十七話 カオスカオスカオス
ドッカァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!
超新星爆発が引き起こされたかのような衝撃が、セセギの脳内で轟いた。次の瞬間には、感覚は全て消え失せ、見えない何かがセセギの精神と肉体を粉々にしていく。
次に吐き気である。昼に食べた惣菜パンや甘いジュースが胃液と混ざり、ドロドロの液体となって喉元まで競リ上がってきた。
「アマネが、カ、カラスミの近くで……え? 何をしたって?」
――援助交際。
口を揃えて放たれるその言葉を、セセギは全身全霊で否定した。同時に、ゲシュタルト崩壊が起きたかのように、その言葉の意味がセセギには理解し難い言葉へと変貌していた。学校が終わるや否や、脱兎の如く帰宅すると、辞書を開き、その言葉の意味を、調べていたほどである。
『金銭の援助を伴う交際。主に未成年の女子が行う売春をいう俗語。援交』
ぞわり、と冷たい汗が背中で流れ落ちる。夏は既に終わりを迎え、涼しげな風が、部屋の中で緩く回転している。だが、セセギの全身の汗腺から、滝のように汗が噴き出ていた。
その状態で、セセギは再度否定する。
「アマネが、そんなことするはずがががが、無いよん……」
自らに語りかけるかのように言葉を吐いた。声色は擦れ、ごぼごぼと水中で声を発したかのように淀んでいた。否定をすることで、自分自身を安心へと導こうとしているのである。
だが、皮肉にも、その願いを引き金として、現在まで閉じていたとある記憶が、紐解かれていく。途端に、セセギの脳は異様なうねりを引き起こした。セセギは眼を瞑る。本能で封じていた記憶が、あふれ出る水のように噴出していた。
トラウマであった。
▲大正儀セセラギ▲
中学生になって、俺は父からパソコンを貰った。父が新しく買い替えるというので、御下がりだ。古いパソコンだったけど、ネットには繋がり、特に不自由はしなかった。最初の頃は、痛々しいブログを作ったり、ネトゲにはまったりしたけど、それもすぐに飽きて、ニュースを見るか、動画を観る時くらいにしか使わなくなった。
その頃は、今みたいに動画サイトがあまり普及していなくて、怪しいサイトが多く、著作権とか全く気にしない無法地帯だった。……だから、グロい動画や、エロ動画が普通に置いてあった。全力で思春期だった俺は、それをよく閲覧していた。小学生の頃は、ゲームの攻略法を教え合っていた友達とは、今度はエロ動画について色々と語り合っていた。もちろん、アマネに気づかれないように。
そんなある日、俺は一つの動画を見つけた。『蛇女』という名前で、なんと三時間にも及ぶ動画が掲載されていた。長くても五分ほどしか置いていないサイトだったから、俺は「AVが一本丸ごとアップされたのかよ!」と驚いてクリックしていた。
だけど、『蛇女』はAVじゃなかった。どこかの誰かが、盗撮をした動画だった。声が聞き取りにくかったり、映像が荒かったり、シーンをぶつ切りにして無理やりくっつけた素人が作った動画だ。内容は、一人の女性を、数人の男性が寄ってたかった強姦を繰り返すものだった。
『蛇女』を視聴して、俺が最初に思った言葉は、どうして? だった。何故なら、『蛇女』は、ただ女性が強姦されるだけで終わらなかったからだ。人間が、知能を得たから、引き起こされた惨劇が、そのボケた映像で繰り返している。当初、それなりに美人に見えた女性は、段々とやせ細り、最後、女性は干からびたエイリアンみたいな姿になった。強姦、暴力は当たり前、精神的肉体的にも苦しめられて、その女性は生かされていた。どんな拷問でも、死ぬ一歩手前で終わってしまう。途中で、女性は何度も「殺してください殺してください」と懇願したけど、その映像では死ななかった。どこかへ連れて行かれた女性は、巨大な空間に放置される。そこには、動物園に居るような、巨大な大蛇がいて、逃げられるはずもなく……。
そこで、映像は終わった。俺は異様なほど震えていた。涙も出ていた。恐くて恐くて、絶叫しそうだったのを、必死に抑え込み、布団に包まって眠ろうとした。だけど、真っ暗な空間が、あの映像と被ってしまう。その日は、一睡も出来なかった。映像が怖かったこともあるけど、俺にとって、一番の恐怖、それは、その映像に出演していた女性が、……アマネに似ていた。もちろん、顔も風貌も体型も全て違う。全くの別人だ。だけど、俺の中で女性が、アマネに入れ替わってしまうような、錯覚を受けた。それから、俺は女性の泣き声を聞くのが嫌いだった。涙を流す姿が、恐くてたまらないんだ。部活の帰り道に、友達と見つけた濡れた雑誌の中で、折り畳みケータイを握りしめた制服を半分脱がされた大人しそうな女子高校生が、脂ぎった男性の股間を舐めている画像があった。泣きながらの姿に、俺は恐怖と不快感を得た。その時は、友達にこれやべーな、と笑っていたけど、その夜は、『蛇女』を思い出して眠れなかった。
カラスミを、俺は嫌いだった。何故なら、その街が醸し出す雰囲気が、『蛇女』とそっくりだからだ。あの素人が撮った映像のところどころから浮き出る、人が生み出した悪意を、カラスミは持っている。そっくりなんだ。……だから、アマネには、カラスミに、絶対に近づいて欲しく無かったのに。
アマネは、カラスミで何をするのか? カラオケとかショッピングとかお洒落な喫茶店で甘い紅茶でも飲んでいるのか? そんなはずが無い。カラスミには、女子高校生が好む店なんか一つも無い。だから、その噂通りに、どこかの金を持っている男と遊ぶのか? 社会に出たらもう出会えない肌に張りがあって髪も艶やかな女の子と適当にふらつく。俺じゃあ絶対に入れないような高い店に入って、美味しい飯を食って、今日は楽しかった、昔を思い出せたよ、はい、これお小遣い、欲しいモノでも買いなさい。って、終わるはずだよな、きっと……。
「あ、はははは……くく……はは……は……ふふ」
俺は自嘲していた。いやだって、自分の思考が健全過ぎるんだもの。意図的に現実から全力で眼を背けようとしている。真剣に悩もうとしていない。突然の巨大で不気味な敵が来襲してきて、身が、すくんでいる。恐がっている。気が付くと、俺はベッドの上で横になっていた。ガタガタと震えながら、明日になったら、これは全て嘘かファンタジー、俺の夢で、何事も無く俺はアマネが好きで、リンをアマネからどうやって引き剥がすか、で頭を悩ましているはずと、願っている。信じている。心の奥底からだ。久しぶりに蘇ったトラウマで、俺はぎゅっと眼を瞑り、幽霊を怖がる子供みたいに、必死に眠りの中に落ちて行った。
次の日、当たり前だけど、何も変わらない。相変わらずヒソヒソ声は木霊して、俺に降りかかってくる。逃げ場が無い。
最初に、最良の物語を考えてしまったせいで、後は、もう落ちていくだけだ。アマネが、年配の男性と何をしているのか。カラスミの近くで。あるいは、……カラスミの中にある安っぽいホテルで、アマネは、どんな行為をするのか。辞めろ、辞めろ! と思うたびに、その妄想は膨れ上がっていく。『蛇女』を見て、アマネにだけは、こんな未来を望ませたくないと、俺は願った。そのはずなのに、今の俺の中では、アマネはヘラヘラと笑いながら……行為を楽しんでいる。それを想像するたびに、内臓が全て裏返るような衝撃が走る。リンへの愛を語られた時と違い……リアルな絶望が潜んでいる。
嘘だと信じている。所詮は噂だから……。それに、はっきりとホテルから出てきたところを目撃されたわけでもない。あふれ出る妄想に、俺の声をゆっくりと植え付けていく。
だけど、否定した部分から、嫌な思い出がよみがえってくる。アマネは、ここ最近、リンと一緒に居ることも多かったけど、一人で出歩くことも多かった。夏休み、リンと遊びはしたが、それ以外にもどこかへ出かけていた。夏休みの前にも、アマネは……すぐに脱げるような緩い服を着て、自宅とは反対方向へと向かっていた。あ、この前、アマネは財布を新しくしていた。ブランドの、十万は超えるはずだ。アマネの両親が、ほい! と与えるはずもないし、バイトをして金を溜めたとも聞いていない。いや、もしかしたら、カラスミの、近くでバイトをしていたのか? コンビニとか、居酒屋とか、そういうの。決して、キモイロリコンから、金を引き出していたわけじゃない。そうだ、そうだ……そうに、決まっているよ。
「あの、セセギ君?」