三、不健康! 20
二人の唇が今まさに触れ合わんとしたその時――
「ハイッ! 後一センチ――ってところで、お邪魔が入る! そんな不運! お届けに参りました!」
祭が能天気に叫びながら、勝利の部屋の玄関に現れた。
「えっ! えっ! な、何だ?」
勝利は驚いて顔を上げ、突然現れた疫病神の少女と、己の腕の中の少女を交互に見る。
「?」
きゅう姫も驚きに目を見開いている。何の前触れもなく現れた友人。その場違いな大声。
そして何より、淡い光を発して、元に戻り始めている自分の手足。
「いいとこでしたか! いいところでしたよね? あたいの疫病神の才能が、いやっホント恐ろしい! 惚れ惚れする!」
祭はこれ以上ないというぐらい、嬉しそうな顔をして部屋に上がり込んできた。
「祭ちゃん……」
きゅう姫が信じられないと言う目で、祭を見た。
「マヤもいるよ?」
祭がそう言って後ろを振り返ると、マヤがひょっこりドアから顔を出した。顔だけ出して、入ってこようとしない。
「どうした? 入ってこいよ! むさ苦しい部屋を、年頃の女の子にやっぱり笑われる! そういう不運を振りまこうぜ!」
祭が促すと、マヤが渋々といった感じで、全身を現した。
「こんばんは……」
死神の少女は玄関からゆっくりと姿を現した。
「どうしたの……どうなってるの……」
きゅう姫は自分の体をあらためて見回す。透けていたはずの体が元に戻っていた。
祭とマヤが、勝利ときゅう姫の前までやっくる。祭はニヤニヤと笑って座り、マヤはブスッと顔を背けて座った。
「ちょっと不運なことがあってね……特別に許可もらって降りてきた! まぁ、あたいにかかればどんな不運なことでも、向こうからもろ手を上げてやってくるけどさ! なっ!」
祭がマヤの肩をどやしつけた。平手で肩を叩く。ボロアパートに、景気のいい音が鳴り響く。
「不運、どこ、ろじゃ、ない、わ……」
叩かれる度に言葉に詰まりながら、マヤが応えた。
「?」
勝利ときゅう姫は、疫病神と死神の少女達が、何を言っているのか分からない。
「ところで……いつまで抱き合ってんの? 見せつけてあたい達を不運な気分にする気? 不運勝負なら、いつでも受けて立つぜ!」
「あっ!」
「きゃっ!」
勝利ときゅう姫は慌てて離れる。二人して正座した。
「あっ! マヤちゃん……鎌は?」
そしてきゅう姫はマヤが死神の鎌を持っていないことに気づく。
「売った……売らされた……」
「えっ!」
きゅう姫は驚きに思わず声を上げ、信じられないと言う風に、口元に手をやる。
命より大事にしていた母親にもらった鎌。それを売ったとマヤが言う。
「売らされたって! 自分で景気よく放り込んだんじゃないか! スポーンと、きゅう姫の提出箱にさ!」
祭が豪快に笑う。そしてその場面を思い出したのか、大きく手を上に上げて放物線を描いた。
「いや、勢いよく鎌を放り出したと思ったらさ、でっかい放物線を描いてきゅう姫の提出箱に収まりやがった! 不運だね!」
「私の……提出箱……」
「誰が足を引っかけたのやら……」
マヤが恨めし気に半目を祭に向ける。
「あたいの足が長過ぎたのが、不運だったって? あんなところで心配そうに、うろちょろしてる娘が悪いんだよ! 自分の不運だろ? 自業自得さ!」
祭はケラケラと笑った。
「提出期限ギリギリになってもさ、きゅう姫は現れない。屋敷の崩壊は見てたけどさ。まだ足りないのなら、この提出箱に何か放り込みにこないとと思って待ってたんだ。でも現れない。さすがに心配になって、イライラしながらつま先を踏み鳴らしていたんだ。そしたら同じく心配になって、マヤは提出箱の前をいったりきたりしててさ。お互いの足に何か引っかかったと思った時にはもう、不運にも鎌はつんのめったマヤの手を離れ、宙を舞っていた――とさ!」
「流石私の鎌……高く売れた……」
その時の状況を思い出したのか、マヤは暗い顔をする。まさしく暗雲たれ込めたかのように、さっと顔全体に陰が差した。
「人間から巻き上げないとダメなんじゃ……」
勝利が疑問に思ったことを口にする。
「きゅう姫の担任は、よっぽど2LDKが欲しいんだろうな。マヤの鎌は母親から贈られた特注品……美と豊穣と幸運の女神様が魔獣の爪から作った死神の大鎌……天界に二つとない、いやあり得ない品……超がつくレア品だ。自分で買い取って、横流しするつもりだな……あれは……不運にも捕まらないといいけどね! あの担任!」
祭が密やかに、それでいて最後は嬉しそうに笑う。
「お母様にバレたら……私、殺されるわ……」
「マヤちゃん……」
「いえ、いいのよきゅう姫……今は素直に喜びましょう……」
「じゃ……じゃあ……じゃあ、きゅう姫は」
「ああそうだよ、大将! きゅう姫は不運にも、不幸の女神様に――貧乏神に、ギリギリなってしまいましたとさ! いや! 不運だね!」
「残念ね……ご愁傷様……」
「祭ちゃん……マヤちゃん……」
きゅう姫が感極まってポロポロと涙を流し始めた。
「何? 泣いてるの? 誰だ、きゅう姫を不運にする奴は? とっちめてやろうか?」
祭がケラケラと笑う。
「そうね……新しい鎌の餌食ね……」
マヤが懐から真新しい鎌を取り出した。まるで市販品のような、草刈り用に使う小さな鎌だ。実際市販の鎌のようだ。近所のホームセンターの値札がまだ張りついていた。そして剥がし損ねたのか、そのシールはささくれて半分だけ残っていた。
「祭ちゃん! マヤちゃん!」
きゅう姫が二人に抱きついた。両手で二人の首筋にしがみつく。マヤの草刈り鎌の刃に、袴の袖口が引っかかって破けた。また新しい『つぎ』が必要のようだ。
「うるさいわね! 何騒いでるのよ? マケトシ」
窓の向こうで自慢のオデコと眼鏡を光らせながら、魅優が実家のカーテンを開いた。
「よう! 魅優!」
祭が陽気に手を振る。
「祭? きゅう姫ちゃん! マヤ! あ、あんたら! 何しにきたのよ?」
「ふふ、『何しにきた』とはご挨拶ね……これからは同級生なのに……」
「はぁ? 何言ってんのよ、あんたら?」
「無事『神級』できたんでね。あたいら二年生からは実地――下界で学習するんだ!」
「実地?」
勝利が驚いてきゅう姫を見つめる。
「うん……二年からは留学……地上の――勝利と魅優ちゃんの高校に編入するの……」
きゅう姫が振り向いてうなづいた。
「えっ、そうなの? あんたらそんなこと一言も!」
「ふふん! 不運にもサプライズ!」
「心臓……止まったかしら……」
「止まんないわよ! 経営者の心臓、なめんじゃないわよ!」
「きゅう姫……」
「えへへ。驚いた? 勝利」
「という訳で、このアパート貸してくれ! 不運にもボロなのがナイス!」
祭が壁を拳の腹で叩く。建物が軋み、天井からホコリが落ちてきた。
「本当……ボロ……ご自虐できそうだわ……病気になりそう……」
マヤがローブの袖を口元にやる。空気を吸うのも嫌だ。そういう仕草だ。
「うるさいわね! じゃあ他所で借りなさいよ!」
「いいのか? そんな態度! 二年から不運にも一人だけ違うクラス! ありうるかもよ!」
「何ですって!」
魅優が窓枠に足をかけた。今にも飛び込まんばかりの剣幕だ。
「あはは!」
「何だ、皆なこれからも一緒か……」
勝利が余程安心したのか、力が抜けたように呟く。
「大将! 貧乏神と一緒に居るのは、不幸の極みだぜ? それでもいいのかい?」
「なっ? 祭ちゃん!」
「当たり前だ!」
困惑するきゅう姫を余所に、勝利は弾かれたように力を取り戻して応えた。
「勝利……」
その力強い勝利の言葉に、きゅう姫が思わず振り向く。
勝利がきゅう姫に手を差し出した。きゅう姫が勝利の手を取って立ち上がる。
「不幸の女神様の後ろ髪は――」
勝利がきゅう姫を横に並ばせ、そのきゅう姫の肩に手を回す。
「――ッ! ちょっと勝利! バカトシってば!」
恥ずかしげもなくきゅう姫を引き寄せた勝利の腕の中で、
「何度でも掴めるからな!」
きゅう姫の黒く長い後ろ髪が艶やかに揺れた。