三、不健康! 15
「――ッ! な……」
勝利が驚きに息を呑む。
「えっ……そんな……」
きゅう姫も思わず口元を手で覆った。
「おい、マヤ……いくら何でも、それは……」
「そうよ、きゅう姫ちゃんだって、頑張ってるのに……」
祭と魅優も凍りつき、一瞬で乾いた喉をふるわせて反論する。
「だがきゅう姫が貧乏神の力を使わないのは、看過できる限度をゆうに越えている……それは、本人の幼少期のトラウマによるもの……」
マヤは皆の抗議を受け流し、淡々と書類の内容を読み続ける。
「トラウマ? そう言えばきゅう姫ちゃん、トラウマで貧乏神の力が使えないって言ってたわね」
「……」
きゅう姫が驚いたように固まってしまう。
「きゅう姫のトラウマ――それは幼少期に下界に下りた際に、ある家族をその貧乏神の力を暴走させて、一家離散させたこと」
代わりに答えたのは祭だった。祭はいつの間にか、いつになく真剣な顔をしていた。そして得意のフレーズを差し挟まなかった。
「一家離散? えっ? マケトシの家みたいに、両親でも蒸発したの――あっ?」
魅優が何かに気づいたように勝利に振り返る。
「……」
勝利は青い顔で息を呑んでいた。
「……」
きゅう姫は勝利から目をそらしてうつむいてしまう。
「あれは、やっぱり……きゅう姫だったんだな……」
「そのようだ、人間の男……」
「……」
きゅう姫はうつむいたままだ。
「えっ、何? マケトシの初恋の相手って、きゅう姫ちゃんなの? ふられたせいで巫女さん袴が、トラウマにまでなったって……」
「ふられたから、トラウマになったんじゃねえよ。魅優にははっきり言ってなかったけど、巫女さん袴の女の子に出会ったすぐ後に、俺の両親は蒸発してしまったんだよ。だから巫女さん袴を見ると、俺は両親のことを思い出すんだよ……」
「……」
きゅう姫は増々下を向く。
「あ、そうだったの? そのタイミングの話だったんだ。マケトシの初恋話。でも、結局どうなのよ?」
「俺はある女の子に、神社で出会った。その子は――巫女さん袴を着ていて、その神社の子供だと思った。後から会いに行ったら、居なかったけど。それでその時その子は、同じ巫女さん袴を着た女の子集団にいじめられていた――」
「なっ? きゅう姫ちゃん! ホント?」
「……」
「きゅう姫は人一倍力が強かったからな。他の貧乏神の連中に、疎ましがられていたんだ。友達はアタイとマヤしか居なかった。アタイらは別に貧乏神の力なんて関係ないし。アタイら三人でよく一緒にいたんだ」
「それでも……きゅう姫も学校の課題で、貧乏神のつき合いはしなければならない……そしてある日の課題で下界に下りた時、周りの貧乏神の女の子達が意地悪を始めた……天界の目が届かないことをいいことに……そうね、きゅう姫……」
「う、うん……」
「そして、俺は助けに入って――背中にその女の子をかばって……でも、小さい頃だから、素直になれなくって……せっかく助けた女の子に、自分から今度は意地悪なことを言って……それっきり……家に帰ったら、家が差し押さえられていて……両親が蒸発していた……」
「この間、勝利のアパートで背中にかばわれた時、私本当は思い出していたの! ごめんね、勝利! 私、あの日! あの時! 勝利から全財産を奪ったの! 怖くって! でも助けがきてくれて嬉しくって! 何だか分からないけど、ドキドキして貧乏神の力が暴走したの! ごめんなさい……言い出せなくって……」
「きゅう姫……」
「きゅう姫ちゃん……」
皆が完全にうつむいてしまったきゅう姫に視線を奪われる。
「人間の男! 過ぎたことをとやかく言う男か? お前は!」
マヤが呪縛を解き放つように声を上げるや、勝利に死神の鎌を突きつけた。
「――ッ!」
「女の子を泣かせるような男か? 今この場で救える女子がいるのに、過去にとらわれるような男か?」
「……」
勝利がぐっと拳を握った。
「なら、幸不幸はあざなわれる縄のごとし――この不幸を乗り越えて、幸運をつかむ気はあるか?」
「おう!」
「勝利! ダメよ!」
きゅう姫が驚きに顔を上げた。その目の端には涙が溜まっていた。
「マケトシ! あんた意味分かって言ってんの!」
「大丈夫だ。死ぬって決まった訳じゃないだろ? それに俺が拒否したら……」
「今この瞬間に、この財産がなくなるわね……お母様力で……そしたらきゅう姫の課題どころではなくなるわ……」
マヤが勝利ににじり寄る。足下のタンポポが風に揺れた。
「ダメ! マヤちゃん!」
「いいえきゅう姫、これしかないの……人間の男――いやカツトシ……」
「おう……初めて俺の名をまともに呼んだな……」
「認めてやる……だが手加減はいっさいしない……私が言うのもなんだが――死ぬな……」
マヤが鎌を握る手に力を入れる。ローブがはためき、鎌が妖しく光った。
マヤの左右対称な顔立ちが、勝利を正面からとらえる。完璧にシンメトリーなその顔は、左右どちらにも逃げ場のない運命のようなものを、やはり勝利に感じさせた。
「おう!」
「マヤちゃん!」
「貧乏! 不運! 不健康! 不幸の女神様の〝幸せ〟の為に――ありとあらゆる不幸を引き受けなさい!」
マヤが勝利目がけて死神の鎌を振り下ろした。
その刃先が勝利のノド元を捉えた瞬間――
「ダメッ!」
きゅう姫の叫びとともに、マヤの鎌の先につぎはぎだらけのリュックサックが現れた。
「――ッ! きゅう姫? あなた!」
マヤの鎌が、リュックサックを一瞬で切り裂く。
だがマヤの鎌はその衝撃に耐えかね、勝利の前で失速し空を切った。
「なっ?」
そして空を切った、その死神の鎌の刃の先にいたのは――
その光る刃を素手で受け止めようとしたのは――
勝利を守って必死に鎌を止めたのは――
驚く勝利の目に映ったのは――
「きゅう姫!」
死神の鎌を素手で掴んだきゅう姫だった。