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二、不運!

二、不運!


「と、言う訳で大将! 力を貸してやってくれないかい! 不運で不器用で貧相なきゅう姫の神級の為に!」

 貧乏学生の小汚い部屋。

 男の一人暮らしを絵に描いたようなその部屋で、不運を司る疫病神――覇狼院祭がニヤニヤしながら切り出した。

「貧相は余計よ! 祭ちゃん!」

 こちらは貧相な貧乏を司る貧乏神――九条院きゅう姫がとっさに腕を組んで胸元を隠した。

「俺がか?」

 貧乏神と疫病神にズカズカと上がられた部屋の主――加納勝利が思わずそんな胸元を目で追っ手しまう。

「ちょっと……いちいち、ジロジロ見ないでよ」

「お、おう……」

「マケトシなんて、一銭の役に立たないわよ」

 テーブルを囲んでいた四人。その最後の一人オデコと眼鏡を金銭に光らせる勝利のイトコ――香川魅優が意地悪げに目を細める。

「るっさいな、放っとけ」

「残りは大した額じゃないし、一人でもどうでもなるわよ」

「だとよ。俺の出番はないってさ」

「何だよ大将。むしろ力になりたいだろ? 不運にも――一目会ったその日から、前後の見境なく入れ込んじまうのが一目惚れだろ?」

 祭の頬はこれでもかとにやけて赤く丸く膨らむ。

「――ッ! なっ? 何言い出すんだ!」

「祭ちゃん!」

 勝利ときゅう姫が同時に噴き出す。

「おや、不運にも違うと言い張る」

「そう言えばマケトシの奴。ことあるごとにきゅう姫ちゃんに見とれたわね」

「なっ! ち、違う!」

「み、魅優ちゃん!」

 勝利ときゅう姫が今度は同時に真っ赤になった。

「ほら見ろ、大将。何、誤魔化してんだ」

「違うって! 何か……そう! どっかで会ったことなかったかな――って思っただけだ!」

「えっ? 勝利……」

 きゅう姫が驚いた顔で勝利の赤い顔を見つめる。

「いや、多分気のせいだと思うけどさ! 何てったって、小さい時の記憶だし! 着てる服が着てる服だから――」

 勝利は釈明に気を奪われているようだ。そんなきゅう姫の表情に気がつかない。

 慌てて矢継ぎ早に捲し立てる。

「はっ。今時、そんな台詞で女の子の気を惹こうだなんて……」

 魅優が呆れたと言わんばかりに首を傾け、両の手の平を天井に向けた。

「だから! 何で俺が、きゅう姫の気を惹かなくっちゃならないんだ? どうしてそっちに持っていく!」

「不運にも第一印象だけで人生の大事なことを決めてしまう――それが一目惚れといやつだから」

 祭が親指を立ててとてもいい笑顔で答えた。

「違うって!」

「もう! 祭ちゃんも、魅優ちゃんも! 私、課題をこなさないといけないの! 遊んでる場合じゃないの!」

「きゅう姫ちゃん。どっちかって言うと、遊ばれてるのよ」

「魅優ちゃんってば! いいわよ! 大した額じゃないし! 本当に私一人で大丈夫だから!」

 きゅう姫がテーブルに勢いよく手を突いて立ち上がる。

「そうか、きゅう姫? ああ、それとな――」

 くるりと肩を怒らせてドアに向かったきゅう姫。その背中に祭が暢気に声をかける。

「何よ!」

 きゅう姫がドアに手をかけながら振り返った。草鞋に片足を引っかけながら、頬を膨らませている。

「渡し忘れてたけど、先生から手紙」

 祭が懐から紙片を一枚取り出した。

「何よ?」

「追試だから不運にも――神級試験の課題の額を上げるってさ」

 祭が取り出した手紙。そこには目を見張るような0が並んでいた。



「なっ!」

 きゅう姫が草鞋を脱ぎ飛ばしてテーブルに戻ってくる。

「なななな、何でこんな金額になってるのよ!」

 きゅう姫はテーブルに着くや否や、祭の手から手紙を奪い取った。

「そう言えば先生。マンション買いたいって言ったな」

「何で私が! 先生のマンションを買う為に、課題をこなさないといけないのよ!」

 きゅう姫が手紙をテーブルに叩き付けた。ぐっと祭に顔を寄せる。

「マンションあるだな、天界にも」

「きゅう姫ちゃんの課題でマンション買うの? その先生とやらは?」

「いや、偶然だと思うけど。不運にも深層心理の金額がでちまったんじゃねえの? 賃貸暮らしにも飽きたんだろ? 夢の2LDKとか時々呟いてたからな、あの先生」

「そんな!」

 きゅう姫が天を仰ぐ。この場合は本当に天に居る己の師を仰ぎ見たのだろう。

「ダメな先生ね」

「そうだな」

 魅優がウンウンとうなづき、勝利がウンと頷いて賛同した。

「マンションは一棟買いして、経営側に回るものなのに」

 魅優のオデコと眼鏡が同時に光る。

「そこかよ!」

「どうすんのよ! こんな金額、そこらに落ちてないわよ!」

「不運にも、やっとことの重大さに気がついたか?」

「祭ちゃんがやっと、重大なことを知らせてくれたんでしょ?」

 きゅう姫がぐぐぐと顔を祭に寄せる。流石に怒っているようだ。

「おや、そうだっけ?」

 こちらはのほほんと祭が応える。

「まあ、何ならもう一度一年生をすりゃいいじゃねえか」

「嫌よ!」

「じゃあ、軽く2LDKを提出箱に放り込んでやれよ」

「2LDKは提出箱に入んないわよ。不動産なんだから。それに、そんな金額……」

「なら、力を借りるんだな――」

 祭はそう言うと、ニヤッと笑って視線を移す。

 勿論その視線の先に居たのは――

「えっ? やっぱり俺?」

 きょとんと己を指差した勝利だった。



「そうだよ、大将! 不運にも――」

 祭がノリノリで己の懐に手を突っ込んだ。

「幸不幸はあざなえる縄のごとし――って言うよね!」

 祭が懐から不思議な花を取り出した。ウテナ――ガクのところで切り取られた蓮の花だ。

 茎から切り離され、先程まで祭の懐に入っていたというのに、萎れているような様子が見えない。今まさに根から栄養と水を取り込み、太陽の光を燦々と浴びているかのように瑞々しい。

「何よ、その花? 何か光ってない?」

 それに何処かほんのりと光っている。魅優がそのことを指摘した。

「祭ちゃん、それ……マヤちゃん家の門外不出のものじゃ……」

 きゅう姫もまじまじと祭が取り出した花に見入る。

「『マヤちゃん』? 誰、それ? きゅう姫ちゃん」

「死神の娘。不健康を司る死神としてはかなり優秀な娘なんだけど」

「貧乏神に疫病神――その上やっぱり死神まで知り合いなのか? どんなけ不幸なんだよ」

 勝利も花に見入る。それは『魅入る』と言い換えていい程、美しい光を放つ蓮の花に視線が吸い寄せられている。

「ふふん。借りてきた」

 祭が自慢げに鼻を鳴らした。

「『借りて』って。そんな簡単に――」

「さあ、大将!」

「何だよ?」

 勝利の目の間に祭が蓮の花を差し出す。

 鼻先に突きつけられた不思議な花。それを目を寄せてよりじっくりと見ながら勝利は応えた。

「大将にマンションを買うような甲斐性が――不運にもないのは重々承知」

「失礼だな。俺だっていつかはマンションぐらい買うかもだろ?」

「きゅう姫は残念ながら、今マンションぐらい買えるお金が必要。ポンと出してくれるかい?」

「待て。何で俺がきゅう姫の為に、マンション代を出さないといけないんだ?」

 勝利がムキになったように少々顔を赤らめる。

「おや、何も二人の新居にとは――不運にも言ってないけど?」

「あのな!」

「祭ちゃん! どうしてそうくっつけようとするの?」

「『どうして』って、不運にも楽しいからだよな?」

「楽しいからよ」

 祭と魅優が真面目な顔で同時に頷いた。

「あのね祭ちゃん。それに私別に、勝利にマンション代出してもらったって、嬉しくないから」

「ふられたわね、マケトシ」

「違うだろ!」

「だから! 私が勝利とマンションに住む訳じゃないでしょ!」

「えっ? きゅう姫――ひょっとして一戸建て派だったか?」

 祭かすっとぼけた顔できゅう姫に振り返る。

「そうね。立て替え問題とかのコストを考えると、一戸建ての方が将来設計には安心かもね」

 魅優も真面目な顔で腕組みをして考え込むような仕草を見せる。

「もう! 祭ちゃんも、魅優ちゃんも! そんな話じゃないの!」

「まあ、来年も一年生のきゅう姫には、そんな将来設計は不運にも無用か?」

「う……」

「さて、仕切り直しだ大将」

「何だよ?」

「幸不幸はあざなえる縄のごとし――それは人生の真理。そうは思わないかい?」

 祭が手の中の蓮の花を揺らす。

「まあ、多少は」

「そして今きゅう姫に必要なのは、大将の手にお金がある幸福! そしてそれを分捕られる不幸!」

「お、おう……」

 勝利が揺れる蓮の花に魅入られながら、息を呑むように返事をする。

「祭ちゃん……」

「だけど不幸に先立つ幸福があればいいが、不運にも――大将には先立てるものは命しかない!」

「こら、生死は管轄外なんだろ? 何を不吉なことをさらっと言ってくれてる?」

「気にするな大将。本当に命が必要なら死神少女本人を呼ぶさ」

「生命保険の手続きなら任せて!」

 いったい何処を光源にしたのか、魅優のオデコと眼鏡がギラリと輝く。

「魅優ちゃんってば!」

「だが、この〝幸運の蓮の花〟を使えば話は別だ!」

 勝利の視線を釘付けにしていた幸運の蓮の花。

 それがぐいっと祭の手によって勝利の手の届く位置まで差し出される。

「……」

 差し出された勢いのままに前後に揺れる蓮の花。

 祭の手から零れ落ちそうになるそれに、思わず勝利は両手を差し出してしまう。

「勝利……」

「マケトシ……」

「そう、この幸運の蓮の花なら話は別……」

 祭はいつも以上に妖しい笑みを浮かべる。

 その笑みとともに祭は、

 

「不運にもね――」

 

 その蓮の花を勝利に手渡した。



「『幸運の蓮の花』?」

 勝利がその言葉の響きにか、ごくりと息を呑んだ。

「そう! 不運にも苦労せずに幸運が手に入ってしまう――門外不出の幸運の女神様のグッズ!」

「『不運にも』……『苦労せず』にか……」

「そうだ、大将! でももちろんそんな自堕落なこと、疫病神様がノリノリで許しても、幸運の女神様は許しません! だからあやかった幸運の数だけ、もれなく不運にも不幸が訪れます!」

「幸運の数だけ不運にも不幸がね……」

 魅優も息を呑んでその花に見入る。

「お、おう……そりゃ、そうだろ? そんなうまい話ある訳ないしな……」

「おや、今一瞬あるんじゃないかとか思わなかったかい? 不運にも?」

「何言ってんだよ、祭? そそそ、そんな訳ないだろ!」

「そうかい? 人間てのは、欲深いからな」

「……」

 祭の言葉にきゅう姫が視線を勝利からそらした。

 無意識の動きだったようだ。そらした先の魅優と目が合い、きゅう姫は慌てたように視線を前に戻す。

「で、祭。どんなご利益があるんだよ? 花だけ渡されても訳が分からん」

「そうだな……」

 祭がやおら立ち上がる。狭い室内の中、祭は何故かきゅう姫の背後に回った。

「何、祭ちゃん? どうしたの?」

「疫病神の本領を見せてあげようと思ってね。不運にも――」

 祭は唐突に妖しい笑みを浮かべると、

「手が滑った!」

 足の裏でわざとらしくきゅう姫の背中を蹴り飛ばした。

「キャーッ!」

「なっ? ちょっ……危ないだろ!」

 きゅう姫が吹き飛んだ先には驚く顔の勝利がいた。

「それ疫病神の本領でも、手でもないわよ。祭」

 大慌ての二人を余所に、魅優が冷静に突っ込みを入れる。

「そうかい、オデ子?」

「おっ? それにしても大胆ね、マケトシ。さすがの魅優様も見直したわ」

「えっ?」

 もつれ合って背中から倒れた勝利。魅優の言葉と視線の先に思わず目を向ける。それは自分の右手だった。そしてきゅう姫の胸元だった。勝利の右手の掌が、のしかかってきたきゅう姫を支えんとしてかその胸に押し当てられていた。

「あっ!」

「キャーッ!」

 きゅう姫は真っ赤になって立ち上がると、勝利の胸ぐらを掴むや己の右手を繰り出した。

「グワッ!」

「おおっ! 不運にも!」

「グーね!」

 祭と魅優は息を合わせて、勝利の左の頬に沈む渾身の右ストレートに感嘆の声を上げた。

「キャーッ! キャーッ!」

「痛い! 痛いって!」

「パーに変わったわ!」

「むむ……不運にも連打には、バーの方がいいしな!」

 きゅう姫の平手打ちに、祭と魅優がわざとらしい生真面目な顔で解説を入れる。

「で、祭。これが『幸不幸』ってやつ? 私には普通の嬉し恥ずかしハプンニングイベントに見えたけど」

「そう? まあなんて言うか、分不相応な幸運は、不運にもその後の不幸の前振り――フラグでしかない。その一例ってことだよ、オデ子」

「ちょっと……魅優ちゃん! 祭ちゃん! 何を冷静に……」

 ――パンパンパンッ!

 ときゅう姫が勝利に更なる往復のビンタを浴びせながら、魅優と祭に振り返る。顔が真っ赤だった。

「痛い! 痛い! 痛い! いくら何でも叩き過ぎだろ!」

「忘れなさい! いい? 忘れなさい! 記憶をなくすまで叩いてあげるから、忘れなさい!」

 きゅう姫がビンタを一際大きく振り上げて、更なる一撃の為に力を込める。

「あのな!」

「あはは、大将! そんなに叩かれるってことは、それだけその前の幸運がありがたかったってことだよ!」

「何? マケトシ? そんなに喜んでたの? きゅう姫ちゃんとの嬉し恥ずかしハプニング?」

「うるせぇ! こんな貧相な胸、ありがたいもんか!」

 勝利が吐き捨てるように叫び上げると、きゅう姫の胸元を凝視する。

「何ですって! ありがたくないなら、何、じろじろ見てんのよ!」

「グハッ!」

「おお、チョキまで出たわ!」

「あのきゅう姫にサミングまでさせるとは! いい不運だな、大将!」

「やり過ぎだろ! そんな大層なモンかよ!」

「『大層なモン』? どうせ貧相なモンよ! 悪かったわね!」

「痛い! 痛い!」

 きゅう姫のパーが再開された。

「あはは、きゅう姫ちゃん。その辺にしとかないと、マケトシの奴、叩かれる喜びに目覚めるかもよ」

「おお! 不運にも『災い転じて福となす』か! やるな大将!」

「フンッ!」

 きゅう姫はやっと手を止めた。プリプリと頬を膨らませながら元居たテーブルの位置に座り直す。

「あのな……」

「さて、大将――」

「何だよ?」

「はっきりと返事はもらってなかったが、きゅう姫の課題の為に協力してくれるよな?」

「こんなに、ひどい目に遭ったのにか?」

「何言ってんの、マケトシ。いい目も見たじゃない?」

「いい目って……ひどい目の方と釣り合ったのかよ?」

 勝利がきゅう姫の横顔を抗議の視線で覗き見る。

「ふん……」

 きゅう姫が鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 勝利からはきゅう姫の横顔しか見えなくなった。

 その目尻には怒り過ぎのせいか、小さな涙が溜まっていた。

 すねて尖らせた唇。興奮に染まった赤い頬。視線を合わすまいと入れられた力に揺れる睫毛。同じく力一杯伸び切った白いおくび。

 何より目の端に光るそれ――

「……」

 勝利が黙ってそれらに見入る。

「……」

 きゅう姫も無言だ。無言でずっと首を勝利の反対側に向けている。視線を合わすまいそらされたそれは、今や顔を見られいまとしているのかもしれない。

「ふう……」

 勝利が大きく息を吐いた。


「いいぜ……幸も不幸も、俺に任せろ」

 

 いつまでもそらされたままのきゅう姫の横顔に、勝利はごく自然にそう応えた。 



「で、いきなりなんでショッピングモールなんだ?」

 勝利はぐるりと周囲を見回した。

 ここは食料品店を中核とした、数々の専門店が並ぶショッピングモール。専門店は服飾店を中心に、雑貨や文具店が五階建てのビルに立ち並んでいる。

「あたしの第六感が、不運はここだと告げてるからさ」

 祭が己のアゴに手をやり、自慢げに答えた。

「きゅう姫ちゃん、あそこよ! この服買ったの! いいでしょ? 後で寄らない!」

 吹き抜け構造の建物。その吹き抜けを貫くように真っ直ぐ指差し、魅優が興奮に我を忘れたように喚声を上げる。

「う、うん……」

 はしゃぐ魅優と対照的に何故か当惑の表情できゅう姫が答える。視線も少々泳いでいた。

「『不運』ね……」

 勝利がモールの内部から、身内の様子に視線を移した。

 祭は自慢げに背中を反らせている。

 魅優は眼鏡とオデコを光らせて、飛び跳ねながら私服に着替えたスカートを跳ねさせていた。

 きゅう姫はその横で少々顔を赤らめている。

 きゅう姫と祭の格好は出会った時のままだ。魅優だけが一度家に帰ったのか私服に着替えていた。

 つぎはきだらけの巫女さん袴に、場違いなお祭りの法被。そして――

「……」

「何よ、マケトシ? 人のこと、ジロジロ見て?」

「いや、不運にも相変わらずな服装だなって思ってな」

「む、不運とは何よ? このご機嫌な可愛らしさが分からないの? やっぱダメね。マケトシね」

「可愛いのか? 世間様では、このフリルとリボンのお化けを、可愛いと言うのか?」

 そう、魅優は全身フリルとリボンのショッキングピンクに彩られていた。

「可愛いわよ。何を疑ってくれてんのよ。ねぇ、きゅう姫ちゃん」

 少女趣味全開の痛々しい洋服で、魅優は鎧袖一触とばかりに、勝利の視線と意見を跳ね返す。

 もちろん周囲の人々のチラ見も、抜山蓋世と言わんばかりに弾き返していた。

「えっ? う、うん。可愛いよ、魅優ちゃん」

「言葉に詰まってんぞ、きゅう姫」

「うるさいわね、勝利! 詰まってなんかないわよ!」

「目も泳いでるのにか?」

「おおお、泳いでなんかないわよ!」

「ほら、きゅう姫ちゃん! バカは放っておいて、あっちのジュエリー見に行こう!」

「え、うん」

「おい! お前らあんまり走り回るなよ!」

 法被の少女を置いて、つぎはぎの巫女さん袴と、フリルのお化けがモールを駆けていく。

 勝利一人が常識に負けて、恥ずかしそうに鼻を掻いた。

「不運発見! 五階だ大将! きゅう姫! オデ子! いくよ!」

 祭が突如そう宣言するや、法被を翻してエスカレータに向かった。勇ましくも足を踏み鳴らし、一人でエスカレータを駆け上っていく。

 その後ろ姿を勝利が慌てて追いかける。勝利がエスカレータに片足をかけた時――

「おい祭! きゅう姫達がまだ――ウワッ!」

 祭が足を踏み鳴らし過ぎたのか、エスカレータが緊急停止した。

「痛て!」

 勝利が慣性に負けて思い切り前につんのめる。顔からエスカレータに激突した。

「勝利!」

「恥ずかしいわね。エスカレータぐらい普通に乗れないの?」

 きゅう姫と魅優がエスカレータに駆け寄ってくる。

 店員も慌てて駆けてくる。

「あはは! 不運だな、大将! うらやましい!」

 止まってしまったエスカレータの上から振り返り、祭がお腹を抱えて笑い転げる。公共の場だと言うことはお構いなしのようだ。

「あのな……」

「いよ! 大将! 不運の素質があるね! これは楽しみ!」

「お前が踏み鳴らしたからだろ!」

 運転を再開させる為に、勝利と祭が店員の指示でエスカレータから自力で降りてきた。

「踏み鳴らしたせいかしら? もしかしたら、体重のせいじゃないの?」

 魅優が意地悪な顔で二人を迎える。

「何を? こう見えても食べても食べても、何処にも身に着かない体質なの! 不運にもね!」

「本当かしら?」

「何を!」

 エスカレータが動き出す。

「あらよっと!」

 祭が今度も飛び乗るように身をエスカレータに踊らせ、勝利ときゅう姫、魅優が続いた。

「あそこよさっきのお店! しまった吹き抜けの反対側か? まあ、いいわ! 後で寄ろ? きゅう姫ちゃん!」

 魅優が遠くに見える店を指差しながら嬌声を上げる。興奮に我を忘れたのかその場で飛び跳ねまでする。

「魅優ちゃん。また、エスカレータ止まるよ……」

「お前のいい店はなぁ……」

「何よマケトシ? この服を買ったお店よ。このよさが、見て分からないの!」

「見て分からんわ!」

 勝利がわざと振り返り、その目に魅優の姿をしかと納めながら答える。

「何ですって! ひどいわね! きゅう姫ちゃん何か言ってやってよ!」

「えっ? えっ? そ、そうね……」

「ほら。きゅう姫も困ってんだろ?」

「何よ? 何できゅう姫ちゃんが困るのよ?」

「言ってやれよ。きゅう姫」

「はは……勝利、後で覚えてなさいよ……」

「いい服だね。オデ子」

 祭が話に割って入り、満面の笑みで魅優に振り返る。だがどこか作ったような笑顔だ。

 二階に着いた。祭は足取りも軽く、三階へのエスカレータに乗り換える。

「あら、ありがとう。でも、本心で言ってくれてるのかしら?」

 魅優が続いてエスカレータに乗り換える。

「見たところ……新品だね……昨日今日買った感じ……」

「買ったのは昨日よ……」

「試験中だったろ、魅優? 昨日買ったのか?」

「試験もあと一日。ラストを乗り切る為の、ご褒美に買ったのよ。試験が終わったら、絶対着てやるってね。それに何と言っても、このフリル。このリボン。この色。この柄。この可愛らしさ――買わずにはいられなかったわ! 一刻も早くね!」

「そう、センスがいいわね……でもそれ――」

 祭がいかにも言いにくい。本人に言っていいのかどうか分からない。でも仕方がない。そんな感じで視線をそらしてうつむいた。

 目も伏せ、まつげも揺らしている。心苦しいと言わんばかりだ。

「?」

 四人が三階に着いた。魅優おすすめの、今まさに話に出ているお店のあるフロアだ。

 四人はこの階には立ち寄らず、そのまま上りのエスカレータに乗った。その時――

「今日からバーゲンだし!」

 祭が一転、喜色満面といった顔で魅優に向き直った。

「何ですって!」

 魅優の背筋が雷に打たれた――ように勝利には見えた。

「バーゲンのシーズンはまだ先よ! 分かった! 下界に疎い振りをして、神様っぽさを演出しようとしているんでしょ! だまされないわ!」

「突然の閉店セール――」

 祭はまた、哀し気に目を伏せる。

 しかし哀しんでいないことなど、次に出た嬉しそうな言葉ですぐに知れた。

「在庫処分の為……なんと驚きの七割引き! 買った翌日さっそく値引き――その程度の不運を嗅ぎつけるなど、この疫病神の祭様にはお易い御用だね!」

「――ッ! 何ですって!」

「ひどいな祭」

「祭ちゃん!」

「そしてリニューアルオープン用の――割引クーポンまで大量プレゼント!」

「ガハッ……」

「うお……止めも忘れないとは……本物の疫病神だな……」

 勝利が真剣な顔でわざとらしげに息を呑む。

「そ、そんな!」

 魅優が思わずエスカレータから身を乗り出した。視線の先はお気に入りの店だ。

「危ないって! 魅優!」

「あっ! 何よ、あの『セール』とか『閉店』とか、『店じまい』の垂れ幕は!」

「魅優ちゃん! 危ないって! 体乗り出し過ぎだよ!」

「止めないで、きゅう姫ちゃん! 乙女なら分かるはずよ! この悔しさ――」

 きゅう姫の制止を振り切って身を乗り出した魅優は、

「イタッ!」

 巻き込み防止の安全板に頭を派手に打ちつけた。

 慌ててその身を引っ込めた魅優は、その場で頭を抱えてしゃがみ込む。

「不運ね! 可哀想に! 同情する――」

 祭が言葉とは裏腹に捩れんばかりにその場でお腹を抱えて笑い、

「うわっ! 何やってんだ!」

「キャッ! 祭ちゃんってば!」

「おお! 不運にも本日二度目の緊急停止!」

 やはりその衝動にエスカレータが緊急停止する。

 そしてしゃがみ込んでいた魅優がバランスを崩し、

「うぎゃあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁ……」

 自慢のフリルとリボンの私服を翻して、エスカレータを何処までも転げていった。



 エスカレータを先導した祭が、皆を連れてきたのは催事場だった。

 フリーマーケットが催されていた。いらなくなった洋服や小物が持ち寄られている。

「いいね。お祭りの雰囲気! きゅう姫! こっち! こっち!」

 祭が一人で駆け出す。きゅう姫が慌ててついていった。

「あっ! きれい……」

 祭に追いついたきゅう姫が思わず声を漏らす。

 目の前には小物を並べているブース。大小さまざまな食器が並べられていた。

「どう? きれいでしょ? 家の奥に眠ってたの。お安くしとくよ」

 ブースに座った若い女性が、愛想良く品々を指差す。

「うはっ! きれいっ!」

 追いついた魅優が驚きの声を上げる。買った次の日に安売りという不運に転げ落ちたショックから、ひとまずは立ち直ったようだ。

 魅優達が目を奪われたのは、ガラス細工の食器だ。鮮やかな赤や紺の色がつけられている。

「きれい……」

 ガラス細工にきゅう姫が見入る。きゅう姫は一枚の小皿を手にしていた。

「早い者勝ちよ! どれでもまとめて五つ! これでどう?」

 出展者の女性は小銭で充分な金額を指で指し示す。

「あら、お安いわね」

 魅優がオデコと眼鏡をキラリと光らせる。

「んだな。流石フリマ」

「どうだ、大将? 不運にも不測の事態でお皿自体は不足のはず」

「俺のお皿が〝不足〟の事態なのは、お前のせいだが?」

「そうかい? 気にすんなよ。さあ、きゅう姫選ぼうぜ!」

「えっ? でもこれって……」

 きゅう姫が驚いたように息を呑む。

「きゅう姫……どうだ?」

「祭ちゃん、これ……」

「きゅう姫! 不運にもオデ子にはセンスがない! お前が五つ選んでくれ!」

「ちょっと、祭! 何でいちいち私を引き合いに出すのよ!」

「えっ? 不運にも、自分じゃ気づけない?」

「何ですって!」

「どれでも五つ。選んでね」

 女性がにっこりと笑う。

「きゅう姫。早くしないと、不運にも他の人に先を越されるぞ。大将のお皿はこれで弁償して、エロい雑誌はきゅう姫の生身で勘弁してもらおう!」

「祭ちゃん!」

「――ッ! 何を言ってんだ!」

「きゅう姫ちゃん。その時はお釣りもらっていいわよ」

「魅優ちゃんまで。えっと、じゃあ……これと、それと……」

 きゅう姫はガラスの食器を四つ選んだ。色鮮やかなグラスや皿だ。

 きゅう姫の手はそこで止まる。

「後は……これ……」

 きゅう姫は最後に少し雰囲気の違うガラスの小皿を選んだ。

「毎度あり! ありがとね!」

 女性がガラスの食器を、無造作に新聞紙で包んで差し出してくれる。

「こちらそ! あんがとね!」

 祭が満面の笑みでその包みを受け取った。

 


「で、きゅう姫……お幾ら?」

 祭が下りのエスカレータに足をかけるや否や、きゅう姫ににやけながら振りかえる。

 声はひそめているが、顔は笑いを堪えるのに必死のようだ。

「『お幾ら』って……何、興奮してんだ? たった今、買ったばかりじゃないか」

 祭に魅優、勝利、きゅう姫と続く。

「甘いね大将! あたいの疫病神としての不運を探し出す能力……そしてきゅう姫の貧乏神としての値踏み能力……」

「不運? 値踏み? それが何よ、祭?」

「不運を見つけ出すのは、あたいの力! 物の値段を見抜くのは貧乏神の力! そして何より大将が手に入れた幸運の蓮の華! あたい達の女神様のこの力があれば、不運にも不相応な値段で売りに出されている――そんな不要品を見抜く幸運に恵まれるなんて訳ない!」

「でも祭ちゃん。やっぱりちょっと悪いよ……」

「何? きゅう姫? 言ったろ。あたいらが買わなきゃ他の人が買っていた」

「……そうだけど……」

「それで価値の分からない人が買ったら、それこそその器にとって不運だ。それにお姉さんだって喜んでたろ?」

 四人はエスカレータで三階まで降りてきた。

 魅優が眉間にシワを寄せて、そのフロアの先にあるお気に入りの店を睨みつける。

 やはり魅優のお気に入りのお店は、店じまいセールをしているようだ。

「オデ子、どうした? 寄ってかないのか?」

「うるさい! もうお金ないわよ! 七割引でも買えるか!」

「何だよ。まだ話は終わってないぞ。そんな服より、お皿の話だ」

「そんな服ですって!」

「きゅう姫は不運にも貧乏の女神様。自分が巻き上げる品の値段なんてすぐ分かる」

「分かるのか? きゅう姫?」

「うん。貧乏神だからって、闇雲に財産奪う訳にはいかないから……普通は……」

「普通は? 普通は、何だよきゅう姫?」

「普通のものならすぐ、値段が思い浮かぶんだけど……これはちょっと……」

 エスカレータを降り切った。魅優が未練がましく、吹き抜けの先を睨みつけている。

「えっ? ちょっと何だよ?」

「鹿児島のナントカ切子とかいうやつだと思うんだけど……」

 きゅう姫は首を捻った。一階へと降りるエスカレータに乗り換える。

「これは希少品で、お皿にしては高価過ぎて、すぐには値段が分からないの」

「何ですって! きゅう姫ちゃん! あっ?」

 驚き振り返った魅優。何かにぶつかって驚きの声を上げる。

「げっ!」

「あ……ゴメン……」

 そしてその驚いた魅優にぶつかられ、勝利が勢い良くバランスを崩す。

「勝利!」

「おお! さっそく相応の不運に見舞われている! 流石幸運の蓮の華!」

 驚くきゅう姫の手を空しくすり抜け、にやける祭の笑顔を背に、


「あああぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁァァァ……」


 勝利は先程の魅優以上の勢いでエスカレータを転げていった。



「ごめんって言ってるでしょ。しつこいわね」

 デパートからの帰り道、ハナミズキの遊歩道を、魅優は勝利に逆切れしながら歩いていた。

「エスカレータから突き落としておいて、ごめんで済ますな!」

「私だって落ちたわよ!」

「威張ることか!」

 勝利と魅優は鼻突きつけ合わせて怒鳴り合う。

「あはは! 似た者同士の不運なイトコだな」

「うるさいわね! 元はと言えば、祭のせいでしょ!」

「うーん。不運はあたいの仕事だしな。まあ、でも大将の不運は、蓮の花の幸運の反動だろ? きゅう姫の為になったって証拠だよ」

「あのなこの調子で不幸をもらってちゃ、最後は俺の体がもたないだろ?」

「それが何? マケトシ。きゅう姫ちゃんの為でしょ? 頑張んなさいよ」

「何だと!」

「いや、それにしても不運だね。羨ましいね。大将」

「お前らな……」

「魅優ちゃんも、祭ちゃんも……少しは勝利の身にならないと……」

「何をきゅう姫! それは不運にも喜びに変わる程、往復ビンタを浴びせかけろ! パンパンッ! ということか?」

「なっ?」

 きゅう姫が真っ赤になって目を丸くする。

「そうよね。あれだけの往復ビンタを浴びせかけた、きゅう姫ちゃんに比べれば、エスカレータ落ちぐらい、何ともないよね」

「ちょ……ちょっと魅優ちゃん!」

「何ともあるわ!」

「何言ってんだ大将! 不幸の女神様二人に目をつけられてるからな。大将の不幸は、不運にもまだまだこれからだよ。よかったね!」

「あのな……帰ってきたぞ」

 話し込み、怒鳴り合っているうちに、勝利のアパートが見えてきた。

「そう言えば不幸の女神様って、もう一人いるのよね。きゅう姫ちゃん? 貧乏。不運。不健康の三人だって言ってたし」

「うん。死神のマヤちゃん」

「死神? この期に及んで、まだ死神まで落ちてくるのか?」

「どうだろうな大将。あいつは素直じゃないからな。あたいが降りてくる時は無関心装ってたし。しばらくは――」

 祭が何か言いかけたるとヒュウ――という風を切る音が、四人の頭上から聞こえてきた。

「何だ?」

 アパートの敷地に皆に続いて足を踏み入れた勝利が、その不審な音に顔を上げる。

 少女だ――

 ローブをはためかせた少女が、天高く舞い落ちてくる。

「何だ! またか?」

「おっ? 噂をすれば」

「えっ! マヤちゃん?」

 少女はぐんぐんと大きくなる。風を切る音が、少女の姿が大きくなるに連れて、はっきりと聞こえてくる。少女の手元で何かが妖しく煌めいた。

「何だ?」

「鎌だよ。大将」

「鎌?」

「文字通り鎌で風を切って――落ちてきてるんだよ。何て言うか、スカイ〝ダイ〟ビングってな感じ」

「へっ……」

 鎌の刃が日の光を反射して光った。よく切れそうだった。

 よく切れそうな大鎌を持った少女が降ってくる。

「――ッ!」

 あまつさえ少女は鎌を振り上げた。

 落下の勢いのままに、鎌をふるい、首を刈る。そんな勢いだ。

「なっ!」

「ぎゃあ!」

 勝利と魅優が首を引っ込めて、少女の鎌の一振りを避けたのと、少女が轟音を立てて地面に落下したのはほぼ同時だった。

 少女の落下で辺り一面に衝撃波が走る。舗装されていないアパートの敷地から、大量の土煙が舞い上がった。

 その向こうから聞こえてきたのは、

「キャーッ!」

 というきゅう姫の絹を裂くような悲鳴と、

「オォッ! 不運にも巻き添えに!」

 祭の楽しげな喚声だった。



 空から落ちてきたローブの少女が、アパートの敷地でゆっくりと立ち上がった。やはり手に大鎌を持っている。

 少女は半開きの目で辺りを見回し、悠々とその大鎌を肩にかけた。

 フードを目深く被り、その表情は薄暗い陰の向こうでよく分からない。

「きゅう姫と祭……どこ……」

「やっぱり……きゅう姫達の知り合いか?」

 土煙の中の少女に、勝利が息を呑んで声をかけた。

「きゅう……」

 首を引っ込めた勢いで地面に突っ伏した魅優が、気絶寸前と言わんばかりに喉から空気を漏らしていた。

「そうよ……」

「死神――か……」

 勝利はその妖しくはためくローブと大鎌に、更に息を呑んで呟く。

「そうよ……きゅう姫を知っているのね……」

「ああ……今課題のクリアを手伝っている……」

「ふーん、そうなの……私はマヤ……吉祥院マヤ……不幸の女神様の一人……そう、死神……」

 マヤと名乗った少女は半目な目を更に凝らして勝利を見た。ローブの中に垣間見えたその顔は、驚く程に左右対称――シンメトリーだ。

 その偏りのない顔は見る者に『平等』という言葉を思い起こさせた。そう、それはまるで避けられない――万人が逃れられない運命を思い起こさせる平等だ。

「『吉祥』? 死神のくせに、お目出度い名前だな」

「黙れ、人間の男……それは私の逆鱗に近いぞ……」

 マヤがぐっと鎌を構え直す。その鏡のように煌めく白刃に、対峙する勝利の身が映る。

「何を!」

「あなたね! そんな鎌振り回して! 危ないでしょ!」

 ようやく我を取り戻した魅優が、抗議の声を上げて立ち上がった。

「ふっ……心配するな……人間そのものはあまり切れない……」

「なっ? その凶悪な刃で何言ってんだ?」

「私は神の力を使うのに鎌が必要なの……着地に振り回したのは、その為……」

「今、思いっきり俺を狙ったくせにか?」

「この鎌は死期に近づいたもの……そう死の予定のある者――誰にでも平等に訪れる死の運命を迎えた者の魂を、刈り取るか……それか人間から健康を奪い取る為のもの……物質はともかく、人はあまり切れないようになっている……試してみるか、人間の男……」

「この……危ないのには、違いないだろ!」

「きゅう姫は何処……祭も……」

「きゅう姫と祭は、あそこだ……」

 勝利はアパートの敷地の奥を指差す。それは隣との敷地を隔てる、ブロック塀だった。

 マヤの着地の衝撃に巻き込まれ、

「不運にも壁にぶち当たってます!」

「あはは……」

 きゅう姫と祭は壁に吹き飛ばされていた。

「きゅう姫……」

 マヤがきゅう姫達に歩み寄る。

「マヤちゃん……」

「早かったじゃないか。マヤ」

「これでも一度家に寄ったから……少し遅くなったのよ……」

「あはは、これで遅い方なのかよ? 不運にもどんなに急いできたんだよ、マヤ?」

「ふん……ところで……」

 マヤが鎌の先を、地面にへたり込んだきゅう姫のノド元に突きつける。

「きゅう姫……幾らか、巻き上げたの……課題はこなせそうなの……」

「あはは! マヤ危ないって!」

「そ、その……」

「危ないだろ」

 慌てて近づいてきた勝利が、きゅう姫の前に回り込みマヤの鎌を押し退けた。

「勝利……」

「大将!」

「マケトシ!」

 三人が驚いて勝利を見る。

「おっ? 俺、ひょっとして今カッコいい?」

「いや、不運にも、それは思わなかった」

「何、調子乗ってんのよ? マケトシ」

「勝利! そんなバカなこと言ってる場合じゃないって!」

「一人ぐらい賛同してくれ!」

「私の死神の鎌に気安く触るな、人間の男……さもなくば……」

 マヤがぐっと鎌を押す。

「さもなくば……何だ?」

 睨み合うマヤと勝利。勝利は皆の視線に酔いしれたのか、更に手に力を入れてマヤと鎌を押し合った。

 ついでに眉間にも力を入れる。凛々しい顔を作ろうとしたようだ。

「さもなくば、不運にも――」

 死神の少女の代わりに答えたのは疫病神の少女だった。

「ん?」

「健康を奪い取られて、病気になっちゃうんだよね!」

「えっ? あっ」

 勝利は突然の高熱と悪寒に襲われて視界がゆがみ、

「あれ?」

 そのまま目の前が真っ暗になって気を失った。



「あれ?」

 気を失った勝利。手を着いて我が身を守ることもなく、そのままアパートの地面に倒れ込んでしまう。

「勝利!」

 きゅう姫がその様に慌てて身を屈めた。勝利の上半身を揺すりながら起き上がらせる。

「ふん……こいつか、きゅう姫のピンチの原因は……」

 マヤが怒気とともに、鎌を振り上げる。

 太陽の光を受けた大鎌の刃が、アパートの狭い敷地でギラリと光った。手入れがよくいき届いているのが誰の目にも明らかな刃だ。

「如何にしてくれようか……」

 マヤが刃を振り下ろし、きゅう姫の胸の中の勝利に突きつけた。

「ちょっとマヤちゃん!」

「ふん……しかも、その花! 何故貴様が持っている? 人間の男!」

 マヤが珍しく語気を荒げた。痛い程に鎌を握り締め、更に前に突き出す。

「マヤちゃん! 落ち着いて!」

「何? 幸運の蓮の花がどうしたのよ? マケトシが持ってちゃ悪い訳?」

「万死に値するわ……」

 マヤがギリリと音が聞こえてくる程に、奥歯を噛み合わせた。

 勝利の喉元。頸動脈を切り裂かんとばかりに刃が迫りくる。

「ちょっと、今はそれどろじゃ……勝利。大丈夫?」

「キーッ! しかも何よ? 何できゅう姫が、そんなに心配してるのよ!」

「当たり前でしょ! 人間が死神の刃握っていいわけないじゃない!」

「おや? そんな理由ですか? きゅう姫ちゃん? マケトシだからじゃないの?」

「魅優ちゃん。こんな時に、つまんないこと言わないで」

「おのれ! お母様の幸運の蓮の華どころか、きゅう姫までも!」

 マヤが刃を振り上げ闇雲に振り回す。

「『お母様の』? ああ、このマヤって死神。さっきの話の娘ね」

 黒いローブに、禍々しい大鎌。

 魅優は興奮に鎌を振り回す死神少女を上下に見回す。

「そうよ魅優ちゃん。祭ちゃんが、マヤちゃんからこの蓮の華を借りてきて――」

「貸した覚えなど――ない!」

 マヤが不意に大鎌を振り下ろした。

「うひゃ! 不運にも、逃げ損なった!」

 その刃は地面に四つ足を着いていた――祭の眼前に振り下ろされる。

 一人だけこそこそと逃げ出そうとしたらしい。

 地面に突き刺さった刃に、その進路を阻まれ祭がそこでピタリと止まる。

 だが祭は内から湧き出る笑いを抑え切れないといった、わざとらしい困惑の表情を眼前の刃に映し込む。

「祭ちゃん。幸運の蓮の華って、借りたんじゃなかったの?」

「借りたさ。不運にも――黙ってね」

 祭がスッと立ち上がる。その背筋の伸び様には、一片の反省の色も見受けられない。

「ダメじゃない!」

「そうか?」

「そうよ。身内の貸し借りにも、証文はしっかり作らないとね。後々のトラブルのもとよ。お金の貸し借りなら、利息もちゃんと民法に則って文書で確認することね」

 魅優が生き生きとオデコと眼鏡を光らせた。

「魅優ちゃん。そんな生々しい話は後にして」

 きゅう姫が勝利に肩を貸しながら立ち上がる。勝利はまだ気を失ったままのようだ。ダラリと力なくきゅう姫に身を任せている。

「お母様にバレたら、どうしてくれるのよ……私が殺されるわ……」

「死神だろ? 死を恐れるな! そんなこっちゃお母さんに殺されるぞ!」

 祭がビシッとマヤを指差した。

「祭ちゃん。何、堂々としてるの?」

「むっ……不運にも火に油を注いでいるって? さすが天才不運少女。あたいってば……」

「祭! 何酔いしれてんのよ!」

「オデ子! 言ってくれるな。疫病神としての自分の才能が怖いくらいなんだ!」

「祭ちゃん。そんな悠長な場面じゃないと思うけど……」

 そう。マヤの刃は明らかに祭達に向けられていた。まさに切っ先を向けていた。

「てか、マヤ。貸してくれよ? 別にいいだろ? きゅう姫の為なんだから」

「それは……」

「不運にも、順番が逆になってただけだろ? マヤだって、きゅう姫にこの蓮の華を貸そうと思ったから、一度家に寄って遅れてきたんだろ?」

「……」

 マヤが奥歯をギリリと噛んだ。

「ははん、あれだな。お母さんの叱責を恐れずに、きゅう姫の為に幸運の蓮の花を持ち出そうとしたら――」

「ぐぐぐ……」

「不運にも先を越されていた――ってか!」

「ぎぎぎ……」

「そりゃ不運! それは失礼! 自分にしかできないはずの――美味しいところを、他人に持っていかれましたか?」

「ちょ、ちょっと……祭ちゃん……」

「うるさい!」

 マヤが大鎌をもう一度闇雲に振り回す。

「何? 何の話? 話が見えないんだけど。ちょっと一から整理してよ」

 魅優が話に割って入る。もちろんは体は割って入らない。

「マヤちゃんのお母さんは、美と豊穣と幸運の女神様なの。まさに幸福の為の女神様なの」

「そうよ……私の自慢のお母様……」

 怒りの鎌捌きをやっと収めたマヤが、息を切らしながら応える。

「美と豊穣と幸運――三つの幸福を兼ねる、古からの女神様。天界でも大物でね。怒らすと怖いって有名なんだ。ま、不運にも大抵怒られるのは――」

 祭がマヤを見つめる。不謹慎なまでに心底この不運を楽しむ笑顔だった。

「幸運の女神様の娘なのに、何故か死神に生まれついた――マヤだけどね!」

「幸運の女神様と死神? 真逆じゃない?」

「キーッ! うるさい! 人間の女の分際で!」

「ヒッ!」

 魅優が悲鳴を上げる。マヤの鎌が、地面に深々とめり込んでいた。

「ひと思いに死ねる幸運……味わいたいか……」

「落ち着けって、マヤ! 無理に幸運の女神様のフリするな!」

「何を……私は自慢の娘を持つ自慢のお母様の自慢の娘……幸運の一つぐらい余裕よ……」

「どんなけ自慢なんだよ。不運にも、いつも怒られてるくせに」

「あれは叱咤よ……お母様は私を激励しているのよ……死神と生まれついたからには、死神として一番になりなさいって……」

 マヤが自分に言い聞かせるように呟く。その目は焦点が合わず、うつろに輝いていた。

「一番って……学校では一番じゃない。文句なしの死神だって、先生褒めてたよ」

「学校での一番……ダメよ……私は天界で一番になるの……そしてお母様にもっと褒めてもらうの……」

 マヤの独り言は更に続く。そのまま地面にめり込んだ刃先を抜いた。

 その瞬間――

「――ッ!」

 鎌が一閃する。誰の目にも止まらぬ速さで、一同の鼻先を刃の光がかすめる。

「あは……」

 魅優が真っ青になって、天を仰いだ。

「魅優ちゃん! しっかり!」

「うるさい! こうなったら、全員一思いに!」

「マヤちゃん!」

「マヤ! 落ち着け!」

「やっかましい! 死神の生き様――見せてくれるわ!」

 マヤが大鎌を天に向かって振り上げた。

 そして――

「待ってくれ!」

 今にも振り下ろされんとするその刃の前に、目を覚ました勝利が我が身を投げ出した。



「待ってくれ!」

 勝利が皆の前に出る。まだ少し視線がぼやけるのだろう。その足取りは何処かぎこちなくよろめいている。

「勝利!」

 きゅう姫が悲鳴を上げる。

「何を!」

「今はきゅう姫の課題が――先だ!」

 勝利は無謀にも両手を広げて、死神の鎌の前に身を投げ出した。

 文字通り必死の様子でマヤを止めようとする。

 だが――

「キーッ! やかましい!」

「うわあああぁぁぁあああぁぁぁァァァ!」

 勝利は死神の鎌にあっさりと刈られる。

 マヤは何の躊躇も迷いもなく、死神の鎌を勝利の首筋に打ちつけた。

「勝利!」

「大将!」

「マケトシ!」

 鎌に体ごと吹き飛ばされる勝利。きゅう姫達がその様をどうすることもできずに見送る。

「ちっ……首を刈った手応えがない……やはり死期の近くない者は、ダメか……」

「がは……いてて……」

 弾き飛ばされてアパートにぶつかった勝利が、すぐにふらつく足で立ち上がった。

 首筋に赤い筋がついている。打撃の痕だ。

 マヤこの位置で勝利の首を刈るつもりだったらしい。

「おお、静脈の真上だな。不運にもスッパリといったら、アッサリと逝ってもおかしくない位置だな」

「普通止めるだろ! あの場合!」

「ふん、人間の男……何を言うか……お前らの普通など、神である私には関係がない……」

「ぐ……」

「勝利! 大丈夫?」

 きゅう姫が勝利の下に真っ先に駆け寄った。

「キーッ! だから、何でそうなるのよ!」

「落ち着けマヤ! 今は確かにきゅう姫の課題が先だ!」

「そうよ! マケトシはその後で、煮るなり斬るなり刈るなり、何なりとしなさいよ!」

「こら魅優! 何言ってんだ!」

「あっ! そうね、魅優様としたことが忘れていたわ。生命保険まだかけてないものね」

「オイッ、コラ! 何を素で忘れてたみたいな顔して言ってんだ! てか、誰が俺の生命保険を受け取るってんだよ?」

「はっ、愚問ね。イトコ様に決まってんじゃない」

「何を!」

「きゅう姫の課題……」

 マヤが大鎌をグッと握りしめた。

「そうだマヤ! 今蓮の花で、幸運を呼んでいるところなんだ! 不運にも苦労せずにね!」

「苦労しているような――気がしてきたがな……」

 勝利がふらつきながら、きゅう姫とともに戻ってくる。

「なるほど、こんな貧乏くさい人間をつかまえて……どうするつもりかと思ったら……」

「貧乏くさ……ぐ……」

「勝利、大丈夫?」

 勝利がバランスを崩し、きゅう姫がとっさにその身を支えた。

「キーッ! 近い近い近い! 離れなさいよ!」

「だって、勝利一人で立てないよ」

「悪いな、きゅう姫……」

「うぎぎ! 人間の男の分際で、きゅう姫になれれれれ、なれなななななれれしい!」

「あはは! 焦り過ぎだって、マヤ。不運にもしゃべれてないぞ。あきらめろって」

 闇雲に鎌を振り回す友人に、祭が場違いな程腹を抱えて笑うと、

「とにかく離れ、なさぎゃ、うにぎゃ、ぎぎぎゃが、ごぎぶぎが――フギャッ!」

 マヤが一際派手に己の舌を噛んだ。



「おい」

「何だ……人間の男……」

 勝利のさして広くないアパートの部屋に、男女合わせて五人が膝を並べていた。

 膝を並べた先はちゃぶ台代わりの段ボール箱だ。

 魅優が持ち込んだノートパソコンが、その上に乗っていた。もちろん色はピンクだ。ショッキングな程ピンクだ。

「この鎌をどけろ」

 勝利のノド元に、マヤの鎌が突きつけられていた。

「狭いのだから……仕方がない……」

「狭い? 仕方がない? ものすごく作為的に感じるんだけどな!」

「ちょっと後ろ。うるさいわよ。作業の邪魔しないでくれる」

 パソコンの前に陣取った魅優が、キーボードを打ち込みながら言った。

 魅優がパソコンの前。そのすぐ後ろに左から祭、きゅう姫、勝利、マヤの順で座っていた。

 魅優のパソコン操作を、皆で扇形に見守る形だ。

 そしてマヤの手から伸びた鎌は、勝利ときゅう姫の間に邪魔をするかのように、その刃を差し入れられていた。当然妖しい光を放つ内刃を、勝利の方に向けている。

「あはは。大丈夫だよ大将。触れなきゃ何ともないって!」

 膝を突き合わせて皆が縮こまるように正座をしている中、一人あぐらをかいた祭が言った。あまつさえきゅう姫にぶつかるのも気にせずに、祭は暢気に足を組み替えた。

「そう……触れなければ、何ともないわ……」

「そう言いながら、こっちに刃を近づけるのは、やめてくれ」

「別に近づけてないわ……あなたがきゅう姫に、近づいてるんじゃない……」

「あのな……」

「マヤちゃん……実は私も少し、怖いんだけど……」

 あぐらを組み直した祭に、押される形になったきゅう姫が、迫りくる刃に冷や汗を流す。

「分かったわ、きゅう姫……なるべくこっちに寄せるわ! えい!」

「おいっ! こっちって! それ、俺の方だろ! 何を嬉しそうに! 当たる! 当たる!」

「マヤちゃん!」

「きゅう姫……ダメよ、近づいちゃ……大変、引っ込めなくっちゃ! えい!」

「――ッ! 当たった! 当たった! あっ……寒気が……」

「勝利!」

「キーッ! だから何ですぐそう構うのよ!」

「あはは! 不運にも逆効果か? マヤ!」

「うるさいって言ってるでしょ、あんたらは! はい、できたわよ!」

 魅優が後ろに振り返り、皆にパソコンのモニターを指し示した。

「魅優。これが――お前の提案したやつか?」

 勝利は鎌から首を逃して、パソコンのモニターを覗き込んだ。

 その瞳にモニターに表示されたお皿の写真が映り込む。

「むむ! ここなら、どんな値段がつかないものでも。金に糸目をつけないマニアが、不運にもわらわら寄ってくるというのか?」

 祭がぐっと身を乗り出した。わざとらしいまでに、きゅう姫の肩を押し退けてモニターに顔を近づけた。

「祭ちゃん! だから押さないでって! マヤちゃんの鎌が!」

「まあ、きゅう姫! 危ないわ! えい!」

「だから、マヤ! 俺の方にわざわざ刃をよせるなって!」

「ホントうるさいわね! あんたらは! そうよ、マケトシ、祭。これが――ネットオークションよ」

 魅優はニヤリと笑う。

「これだけの稀少品。売るに売れないんじゃないかと思っていたが……」

「ふふん。甘いわねマケトシ。どんなものにも好事家はいるわ。マニアの間に放り込んであげれば、あっという間に値がついて跳ね上がっていくわよ」

 魅優は自信満々にそう応えると、自慢げにオデコと眼鏡を光らせた。



「魅優……」

「何よ? マケトシ?」

「跳ね上がら――ないけど……」

 勝利がモニターを凝視しながら言う。

 魅優に言われてから、勝利達は五人で額を突きつけ合わせてモニターに見入った。五人がオデコ比べでもしているかのように、画面に額を突き出す。

 もちろん一番オデコが大きかったのは魅優だ。オデコがてかてかだったのも魅優だ。誰もオデコでは、質、量ともに魅優に勝てない。圧倒的だ。

 だが待てど暮らせど、モニターには変化らしきものが何ら現れない。

「魅優ちゃん……」

「ぐぐぐ……おかしいわね……」

「人間の女……信用していいんだな……」

 マヤがぐっと己の鎌を握る。力のこもった刃先が、更に勝利の喉元に迫る。

「マヤ、魅優を脅しながら、俺に刃を押しつけるのは止めてくれ」

「ふん……人間の女が頼りになれば問題ない……」

「うるさいわね。この魅優様が言うんだから、間違いないわよ」

「でも、どうなんだよ魅優。あたいはコンピューターってのは、不運にも苦手でね。説明してくれよ」

「ふん……人よ、人。応札者よ。見ている人がいないと、どうしようもないのよ。こればっかりは、この魅優様でもどうしようもないわよ」

「自信満々で出品したくせに」

 祭がケラケラと笑った。

「うるさいわね……」

「確かに出品しました。欲しい人が皆見てましたは、運任せか……」

 勝利が難しい顔をして唸る。

「運? 運だって、大将? 運なら、不運にも、うんとあっちゃうだろ? ウンウン唸らなくってもさ」

「何? 祭ちゃん?」

「何だよ? 祭」

「これね……」

 マヤがスッと立ち上がり、机の上に手を伸ばした。そこにあったのは、水をはった皿に浮かべられた――幸運の蓮の花だ。

「お母様の力……幸運の蓮の花の力……仕方がないわ、存分に使いなさい……」

「何だか俺には、不幸の蓮の花に見えてきたがな」

「何? 人間の男……お母様の力、不服なの……」

「不服はお互い様――そんな顔をしているように、見えるけどな」

「分かってるなら、いいじゃない……それと一つ、提案よ……」

「何だよ?」

 勝利がマヤから幸運の蓮の華を受け取りながら、きょとんと聞き返す。

「幸運が転がり込むのを……座して待つのも、芸がないわ……」

 マヤがぞっとする程怪しい笑みを浮かべた。

「なるほど。不運にもひらめいた」

 祭がいたずらな笑みを浮かべてマヤに続く。

「何? マヤちゃん? 祭ちゃん?」

 二人の親友の顔に浮かぶ表情の――その真意が分からず、きゅう姫は不思議そうに首を捻った。



「うぅぅわわわぁぁぁああああぁぁぁァァァッ!」

 勝利の悲鳴が夕暮れ時の町にこだました。

 帰宅を急ぐ会社員や、買い物にいそしむ人々で活気づく町に勝利の悲鳴が届き渡る。

「大将、情けないぞ! デート中に!」

 祭が法被を翻してその様子に振り向いた。

「何がデートだ! さっきから――うわぁっ!」

 勝利は何故か車道に飛び出していた。その車道で車に轢かれそうになり、勝利はとっさに身を翻す。

「『幸不幸はあざなえる縄のごとし』! 先立つ不幸が大きければ大きい程、後からくる幸運も大きい――はず!」

「『はず』って何だ! ギャアアアァァァ――」

「おっ! 不運にもマンホールの蓋が!」

 不運にも蓋が空いていたマンホールの中。その中に勝利の姿が一瞬で消えた。

「すいません……ありがとうございます……」

 工事現場の人に助けられ、勝利は何とか引っかかったマンホールの入り口から這い出てくる。

「いや! いい不運っぷりだね!」

 祭がケラケラ笑いながら、勝利の手を取ってマンホールから引き上げた。

 街ゆく人びとがその様子に堪え切れない笑みを向ける。

「あのな……」

「いやはや、不運にもデート中に不意に現れた自転車に弾き飛ばされ車道に飛び出し――」

「おう……」

「不運にも飛び出した先で、轢かれそうになった車を辛うじて避け――」

「お、おう……」

「不運にも避けた拍子に工事中の一角に転がり込み、蓋の外れたマンホールに落ち――」

「ああ……」

「町ゆく人に、大笑いされている! いや不運だね! 羨ましいね! あやかりたいね!」

 祭が周りの人と一緒になって、お腹を抱えて笑い出す。

「ママー。あの人」

「しっ。指差しちゃいけません」

「不運にもお子様にまで!」

 子供にまで笑われる勝利に、祭がお腹を抱えて笑い転げる。

「放っとけ! てか誰のせいだよ!」

「あたいのせいだってか、大将! あたいは腕を組もうと思っただけだよ!」

「お前に近づくと、途端に不運が襲ってくるんだが?」

「それが作戦だろ? 不幸の手っ取り早い先取りとしてさ。疫病神にまとわりつかれることで、さっさと不運を集めるのが狙いじゃないか」

「何でそれで、腕くんでデートしなきゃならんのだ?」

「何を! 不運にも心臓が止まるかと思う程、ドキドキしながらデートしてやってるというのに!」

「俺だって避けただけだ! てか、心臓が止まりそうなのは俺の方だ! お前の腕を避けたら、その後自転車に引かれそうになって、そのまま不運のコンボじゃねえか!」

「何故避けるのさ? 女の子が手を組もうとしているのに、失礼だろ!」

「えっ? そりゃ、何故って……」

 勝利の顔が急に赤くなる。

「ははん? 今不幸の女神様の顔が、一瞬脳裏に浮かんだな? 大将!」

「なっ? 何を!」

「ほほう! あの娘に操を立てようとか、思っちゃってるな?」

「だ、誰がきゅう姫のことなんか!」

「きゅう姫のことだとは、不運にもあたいは一言も言ってないな、大将!」

「ぐ……」

 勝利が悔しげに奥歯を噛んだ。

「いやはや。分かる。分かるよ、大将」

「何だよ……」

「どうせ同じ不幸の女神様とデートしなくちゃならんのなら、気になるあの娘と――だろ?」

「何でそうなる! うぎゃあ!」

 勝利の足に不意に激痛が走った。

「おっ! このご時世に――不運にも野良犬が!」

「噛まれた! 噛まれた!」

 勝利が足を払うと、野良犬は吠えながら去っていく。

「大丈夫だよ、大将。今時の野良犬は、不運にも狂犬病とか持ってないよ」

「痛いし、血も出てるし、周りには笑われてるし、この上狂犬病なんかもらってたまるか!」

「ははは。相手に感謝しろよ大将! これが死神のマヤなら不運にも――」

「ぐ……」

「今頃、ワクチンもなく手遅れだったからな!」

 祭がそう言って手を勝利の手を引くと、

「何を!」

 そう叫ぶ勝利の頭の上にだけ、鳩のフンが落ちてきた。



「……うふふ……」

 主のいない勝利の部屋に、マヤの妖しげな含み笑いが響き渡った。

 魅優がその妖しい笑い声に我関せずとパソコンのモニターに向かっていた。

「……あのマヤちゃん?」

 きゅう姫はマヤの手元の動きを冷や汗を流しながら見つめていた。

「うふうふ……」

 マヤはきゅう姫の視線も気にせず、己の作業に没頭している。

「マヤちゃん。マヤちゃん、てば!」

「何……きゅう姫……」

 半目をうっとりとさせ、マヤは手元の作業を続けながら応えた。

「何でそんなに丁寧に、鎌を研いでるの?」

 そう、マヤはどこからともなく取り出した研ぎ石で、新聞紙の上の大鎌の刃を研いでいた。水に濡れその大鎌の内刃がぬめ光る。

「この鎌はね……ある魔獣が魔力の限りを四肢に込めている時に……その身からもぎ取れた爪を使っているのよ……魔力の固まりのような鎌なのよ……」

 陶酔しているかのように、マヤはうっとりとした表情で応える。

「それは聞いてるわ」

「それをお母様が手に入れて……私の為に、死神の鎌に仕立てて下さったの……」

「それも知ってるわ」

「伝説の魔獣の爪を材料に……私のお母様が――美と豊穣と幸運の女神が作り出した死神の鎌……世界に二つとない品よ……」

「いや、そのね……えっとね、マヤちゃん……それを今、何故、どうしてそんなに嬉しそうに研いでいるのかを、知りたいんだけど……」

「嫌ね……きゅう姫……」

 興奮が抑えきれないという風に紅潮した頬でマヤは振り向き、

「明日は私のデートの番。その為に決まっているじゃない……」

 鎌を妖しく輝かせながら目を殺意に光らせた。

「ちょ、ちょっと! マヤちゃん!」

「どうしたのきゅう姫……ちょっとした乙女のたしなみよ……」

「何のたしなみよ!」

「刈る気満々ね。マヤ」

 パソコンのモニターから目を離し、魅優が振り向いた。

「そうよ、人間の女……そのモニターいっぱいに……応札者とやらを刈り込んで――もとい、かき込んであげるわ……この死神の鎌でね……」

「魅優ちゃん、止めて!」

「えー。いくらきゅう姫ちゃんの頼みでも、それはちょっと……」

 魅優は涙目のきゅう姫に体を揺さぶられながら、頬を掻いて困ったように返事をする。

「ああ……デートって……こんなにも胸がたかぶるものだったのね……」

「たかぶり方を間違ってない? マヤちゃん!」

「そう……でもいいわ……明日はちゃんと……」

「何?」

「仕留めてみせるわ――彼の心臓ハートを!」

 鎌の放つ鋭い光とともに、マヤが目を光らせた。

「ハートは射止めるものよ? マヤちゃん!」

「あら? マヤがマケトシのハートを射止めていいの? きゅう姫ちゃん?」

「それは……てっ! 何でそんな話しになるのよ?」

「だって祭がマケトシを連れ出す時、きゅう姫ちゃん真っ赤になってたじゃない」

「ししし、知らないわよ!」

「我慢せずに、自分がデートの相手になるって言えばいいのに」

「キーッ! そんなことはさせないわ!」

「マヤちゃん! こんな狭い部屋で鎌を振り回さないで!」

「二人きりなんて……させないわ……」

 マヤが大鎌をおさめ、肩でぜえぜえと息をする。

「まあ、きゅう姫ちゃんも『だだだ、誰が勝利なんかと!』って言ってたしね」

「だ、だって! 私貧乏神だし……私だと幸不幸のプラスマイナスが、金銭的にゼロになっちゃうし……」

「ま、おかげで成果は上がってるみたいよ」

 魅優は二人にノートパソコンのモニターを向けた。

「どれ? 魅優ちゃん」

「ここよ。金額がどんどん上がってるでしょ?」

「応札者が現れてるの……」

「そうよ、マヤ。てか、鎌を持ったまま、身を乗り出さないでよ」

 己の肩先をかすめた鎌に、魅優が身をそらして答える。

「すごい人……」

 応札が応札を呼ぶような勢いで、入札に応じる応札者が増え、その勢いに乗じるように額も跳ね上がっていった。

「そうよ。すごいでしょ、きゅう姫ちゃん?」

「でも、これって……今、勝利が……」

「そうね、マケトシが今まさに、不運の数々に見舞われてるのかもね……」

「そんな……」

「きゅう姫ちゃん……偉業には犠牲がつきものなのよ……」

「犠牲……生け贄のことね……いい響きだわ……」

「ちょっと! 魅優ちゃん! マヤちゃん!」

「大丈夫よ、きゅう姫……安心して……」

「マヤちゃん……」

「その苦しみ! 明日で終わらせてあげるわ!」

「何を終わらす気よ! マヤちゃん!」

 マヤの決死の覚悟ときゅう姫の悲鳴を背に、

「はいはい」

 やはり我関せずと、魅優はモニターに目を戻した。



「たっ! だい! まーっ!」

「ただ……いま……」

「お帰り! てか、勝利! 大丈夫なの?」

 日も暮れかけた勝利のアパートの部屋。その玄関に現れた勝利と祭。

 パソコンのモニター前に座り、目を向けていたきゅう姫が驚いた顔で振りかえる。そう、勝利は驚く程やつれていた。

「ふふん、不運!」

 余程上機嫌なのか、祭が不吉な鼻歌まじりに部屋に入ってくる。

「お、おう……」

 対照的に勝利は足下からしてふらつきながら部屋に上がってきた。

「ちっ……生きていたか……」

 その勝利を磨きに磨いた大鎌の刃と己の目を光らせながら、マヤが音高い舌打ちで迎える。

 わざわざモニター前から立ち上がり、その不吉な刃を勝利に向けた。

「生きとるわ!」

「わざわざ明日まで……苦しみを延ばすことないでしょうに……」

「何でお前は、そんなにこの俺の命を狙いたがるんだ?」

 喉元に突きつけられたマヤの大鎌。その迫力に息を呑めば、それだけで勝利は触れてしまいそうになる。

 勝利は横にかに歩きしながらその大鎌を回り込む。

「イヤね……単にデートで〝首っだけ〟にしてあげようと思ってただけよ……」

「『首っ丈』だろ! 首だけにされてたまるか!」

 勝利は何とか大鎌を避けると、モニターの前にかがみ込んだ。

 丁度座っていたきゅう姫の横に、勝利は己も顔を並べる。

「何を、大将! あたいとのラブラブデートじゃ不運にも飽き足らず、マヤにも首っ丈にされたいのか?」

 狭いにもかかわらず、祭は相変わらずどっしりと勝利とは反対側に座り込んだ。

「何? 勝利? そうなの?」

「ななな、何言ってんだよ! 別に楽しんでなんか……」

 思わずムッと頬を膨らませてこちらに顔を向けたきゅう姫に、勝利が慌てたように応える。

 そしてその己の慌てぶりに自身が驚いたかの、最後は急に口をつぐんでしまう。

「あら? きゅう姫ちゃん、嫉妬? やっぱりじゃない」

 魅優は勝利が帰ってきても、モニターから一切視線を外さなかった。

 だがこの時ばかりは意地悪げに目を細めてきゅう姫に振り返る。

「ちちち、違うって魅優ちゃん!」

「ふふふ、人間の男が楽しんだかどうかなんて問題じゃないわ……」

「そうね。マケトシがどうなろうとも、お金さえ手に入ればいいしね」

「おい、そこのイトコ。俺とお金と――いや、訊くだけ無駄か」

「分かってるじゃない」

「ふふ、任せてきゅう姫……明日はこの人間の男の魂を奪う程の、不幸なデートをしてあげるわ……」

「マヤちゃん……それは具体的な魂じゃないよね?」

 きゅう姫がごくりと息を呑む。

「何、きゅう姫……骨抜きにする方がよかったかしら……それとも腑抜け……」

「俺の骨や内臓が、キリキリ痛んできたのは何故だ?」

「予約が入った――ということよ! てか、二人! 近いわよ!」

 マヤが勝利ときゅう姫の間に、勢いよく大鎌の刃を縦に差し入れた。

「何だと!」

「心を奪ってあげるを、忘れてるわよ。マヤ」

「人間の女、気が利くな……分かっている……その心臓、いただくわ!」

 今まさに心臓を仕留めんとしてか、マヤが二人の間に差し入れた大鎌の刃を横倒しにした。

 勿論殺意に煌めく内刃は勝利の方だ。

「違うって、マヤちゃん! 何かもう、目的が違ってきてるよ!」

「そうか? で、魅優。首尾の方はどう? あたいは頑張ったけど」

「ぼちぼちよ、祭。狙いは当たってたみたい」

 皆がモニターを覗き込む。

 皿一枚で車でも買えそうな金額が、うなりをあげて表示されていた。

「おおーっ……」

 勝利は思わず感嘆の声を上げてしまう。見たこともない金額だ。

「魅優様の力、思い知ったか」

「幸運の蓮の花の力よ……お母様の力よ……」

「何を! あたいがどれだけ大将を、不運な目に遭わせてきたか! 知らないな!」

「それって、俺の手柄じゃないのか?」

「皆……」

「だが、不運にもまだまだ! 大将! じゃんじゃん不運な目に遭ってくれ!」

「お、おう……」

「きゅう姫、任せなさい……狙いが合っているのなら、明日は私が頑張るから……」

「いや、その、何だ……そんなに力まれると、俺の身の安全が……」

「何よ、マケトシ。情けないわね」

「あのな! なら魅優がいけよ!」

「そんな趣味ないわよ」

「俺だって、自分の体をいじめる趣味はねぇよ!」

「どうだか。叩かれて喜ぶくせに」

「何を!」

「ふん、ところで人間の男……明日は何処に連れてってくれるのだ……」

「何だよ? デートコースってか? そうだな……」

「私の希望は、病院に市役所……」

「ん?」

「お寺に、火葬場……そして――墓地ね……」

「何だその、死亡に届け、葬儀に火葬、止めに埋葬な順番は?」

「デートですもの、順序は守らないと……嫌われるわよ……」

 マヤは半目をうっとりとさせながら、鎌を光らせて答える。

「何の順序だ!」

「ちょっとマヤちゃん……」

「ふん……」

 マヤが大きく鼻を鳴らし、あらためてチラリとモニターを見た。

「……」

 そしてそこで刻一刻と値が上がっていく応札の表示を、マヤはしばらく無言で目で追う。

「どうしたの? マヤちゃん?」

「別に……」

「?」

 不思議そうな目を向けてくるきゅう姫から、マヤは何故か逃げるように顔をそらした。



「えいっ! えいっ! えいっ!」

「痛いっ! 痛いっ! 痛いっ!」

 マヤが嬉しげに鎌の先で頭をつつくと、勝利は堪らず悲鳴を上げた。

 早朝の駅前の商店街を、揺らめく死神のローブを着た少女が、嬉しそうに大鎌をふるう。

 皿を手に入れた翌朝、マヤは真っ赤な目で勝利の部屋に現れた。目尻から出血死しそうな勢いの、白目が充血し切った目だった。

 勝利ときゅう姫を一刻も早く引き離したいのか、心身ともに血走ったその目で、朝一番から出かけることをマヤは主張した。

「うふふ……デートって、楽しい……」

 半目をいつも以上に細めながら、マヤはうっとりと大鎌を撫でる。

 眠い目を赤く充血させながらも、その眼差しは病的なまでに陶然としている。

 ついに大鎌の本領を発揮すべき時がきた――

 そうとでも言いたげだ。

「楽しきゃないわ!」

「あら、失礼ね……神の私が……この低血圧の私が、こんなに朝早くから曲がりなりにもデートしてあげているのよ……感謝して欲しいものね、人間の男……」

「痛いだけだ!」

 更にふるってきたマヤの鎌を、勝利は紙一重で避ける。

「不運にも――とか言いながら……喜びに変えなさい……」

 マヤは避けられたと見るや、鎌を手元に引き戻し身構え直す。

「おのれ……てか、この鎌。お巡りさんに見つかったら、お前が捕まるぞ!」

 勝利はにじり寄ってきた鎌の柄を押し戻しながら、その持ち主であるマヤと睨み合う。それでも大きく前に突き出されたその刃が、勝利のノド元に突きつけられていた。

「何故……神であるこの私が、地上の理に従わなくてはならない……」

「はん! そんなに自信があるのなら、デートコースに交番をつけ加えてやろうか?」

「ふふ……なるほど、凶器準備集合及び結集罪ってやつね……」

「刑法第二〇八条の三! 何でお前がそんな法律知ってんだ? てかそれ、俺も入ってんじゃないのか?」

「そうよ……凶器を準備して集合及び結集する罪だもの……」

「おのれ……」

「まあ、いいわ……確かに面倒ごとはご免ね……」

 マヤがそう言うと、大鎌に念を送る。

 鎌が内から光り、ぐんぐんと縮んでいった。見る間に片手サイズになっていく。

「おお……何だ? 神様の力か? 何だかんだ言っても、凄いな」

「ふふん、そうよ……で、これでどう……これなら普通の鎌よ……」

「確かに……て、普通の鎌も、持ち歩くもんじゃないんだけど」

「知ってるでしょ……私はこの鎌をふるうことで、死神の力を使うって……」

「他に方法はないのか?」

「死神の力を使うには、どんなものであれ鎌が必要なの……一応地上の市販品でもいけるけど、私とて鎌がなければ只の力のない神……――ッ! 貴様! それが狙いか!」

 マヤが鎌をふるった。小さくなった分、大鎌より鋭く勝利のノドを狙う。

「止めろ! 落ち着け! 危ないだろ!」

「く……ちょこまかと……」

 逃げる勝利を執拗にマヤが鎌で追う。

「止めろって! 人が見てるだろ!」

「ふふん……照れちゃって……」

 勝利とマヤはその言葉だけ聞けば、のろけているような声を上げる。

「何を!」

「えい! この! それ!」

 数度のフェイントを織り交ぜたマヤの鎌捌きを避け切れず、

「ギャーッ!」

 ついにお尻をつつかれた勝利は、悲鳴を上げて飛び上がった。



 勝利達の背後で、赤と白の布が翻った。それは電信柱の後ろで、隠れるように消える。

「ちょっと……マヤちゃん……」

 もちろん隠れたのは、つきはぎだらけの巫女さん袴。

 勝利とマヤの様子を、こっそりとつけてきたきゅう姫が覗き見していた。

 とっさに隠れた商店街の電信柱から身を乗り出し、勝利とマヤの背中を見つめる。

「おおっ……不運にも頑張ってるな……マヤの奴……」

「マケトシ……飛び上がる程喜んじゃって……」

 同じくつけてきたのか、祭と魅優がきゅう姫の頭の上から身を乗り出す。

 今日から試験休み。魅優は今日も当然、全身フリルなお化けの洋服だ。

 祭はやはり『祭』と染め抜かれたいなせな法被。だが今日の『祭』の文字はゴシック体だった。同じに見えて何着か換えがあるらしい。

「ああ、あんなにつついちゃって……」

「仕方ないだろ、きゅう姫……痛みっていう形で、小出しに身体的ダメージを与えないと……それこそ不運にも本格的な病気になっちまう……」

「そうね……ここで入院とかされるよりも、末永く不幸せな目に遭ってもらわないと……」

「おっ! いいね、魅優! そのフレーズ! 『末永く不幸せに』! 勝利に贈る言葉だな」

「ちょっと、祭ちゃん……」

「そうよ、尾行中よ。それにしてもマケトシの奴、今は『天にも昇りかけん』感じかしら……」

「魅優ちゃん……昇天はさすがに……」

「あら、心配なんだきゅう姫ちゃん……」

「だって……」

「おっ? きゅう姫、何だ……不運にも、自分に素直になったのか?」

「ななな、何言って! 何が――モガッ」

「しぃー……きゅう姫ちゃん、声が大きい……」

 魅優がきゅう姫の口元を押さえた。

 勝利とマヤは、そんなきゅう姫達に気がつかなかったようだ。相変わらず鎌でつつき、つつかれながら、二人は商店街を歩いていく。

「いいわね……つつき合って、いちゃつくカップル……」

「不運にも鎌で――だけどな」

「もう……魅優ちゃん……祭ちゃん……」

 マヤにつつかれる度に、げんなりとしていく勝利の後ろ姿。足下が少々ふらついていた。真っ直ぐ歩けていないようだ。

「魅優……コンピューターには、ついてなくていいのか……」

「別にすることないわよ……それにこんな面白いこと、不運にも見逃すことないわ……」

「言うね……魅優……」

「ほら……マケトシの奴、ふらふらよ……」

「大将……不運にも地に足が着かないってか……」

「ちょっと、二人とも……」

 足下が覚束ない勝利が立ち止まり、商店街のショーウインドウを覗き込んだ。

 マヤも立ち止まると、勝利の横に後ろ手に手を組んで並んだ。嬉しそうに、ついっとマヤは勝利の方に身を寄せる。楽しい予感に身を踊らせている。そんな感じだ。

「おおっ! 何だか不運にも、普通にいい雰囲気!」

「なっ?」

「あら、きゅう姫ちゃん。顔が赤いわよ」

「そそそ、そんなこと……」

「おしゃれな小物でも見つけたか? マヤと二人で見入ってるのか? まさかペアリングか? 大将とマヤ。奇跡のカップル誕生か? 貧乏人と死神。不運にも餓死フラグペアの誕生か?」

「なっ!」

「きゅう姫ちゃん、少し落ち着いたら? あのお店は、勝利御用達の激安スーパーよ」

「何? 不運にも庶民的か? だがしかし、その方がマヤも新妻気分を味わえる――ってか?」

「ななな……」

 きゅう姫達三人は電信柱の陰から、ぐいっと身を乗り出す。

 町ゆく人がそんな三人を、怪訝な視線を送ってから目をそらして去っていく。

「きゅう姫ちゃん、だから落ち着いたらって。あっ、マヤの奴。マケトシの横顔を窺ってるわ!」

「家計のことを考えて、不運にも安売り商品で我慢してくれる旦那! そしてその家族思いな横顔に、不運にも魅入る新妻! そんな脳内シチューエーションか? 貧しくとも幸せな我が家か? 羨ましいね、コンチクショウ!」

「ちょっと……」

「見て、マヤの奴! 顔が火照ってるわ! ほら、きゅう姫ちゃん、あの顔!」

「ぐぐぐ……」

 マヤが後ろ手に組んだ腕を、もじもじと動かした。その手に持った鎌が、何かをおねだりするかのように、左右に揺れる。

「あれは伝説の――おねだりもじもじ! まさかこの目で生で見ようとは! この魅優様もビックリよ!」

「ぬぬぬ……」

「マヤの奴、何か狙っているわね……腕を組むタイミング?」

「むむ、魅優? あたいはここは一つ、肩に手を回すまでいくと見た!」

「首にしなだれかかる――もいいかもね、祭」

「首っ丈! きましたか! 不運にも、そこまできちゃいましたか!」

「なーっ!」

 袴、フリル、法被の少女が、死神ローブの少女の一挙手一投足に釘づけになる。

 マヤが腕を組むのを止めた。その手が勝利の背中に向かう。

 いや、その更に上――勝利の首に襲いかかる。

「きた!」

「やる!」

 祭と魅優が喚声を上げると、

「何やってんのよ!」

 きゅう姫が虚空よりつぎはぎリュックを呼び出し、力一杯勝利に向かって投げ飛ばした。



「何故に俺は、リュックを投げつけられたんだ?」

 勝利が傾げた。いや、初めから勝利の首は不自然に曲がっていた。

 魅優がかちゃかちゃとパソコンのキーを叩く音が鳴り響く勝利の部屋。

 マヤとのデートから帰ってきた勝利は、曲がった首でじろりと隣に座ったきゅう姫をねめつける。

「し……知らないわよ……」

 きゅう姫が顔を赤らめて慌てて目をそらした。

「なはは。自分の胸に訊くんだな、大将」

「きゅう姫……ヤる気になったのなら、言ってくれれば……」

 祭が狭い部屋で相変わらず無遠慮に足を胡座に組み、マヤがこちらも遠慮なく元の大きさに戻した鎌を妖しく光らせた。

 前日同様魅優がモニター前を陣取り、祭、きゅう姫、勝利、マヤの順で勝利の狭い部屋で肩を並べる。

「何で俺の責任で殺されるような話になってんだ?」

「ふん!」

 きゅう姫は更に首ごと勝利から顔を背けた。

「相変わらず後ろでうるさいわね、あんたらは。何でいつもそんなにテンション高いのよ?」

 魅優がモニターからこちらもじろりと振りかえる。

「アタイは不運にもデフォルトで、いつも〝ハイ〟だが?」

「ふん……私の鎌で静寂を呼んで欲しいのなら、いつでも言ってくれれば……」

「死人に口無しか!」

「人間の男! 貴様なら、いつでも〝灰〟にしてくれるわ!」

 マヤが大鎌を勝利に押しつける。

「おのれ……」

「マヤちゃん!」

「はいはい。で、オークションの結果なんだけど……」

 魅優がモニターを指し示す。そこには応札金額とともに、取引の終了が表示されていた。

「残念ながら、2LDKの頭金にしかならないわね。ローン組めたらの話だけど」

「おのれ! 夢の2LDK! 俺ら庶民には、現金一括払いは夢のまた夢とでも言うのか?」

「むむ、残念! きゅう姫、来年から不運にも後輩だな! 落第お疲れ!」

「ぐ……」

 きゅう姫が言い返せずに息を呑み込んだ。

「……」

 皆がそれぞれに口を開く中、マヤが一人真剣なまなざしになってその金額に見入る。

「どうしたのよ? マヤ?」

 魅優がその視線に気づいた。

「別に……不幸が足りなかったのね……やはりもう一度町に……」

 マヤが鎌を構え直す。狭い部屋で弧を描いたそれは勝利の頭上すれすれをかすめた。

「おいおい。俺を殺す気か、マヤ」

「は……今更何を言って……」

「何だと!」

「で、そこで提案」

 魅優が眼鏡とオデコをここぞとばかりに光らせた。何処を光源にしたのか、まるで自ら発光しているかのごとく妖しく光る。

「何だよ魅優。いつも以上に妖しいぞ。なんか考えでもあるのか?」

「今日お皿を応札者に発送すれば、お金は明日にでも、勝利の口座に振り込まれるわ。でもこの金額じゃ、きゅう姫ちゃんは救えない。じゃあ、あってもなくても一緒。違わない? きゅう姫ちゃん?」

「確かにそうだけど。どうしたの魅優ちゃん?」

「ふふん……昔の人はとても〝ハイ〟になる言葉を私達に残してくれているわ……」

 魅優が妖しいまでに声をひそめた。

 皆の視線が魅優に集まる。

 魅優が背中に手を伸ばした。キーボードもモニターも見ずに、魅優は後ろ手でパソコンに手を伸ばす。

 魅優が自信満々にキーを叩くと、


「ハイリスクハイリターン――投資よ!」


 そこには投資会社のウェブサイトが大写しで表示された。



「投資……」

 勝利がごくりとその言葉に息を呑む。

「そう! ハイリスクハイリターンの世界! 今の私達に必要なモノよ!」

「むむ! 〝ハイ〟リスク〝灰〟リターン! 不運にも、アタイにはそう聞こえる!」

「そうよ! 灰になる覚悟があるのなら、ハイリスクに挑戦すべきじゃない?」

 魅優がモニターに向き直りキーを操作した。その画面にはいつ間にか登録したのか、加納勝利の名前で作られた口座が表示される。

「うおっ! 俺の口座がすでに! ありえん! 銀行口座ですら、おっかなびっくりで作ったのに!」

「『投資』――それはバイバイゲーム!」

 魅優が自信満々にオデコと眼鏡を光らせた。

「そのバイバイは、『売買』か? 『倍々』か? 魅優?」

「両方に決まってるわ! マケトシ!」

「不運にも――お金に『バイバイ』かもな!」

「そうね……それがハイリターンの怖いところ……」

 魅優が急に真剣な顔で黙り込む。

「何だよ魅優? あらたまって」

「元手があるとはいえ、短期間でこれを何倍にもしないといけないのよ。レバレッジをかけないと、多分きゅう姫ちゃんの必要な金額には無理ね」

「『レバレッジ』? 何だ?」

「テコのことよ。テコの原理を使えば、小さな力で大きな物を持ち上げられるでしょ? それと同じことを、投資でするのよ」

「?」

「簡単に言えば、元手を担保に他人の資本を使って大きな取引をすることよ。言わば借金に近いわ。成功すれば、元手以上の結果が得られる。失敗すれば、元手以上の借金が手元に残る。まさにハイリスクハイリターン」

「お、おう……」

「勝利……」

 勝利が息を呑み、きゅう姫がそんな勝利の顔を複雑な顔で覗き見る。

「マケトシ? あなたにそんな覚悟ある?」

 魅優が示したその問いに、

「ぐ……」

 勝利はすぐには答えられなかった。



「それは、あれだ……」

 勝利が口ごもる。

 勝利の狭いアパートの部屋で、膝詰めで肩を並べる皆の視線がその口元に集まった。

「勝利……」

 きゅう姫が思わず勝利の名を呟く。

「――ッ! 何だよきゅう姫! そんな心配そうな顔すんな! 引き受けてやるって!」

「でも……」

「大丈夫だって! なあ、魅優! お前が金の話をしてんだ! 損する気なんて全くないよな?」

 勝利はその言葉とともに、お金に関しては頼もしいイトコを見る。

「ふふん。任せなさい、マケトシ! 覚悟を決めたんなら、力を貸してあげるわ!」

 魅優のオデコと眼鏡が一際妖しく光る。やはり何処を光源にしているのかよく分からない。

「金融資産の収入だけで、左団扇のブルジョワ生活――この魅優様の人生設計には、そうしっかり予定が書き込んであるのよ! 今こそ私の力を発揮する時がきたのよ!」

「魅優ちゃん。でも、そんな簡単にお金儲けなんてできないよ」

「分かってるわ、きゅう姫ちゃん。普通は上手くいかないわ。でも、今の私達は普通じゃない――そうじゃない?」

 魅優がそこまで言うと皆を見回した。

「何だよ?」

 勝利はその視線の意味が分からない。

「分からない? いい。ガラスのお皿を見つけた時と、同じことを投資ですればいいのよ。祭の疫病神の力で不運にも過小評価されている株とか見つけて、きゅう姫ちゃんの貧乏神の力で本来の価格を割り出すの。そしてマヤの幸運の蓮の花の力を味方につけて、この魅優様が投資で力を発揮すれば……」

「いける――ような気がする……あれ? 俺の力は?」

「不運にも要らないな、大将」

「何だと!」

「あはは! 決まりね、きゅう姫ちゃん!」

「本当に大丈夫なの?」

「勿論よ! 2LDKなんて、夢じゃないわ! 何なら勝利との新居も買っとく?」

「おい!」

「魅優ちゃんってば!」

「……」

 皆がはしゃぐ中、マヤが一人モニターの金額に見入った。

「どうした、マヤ? 不運にも一人乗り遅れてるぞ?」

 祭がそんなマヤの様子に気がついた。

「別に……人間の女……その投資とやらをすれば、今以上の金額が手に入るのだな……」

 マヤがローブの懐に手を入れながら、少々上ずった声で口を開く。

「どうしたのよ、マヤ? 真剣な顔して?」

 魅優が不思議そうな顔で応えた。

「どうなんだ……」

「そりゃ、うまくいけばだけど」

「そうか……それがな……」

 マヤが懐から手を抜きかける。

「どうしたのマヤちゃん?」

 だがマヤの手は全てが出かける前に、きゅう姫の不思議そうな視線を受けてピクリと止まる。

「……いいえ、何でもないわ……ただどうせならもっと、稼いでおかないかと思っただけよ……」

 マヤが懐に手を戻した。

「何だよ、マヤ? 不運にも、お前もマンション欲しくなったのか?」

「ふん……マンションなど要らん……どうせ進学しても、貧乏神の課題はお金を奪うこと……ならお金が必要なのは、今だけの話ではない……今後の為にももっと必要でしょ……」

「そうか? それもそうだな? おっ。でもそれって、きゅう姫がずっと、大将に頼りっきりてことになるぞ? いいのかマヤ?」

「……」

 マヤは答えなかった。マヤは黙ってモニターを見つめる。

「あら。ということはマケトシが稼いで、きゅう姫ちゃんが遣うのね。すっかり夫婦ね!」

「こら、魅優!」

「もう! 魅優ちゃん!」

「あはは! とにかくお皿の発送ね! さあ、入金は早ければ明日! 明日から忙しくなるわよ! マケトシときゅう姫ちゃんの未来の為に!」

 魅優が勢いよく立ち上がる。

「もう、魅優ちゃんってば! しつこい!」

「それより飯にしようぜ! 朝から死神の鎌で突かれまくりで、何だかげっそりなんだよ!」

 魅優につられるようにきゅう姫と勝利が続いて立ち上がる。

「そうだな……不運にも心配で飯が喉を通らない――」

 祭が同じく立ち上がりながら、横目でチラリとマヤを見る。

「……」

 マヤはその視線に気づかない。黙ってモニターの画面を――その金額を見つめていた。

「ってな訳でもないからな!」

 祭は法被を翻して完全に立ち上がると、黙り込んでいるマヤに背を向けた。



「ちょっと! 皆、がっつき過ぎよ! てか、祭! あんたソレでも女神様か!」

 勝利のアパート。皆で小さなテーブルを囲み、そこに安売りの食材でこしらえられた料理が並んだ。言わばささやかな晩餐会だ。

 その貧しくも温かい食卓に、似つかわしくない魅優の怒号が響き渡った。

「はぁやいむぉんぐわち! 不運にも――しょれぐわ世のちゅね!」

 祭が頬いっぱいに料理をかき込みながら、更に己の前の皿を他人に渡さんと手で覆い隠す。

「食いながらしゃべってんじゃないわよ! 何言ってるか分かんないわよ!」

「ふふん……手がお留守だぞ……人間の女……」

 マヤが草刈り鎌サイズに小さくした死神の鎌をふるった。その不気味な刃先に竹輪が突き刺さる。

 マヤは鎌に刺さった竹輪を一瞬で己の口に放り込むや、更なる獲物を狙わんと構え直した。

「マヤまで! すました顔で、人の皿から何、料理とってくれてんのよ!」

「ふふ……餓死フラグ――立てておきなさい!」

 マヤが更に鎌をふるう。狙うは魅優の目の前のメザシの皿だ。

「させるか!」

 魅優がマヤの鎌を己の箸で弾き返した。

「やるわね……死神の鎌に箸で立ち向かうとは……」

「ふん! エンゲル係数がかかった時の、魅優様なめんじゃないわよ!」

 返す刀でメザシをつまみ上げたのか、魅優は箸をふるった勢いのままに口元にその焼き魚を持っていった。

「皆、行儀悪いぞ!」

 勝利が丼を持ち上げ箸で中身をかき込んだ。

 勝利は丼を空にすると目の前の更に箸を伸ばす。そこには大量に料理が取り置きされていた。

 卵焼きや鶏の唐揚げ、里芋の煮っ転がし、魚の煮付け――色つやも明るく数々の料理が勝利の皿に確保されている。

「大将! 悪いね! アタイの為に、取り置きしてもらって!」

 祭がその山と積まれた料理に箸を伸ばした。

「甘いな! これは俺の分だ!」

 勝利は手を離す寸前だった丼を固く持ち直し、電光石火の勢いで向けられた祭の箸を上から抑えつけた。

「ちっ! 汚いぞ、大将!」

「どうとでも言え! もはやここは戦場なのだ!」

 祭が丼から箸を逃さんと手に力を込めるが、勝利がその上から更に押さえつけにかかる。

 そう。もはやささやかな晩餐会は戦場と化していた。

 勝利と魅優、祭、マヤがそれぞれに口いっぱいに頬張りながらも、次の獲物を虎視眈々と狙う。

「マケトシ! あんたこそ、甘いわね!」

「――ッ! しまった! 魅優が!」

 祭に気をとられていた勝利は、その脇の下から差し込まれた魅優の箸を呆然と見送る。

「もらった!」

 魅優が勝利の皿から鶏の唐揚げをつまみ上げた。

「こなくそ!」

 勝利は丼をはね上げ祭の箸を弾き跳ばすと、残った料理を先に口に運ばんと己の箸を伸ばした。

「ふふん……遅いわ……人間の男……」

 だが勝利の箸より一瞬早く、死神の鎌が里芋を串刺しにしてかっさらう。

「しまった!」

「アタイを忘れてるよ! 大将!」

 マヤの口元に早くも消える里芋に目を奪われていた勝利。その勝利の死角から祭が卵焼きをかっさらった。

「うお! 楽しみにしていた卵焼きが! 三人がかりとは、卑怯な!」

「情け無用の食卓で! 何を甘えたことを言ってるのマケトシ!」

 魅優が唐揚げを呑み込みながらオデコと眼鏡を妖しく光らせた。

「おのれ!」

 一つ残った魚の煮付けを箸で押さえながら、勝利は悔しげに歯ぎしりをする。

「ふ、ふふん。ふふん」

 そんな死闘が繰り広げられるテーブルの向こうで、きゅう姫が一人ご機嫌に台所に立っていた。煮物がことことと音を立てる横で、リズミカルにキャベツを刻んだかと思うと、冷蔵庫を開けて卵を数個取り出すや、次々と片手で器用にボールに割ってのけた。

 煮物の火を止め脇にどけると、今度はフライパンをコンロに乗せて火をつけ直す。フライパンが温まるのを待つ時間を利用して、脇にどけた煮物の中身をきゅう姫は小皿に取り出した。里芋に人参、こんにゃく、椎茸、インゲンと、小皿に彩り鮮やかな煮物が盛りつけられていく。

 きゅう姫は煮物の盛りつけが終わると、温まり始めたフライパンにサラダ油をさっとひく。

「何? 勝利? 卵焼きもうないの? オムレツにしようかと思ったけど、こっちも卵焼きにする?」

「きゅう姫! 頼めるか? こいつら俺の卵焼きを、かっさらいやがった!」

「誰が大将の卵焼きだと決めた! きゅう姫! アタイも食べる! 卵焼き! 焼きまくってくれ!」

「オッケー」

 きゅう姫は皆に背中を向け直すや、一人で手際よく次々と料理をこしらえていく。

「きゅう姫ちゃん、ご機嫌ね。一人で料理任せっきりにしてるのに、いいの?」

「大丈夫だよ、魅優ちゃん。ちゃんとつま食いしてるし」

 きゅう姫はそう応えると皿を幾つか持って振りかえる。

「ふふん。それに皆で食べる料理って、楽しいしね!」

 きゅう姫は心底嬉しそうにそう答えると、山盛りにした卵焼きを勝利の前に置いた。

「もらった!」

「アタイんだ!」

「きゅう姫の手料理……渡さないわ……」

「皆、ホント行儀悪いわね!」

 皆が皆、それぞれに卵焼きに手を伸ばす。山盛りに盛られた卵焼きは、あっという間にその山がなくなっていった。

「ふふん」

 きゅう姫はそんな光景を見て、とても嬉しそうに笑った。



「食った。食った」

 少し柔らかくなった陽が差し込む勝利のアパート。

 食べ散らかされたテーブルの脇で仰向けに寝転がり、祭がパンパンに膨れ上がった己の腹を叩いた。

「もうダメ。これ以上は食べられない」

 魅優も同じような姿勢で横たわり、眼鏡とオデコを光らせた。

「おう……こんなに腹一杯食べたのは、久しぶりだな」

 勝利も苦しそうにお腹をさすりながら、床に寝転がり天井に向かって満足げな笑みを浮かべていた。

「……げふ……」

 一人半目を無表情に光らせてテーブルに座っていたマヤ。やはりそれなりにお腹がいっぱいなのか、無表情なままでゲップを一つ漏らした。

「皆、いい食べっぷり」

 きゅう姫が一人立ち上がり、空いたお皿を台所に運び始めていた。

「大将。よかったのかい? 冷蔵庫の中の食材は、不運にもすっからかんにさせてもらったが?」

「気にすんな。腹が減っては戦はできぬ。明日から勝負だしな」

「いくさ……戦場……げふ……」

 何か不吉なことを口にしようとしたのだろうが、マヤの言葉は苦しげなゲップで途切れてしまう。

「ダメだわ……これは部屋で休まないと……」

 魅優がふらふらになりながら立ち上がる。

「げふっ! それじゃね、きゅう姫ちゃん! 明日からばりばり稼がせてもらうから! 今日は一旦帰るわ!」

 そのままの足で玄関のドアを開けながら、魅優は満足げにお腹をさする。

「マケトシ! お皿の発送、やっておきなさいよ! 明日お金が入金されたら、さっそく勝負だからね!」

「おう……」

 勝利も苦しげに上半身を起こし、そのまま机に向かって立ち上がった。

 勝利が机の上に置いてあったお皿をかき集め始める。

 一方台所ではきゅう姫が背中を向けて洗い物を始めていた。

「ふふん……では! あたい達も、隣で休ませてもらうよ!」

 その二人の様子を見て祭が唐突に立ち上がる。

「きゅう姫は洗い物お願いね! 洗い物もせずに三人とも帰ったら、大将が不運だからね! ほらマヤ、いくよ!」

 祭が座っていたマヤのローブの襟足を乱暴に掴んだ。

「キーッ! 何よ、祭! げふ! それじゃ二人っきりじゃない! げふ!」

「あはは! ゲップしながら何言ってんだ、マヤ? 気を利かせろって!」

 祭はマヤの襟首を思い切り、何の配慮もなく引っ張った。

「何を言って――げふ!」

 今度の『げふ』はゲップではないようだ。喉を締められた上体のまま、マヤは玄関まで引きずられていく。

「えっ! 祭ちゃん! ちょ、ちょっと!」

「あ、そうだ。女三人とはいえ、一部屋じゃ不運にも狭いしな。きゅう姫は洗い物終わったら、大将の部屋でゆっくりしてくればいいよ!」

 玄関のドアを開けた祭。わざわざ振り返るや満面の笑みを勝利ときゅう姫に送ってくる。

「ちょっと! 祭ちゃん!」

「コラッ! 祭!」

「キーッ! 何を言って! 私が、そん、ばごど、ぐわぎゃ! ごばが――ミギャッ!」

 マヤがまたもや意味不明の叫びを上げ、最後の一言ともに血を吐き出した。

「あはは、焦り過ぎだってマヤ。舌噛んだか? 不運にも、ものすごい出血だぞ」

「あのね、祭ちゃん!」

「大丈夫! マヤはあたいが、抑えておくから!」

「キーッ! きゅう姫! 何かあったら大声を出すのよ!」

 祭とマヤが引きずり、引っ張られながら玄関を出ていった。

「はは……困った奴らだな……」

「……う、うん……」

「……」

「……」

 急に二人して会話が続かなくなる。

「洗い物手伝おうか?」

「いいよ、台所狭いし。お皿の発送お願い……」

「そうか?」

 勝利が机に向き直ると、窓の外――ピンクのカーテンが派手に吊られた隣接する一軒家が見えた。

 ピンクのカーテンの向こうに少女のシルエットが踊り、フリルが一着、フリルが二着と、何やら歌いだした怪しげな声が聞こえてきた。

「魅優め……お金を浮かせて、自分の服も買う気だな……」

 勝利はイトコの妖しげな声に眉間を曇らせながら、机の上に無造作に置かれているガラス細工を見つめた。

 四枚のお皿とは別に、一枚だけ分けて置かれている。

「向こうが魅優ちゃんの部屋なの?」

 きゅう姫が台所から振り返る。

「おう。俺も高校入るまでは、向こうで一緒に住んでたけどな。両親がいなくなってから、中三まで一緒に暮らして。今年からアパートの部屋が空いたんで、こっちに移らせてもらったんだよ」

 勝利はお皿を新聞紙で包み始めた。手近にあったダンボール箱を引き寄せると、残った新聞紙を詰め物にしてお皿を収めてしまう。

「ふーん。勝利が一人暮らしってことは……その……ご両親は……」

「別に! つまんない話だよ! それよりオークションに出したのは、四皿だけだよな?」

 この話はお終い。それを態度で表したかのように、勝利がダンボールを勢いよく閉じた。そのままテープで封をし、伝票を書き始める。

「そうだけど」

「この一枚は、あれだっけ? 五枚でワンセットだから、ついでに買ったんだっけ?」

 勝利が他の四枚のお皿とは明らかに雰囲気の違う一枚を持ち上げる。それはきゅう姫がフリマで最後に選んだお皿だ。

「うん。まあ、普通のお皿だけど。ついでだし。個人的に気に入ったし」

「そうか……よし、きゅう姫これも洗っといてくれ!」

 勝利がダンボール箱を小脇抱え、お皿をきゅう姫の差し出しながら台所に向かう。

「いいけど。どうしたの?」

「お皿を発送してくる。ついでにプリンでも買ってくるからさ……」

 勝利はお皿をきゅう姫に手渡すと、そのまま照れたように俯いてその隣の玄関に向き直る。

「一緒に食おうぜ。あいつらには内緒でな」

 勝利はきゅう姫の返事も聞かずに、そう言い残すとドアを出て行った。

「……ふふん……」

 きゅう姫はその背中を見送ると、小さな鼻歌まじりに洗い物を再開した。

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