリザードのために設置された制度。白石からもたらされた極秘情報。

「あの資料は歌姫陣営から漏れたのか……」

 ということは一緒にCDも渡したのだろう。のんきなものだ。

「同じ事言うけど、しゃべったら殺すからね」

 そうだった。

「こっちはこっちで、天使の統括官とか、上司とかからプレッシャーかけられてるんですよ」

「知らんがな」

「すごくいいヒントなんだけどなー」

 岡本は「へー」と言って、ストラップをキーホルダーに付けたりしている。

「リザードについては、何か聞いてませんか?」

「そりゃ、まあ」

 白石と共に政治活動をするくらいなので。

「そんな毎日毎日、歌ってられないだろ」

「え?」

 歌姫の視点から。

「嫌がってるんですか?」

「嫌っていうか、しんどいんじゃないの? 直接聞いたことはないけど」

「それで、『なんとかしてくれ!』って、禁断の悪魔召喚を?」

「言い方に気をつけよう」

 資格を持ってない人が悪魔と交渉するのは法律で禁じられている。歌姫という公の立場のものが悪魔と関係を持つのも問題である。

「俺や白石より、車谷の方が詳しいよ」

 違う名前が出てきた。白石の兄弟子である。

「車谷さんが反政府組織の首謀者でしたか!」

「『リザードの問題点を考える会』くらいにしておいて」

 車谷もBクラスだ。あまり熱心に大会に参加するタイプではない。実力はあるという噂だが。

「俺はアルバイト感覚で活動してるよ。収入があって助かってる」

 岡本は楽器店でアルバイトをしながら友人達とバンドをやっている。経済的には恵まれてない印象を受ける。

「白石さんの護衛ですか」

「何もしなくていい時もあるし。この前みたいに一発で終わることもあるし」

 そして二人は同時に思い出した。

「お前、悪魔が戦ってるのに、むやみに口出しするなよ」

「そっちこそ、二対一は卑怯でしょう」

「俺は、お前を心配して言ってやってるんだ。人間がしゃしゃり出て『うるせー』つって撃たれても文句言えないだろ」

 あ、優しい。

「普段はしないですよ。あのときは公式戦じゃなかったし、岡本さんなら許してくれるだろうって読みもありましたし」

 ちょっと気がゆるんでいるところもあるかも。

「ああ、俺でよかったな」

 頼りない先輩のようなコメントを発した。

「白石さんも、結局は人間を怪我させたりしてないし、いい人ですよね」

「いい人かどうかよく知らないけど、怪我はまずいだろ。賠償がどうのこうの。あと、ものを壊しすぎるな」

 確かにビルや道路が穴だらけになった。

「岡本さんもビルごと吹っ飛ばしたじゃないですか」

「大げさ大げさ。崩れてないから」

 請求は悪魔連盟に行く。古井の頭を悩ませている。政府から裏で補填されるから、結局は税金なのだ。

「あれが当たったら魔皇帝はどうなったか、それが分かるいいチャンスだったのになあ」

「いやいや、どう考えても勝ちでしょ。当たりさえすれば」

 チクリとさせたら岡本の眉がピクリとした。

「当たるさ」

 すねた感じで。

「あの技。チョーキングミラ。威力は大きいんですけど出るまでの隙も大きいんですよねー.

ましてスピードスターの中村さんに当てるのは」

 すごく悲しそうな目でこちらを見ているので、総太は言葉を止めた。

「あ、ま、一か八か、ね」

 頼まれたわけでもないのにフォローを入れた。

「で、車谷さんって、連絡つきます?」

 さりげなく探りを入れたい。

「連絡してどうする」

 岡本は脚を組んでいる。

「え、気になるじゃないですか」

「お前、関係なくない?」

 総太はひどく驚いた。

「そういえば、そうですね!」

 なんでわざわざリスクに向かっていくのか、我に返った。

「思い上がってましたかね」

「気をつけろよ」

 何気なく気を遣ってくれる。ファンの間でも人気は高い。その優しさゆえに勝負に徹しきれず、ここ一番に弱いのだ。

「歌姫はリザードのために歌うのに嫌気がさしていて、車谷さんに極秘資料を漏らした。妹弟子の白石さんが広報をしている。岡本さんはバイトで護衛、と」

「だいたいあってる」

「どこか違いますか?」

「歌姫がモチベーションを下げているとは聞いてない。今日のライブも良かったじゃん」

「相手がリザードかどうかに関わらず歌うことが大好きって感じですもんね」

 ファンクラブ会員だけ読めるブログにも『歌うことが好き』というセンテンスは頻繁に出てくる。

「毎日毎日、時間を取られるのが嫌なんじゃないのか。俺も詳しくは知らないが」

「ああ、だんだん分かってきた」

 そしてどんどん気分が重くなってきた。

「恋人と過ごす、プライベートの時間がない、ってこと?」

 岡本は否定も肯定もせず、肩をすくめた。

「特に人間は、与えられた時間が短いだろ? 車谷も焦ってるんだろうな」

 総太は天を仰いで「うわああー!」と吠えた。他の客や店員に見られた。

「会ったこともない車谷さんへの嫉妬で、僕はどうにかなってしまいそうだ!」

「しー! うるさいっ!」

 さっきまで宝物だったパンフレットをぞんざいに放り出した。

「こんなにも愛しているのに……」

「ま、まあ、まだ振られたって決まったわけじゃないし」

 岡本のフォローは全く的外れであった。

「やる気がさらになくなった。どうでもいいっすわ、リザードなんか」

「ふてくされちゃったよ」

「ちくしょおおおー!」

「うるさいって!」


 深酒をした翌日、二日酔いのまま事務所に呼び出された。事務所は平日なら毎日行くことになるので呼び出されたというのはおかしいか。いつもよりかなり早い時間なのだ。

『至急! 大至急来なさい。あずき統括官がお待ちです』

 今度は統括官が向こうからやってきている。しかも朝早くに。先日、庁舎に呼び出されたときよりも緊急度が増している気がする。

 走って階段を上る。気持ち悪い。頭も痛い。二階の奧が会議室だ。

「失礼しますっ」

 勢いよくドアを開けた。

「奈落のウェンズデー! 駆けるハイパーフリーズ! 冷えたやつを挟み込んだー!」

 総太はそのまま無言でそっとドアを閉めた。植田が必死でカラオケを歌っていたのだ。

「こらこら何してんの? 早く入って入って」

 後ろからさぁさが来た。お盆の上にコーヒーを乗せている。

「部屋を間違えました」

 このまま家に帰ろうかな。

「もう統括官来てるから! 君が来るまで植田さんが繋いでるの!」

 どんな繋ぎか。


 もう一度、ドアを開けると曲が終わっていた。

「あ、来ました! 遅いよ!」

 植田に気付かれた。マイク越しに怒られた。あずきは腕を組み、脚を組んで座っていた。

「おはようございます。わざわざのお運びで」

 あずきはさぁさからコーヒーを受け取った。「ここのコーヒーひさしぶり」と言った。

「これはもう、異例中の異例ですよ」

 そして自ら語り出した。

「この間はご苦労だった。レポート読みました。楽しそうな遊園地で、私も行きたくなった」

 総太と植田は肩を揃えて小さくなっている。

「あらためて問題点を言ってみたまえ」

 植田と顔を見合わせた。植田は「お前が言え!」と口を動かした。僕ですか。

「はい、えー、リザードの問題点、ですよね、えー」

 頭が回らない。あるいは空回りしている。

「二日酔い?」

「すみません。ついさっきまで岡本さんと飲んでまして」

 途中から記憶がない。岡本はまだ居酒屋で寝ているかもしれない。

「仲いいの?」

 あずきが驚いた声を上げた。知っているのか。

「偶然、ライブ会場で……、あ、これは内緒だった」

 殺されてしまう。

「だれのライブ?」

「あ、ごめんなさい。口止めされてたんです。言ったら殺されちゃう」

「言わないとこの場で殺すよ」

 今すぐ死ぬか、後で岡本にバレた時に死ぬか、二択でどうぞ。

「歌姫のライブです!」

 即答してしまった。

「それは、偶然?」

「はい、完全に偶然であります」

「よろしい。続けて」

 何か考えているようだったが、仮面の奧は見えない。

「リザードの問題点は、その歌姫が癒やしの歌を毎日聴かせないと暴走すること、軍隊などでは手に負えない戦闘能力を有していること、維持管理に莫大な予算が投入されていること、の三本です」

「ふざけない!」

 小声で植田に怒られた。酔っぱらっているので仕方がない。


「昨日夜遅く、歌姫が失踪した。どんなリスクが考えられる?」

 淡々とした語り口だが、焦りも見え隠れする。

「見え隠れする……、って、ええーっ!」

 って、ええーっ!

「し、質問があります!」

「どうぞ」

「代わりの歌姫は居ないのですか?」

「居たら困らないでしょ」

「なんで居ないのよー!」

「経費削減? 仕分けがどうのこうの」

「『癒やしの歌』は、録音などされてないのですか?」

「CD化されてる。でも、やっぱり生歌じゃないと効果が薄いんだって」

「薄いっ、と言いますと?」

「今、担当者が必死に、録音の音源で癒しているけど、長くは保たないらしい」

「歌姫っ、し、失踪って、連絡は取れないのですか?」

「必死に探している。電話でも繋がれば歌ってもらえるかもな」

 総太は肩で息をしている。だいぶ追い詰められている。

「以上の条件を総合的に判断しますと……」

「アーハー?」

「……リザードが眠りから覚めて、暴走するリスクが考えられると思います」

 誘導された結論である。

「私もそう思う」

 でしょうね。わざわざ総太に言わせるようにし向けたのか?

「非常に緊迫した状況だというのはお分かり頂けたかな?」

 相手のペースに飲まれてはいけない。総太はコーヒーを口に含んだ。いつものコーヒーサーバーより上質な味の気がした。本当に気のせいか?

「お言葉を返して大変恐縮に存じますが」

 そして総太は自分の意志で話し出した。

「歌姫の失踪と、我々の業務に、何か関係性がございますでしょうか」

 植田の顔が引きつった。

「ふん」

 あずきの眉が一瞬だけ動いた気がした。仮面で見えないが。

「では聞こう」

 ふんぞり返っていた体勢を、前に倒した。

「車谷、って悪魔を知っているな」

 どっきーん、とした。ゴーグルにも表示された。『ギックリーン!』と。

「その顔は知っているな」

「最近、ゴーグルの調子悪くて」

「見てやろうか?」

「あ、大丈夫です」

 大元の設計者だった。言い訳が通用しない。

「残されてた日記なんかを見る限り、車谷が関わってる可能性が濃厚なんで」

 総太は大きく息を吐いた。

「ええ、車谷という悪魔がBクラスに居ることは知ってます。でも、一度も会ったことないし、連絡先も分からないですね」

 嘘はすぐバレる気がしたので、なるべく真実の事象のみで済ませようとした。

「それがどうした」

 はい、ごもっともで。

「いや、どうなんでしょうか、何て言うか、それは天使様と歌姫と車谷さん個人の話し合いっていうか、その、私なんかが間に入ると、かえって……」

「悪魔がらみのゴタゴタの間に入っていろいろ調整するのが!」

 きっ、と見得を切られた。

「お前の仕事だろうがっ!!」

 あずきの怒鳴り声は会議室に響き渡り、その後の静寂を呼んだ。

「大体、歌姫って、ものすごく神聖な存在じゃなきゃいけないの!」

 口を歪ませて。

「それが、悪魔と駆け落ちしたってスクープされてごらんなさいよ。たまらんでしょ?」

 天使に支配されている人間界にあって、悪魔はあまりイメージが良くない。恐れられているが、尊敬はあまりされていない。

「言っておきますけど、私は歌姫の大ファンでしたからね!」

「それはお気の毒様!」


「二人の居場所は掴めている。総太調整士においては、直ちに現場に向かい、該当悪魔を説得してほしい。状況に応じて強制的に調整することも視野に入れること」

 『調整する』とは『より強い悪魔をけしかけて撃退する』という意味のスラングである。

「あずき統括官殿」

 植田が敬礼しながら割り込んできた。

「本ミッションにつきましては、リザードとは無関係ということでよろしいでしょうか」

 唐突だったので総太は趣旨が理解できなかった。

「ふふ。別にそこまで丸投げしようとは思ってないよ」

 ああ、植田は、総太が本来やらなくてよいことまで押しつけられるのをけん制したのだなあ。部下を思ってのことか。

「逆ギレした車谷に攻撃されるかもしれない。安全なミッションではないぞ」

「そこは、あらかじめ、強力な悪魔を護衛という形で雇用できますでしょうか」

「どこまでも部下思いなやつめ。あまり甘やかすなよ。いいだろう、好きなだけ護衛をつけるがいい。歌姫さえ戻れば何の問題もない。リザードが暴走したときの事を考えれば護衛の報酬なんて安いものだ。どうせ税金だし」


 レジスタンス、反政府組織のアジトは意外な場所にあった。都心の真ん中と言ってよい。白い壁、高い天井、廃墟のような、文化財的な建築物のような。基本的にとても静かである。

 歌姫は白いロングスカートをはいて、せすじを伸ばして椅子に腰掛けている。近くの壁に車谷がもたれかかっている。腕を組んでいる。絵になる二人だった。

「リザードについてはお詳しいでしょうに」

 総太が話している。抵抗する気配はなかった。おそらく、覚悟があったのだろう。

「天使たちはてんやわんやですよ」

「知ったことではない」

 白石が応えた。歌姫を守るように立ちふさがっている。

「代えの人員も用意しないで、自業自得ではないか!」

 確かに、予想していたのに対策しないなんて、責められても仕方ないと思う。

「まあまあ、今さらそんなこと言っても」

 古井が取りなそうとする。そう、後悔は先に立たない。

「CDじゃ駄目なの?」

 中村が総太に聞いてきた。いまいち理解していただいてない。

「なんか、生じゃないと駄目みたいです」

「二~三日は保つ、って聞いたけど」

 岡本が言う。

「もうそろそろ危ないんじゃない?」

「フン、どうなるか、身をもって思い知ればいいのだ」

「なんで歌わないの?」

「ほら、歌姫さんと、車谷さんが……」

「いつから歌ってないん」

「同時にしゃべるな!」

 白石が大声を上げた。

「大勢で押しかけやがって!」

 総太側は、中村・古井・岡本。レジスタンス側は車谷・白石(歌姫は人間なので戦力外)。岡本がこちらについたのを早い時点で明確にしたため、パワーバランスはかなり偏っている。

「何度でも言うが、歌姫はモチベーションを失っている。力ずくで歌わせようというのなら人権侵害でとことん戦うぞ!」

 悪魔として戦っても勝ち目がないと認めているようなものだ。

「まあ、待て、白石」

 ずっと沈黙を守っていた車谷が口を開いた。

「魔皇帝に、連盟理事まで連れてきて、暴力で解決しようってことはないだろう」

 眉毛が立派で、身長はそれほど無いがガッチリしている。300才にしては若々しいと思う。

「悪魔調整士。お前は恋をしたことがないのか?」

 他の悪魔が一斉に総太を見る。総太は頬を赤らめた。

「こいつ、歌姫の異常なファンっすよ」

 岡本が茶化して言う。今はそんな気分じゃないのに。

「それじゃ、生身の人間を愛したことはないんだな」

 車谷は、悪魔の中でもかなり『かっこいい系』の顔立ちである。そりゃモテるでしょうね。

「こんな仕事してて、人間の女性との出会いなんかあるわけ無いじゃないですか!」

「……どこにキレてんの?」

 中村が呆れて言った。


「歌姫だって中身は普通の若い女なんだ。恋愛のひとつもしようというもの。かねてから『予備の歌姫を育成して、交代で休暇をくれ』と訴えてきた。だがことごとく無視されたんだ。今回CDでもある程度代用できることは分かったし、天使たちにも良い薬になっただろう」

 なに勝手に自己肯定しているんだ。

「天使たちに警鐘を鳴らすのと、歌姫の待遇改善を訴えるのをかねての今回の失踪劇ですか。もし何か起きたらどうする気だったのですか?」

 ぶっつけ本番にも程がある。

「まあ、正直、全くなにも対策が無いとは思わなかった。歌姫になにかあったときのことを想定してると思っていたよ」

 CDでいいや、くらいの危機管理だったということか。

「すごく危険だってことは知っているのに、なんでもっと真剣に安全対策をしないんだろうね。この前見てきたけど、ずっと不思議だったよ」

 古井が同調する。総太はそこまでの洞察力は無かったので「なるほど」と言った。

「では、次の歌姫を育成して、引き継ぎが終わるまで、もうしばらく今の歌姫には歌っていただくということで、よろしいですね?」

「それと、休暇だ」

 CDで行けるのだろうか。

「条件については私は権限を持ってませんので、この場でお約束はできません。とりあえずは職務に戻っていただいて、休暇なんかの細かいことは、担当の方から後日、ご相談ということでよろしいでしょうか」

 車谷に向けられているが、歌姫にも聞こえるように言った。

「それでいいかい?」

 車谷は歌姫に水を向けた。歌姫は小さく頷いた。そういえば歌姫の声をまだ一言も聞いてないな。

「一件落着? 簡単だ」

 中村がのんきに言った。暴れ足りないだろうか。

「ミッション・コンプリーテッシモ……」

 ゴーグル内の通信アイコンを、グローブをマウスモードにしてクリックしようとした。ちょうどその時でした。


 部屋の外、いや、建物の外から、サイレンが聞こえる。そして何か、えらい剣幕の怒鳴り声がスピーカー越しの感じで聞こえる。「早く、早く避難してください!」など、途切れ途切れ聞こえてくる。

「何か言ってるね」

 古井が窓を開けた。岡本は素早く部屋のテレビを点けた。バイトとして出入りしているだけあってリモコンの場所を心得ているようだ。

「なんだこりゃ?」

 中村がすっとんきょうな声を上げた。臨時ニュース。黒煙がもうもうと立ち上る中、ときおり赤い光線がほとばしり、爆音が響く。おどろおどろしい字幕で『リザード暴走中!』と書いてある。

「おいおいおい! 嘘だろ!」

 車谷が甲高い声で叫んだ。

「なんで?!」

 そしてこっちを見た。俺に聞かれても。

 テレビでは避難指示の地域が点滅している。半径500キロ圏内にいるものは今すぐ避難しろという、ほぼ命令である。総太たちがいる場所も含まれているので、街頭の防災スピーカーで呼びかけているのだ。

「避難って、どこに?」

 中村。

「500キロ向こう、でしょ」

 白石。共に少し笑っている。

「すごいな。戦車とか、戦闘機とか」

 テレビの中では激しく戦闘が行われている。黒煙の切れ目から、ときおりリザードの姿が見える。紫色のトカゲの頭で、白い甲冑に覆われている。沢山のちぎれたケーブルを引きずり、怪獣のように『グギャー!』と鳴く。

「イラストとほぼ変わんない」

「どこで見たの?」

「ええと、ええと、リザード博物館、だったっけか?」

 古井と中村がクロストーク。総太はそれどころではない。

「怖い……」

 体の底から這い上る恐怖心。脚が震えている。問答無用の恐怖。は虫類の顔と、そして鳴き声が、理屈抜きに怖くてテレビから顔を背けた。フラフラと椅子に腰掛けた。

「ありゃー。全然効いてないわ」

 岡本が言っているのは、軍隊の通常兵器のことだろう。傷ひとつけることができていない。

「それ以前に攻撃が届いてない。これはバリア?」

 総太は再びテレビを見た。白っぽい紫の光がたまにフラッシュする。なるほど、戦闘機のミサイルがリザードに当たりそうになると画面いっぱいに光が走り、、なぜかミサイルは空中で爆発してしまっている。

「ただ単に怒らせてるだけだな、こりゃ」

 古井の言うとおり、怒ったリザードは腕に持っている巨大な砲身をもたげ発射した。戦闘機には危ないところで当たらなかったが、流れ弾に当たったビルは一瞬で蒸発し、その周りのビルは爆風でことごとく吹き飛んだ。一発でものすごい損害だ。

「すげー」

 同じタイプの岡本も舌を巻く。ケタが違いすぎる。

 どうやら付近の人間は避難が間に合っているらしい。天使から人間へ、強制的な命令でも役に立つことがあるのかもしれない。


 しばらくして、包囲していた戦車隊などが目に見えて後退し始めた。そういえば戦闘機も寄ってこない。

『そうです。あまり刺激しないほうがいいでしょう』

 テレビで解説している。悪魔関係でよく見る教授ではない。

『解説は、リザード工学がご専門の大久保委員です』

「出た! 御用学者!」

 岡本が茶化す。

『まず、リザードが暴走してしまいましたが、原因は何が考えられますか?』

『普段は大人しいもんです。ええ、ええ。歌を聴かせて、眠らせているんですね』

『それは歌姫が』

 アナウンサーも勉強している。

『その、歌が、なんらかのきっかけで継続的に聴けなくなったので、目が覚めてしまったということです』

『では、また歌を聴かせればいいのではないでしょうか』

 そうそう、巨大スピーカーとかで。

『リザードには耳が無いんですよ』

 そう言って気持ち悪く笑った。ヒヒヒと。

『敵がその歌を手に入れたら、聴かせれば寝ちゃうじゃないですか』

 総太の好きなタイプの解説者ではない。魚住教授の方がいいな。

『では、どうやって聴かせているのですか?』

『脳に、直接、プラグを打ち込んでいるんです』

 そう言うと画面を棒で指した。

『ここに穴が開いています』

『はあ、頭頂部ですね』

 トカゲ状だからなだらかであるが、確かに人工的に取り付けられた装置のようなものが乗っている。

『では、もう一度、プラグを差して……』

『ええ、刺さった状態で歌姫が歌えば、リザードは落ち着きを取り戻すはずです』

 あんな場所に、どうやって?

『かなり危険な作業になることが予想されますが、何か方法はあるのでしょうか』

 同じ疑問は皆が持っただろう。

『無いですね、方法は』

 解説者は気持ちいいくらいキッパリと言った。そしてまた気持ち悪く笑った。

『まず防御力。強力なバリア機能が充実しています。そして攻撃力。見てくださいこの主砲。リザード一機で、このくらいの国なら、三日で壊滅できます』

 誇らしげに言うが、お前のスペックではないぞ。

「そうだよな。特に、あのバリアがやっかいだ」

 古井は腕を組んでいる。確かに、近づけなくてはプラグを差せない。

『そしてなにより! リザードをリザードたらしめている機能、それが「リジェネシス機関」です!』

 解説者は高々と宣言した。その後、フリップを取り出して説明しだした。要するに、攻撃されたエネルギーを吸収し、自分のパワーに変える、というものだ。

『国家機密ですが、緊急事態なので』

 すごく嬉しそうに解説している。今まで秘密だったので溜まっていたのだろう。

「そうか、それで前に見学に行ったとき、やたら腹が減ったのか」

 古井がポンと手を叩いた。眠っていて、厳重に封印されていても、悪魔からエネルギーを吸い取っていたのだ。

「あのレストランで、ものすごく食べてましたもんね」

「旨かったよ」

 総太は「リザード定食」を食べた。ハンバーグがトカゲの形をしていた。そんなに旨くもなかった。

『では、攻撃すればするほど、バリアも主砲も強力になるということですね』

『その通りなんですね』

 なんかむかつくわ。

『対策委員会では、このような事態は想定していなかったのですか?』

『想定を超える現象が起きましたから。予備のプラグが機能しませんでした』

『常に歌姫がスタンバイしている前提だったのでしょうか』

『詳しいことはデータを細かく分析してみないことには』

 他人事なのが一番むかつく。

『では、我々は、このままリザードに滅亡されるのを、指をくわえて待っていることしかできないのでしょうか』

 アナウンサーもむかついてきたらしい。

『そうですね』

 部屋にいるものがそれぞれため息をついた。

『いたずらに刺激しないことが肝心です。太陽光のない夜がチャンスかもしれませんが、内部にエネルギーを蓄えていますから、ざっと計算して、五年は近づけません』

 五年後の夜に、隙を突いて決死隊がプラグを指しに行く、と。

『それまでに我々が滅亡する可能性はかなり高いんです、ヒヒヒヒ』

『何がおかしいんですか!』


 リザードに動きがあった。新たな標的を見つけたようだ。戦闘態勢に入った。

「だれかいる!」

 リザードが身構える視線の先、がれきの山に立っている、ひとつの人影。

「魔王!?」

 悪魔たちが一斉に叫ぶ。女性型の細い体に長い日本刀。フォルムだけで魔王と分かる。総太でも分かる。

『悪魔学に詳しい魚住教授に電話で取材したところ、魔王にまず間違いない、ということです』

 テレビでも盛り上がっている。

『無理無理』

 あずき魔王(他に「魔神」と「魔将」のタイトルも保持しているが慣習で「あずき魔王」と呼ばれる)は赤い仮面に、黒い鎧甲を着用し、名刀「八魔刃ヤマハ」をすでに抜刀している。普段なら見事な居合抜きを披露してくれるのだが、今回はそんな余裕はないらしい。

「近づきすぎだな。吸収されちゃうよ」

 古井が心配そうにしている。

「でも、遠いと刀が届きませんし」

 総太が応える。そう、魔王は極端にリーチが短い。刀が届かなければ攻撃にならないのだ。

『総太君、総太君、応答せよ』

 植田から通信が入った。疲れた声だ。

「いつでもっ」

『ああ?』

 そして機嫌はかなり悪い。

『あずき統括官からの伝言です。『今から、魔王がリザードの脳天にプラグを差し込むから、そしたらすぐに歌姫に歌うよう調整しておいて』以上です』

 覚悟の程が伝わる。

「こちらは、問題ないです。すでに歌姫も説得済みですし、ワイヤレスマイクの準備もできています」

 さっき車谷と白石がセッティングしてくれた。歌姫はマイクを持ったまま椅子に座っている。恥ずかしくて直視できず、どんな服かもよく分からない。

『さすが仕事ができる』

「どうしたんですか? 体調悪いですか?」

 褒めるなんて。

『だって、……うう、勝てっこないやん……』

 はっとしてテレビを見る。他の悪魔達もやはり沈痛な表情であった。

「こ、こんな……。あの、あの魔王が……」

 総太も冷静さを維持することができなかった。

「逃げ回っているだけじゃないか……」


 魔王の得意技「ホープレスシープ」。刀身で相手の攻撃を受け流す技である。リザードから次々と発射されるビーム砲を受け流す。本来なら、受け流して相手の体勢が崩れたところに一刀を打ち込むはずだが、飛び道具なのでいくら受け流しに成功しても戦況は何も変わらない。またはダッシュでかわす。さっきからそれしかできていない。

「距離を取るようになって、エネルギーを吸われない間合いは分かったみたいだ」

 古井も見入っている。

「あ、岡本くんのビームは、吸収されるよね、絶対」

 中村が言う。岡本は小さく頷いた。

『ザイッ!』

 しびれをきらした魔王の刀が一閃、テレビの画面に一筋の白く輝く線が引かれた。

「おっ、「刃という怒り」! 決まったか?」

 魔王の必殺技の中でもリーチの長い技である。刀身に気を溜めて、ビームサーベルのように離れた相手を切り裂く恐ろし技だ。

「ああー」

 バリアに弾かれた上、気は吸収される。お返しとばかりにリザードは主砲を放つ。

『がーー!』

 必殺技を出した直後の隙に直撃された。

「あずきさん!」

「魔王!」

 大きく吹き飛ばされ、鎧が砕けてひび割れている。

『くそが!』

 尻餅をついた体勢から素早く立ち上がった。追い打ちに備えるが、リザードは容赦ない。ビーム砲を注ぎ込む。

『ったらーー!』

 ギリギリでホープレスシープが間に合った。しかし、受け流しきれない。さらなるダメージを受けてしまった。

「下手に攻撃すると危険だな……」

 次の攻撃は走ってかわしている。距離を取れば当たることは少ないようだ。結果、逃げ回っているだけ、ということになる。

『かわした! まだ動けるようです! がんばれ魔王!』

 アナウンサーは応援みたいになっている。

『ね、全然相手にならないでしょ?』

 解説は憎まれ役なのか。


「私、ちょっと行ってくる」

 黙っていた中村が口を開いた。

「ここでテレビを見ていてもしょうがない」

 中村にとっては目の上のたんこぶ、魔王が居なくなればタイトルを取ることはたやすくなるだろう。

「助けに?」

 総太の問いに中村は頷いた。

「いやいや、こうなったのは俺の責任だ。君たちは危険を冒すことはない」

 車谷が入ってきた。そう言えばこいつのせいじゃないか!

「俺の「トレモロカホーン」のスピードなら大丈夫だ。リザードの攻撃をかわしながら接近できる」

 トレモロカホーンはバイクの名前です。スピードだけなら中村に劣らないという。

「接近できても、エネルギーを吸収されるだけじゃない」

 白石が苛立った声を上げた。「じゃあどうする」というのは彼女自身も分からないのだろう。

「俺のビームは逆効果だしなあ。かえって邪魔になるかなあ」

 岡本がつぶやく。無力感を味わっているのだろうか。

「僕も、近づかないと、打撃系だから」

 古井も同じようなトーンだ。

 そして、全員で「困ったなあ」と言い、総太を見た。


「ふっふっふっ」

 総太は悪魔のような含み笑いをした。

「いよいよ、私の出番のようですね」

 ゴーグルをキラリと光らせた。そしてゴーグルから光線を発射した!

「こちらは、さっきまでさぁさという天使に分析させていたデータです」

 ゴーグルから発射されたのはプロジェクターの光である。壁に映して、皆に見てもらっている。

「お分かりですね?」

「分かるかい」

 岡本がタイミング良く突っ込んでくれた。

「こちらのグラフは、吸収したエネルギーの予想量と、、リザードが攻撃する際の、バリアの消失する時間を表しています」

「え、あ、リザードが撃ってくる時は、バリアって消えてるの?」

 白石が驚いた。

「それぐらい、見てればわかるでしょ」

 中村が小馬鹿にした感じで言った。白石はキッと睨んだ。

「今、白石さんは非常によいことを言ってくれました。そう、リザードが攻撃してくる瞬間こそが、バリアが消え、最大のチャンスなのです!」

「で、そのグラフは?」

 岡本が急かす。

「こちらの軸が、リザードが吸い取ったエネルギーで、見てください。吸収したエネルギーが大きければ大きいほど!」

「おお、バリアが消えている時間も長い!」

 古井のサングラスも光った。

「と、いうことで、これからが、私が考えた作戦です」

「ちょっと待って」

 白石が異議を唱える。トラブルメーカーめ。

「なんで、コイツが仕切ってんの?」

 人間のくせに、というニュアンスで。

「悪魔連盟の理事とか、魔皇帝とかいるんだし、まとまらなく無い?」

 いや、別に、僕はいいんですけど。

「白石」

 車谷が強い調子で呼び止めた。

「この人の指示に従おう!」

 かっこいいなあ。

「悪魔調整士って職業は、年がら年中、悪魔のご機嫌をとりながら綱渡りしているんだ。その道のプロなんだよ。物事がスムーズに運ぶようにすることにかけては、悪魔よりずっと有能なんだ」

 褒められ、てるよね?

「まあ、そうか。悪魔同士の連携を、文字通り調整するってか」

 白石がフンと言った。

「じゃあ、今回は言うことを聞くけど、もしその作戦とやらが失敗したら、責任は取れるんでしょうね」

「大丈夫です」

 総太は笑顔で言った。

「作戦は絶対に成功します」

「なぜそんなことが言える? 今からあのリザードと戦うんでしょ?」

 言葉にはしないが、白石以外の皆も同じ不安を抱えているだろう。メンタルのケアも、調整士の重要な仕事のひとつである。

「作戦は絶対に成功します。なぜならば」

 全員に聞こえるように言った。

「指揮者が非常に優秀だからです!」


 バイクの爆音が轟く。がれきの山を軽々と越えていく。軽快かつ重厚に。

「撤退命令が出ているはずだ! どこの隊のものか!」

 あずきが怒鳴る。やはり一人だけで立ち向かうつもりだったのか。

「いや、これはトレモロカホーン……。車谷か!」

 タイミングを計ったようにバイクがジャンプして躍り出た。あずきを飛び越し、リザードへと向かっていく。

「我々がリザードを引きつける! その間にこれを!」

 二人乗りしている白石が小包をあずきに放った。

「なんで悪魔が?」

 あずきの声はヘッドセット(インカム)を通じて装甲車の中の総太たちにも聞こえている。

「とうか、いや、あずき魔王! リザードはエネルギーを吸収します。1キロほど離れて休憩してください」

「その声は悪魔調整士。歌姫はどうなった?」

 装甲車はだいぶ近づいている。

「セッティング終わりました。合図を送れば、いつでもスタートできます」

 総太のキッカケで歌い始める。プラグを脳天に差し込むやいなや、いつでも。

 リザードの攻撃目標は、上手いこと車谷・白石ペアに移ったようだ。リザードが放つレーザーをバイクは余裕をもって避けている。

「超えていけ音速!」

 白石がムチを振り回す。バンバンと音が鳴る。

「これでも食らえ! カオス・ドロップス!」

 ムチがリザードを目玉をしたたかに打ち付けた。

『なんと的確な精度でしょう! 真性のSですな』

 あ、教授。

『解説の魚住教授に聞きます。今のは悪魔の技ですか?』

『無限、とも思えるリーチを誇る、白石の必殺技です。実際にはムチの長さは有限ですが、一瞬で一キロ先のくわえタバコの火を消すことができます』

 ガア! と鳴いてリザードは反撃する。だが距離がある上に、バイクは車谷が運転しているので、全く当たらない。

「考えたな。しかもムチは実体があるからエネルギーとして吸収されない。これならだいぶ保つな」

 あずきが小包を開けた。竹の皮で包まれたおにぎりである。

「……RPGじゃないんだから……」

 だが、一口食べ出すともう止まらないようだ。総太たちが乗った装甲車が到着するころには四つとも食べ終わっていた。


「お疲れ様です」

「ふ、物好きな連中がおいでだよ」

 総太に続いて古井、岡本、中村と下りてくる。ぞろぞろと。

「じゃあ、あずきさんの準備ができ次第、ってことで」

 総太の問いかけにあずき以外は頷く。

「私の? 準備? とっくにできてるよ」

 心外な、という感じで。

「あ、そう? じゃあ」

 総太は急いで装甲車に戻った。三人は距離をとり、あずきに向かう。岡本がロングライフルをどこからともなく取り出した。肩に掛けるストラップでくるりと一回転すると現れる。

「まずは俺から、行きますよ?」

 ライフルの砲身はまっすぐにあずきを狙う。あずきは、無言でペットボトルのお茶を保ったままホールドアップした。

「え?」

 岡本はスコープから目を外した。

「なに? なに?」

 あずきは古井や中村を見るが無言である。変な空気が流れた。

「あ、作戦は、聞こえてなかったですか?」

 再び総太が走って来た。

「食べるのに夢中で聞いてないんじゃない?」

 中村が冷ややかに言う。

「あ、作戦? よく分からないけど、この機に乗じたクーデターかと思った」

 ホールドアップしたまま安心している。

「そんなわけないじゃないですかハハハハ」

「古井さん目が笑ってない」

「グラサンなのに?」


 総太発案の作戦は以下の通り。まあずき以外の三人(古井・中村・岡本)があずきに必殺技をそれぞれ放つ。あずきは相手の必殺技を受け止め、倍にして返す特殊な技を持っているので、それを利用して三人分の倍の威力になったエネルギーをリザードに当てる。その大エネルギーは吸収され、はき出される。それは今のように車谷・白石で引きつけ、かわす。大エネルギー分の攻撃の際、バリアは普通よりも長く解かれるはずなので、その隙に中村が古井を担いでリザードの頭部に取り付き、古井が脳天にプラグを差し込む。バリアが発生する前に中村・古井は退避する。間髪入れず、歌姫が「癒やしの歌」を歌えば、リザードは機能停止する。


「どういう仕組みで倍になるんだろうね」

「そこは今はいいんじゃないですか?」

 古井と岡本が話している。

「そんなに上手くいくだろうか」

 あずきは懐疑的であった。

「早くしないと、ガソリンのこともあるし」

 中村の言うとおり、車谷のバイク(トレモロカホーン号)のガソリンとて無限にあるわけではない。

「そうだね。仕方ないか。じゃあ、来なさい!」

 あずきは抜刀した。八魔刃と呼ばれる魔刀。つばとか柄は、黒いマット加工がしてある。重々しいオーラを放っている。

『角度、良し。距離、良し』

 さぁさは事務所にいる。総太のゴーグルからの映像を解析して、コンピューターでリザードとの最適な距離などを計算をしてくれている。避難もせず、有志で協力してくれているので感謝したい。

「まずは俺だ!」

 岡本が気合いを入れる。再びライフルを構え、エネルギーを充填した。

「うおお! 最大出力! ポールリードディストーション!!」

 ライフルがきしむ音がして、次の瞬間、周りは閃光に包まれた。

「すげえ、チョーキングミラの三倍はある!」

 装甲車の中で総太は興奮している。

「ふんはぁ!」

 あずきが刀身で受け止めた。バリバリとスゴイ音が響く。

『八魔刃の中でエネルギー変換開始された。容量まだまだ』

 さすが魔王。ずっと上を行っている。

「続いて行くぞ! 出でよグッドハンド!」

 古井が右腕を高々と掲げた。光の粒が密集してきて、次の刹那、腕ごと巨大な砲に変化した!

『あれは元魔王の古井ですね。「千以上の腕を持つ男」の異名で知られています』

 教授が目ざとく見つけた。

「うなれ敏腕! ハモンドローランド!」

 岡本の技に劣らないエネルギーがほとばしる。相手に会わせて腕の形状を自由に変化させるのが古井のスタイル。今は威力のみに特化した形態だ。

「うおぃふ!」

 岡本のレーザーに重なる形であずきが受け止める。大きく後ずさった。

「これは? さすがに二人分の超必殺技は?」

 さぁさに意見を求める。

『理論上はギリかなあ。気合いでどれくらい上積みできるんだろこれ』

「まだまだー! もっと来ーい!」

 あずきが下を向いたまま怒鳴る。刀は真っ赤になっている。今にも燃え出しそうだ。

「行けるはずだ! 魔王の底はまだ割れない!」

 個人的な願望ではないだろうか。総太もヒートアップしてきた。

「最後はもちろん私! 魔皇帝、いざ!」

 中村がポーズを決める。右手の人差し指を前に突き出した。

「トライソード! トライアルエディション!」

 三本の剣が宙を舞って現れた。中村の周りを飛び回り、そして中村の人差し指を中心として、柄頭を合わせた。三方向のマークのような形だ。

「やった! こんなに間近で見られるなんて!」

 悪魔ファンの間では伝説となっている技。過去の記録に一回だけ出てくるが、幻とされている。

「超必殺! 最終奥義! コンデンサーノイマーン!」

 組み合わされた三本の剣が回転する。人差し指にコマを乗せているような格好である。高速で回転させる間にどんどん光が集まってくる。中村はその回転する光を右左に振り回し始めた。空気が振動し、地面がひび割れる。装甲車もビリビリと言い出した。

『何てパワーだ! 理論値を何だと思ってるんだ!』

 さぁさがわめいている。やはり無理だったか?

「たー!」

 中村は構わずに光輪を投げつけた。あずきの刀に当たるやいやな、猛烈な光と音を発し、視覚も聴覚も一時的に失った総太は装甲車の中でうずくまるしかなくなった。

「近すぎて見逃すとは……」

 もはやあずきが受け止めたのかどうかも分からない。

『すごい! キープキープ!』

 さぁさの歓声が聞こえる。魔王、恐るべし。

「ぎ、ぎ、ぎ」

 歯を食いしばってあずきが耐えている。ようやく視力が戻ってきた。

「倍返し、行けそうか?」

『倍、どころか、エネルギーがものすごい勢いでどんどん膨らんでる。暴発したら総太は車ごと確実に蒸発』

 まじですか。魔王ガンバッテ。

『臨界まで5秒、4,3……』

「えっと、そろそろ」

 マイクであずきに言ってみる。まだ機能していればいいが。

「うわああぁ!」

 不意に刀を振り上げた。刀身は完全に真っ黒になるまで熱され、あちこちで火花が散っている。こちらに向かって振り下ろされたら終わりである。

『あの悪魔達は、さっきから何をしているのでしょうか』

 アナウンサーが不思議がっている。

『まあ、見てみましょう』

 教授も緊張しているらしい。

「奥伝! ダブルソケッティア!」

 一呼吸で振り返り、リザードに正対した。流れるような動作で刀を振り下ろす!

「やー!」

 今度は総太から見て向こう側に飛んでいくのでだいぶ見える。光の矢がリザード目がけて青い筋を残しながら一直線に飛んでいく。蒸発しないですんだ。

『やった! これが最大値!』

 光の矢は案外と細いものだったが、リザードのバリアに当たるとフレアのように真っ赤に膨らみ、周囲の地面を丸く削り取っていく。ものすごい音と衝撃波。

『これは、魔王が放った一撃がリザードを捕らえました!』

 アナウンサーが実況する。

『すさまじい熱量です! これでリザードは破壊できるでしょうか』

『無理無理』

 委員長が憎たらしく言った。

『うおお! 吸ってるー』

 さぁさの指摘の通り、光の球体に包まれていたリザードは依然として立っている。両肩の後ろへと光が次々に吸い込まれていく。吸収口があの辺りにあるのだろう。

「効かないって聞いていたけど、本当なんだな……」

 古井が呆然としながら言った。四人の力を最大限出しても通用しなかった。他のものもショックを受けているようだ。

「あそこまで全力でビームを出したことなかったから、いい経験になったね」

 岡本がのんきに言って、中村に睨まれた。

「……。も、もう無理……」

 あずきが座り込んだ。両腕をついて、うなだれている。肩で息をしている。

「ナイスでした。やっぱりあずきさんは真の魔王です!」

 あずきはゆっくりと左手の親指を立てて見せた。


「よし、ここまでは予定通り! 次の作戦です!」

 リザードがエネルギーを吸い終わったら、その吸い込んだエネルギーで反撃してくる。まともに食らったらだれも生き残らない。

「よっしゃ! 任せろ!」

 車谷が吠える。バイクの後ろでは白石がムチをビンビンとしならせている。

『今思ったけど、総太の位置って、けっこう危なくない?』

 植田が小声で話しているのがかすかに聞こえる。

『かすっただけでアウト、的な』

 さぁさも乗っかる。そういう縁起でもないことは言わないでほしい。

「よし、準備してる」

 中村が古井をおんぶした。衝撃的な映像でもある。

「上空で待機して、バリアが解けたら突っ込む、大丈夫」

 古井がプラグを振って見せた。

「絶対成功するんだろ?」

「もちろんです!」

 二人の体が浮き上がり、滑るように飛んでいった。岡本が手を振っている。


『あれ?』

 さぁさが短く言った。

『もう一回、すみません』

 なんだろう。

「こ、こっちだって! おい!」

 白石のせっぱ詰まった声。何か、嫌な予感が。

「もう一回、カオス・ドロップス! あれ、なんで?」

「効いてない、もっと強く!」

 車谷も怒鳴ってる。

「これが精一杯ですー!」

「いいから!、早く!」

 総太はゆっくりとリザードを見た。なぜか、目が合う。

「こっちを狙ってるような……」

 岡本が言う。

「え、ええ。燃えるような目でこっちを睨んでます……」

 リザードのは虫類的な顔が恐怖心をあおるのでなるべく見ないようにしていた。目が合ったら、体がすくみ上がった。

『総太! 逃げろ!』

 植田の一言をきっかけにパニックに陥った。

「どどど、どこに?」

『いいから!』

 もう駄目なのか?

 あずきが起き上がり、やれやれ、といった様子で、焼けこげた刀を見ている。

「これはもう駄目だ」

 駄目なのは刀ですか? それとも?

「おい、調整士、降りてこいよ」

 岡本が装甲車のドアのノックした。

「い、嫌です!」

 降りてどうするの?

「こんな装甲じゃ何の意味も無いぞ」

 それは頭では分かるけど、心情的には怖くて無理です。

「……、ったく」

 岡本はすばやくライフルを取り出し、手慣れた所作でドアを焼き切った。

「わわ! 何を!」

 えり首をむんずと掴まれ、引きずり出された。こんな暴力的な扱いを受けたのは、高校の柔道の授業以来だ。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「なに言ってんだよ」

 目の前に苦笑する岡本の顔。その笑顔で少し落ち着いた。

「捕まってろよ!」

 体が宙に投げ出された、と思った次の瞬間、ガンッ。と横に引っ張られた。

「ぐは!」

 バイクのエンジン音が後から聞こえる。

「と、飛んでる?」

 装甲車がみるみる小さくなっていく。ああ、そうか。車谷のバイクでジャンプしているのだなあ。

『総太ー!』

 あまりのスピードに目が追いつかなかったらしく、植田とさぁさが悲しげに呼んでいる。真っ黒い閃光に装甲車は飲み込まれ、さっきまで総太たちのいた地面ごと消えていった。正式名、77式特別調整装甲車、今まで本当にありがとう。次に生まれ変わってくるときはもっと高性能になっているかもしれないな。また会える日を楽しみにしているよ。

「いたたた」

 ロープのようなものが総太の胴体に巻き付いている。すれ違いざまに白石のムチでかっさらわれたのだ。人間にとっては結構な衝撃だ。

『嘘でしょ? 返事して! 総太ー!』

 なんかすごく酔っている。

「ぐわー!」

 着地した衝撃がまたすごい。

『え、今の声は?』

 急に白けた調子になった。

『あ、テレビ、あの三番目』

『オウ』

 ムチで絡め取られたものの三番目である。あずき、岡本、総太の順だ。

『すごい! さすが私の車谷様!』

 女子め。


 ムチをゆるめ、車谷・白石ペアは再度リザードをけん制する体勢に入った。総太は急いで起き上がり、ゴーグルをズームする。中村・古井ペアの首尾はいかに?

「ぬおおお!」

 総太は見逃してしまった。古井がリザードの頭部に張り付いている。

『計算より早い。急いで! バリア来るぞ!』

 もはやさぁさが指示を出している。

「も、もう来てるよ!」

 張り付いているだけで精一杯なのか。吹き飛ばされるまいと必死のようだ。

「駄目だ、パワーが、吸い取られて……」

 先ほどの超必殺技でも消耗しているはず。だが、このチャンスを逃すと、もう次は無い。

「がんばってー!」

 総太が声を張り上げた。肋骨に激痛が走る。助けてもらっただけでこんなにダメージを受けている自分に悲しくなった。なんて無力なんだろう。

「せめて、パワーさえ吸われなければ、くっ」

 古井が限界に近づいている。

『あ、魔王! 岡本!』

 植田の声。いつの間にか、あずきと岡本が、リザードの両肩にそれぞれ張り付いていた。

「どうやった?」

『それではスローモーションで見てみましょう』

 総太もゴーグルで見ている。ピンク色の残像がかろうじて見えた。

「サマーミラージュ! あの短い間に二往復も!」

 中村があずき、次に岡本をおんぶしてリザードの肩口まで飛んでいき、投げつけた、ということだ。

『なにをするつもりだ?』

 委員長が警戒している。

「ポールリードディストーション!」

「奥伝! 留め時計!」

 それぞれの必殺技を放つ。あずきの方は近距離では最大の攻撃力を誇る一撃である。

『直接、吸収口に?』

 委員長も総太も意図が分からない。

『今だ!』

「おう!」

 さぁさの合図に古井が応える。復活している?

『そうか! 古井のパワーを吸わせないよう、フタをしているのか!』

 教授が手を叩いた。

「もらった! 最終奥義! グラサーンスマッシュ!」

 早い話が頭突きである。リザードの額に付いている飾りの部分を破壊した。……そこは何なんだろうか。

『よし、バリア発生装置を破壊!』

 そんなの聞いてないけど。

『チェックメイトだ! 中村さん!』

 さぁさの指示の元、リザードの頭頂部に中村が降り立った。手にプラグを持っている。総太の作戦では、古井が持っていたはずなのだが。

「あ、何か」

 中村が怪訝な顔をする。

「パスワードを入れろって書いてある」

 開けっ放しなわけないもんな。

「分かる?」

 中村がこっちを見た。

「わから、ないです。壊せませんか?」

 首を振られた。

『壊しちゃダメ! 刺さらなくなるよ!』

 さぁさに怒られた。

『テレビ! テレビ見て!』

 植田の声でゴーグルのモニターを見る。

『……繰り返します。魔皇帝、聞こえているでしょうか。パスワードは「4649」です』

 アナウンサーが連呼している。教授がさっと拳銃らしきものを服の下に仕舞った。ああ、銃で委員を脅して聞き出したのか。

「4……6……49!」

 無線で聞こえていたらしく、中村はパスワードを入力していた。バンという音とともにハッチが開いた。

「はい、じゃ、行きまーす。せーの!」

 中村がプラグをインした。ビコーンという音がした。

『プラグイン、リザード側でも確認した! 総太!』

 もう、直接さぁさからでもいいんじゃないか、とも思った。いやいや、いい年してひねくれるのはかっこ悪い。

「歌姫様、歌姫様。それでは、よろしくお願いいたします」

 リザードの上では、バリア機能が復活したらしく、四人とも、為す術もなく大きくはじき飛ばされていた。


 歌は超古代文明の言葉で綴られている。ゴーグルに訳文が表示されている。

「(朝がくる度に、平和だったあの頃を思い出してしまう。とても懐かしく思う)」

 イントロではまだ怒っていたリザードの目が、歌声が聞こえてきた途端にはっとなった。あずき、岡本の必殺技を吸収した分も、打ち出されるような気配がない。

「(二度と平和だったあの頃には戻れない。あなたはただあるだけで良かった)」

『これは? この歌は違う! 「癒やしの歌」ではない!』

 委員が錯乱している。

「(時間が経過するほどに悲しくなる。あなたは変わってしまった)」

『これは「お終いの歌」だ!』

「(願う必要がある。あなたの居ない世界を)」

「なんだろう、すごくいい……」

 ようやくたどり着いた総太に気付いているのかいないのか、中村はうっとりと聞き入っている。

「(平和になったあとでは、あなたを遠い存在に感じる。あなたを遠くに解き放ちたい)」

『今、お聞きのように、歌姫による、うう、歌が……』

 アナウンサーが感極まっている。

「(通っていったあとの平和に降り注ぐのは、あなたのやさしさと静けさ)」

『これ買う! 絶対買う!』

 植田とさぁさが泣きながら感動している。買うって言っても、これはCD化されてない。国家機密なので。

「(すこし遠いところから見守っていてください。迷うことがあっても、われわれは微笑みを届けるでしょう)」

 総太は空を見上げた。確かにいい曲だと思う。でも、歌姫には、他にもいい曲がたくさんあるんだぜ。

「(破られてゆく世界の中で、それでもまだ、あなたと共に長い夢を見続けるでしょう)」


 リザードにひびが入っていく。ゆっくりと少しずつ崩れていく。「お終いの歌」は眠らせるのではなく、役割から解放させるメッセージであった。光の綿帽子のようなものが次々と天に昇っていく。総太は見上げながら「ごめんな」とつぶやいた。すんでのところで消されかかったのに、変な話だ。

「かわいそうに」

 中村がつぶやく。兵器として生まれ、役目を終えれば破壊される。

「お疲れ様、とも言える」

 古井が言う。感慨深げである。

「危険なものだって分かっていたのだから、もっと危機管理をきちんとやって欲しかった」

 あずきが腕組みしている。すでに次のことを考えているようだ。

「それにしても、悪魔同士でこんなに協力しあえるなんてな」

 岡本は頭の後ろで手を組んでいる。そして総太を見た。

「調整士のおかげか?」

 総太は肩をすくめ、首を小さく振った。

「みなさんのご協力と、個別の判断力のおかげさまです。最後の方は役に立てなかった」

「われわれと共に戦うには百年早かったかな? ハハハハ」

 古井が笑った。悪魔と人間とでは次元が違うから気にするなということだろう。

「百年後は生きてないですよー」

 みんなちょっと寂しそうな笑顔を浮かべた。彼らにとっては十年後の感覚だ。


「みなさん、少しよろしいでしょうか」

 車谷が神妙な面持ちで切り出した。後ろには白石も控えている。

「この度は、私の不始末から、多くの悪魔の名誉を著しく傷つけてしまいましたこと、深く反省しております」

 勢いよく頭を下げた。白石も続いた。

「私の進退につきまして、よろしくご決裁の程、お願い申し上げます」

 二回目のお辞儀。そのまま顔を上げない。お辞儀したままの姿勢をキープし続けている。

「これは、進退伺い……」

 岡本が必殺技のように呼んだ。

「……」

 古井はぼうっとしている。車谷は微動だにせず、白石はお辞儀したままチラチラと見る。

「古井さん古井さん」

 総太が古井の袖を引っ張った・

「……ん、あ? 僕?」

 疲れ切っているのだなあ。

「くるしゅうない、おもてをあげい」

 車谷は顔を上げない。だれもリアクションできない。すべった時の事も考えてボケてほしい。

「まあ、ね、今は、ほら」

 中村が助け船を出した。

「そうですね。今日の所は、一度持ち帰って、連盟の方で検討しようか?」

「ありがとうございます!」

 ビシビシとお辞儀し直した。

「そう言えば、歌姫とは、この後どうすんですか?」

 総太は勇気を出した。コアな歌姫ファンとしてはこのチャンスを逃したら一生後悔する。

「野暮をお言いでないよ」

 そう言うと、あずきは総太の肋骨をつついた。

「イタイ!」

 白石のムチでかっさらわれた時に、折れたかひびが入ったに違いない。体を折り曲げて苦悶の声を上げた。車谷も笑った。


「さて、と」

 中村が前に出る。

「大団円ムードはこれくらいにして、もう一仕事、さっさと終わらせましょう」

 あずきを見る。

「魔王。勝負」

 のんきな空気が急に引き締まった。

「やれやれ」

 あずきは首をぽきぽきと鳴らした。

「そういえば、私って魔王だったわ」

 赤い仮面が光った。

『ちょっと! 何で? 何で戦わなきゃいけないの?』

 植田がゴーグル越しに聞く。

「それが、……定め、だからでしょう」

 総太はかぶりを振った。第三者が口を差し挟む余地などない。

「はあ!」

 中村は剣を構え、いきなり突っ込んでいった。

「なんと!」

 虚を突かれたが、それでもあずきはのけぞりながら刀で受け止める。

「速いな! だが!」

 接近戦では魔王に分がある。切り結んでいた剣をいともたやすく押し戻し、返す刀で中村ののど元を狙った。

「危ない!」

 総太が叫ぶ。

「くっ!」

 中村の体がピンクの光に包まれ、瞬間的に飛び退いた。高速移動の技、サマーミラージュだ。

「やる! さすがは!」

 あずきの一刀はピンクの残像をすり抜けた。

「?」

 ガツッっと音がした。

「あー」

 中村が、スローモーションのように後ろに倒れる。

「あああ」

 そのまま仰向けに着地した。後ろにひっくり返ったのだ。

「かかとがつまずいた」

 岡本の一言で総太も理解した。後ろに下がるときに足下の岩の出っ張りにかかとを引っかけ、後ろに倒れたらしい。剣も転がっていった。バンザイをした状態である。

「はああ」

 中村は呆然と空を見上げ、動かなくなった。

「勝機! 戦意喪失しても情けはかけない!」

 あずきは刀を握り直し、大きく振り上げた。

「食らえ! 奥義! がっ!」

 踏み込もうとした脚が、やはり岩につまずいた。

「ととと」

 二三歩よろめき、あずきの方はうつぶせに倒れた。

「ぶ!」

 刀が飛び、赤い仮面もカラカラと軽い音を立てて転がっていった。エネルギーが無いと、実際はこんなものなんだな。

「……」

 二人とも動かない。周りは唖然としながら次の展開を待った。

 やがて、中村の腕が動き、両手でゆっくりとバツ印を作った。あずきは右手を挙げ、「無理無理」というように横に振った。

「引き分け!」

 立会人の古井が宣言した。みんなで拍手をした。

『なんじゃいそりゃ』

 植田がうめいた。椅子からずり落ちかけていることだろう。

『ええ、解説の魚住教授。私、何回見てもルールがよく分からないのですが』

『見ている内にだんだん分かってきますよ』


 コンサート会場の前の広場で待ち合わせている。総太は早足で歩いた。開場を待つファンでにぎわっている。一角では、大きな布に寄せ書きなどもしている。

 元歌姫のコンサート。リザードが無くなり、歌姫制度も崩壊した。今ではフリーのアーティストとして活動している。車谷はパーカッション、白石はダンサー兼コーラスとして、ツアーに帯同している。

 待ち合わせ場所には中村だけが先に来ていた。もう冬になりそうで、コート姿である。

「さすがのスピードですね」

 笑顔で声をかけた。

「待ち合わせしてるんで」

 目を逸らされた。

「は? あ、いや、僕ですよ」

 ゴーグルをしていなかったのでナンパだと思ったらしい。

「おお! え、そんな顔なの?」

 よく言われます。

「どんな顔だと想像してました?」

「え、もっと、のっぺりしてると思ってた」

 意外に彫りが深いのさ。

 向こうから、古井と岡本が歩いてきた。ライブグッズであるキャップ(帽子)とTシャツ、ペアルックでキャッキャ言いながらこっちに向かってくる。邪魔しちゃまずいような気もした。

「あれ? あずきさんどこ行った?」

 もう来ていたのか。

「あれ」

 中村が寄せ書きの方を指さした。歓声が上がっている。あずきらしき人影が、毛筆で一心不乱に何か書いている。

「……達筆なんだろうな」

 総太は目を細めた。


「せっかくなんで! 記念撮影! お願いできませんか?」

 総太の提案を、四人は断らなかった。優しそうなファンの女子にゴーグルを渡して、「ここがシャッターです」と言う。

「それで撮るの?」

 中村が笑った。そこらのデジカメよりよっぽど高性能なんだぜ。

 左から順に中村、古井、総太、岡本、あずき。なぜか両脇が男だけど、偶然だろう。

「はい、チーズ!」

 総太は全力で笑顔を作り、両手でピースをした。(了)


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