三、不健康! 13
「ちゃんと避けなさいよ……」
「避けて欲しいのなら、投げるなよ……」
二人はそうとだけ口にすると、お互いに黙り込んでしまった。
勝利が失神から回復し、ダイニングの床に二人して座り込んだ。
勝利はきゅう姫に絆創膏を貼ってもらった。
絆創膏を貼り終えて一時休戦した二人は、散乱するダイニングで一言交わすや黙り込んでしまう。
「悪かったよ……知らなかったんだよ……お弁当作る気満々だったなんて……」
床に散らかりっぱなしの食器類を見つめて、勝利が沈黙を破る。
「別に……私も言ってなかったし……」
「それに、そんなに料理を楽しみにしてたのも……知らなかったし……」
「べべべ、別に勝利の為に――」
きゅう姫は途中まで言いかけて慌てて口をつぐんだ。
「何?」
「何でもない……」
きゅう姫は頬を赤らめて顔をそらした。
「怒るなよ……」
「ふん……怒らせるようなこと、言うからよ……」
二人してしばし黙り込むと、勝利から口を開いた。
「……贅沢……もう止めようか?」
「えっ?」
「せっかく財産が手に入ったし、きゅう姫の課題の期限まで贅沢しても……いや、課題が終わって、残ったお金でこれからも贅沢しても、罰は当たらないと思ってたけど……」
「……」
「罰どころか、中華鍋に当たったしな」
「もう……悪かったわよ……」
「きゅう姫を……魅優も祭もマヤもだけど……どうせなら、それこそ課題が終わっても贅沢させてやりたい、楽しませてやりたいって思ってた――つもりだったんだろうな……どうせきゅう姫のこれからの課題の為にも、お金は必要だって自分に言い聞かせてさ……」
勝利は手を着いて立ち上がった。そのままきゅう姫に手を差し出す。
「勝利……」
きゅう姫も勝利の手を掴んで立ち上がる。
「俺は自分が贅沢をしたかった。きゅう姫に贅沢をさせたかった」
「なっ? 何を言い出すのよ」
「でもそれで喧嘩をした。本末が転倒してたんだろうな、うん。もう止めよう、贅沢。きゅう姫悪かった。許してくれ」
「勝利……」
「ゴメン。この通り。どうかしてた」
「別に、そんなに頭下げなくたって……」
「いや、悪いのは俺。ホント、ゴメン……」
「……許して欲しい?」
「ああ……」
「だったら……そうね。私だって本当は贅沢したいわ。でもやっぱり無駄なことは、して欲しくないの……」
「……」
「だから――」
きゅう姫はにっこり笑ってあることを提案した。
「きれい!」
勝利は庭園一円に花を植えさせた。きゅう姫が喚声を上げて、庭園に飛び出していく。
屋敷を購入した時から花は植えられていた。だが他人の趣味で植えられた花のせいか、どこかよそよそしい庭園だった。
勝利は庭一面に、タンポポとひまわり、蓮の花を植えさせた。ひまわりは温室で育てていたものを買い取り、三月だというのに大輪の花を咲かせている。
「やるじゃないマケトシにしてわ」
日差しを避けた四阿の中で、魅優が勝利の脇腹をつつく。
「そうか……」
「仲直りしたの?」
「この贅沢が気に入ったら許してくれるって……」
「勝利! ありがとう!」
きゅう姫が遠くで勝利に手を振った。
「おう!」
「気に入ったみたいね、きゅう姫ちゃん」
「後で料理するね!」
「お、おう……」
「食べる気満々ね……きゅう姫ちゃん……」
「タンポポはいつもの天ぷらか?」
「私はレンコンのおひたしだけで、遠慮させてもらうわ」
魅優が蓮の花を遠目に見つめながら言った。仲直りできたらしい。やれやれだ。
「いい贅沢だろ?」
「マケトシにしてはね。でも私みたいに、もっとスケールの大きいことをしたら」
「? お前だって部屋に入ったきり、出てこないじゃないか?」
魅優はUSOに出かけて以来、ほとんど外出していない。散財といえば、部屋に納品させるフリルとリボンな洋服だけだ。
「私は一発ドカンといくのよ……きたっ!」
魅優が喜々としてメールを開く。
勝利はその声につられて思わずモニターを覗き込んだが、英文の羅列で理解できなかった。
「それとな魅優……」
きゅう姫が庭園の花に見入っている。勝利はそんなきゅう姫をジッと見つめた。
「何よ……」
魅優が自身も英文でメールを書きながら、振り返りもせずに応える。正直言って今は勝利と話している場合ではない――そう言わんばかりに集中している。
「きゅう姫と相談したんだけど、もう贅沢は終わりにするよ。きゅう姫に課題を提出してもらう」
座って花に見入っていたきゅう姫が立ち上がる。勝利に向かってにっこりと微笑んだ。
「何で? 期限はまだでしょ?」
魅優も驚いて立ち上がる。
難しい商談。海千山千の取引相手。高度な駆け引きに、鳥肌の立つような腹の探り合い。そして世紀の買収劇。それがたった今まとまった。あと一つ。承諾のメールを送るだけ。後は合意文書にサインするだけだ。震える指で送信キーを押そうとしたところだった。
「ああ。だがもういいと思うんだ」
「何言ってんのよ! その気になれば、トーキョー・ディスティニー・レジェンドだって買収できる額なのよ!」
魅優が誰もが憧れる、都市伝説と化したテーマパークの名を挙げる。
恋人二人でいけば、何故かそれだけのことで運命を感じることができる――そんな伝説がまことしやかに巷間に流れていた。まさに運命伝説の名にふさわしいテーマパークだった。またうかつにその名を口にすれば、こつ然と姿を消すという眉唾な都市伝説も語られている。
「ああ」
「ヨワミ空港を廃止して、オオサカ・ディスティニー・スカイを誘致する計画は?」
「魅優……そんな国政規模の計画を練っていたのか?」
「そうよ。三空港が乱立する地元経済事情を鑑みて、ヨワミ空港を廃止しても集客能力のある施設を誘致することで、地元の理解を得、尚かつ他の二空港の集客能力の向上も見込める――そんな画期的なビジネスプランよ。それに何より――」
ぐぐぐっと、魅優は拳を握りしめる。
「私だって、いつかは彼氏を作って、誘おうと思ってたのに!」
魅優はトレーディングルームに、連日こもりきりで取引をしていた。世界を相手に戦っていた。
『禿鷹め!』とその筋の敏腕トレーダーにすら罵られ、『違うわ……これはオデコよ』と反論した。
――Who is Ms.Odeko?
ここ数日世界中の投資家の間で、そう話題をさらっていた。
「悪いな魅優」
「私の夢の貸し切り計画は? 彼氏と二人っきり幻の国デート作戦は?」
「二人っきりなんて、かえって不運にも寂しいって」
祭が手を振って、遠くから明るく言う。祭はそのまま、きゅう姫と二人で嬉しそうに近づいてきた。
「て言うかもう水面下で動いてるの! 後はこのリターンキーを押すだけなのよ!」
魅優がノートパソコンを脇に抱え、リターンキーに人差し指をかけた。取引に熱中していたのは、伝説のテーマパークを買収する為だ。その取引も、あとワンクリックするだけだ。
「もういいんだ」
「もういいの?」
「そうだ」
「確かに買収に使ったお金は、マケトシの資金よ! でもここまで資産を膨らませたのは私の力なのよ! 私が夢とともに膨らませた資金なのよ!」
「おう、それでもだ」
「後半はきゅう姫ちゃんの力も、祭の力も借りていないわ! マヤの幸運の蓮の花にも頼っていない! 自分の才覚で殖やした資産なのよ! 私の能力でまとめた買収! 私が自分の為に贅沢しても、誰も文句は言わない――いや、言わせないと思っているわ!」
「もういいんだ」
「運命伝説のテーマパーク買収なのよ? べ、別にあなたの為に買収したんじゃないんだからね! 勘違いしないでよね! 幻の国でまだ見ぬ彼氏にそう言ってのけるまで、まさにあとワンクリックなのよ!」
「おう」
しかし勝利に迷いはないようだ。勝利は一切目をそらさない。
「……」
魅優も目に力を入れる。目をそらせば相手の意見を認めたことになるからだ。だが――
「……分かったわ……」
だが魅優が溜め息とともに勝利から視線を外し、ノートパソコンをテーブルの上に戻した。
「随分と素直じゃないか」
魅優はもっと粘ると思っていたのか、祭が近づいてくるなり感心して言う。
「別に……マケトシときゅう姫ちゃんのケンカを見たからね……何て言うか私も、当初の目的を忘れているような気は、薄々してたのよ……」
魅優は大きく息を吐き出す。それと同時に未練を振り払うかのように、書いてあったメールの内容を消した。代わりに入力したのは『NO』の二文字だ。そのままためらいもなく送信する。
「おそらくこの大型買収を織り込み済みだった市場は、私のメールの直後に国際的な大混乱に陥るでしょうね。まあ、知ったこっちゃないか」
「魅優ちゃん……」
きゅう姫がジッと魅優を見つめる。瞳が揺れていた。感謝と尊敬のまなざしだ。
「ありがとうな、魅優」
「まあ、それに何て言うか、あまりに天文学的な数字……モニターで見てるとお金って気がしなくなってきてね……」
魅優が力が抜けたようにイスに座る。
「でどうするの? この豪邸もやっぱり売っちゃうの?」
「ああ。不動産じゃ、きゅう姫の提出箱とやらには放り込めないしな。財産を現金化して、きゅう姫の課題にしてもらうよ。悪いがもう一仕事頼む」
「分かったわ。現金化ね。任せて……でも何か夢みたいな話だったわ……」
魅優が大きく息を吐いて天を見上げた。
「見たこともないような額のお金を動かす生活。それなりに重荷だったかしら。何だかどっと疲れたわ」
「そうだな。でも一件落着だよ」
やれやれと背伸びをする勝利の背後に、
「そうでも……ないわ……」
陰鬱な気を纏ったマヤがゆらりと現れた。