三、不健康! 17
「うっひひゃぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁっ!」
魅優が地割れを起こした地面を駆け抜ける。
「……」
屋敷の窓ガラスが、内側から砕け散った。贅をつくした庭園が、あっという間に山あり谷ありの岩場と化した。
「あっひゃー!」
魅優が外周を囲む鉄柵に向かう。鉄柵より外側の、全く無傷な土地へとひた走る。
魅優は足を取られて手を地面につき、足下がなくなっては、次の足場に跳んだ。オデコは汗に光り、眼鏡は湯気に曇る。
「魅優様! なめんじゃないわよ!」
自転車操業中の中小企業経営者の資金繰りもかくや――という綱渡りめいた危なっかしさで、魅優は瓦礫と化した敷地を駆け抜けた。
「きゅう姫……」
「勝利……」
勝利はきゅう姫が空に浮いていかないように、全力できゅう姫を抱きしめた。きゅう姫が勝利を抱きしめ返す。二人の周りが完全に瓦礫の山と化している。
勝利がきゅう姫の――不幸の女神様の後ろ髪を力づくで抱きしめた。
「ひゅー! ひゅー! ひゅー……ひゅー……」
鉄柵の向こう側へ落ちるように逃げながら、魅優が冷やかしを入れる。しかし途中からただの息切れになった。
やはり鉄柵の外側は何の異変もない。屋敷の中だけが『ダメに』なっている。
「あの俺……」
「分かってる……」
屋敷が土台から崩壊していた。ティッシュの空き箱でも潰すかのように、あっけなく真ん中からへこんで崩れた。
「初めて会った時からずっと……」
「うん……」
もうきゅう姫は自分の体を、自力で地面に押さえつけられない。きゅう姫の足が宙に浮き、上半身だけ勝利に預けてかろうじて地表にとどまっている。
敷地の地盤が完全に崩壊した。海に向かって雪崩を打つように崩れていく。勝利ときゅう姫の周りを追い込むように、次々と海に崩落していく。もちろん鉄柵の中だけだ。
「初めて会った時さ、俺の家の財産がなくなったのって……」
「うん……」
「〝これ〟と一緒だよな……」
加納勝利の屋敷だけが、きれいに矩形に切り取られるように崩れいく。
「うん……」
勝利のお皿がきゅう姫のものになった瞬間ダメになったように。幼少の頃勝利のものがダメになったように。
今やきゅう姫のものとなった――勝利の財産が崩壊していく。
『ダメに』なっていく――
きゅう姫が勝利を強く抱きしめ返す程、崩壊の速度が増していく。
勝利が強く抱き締め、きゅう姫が強く抱き締め返す程に屋敷は目に見えて崩れていった。
「もう大丈夫か? 全てをダメになったか……」
勝利は恐る恐るきゅう姫をゆっくりと離した。
屋敷は早くも完全に崩落していた。
手だけ繋いだきゅう姫が、足だけ先に浮き上がっていく。もう限界なのだろう。
「少しの間だけだよな……会えないのは……」
勝利がきゅう姫の左手を握りしめながら言った。
「うん……」
きゅう姫は勝利の右手を握り返しながらうなづく。きゅう姫の体はそれでもまだ薄く透けていた。
その透ける体が完全に反転していた。最後まで握り合っている手が、まるで風船の糸のようにきゅう姫の体をつなぎ止めている。
「ちょっと課題をこなしに、いってくるね……勝利……」
指先だけで握り合っていた手を、きゅう姫は自分から離した。
「きゅう姫……」
屋敷がその下の地面ごと崩れ去った。もう跡形もない。勝利の周りだけ地面が残り、後は断崖絶壁となった。
勝利を悲しませない為にか――
「えへへ……」
きゅう姫は最後まで笑って、天界に帰っていった。