二十話 オオカミの巣に投げ込まれた羊
▲大正儀セセラギ▲
クソ、道に迷った。カラスミに入ったのは今日が始めただから、迷う以前の問題だけど、この路地に入るのは二度目だ。左に見覚えのあるホームレスが昼寝をしている。最初は奥の道を右へ曲がり、次は左に曲がったはずなのに、なんでまた戻ってくるんだよッ!
口の中に溜まった唾を吐き捨てると、ホームレスがチラリと俺を見た。が、すぐに眠った。
……あぁ、もうビビってんじゃねーよ。
もう流石に震えは止まったけど、このカラスミが作り出す恐怖を、俺は受けていた。何かが、違うんだ。この世界は、微妙にズレがある。それが、俺の中に何度も入り込んできて、ギリギリとドリルで頭蓋骨に穴を開けようとするみたいに、痛みが広がっていく。
この中に、アマネは入った。なんで? 早く見つけて、この胸のモヤモヤを吹き飛ばしたいのに、焦りとカラスミの空気が、俺から冷静を引き剥がしていく。
立ち止まり、荒くなった呼吸を整えながら、そういえば、リンも一緒に入ったと思い出す。無我夢中だったから完全に忘れていたけど、ついて来ているのか?
だけど、俺の近くに、リンの姿は無かった。
「あれ、おーい!」と声を出すけど、返事は無い。逸れてしまった。道を戻ってもいない。リンのケータイの番号は知らないし、連絡出来ない。……しかも、何故か、ケータイの電波がカラスミには通っていない。このご時世、インターネットの繋がらない場所があったのか。辺鄙な田舎とかならともかく、ここは首都圏だぞ。
俺は男だからまだ大丈夫として、リンは女子で、しかも中学生並、下手したら小学生に見える。アマネが、リンは小動物の如く可愛い、うちで飼いたい、と念仏を唱えるみたいに唸っていたのを思い出す。そんなリンが、カラスミに独りぼっちというのは、オオカミの巣に投げ込まれた羊のように、危険極まり無いかも。早く助けに……と、リンの能力を思い出す。そうだった、並の人間なら、リンに危害を加えることはありえない、ってか出来ない。いつもの世界を形成して、大丈夫だろう。
と、考えた途端、「きゃぁああああああ!」
リンの悲鳴が、頭上を駆けた。ぞわり、と不快感が俺の体に圧し掛かる。
はぁ、俺は今、アマネを追いかけるだけで精一杯だ。お姫様ごっこは、一人でしてください。男女差別はしないからさ、女だから助けには行かないよ。俺はお前にカラスミの中に入れと頼んだわけじゃない。自分の身は自分で守ろうね。
それに、リンは、ここで壊れていいんじゃないかな。そろそろ、俺の周りに纏わりつくのもイラついていた。臨界点突破だ。もう、十分出しゃばって、満足だよね。これ以上、俺に迷惑をかけるな。そして、アマネの前から永遠に消えろッ!
ってか、転んで悲鳴を上げたとかだったら
「誰か助けてくださいぃいいいいいいいいいいいいい!」
絹を引き裂くような声が轟いた。黒板を爪で思い切り擦るのを百倍強めたような、殺伐とした声だ。鳥肌が立って、心臓が鳴った。……俺の脳裏に、リンがヘラヘラと笑う男達に囲まれて、恐怖でガクガクと震えている姿が、鮮明に映し出された。
――だから、何?
俺は笑う。あわよくばそのまま犯されて、どこかの店に引きずり込まれて、そこで短い一生を過ごせばいい。そうすりゃ、アマネはもうリンとは離ればなれ。行方不明者のリンを、数年も探せば、諦めも突くだろう。それに、リンが居なくなれば、昼休みに弁当を持って来ないで済む。あの自信満々の顔を、潰す必要も無くなる。美味い飯を、不味いと言って、突き返すのも、疲れるし……。
俺は、大きく息を吸うと、走り出した。
全力で。
あぁ、もう、クソッタレ!