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一、貧乏!

貧乏! 不運! 不健康! 不幸の女神様ご降臨!


 幸運の女神様には前髪しかない。だから見つけたら、すぐに掴まなくてはならない――


 では――不幸の女神様は?


一、貧乏!


 貧乏学生――加納勝利かのうかつとしは、己の財産となった大豪邸を前に茫然自失していた。

「だってリート――不動産投資信託――の銘柄に空売りを仕掛けたら、あっという間に資金繰りが悪化したらしいのよ! 元々ファンドからの資金で物件を建てて、またファンドに売るレバレッジを効かせたまくった経営で、キャッシュフローとか怪しいなって思っていたのよね! それでちょっとつついてやったら、親会社の不動産会社が慌てて資本注入し出したわ!」

 その勝利の隣では、オデコと眼鏡を光らせて、イトコの少女が何やら説明していた。

 だが勝利はその少女の言うことが、まるで分からない。

 オデコと眼鏡の少女は茫然自失の勝利を横目に、尚も理解不能な話を続ける。

「それとこのリートが参照対象のCDS――クレジット・デフォルト・スワップ――のプロテクションの買い手にもなってね。むしろクレジットイベント……つまり債務不履行や倒産――デフォルト――が起こった方が、スワップしてもらえるから、がぜん空売りに力入っちゃって……払ったプレミアムは高かったけど、ハイリスクハイリターンは世の常よね。禿鷹だとか。強欲だとか。恥を知れとか。ヘッジファンドが言われる理由が、少し分かった気がするわ。それでね親会社にも空売りを仕掛けたら、リートは見限られて破綻。巻き込まれたシンセティックCDOもあったみたいだけど気にしないわ。シンセティックCDOてのは、CDSを参照対象にした合成債務担保証券のことね。まあこれもレバレッジの一種ね。それはさておき、そんな訳でこの物件も、タダみたいな値段で売りに出されたのよ。思わず買っちゃったわ……」

 オデコと眼鏡の少女は勝利が適当に相づちを入れると、まるでついていけない話を、一方的に話し続けた。

「――つまりなんだ……」

「つまりこれはあなたの家よ――」

 勝利はオデコと眼鏡とは別の少女を見た。

 髪の長い少女だ――

 黒く艶やかな髪が、背中にスッと伸びている。

 着ているのは『つぎ』だらけの赤と白の袴。そう、つぎはぎだらけの巫女さん袴だ。

 まさに不幸の女神様に相応しい『つぎ』だらけの袴を着た少女。

 この不幸の女神様の後ろ髪。それを掴んだ経緯。

 

 加納勝利はそれを思い出そうとした――



「貧乏で悪いかよ!」

 貧乏学生――加納勝利はそう叫びながら、路上でダイブした。通勤通学で人ごみ溢れる駅前だ。

「もらった!」

 勝利は更に叫び上げると、鈍く輝くそれに飛びついた。

「お金!」

 そうそれはお金。路上に落ちていたはした金。鈍く輝く小銭だ――

 勝利を取り巻く通行人の驚いた視線。

 道ゆくビジネスパーソン。掃き掃除に勤しむ近隣住民。駅前の人ごみに期待して募金を集めているボランティアの人々。勝利と同じ高校の制服の集団――あまつさえ知っている顔すらあった。

 勝利はそれをはね除けながら、いやむしろ航空力学にのっとってその視線を浮力にしたかのように、真っ直ぐお金に飛びついた。

 だから勝利は今更軌道修正などできない。

 たとえ空から槍が降ってこようが、鉄砲が降ってこようが、美少女が降ってこようが、勝利は今更止まることなどできないのだ。

「お金!」

 そう。似たようなことを口走りながら、巫女さん袴の少女がこちらにやはり飛びついてきても――

「――てか、そこの男子! どいて!」

 その少女にお願いされても、今の勝利にはどうしようもない。

「えっ? 何だ! 女の子? ぐわ――」

「きゃーっ!」

「なにくそ!」

 勝利は路上に手を着く瞬間――全身で衝撃を感じた。だが勿論己の身より何よりも大事なのはお金だ。勝利はがしっと掴んだ小銭をこの衝撃の中でも離さなかった。

 そしてその衝撃は激しくも、温かく柔らかかった。

 そう――勝利は飛びついてきた少女に激突され、そのまま覆い被さられていた。

「ぐお!」

 勝利は二人分の体重を一人で引き受け、己一人が地面と激突する。

「この……」

 突然の衝突で混乱する中、勝利は小銭を掴んだ右手と反対側の左手でとっさに少女の身を支える。

 二人でもつれて転がったが、地面との摩擦はそのほとんどを勝利が味わった。服の内と外を問わず、あっという間に勝利の肌に擦り傷が刻まれていく。

 よりによって、巫女さん袴だと――

 勝利は空転する視線の中で、僅かに見えた少女の姿に内心舌打ちをする。

 このいたって普通の平日の通勤通学路に現れた少女は、何故かつぎはぎだらけの巫女さん袴を着ていた。

「いたたた……」

「痛いわね……」

 やっと転げ終わった二人が同時に声を漏らす。

 二人して地面に転げている。勝利から見て右手が下だ。勝利がかばったままの左手が少女の背中に上から回されていた。

 少女もとっさにそうしたのだろう。右手を己の胸元で折り曲げ、勝利の制服の衿をぎゅっと掴んでいた。

 そして二人の右手と左手はぐっと肩口から伸ばされ、しっかりと互いの掌と指を握り締め合っていた。


 そう――互いにもう二度と離さないと言わんばかりに、がっちりと小銭を挟み込みながら――



「キャーッ!」

 巫女さん袴の少女は勝利より先に我に帰ったようだ。

 二人の互いの姿勢。衆人環視の路上での〝添い寝〟状態に慌ててその身を起こして、少女は慌てて路上に座り直した。

 少女の長い黒髪が後ろ頭にスッと流れ落ちた。

 狼狽したように身を起こした少女は、それでもその左手に掴んだ小銭は離さなかった。

 だがそれは勝利も同じだ。がっつりと小銭を握ったまま転げていた。

 周囲は先程の通行人が輪を作っていた。近所の人。募金を募っていたボランティアの人。オデコと眼鏡を光らせた制服の少女など。皆が半ば及び腰で心配げに近づいてくる。

「私が先に見つけたの!」

 少女がそんな観衆を前にして、ヒステリックに叫ぶ。

 気を失ったように倒れ込んだままの勝利。それなのに小銭は離そうとしないからだろう。

 それを引きはがさんと少女が己の左手に力を入れた。

「それは……俺の台詞だ……」

 勝利がゆらりと上半身を起こす。アスファルトの硬い路面に、傷ついた右手の肘を突く。勿論小銭は離さない。

「どっから見つけたって言うのよ?」

 少女がきっと勝利を睨みつける。大きく明るい光を放つ瞳だ。

「……」

 勝利の視線が一瞬その瞳に吸い込まれる。

「何よ? 言えないって言うの? なら、私の方が先じゃない」

「――ッ! 何を? 俺はあそこの角から、もう見つけてたぞ! 五十メートルはあるね! 俺の方が絶対早かった! あんな距離から小銭を見つけられるのは、日頃から貧乏力を鍛えてる俺だけだね!」

 勝利が惚けていたのを誤魔化すかのように、一息に捲し立てた。

 緩みかけた右手に力を入れ直し、少女の左手ごと小銭を握り直す。

「何よ、貧乏力って? てか、離しなさいよ。女の子の手よ」

「貧乏を力に変える何かだ。お前こそ離せよ。俺の小銭だ」

「何かって何よ? わけ分かんないわよ。それなら私だって、それぐらいの距離から見つけてました。さあ、その手を離しなさい」

「何処からだよ。俺みたいに具体的に言えよ。信憑性がないぞ」

 勝利と少女が二人して腰を浮かせた。互いに牽制し合いながら、それでいて隙あらば相手から小銭を奪わんと中腰になる。

「何処って! ちゃんと上空五十メートルぐらいから――あっ!」

「上空? 何言ってんだ? これだから巫女さん袴は信用できない!」

「何で、巫女さん袴だと信用できないのよ! 関係ないじゃない!」

「うるせえ! 個人的なトラウマだ!」

「そんなトラウマ責任持てないわよ!」

 今や二人は完全に立ち上がり、お互いに離すまいと情熱的なまでに手を取り合った。

 勿論離すまいとしているのは小銭だ。

「実際〝上空五十メートル〟とか、わけ分かんないこと言ってんじゃねえか! 空から落ちてきたったてのかよ?」

「――ッ! そ、それは……とにかく!」

「〝とにかく〟 何だよ!」

「と、とにかく……」

「とにかくも何も――」

 不意に別の少女の声がして、その声の主は勝利の手をがしっと握った。

「ん?」

 勝利が怪訝に振り向くと、

「何を往来のど真ん中で、騒いでくれてんのよ? 身内の恥を曝されているこっちの身にもなって欲しいものだわ」

 オデコと眼鏡を光らせて、女子高生らしき制服の少女が勝利を睨みつけていた。

「いたのか、魅優みゆ? だが止めてくれるな! 今この小銭をこの女から取り上げて――」

「この女ですって?」

 巫女さん袴のの少女がキッと瞳に力を入れる。勿論小銭を取られまいと指先に更に力が入ったようだ。

「〝取り上げて〟何? 女の子からお金取り上げて、自分はアパートから追い出されたい?」

 魅優と呼ばれた少女は、目だけ笑って勝利に微笑みかける。

「ぼぼぼ、募金するところだから」

 魅優に冷たい笑みを向けられた勝利は、慌てたように急に力の向きを変えると、

「キャーッ!」

 悲鳴を上げる巫女さん袴の少女の様子も構わず、近くにいたボランティアの女性の募金箱に互いの腕ごと突っ込んだ。



「魅優! どうしてくれんだよ! 俺の昼飯代だったんだぞ!」

 勝利が頭を掻きむしりながら、絶望に天を仰いで叫び上げた。

 駅前を通り過ぎた勝利は、前を行く女子生徒とともに朝の通学路を歩いていた。

「何言ってんのよ? 自分で放り込んだんでしょ?」

「お前が俺の生存権を脅しにかかるからだ。あのボロアパート追い出されたら、俺いくところないだろ?」

「たく。拾ったお金なんだから、募金箱いきで別にいいでしょ? それにしても、みっともないったらありゃしない。身内の恥を見せつけられるイトコの身にもなって欲しいものだわ。ねぇ? マケトシ」

 オデコと眼鏡を光らせて、先を歩く魅優と呼ばれた女子生徒が振り向きもせずに応える。

「勝利だ! マケトシとか言うな!」

「その貧乏暮らしではね。どう見てもマケトシよ……」

「ぐぬぬ……ああ、そうだよ! 貧乏だよ! 道に落ちてる小銭を拾うか、拾わないかで、死活問題なるような極貧だよ! 俺の財政状況知ってるだろ? どうすんだよ、今日の昼飯?」

「偶然見つけた小銭でお昼まかなおうって人に、今日の昼飯代の責任云々を問われる意味が分からないわ」

 魅優はこの時ばかりは一度立ち止まり、心底軽蔑の視線を後ろを歩くイトコに送る。

「ぐぅ……」

「てか、お昼なら、ほら。私がいつもお弁当作ってあげてるじゃない」

 魅優はもう一度歩き出す。前を向き直した魅優の表情は勝利からは見えなかった。

「〝いつも〟〝お弁当〟〝作ってあげてる〟だぁ?」

 勝利はそんな魅優の背中を見ながら、相手の言葉を反復する。その一言一言を口にする度に、眉が上がっていった。

「そうよ。この香川かがわ魅優様が、マケトシの為に今日も作ってあげた――」

 魅優はそこまで言うと軽やかに振りかえる。その仕草の最中に軽やかにカバンから取り出したのは、女子用にしては少々大きいお弁当箱だった。そう、どう見ても男子のお弁当だ。

 魅優は立ち止まると眼鏡を――いやこの時ばかりは目の奥を輝かせて、それでいながら目以外は顔を恥ずかしげに隠しながら、そっとそのお弁当箱を勝利に差し出す。

「この手作りお弁当を――」

「お、おう……」

「売りつけてあげる――って言ってんでしょ!」

 そしてやはり一際オデコと眼鏡を妖しく輝かし、魅優が嬉々として続けた。

「売りつけんのかよ!」

「いつものことじゃない」

 追いついた勝利と横に並び直し、魅優はあらためて歩き出す。

「そうだよ。いつもいつも、学食より微妙に安い値段設定で攻めてきやがって……」

「ふふん。それでも赤字にはしないわ。原価から切り詰めてるからね。半値見切り品は伊達じゃないわ」

「それだけか? たまに、昼以降腹の調子が悪くなるんだが。他にどんな原価の切り詰め方してるんだ?」

「失礼ね。あんたの財政状況に合わせてやってんでしょ。作ってもらえるだけ、ありがたいと思いなさいよね」

「イトコなら、こう。なんだ! 〝つ、作りたくて作ったんじゃないわよ! 一つ作りのも、二つ作るのも一緒だからよ! ののの、残さず食べなさいよね!〟ぐらい言えよ! ただで作ってくれよ!」

「つ、作りたくって作ったんじゃないわよ! 需要があるからよ! 一つ作るより、二つ作る方がコストパフォーマンスがいいからよ! ののの、残さず有り金よこしないよね!」

「ぐはっ! かわいくねえ! この守銭奴め!」

「ふふん――守銭奴で結構! 最高の褒め言葉だわ!」

 魅優は心底楽しげに鼻を鳴らすと、まるで硬貨でも入っているかのように、手に持ったお弁当箱をこれ見よがしに振ってみせた。



「まだ、課題がクリアできていない――ですって!」

「はい!」

 鞭打つかのようなその叱責に、少女が慌てて立ち上がった。

 少女は木製の机に勢い良く手を突くや、一瞬前まで座っていたイスを派手に後ろに倒しながら直立した。

 教室のようだ。それでいて、何処かおかしな雰囲気がする。

 そう、建物としては教室のようだ。教壇があり、その前を生徒が座る席で埋められている。黒板もあれば、掃除用具入れと思しきロッカーもある。

 だが、中にいる生徒らしき人物達がおかしかった。

 皆が思い思いの服装をしているのだ。

 お祭りの法被にTシャツ姿や、妖しくはためく黒ローブ姿。そして、つぎはぎだらけの巫女さん袴姿――などだ。

「何か言い訳することは?」

 壇上に立った女教師らしき人物が、立ち上がった生徒をきっと睨みつける。こちらも前史時代のシャーマンを彷彿とさせるような、原始的だが装飾をちりばめた衣装に身を包んでいた。

 つぎはぎだらけの巫女さん袴の少女――長い黒髪を後ろ頭にすっと伸ばした少女がその視線にビクッと怯えた。

「いえ、その……もう少しだったんです! 変な男子に邪魔されなければ、課題の額までもう少し――」

「言い訳無用!」

「そんな言い訳することがって――」

 少女が抗議に声を荒らげると、

「――ッ!」

 その声を遮るかのように、足下の床に大きな穴が空いた。ぱっくりと空いたその穴は、何故かその奥に市街地を覗かせていた。それはまるで町を上空から穴越しに覗いたかのようだ。家々の屋根が小さく遥か下に見えていた。

「キャーッ!」

 突如足場を失った少女は、黒髪を上になびかせて、穴の下へ――市街地の上に真っ直ぐ落ちていった。

「あはは! 本日二度目の〝天落〟とは!」

 それを見ていた真後ろの席の女子生徒が一人、イスの上でお腹を抱えて笑い転げだした。

 お祭りの法被にTシャツを着た、小柄な少女が目の端に涙を溜めて足までばたつかせ始めた。

 履いているのは薄汚れたスニーカー。本人の性格が現れているのか、どうにも無造作に扱われているようだ。

 踵が踏みつぶされており、元の色合いなど分からない程全体的に色あせ、薄汚れていた。

 そしてこちらの少女も髪が長い。全力で上下するそのスニーカーの両足に合わせて、後ろ髪がバタバタと揺れた。

「あはは! 腹痛いって! 捩れる! 千切れる! 一回転する! お腹からねじ切れて、不運にも――笑い死にさせられる!」

 法被の少女はようやく笑い転げるのを堪えると、今度は机に突っ伏して拳の腹で机を叩き出した。

「じゃあ、死になさい……」

 法被の少女の横に座っていた別の女子生徒――妖しい黒いローブのフードですっぽり顔を隠した少女が、そんな脅し文句とともにぬっと煌めく何かを突きつけた。

 刃物だ。長い柄の先に大きく三日月型に湾曲した刃の付いた、巨大な草刈り鎌のような得物をそのローブの少女は突きつけていた。

 その湾曲している刃を利用して、回り込むように鈍く光る刃先で突っ伏していた少女の首元をとらえる。

 それはまったくもって頸動脈の真上だった。ちょっと動かせば即死。そんな的確な位置に据えられていた。

「お前の課題はもう終わってるだろ? これ以上血を見てどうすんだよ! これで死んだら、不運にも無駄死にじゃねえか?」

 鋭い刃を突き付けられているというのに、法被の少女はまるでその不幸な状況そのものを楽しんでいるかのようだ。ケラケラ笑いながら応える。

「ふん……」

 鎌を突きつけた少女は、呆れたように鼻を一つ鳴らすと、うるさそうにフードを取り払い顔を表に出した。

 その勢いにローブの少女の黒髪がこぼれ出た。こちらもまた、後ろ頭にスッと長い髪が流れる。

 その様子を見て、法被の少女がふふんと笑った。

「まあ、いいんでないの? 何度でも、下界にたたき落とされても。何せ、あたいらの後ろ髪は――」

 法被の少女は前の席の下に空いた、床の穴を身を乗り出して覗き込む。

 その女子生徒の長い黒髪が、背中から前にはらりと垂れた。

「不運にも――何度でも掴めるからな!」

 法被の少女が穴の向こうに向かって叫ぶ。

 もはや豆粒のような大きさにしか見えなくなった巫女さん袴の少女が、


「人ごとだと思って!」


 長い黒髪をなびかせて、悲鳴めいた声で叫び返した。



「腹が痛いんだが?」

「いやね。製造者責任でも問いたい訳? マケトシ」

 勝利が脇腹を押さえながら、脂汗を垂らして魅優に訴えていた。

 春先の下校時刻。多くの生徒がカバンを片手に校庭に溢れていた。

 その中を一人。勝利だけがカバンでお腹を押さえるようにして、少々内股気味に歩いていた。

「勝利だ」

「マケトシそのままの、みっともない格好じゃない。とても今朝の娘には見せられないわね」

 横を歩く魅優が心底軽蔑した視線を送った。

「何でそこに〝今朝の娘〟なんて単語が出てくんだよ?」

「自分の胸に訊いてみなさいよ? 出会い頭にぶつかって、しっかりそのまま手を握り締めて。警察呼ばれなかっただけ良かったわよ」

「手、握ってたわけじゃねえよ! あいつが俺の金を手放さなかったからだよ! 勘違いしてんじゃねえよ!」

「どうだか? てか、あれあんたのお金じゃないし」

「何を! うおっ! ヤバい……」

 勝利がうずくまるように立ち止まった。

「ちょ! 何よ? 何が、ヤバいのよ!」

 魅優が同じく立ち止まり、それでいながらとっさに距離を取って振りかえる。

「今、ヤバいものに……お腹以外の何があるかよ……」

「そうね……あれね。ぷりぷり怒って何処かに行ってしまう――」

「あん?」

「そんな巫女さん袴の女の子を見送るマケトシの視線。あれもかなりヤバかったかな?」

「アホ言え! ぐお……」

 勝利はうずくまりながらも、顔だけ上げて抗議の声を上げる。真っ青だ。

「一生に一度しかいないチャンスだったかもしれないのに。追いかけないだなんて。ヘタレね、マケトシは」

「路上に落ちてるお金を、必死こいて離さない女の子なんて、こっちから願い下げだ。何より巫女さん袴だったらな」

「似た者同士で丁度いいじゃない。それに、まだ言ってんの? 巫女さん袴の女の子にトラウマって? そんなこと言ってる限り、空から女の子が降ってでもこないと、マケトシに出会いなんてないわね」

「そうだよ、あの女! 何が上空五十メートルだ! 空から降ってきたとでも――ん?」

 勝利が空を見上げて口調を荒らげると、その動きが不意に止まる。

 その勝利の視線の先には――もの凄い勢いで落下してくる巫女さん袴の少女の姿があった。

「ちょっと! そこの男子! どいて――」

 巫女さん袴の少女は、何処かで聞いたような悲鳴を上げてぐんぐん落ちてくる。

 正に落下。重力に引かれて、自分ではどうしようなく落ちてくるようだ。

「なっ?」

 少女が落ちてくる――正にその落下地点にいる思しき、勝利が目を剥いて固まってしまう。

「てか、あなた、今朝の――」

「お前、朝の――」

 そう、勝利はこのままでは激突することよりも、その落ちてくる少女の顔に見覚えがあることに驚いて思考が停止してしまう。

「マケトシ! 何、ぼうっとしてんの!」

「はっ! ちくしょう! こいっ!」

「――ッ! いいから、どいて!」

 重力に引かれ自分ではどうすることもできない少女。驚きに固まってしまっている勝利。

 それでも勝利は魅優に名を呼ばれ、とっさに我に返ったようだ。状況を全て呑み込めないままに、勝利はせめてもか、己の両腕を差し出して少女を受け止めようとした。

「受け止める気? ダメよ、マケトシ!」

「止めるな、魅優! ここで逃げたら、男が廃る――」

 勝利の目が覚悟に光る。片足を半歩後ろに退き、反射的に衝撃に備えようとした。

 だがやはり無理があったようだ。

「ダメよ、マケトシ! あんたにはまだ――生命保険もかけてないのに!」

 魅優のその悲痛な悲鳴とともに、

「何を言って――どわ! グワバ、グギギャ、グギグギャ――」

「キャーッ!」

 勝利は少女と激突すると、意味不明な叫び声を上げ、二人でもんどりうちながらグラウンドを何処までも転がって行った。



「あはは! 見たかよ! 衆人環視での屈辱の天落! 不運にも友達なあたいらが恥ずかしいっての!」

 長い髪を左右に揺らして、法被の少女が廊下を闊歩していた。

 学校の廊下のようだ。だがやはり廊下をいく生徒達の姿はそれぞれで、その光景に違和感を与えていた。

「ふん……もともと才能があるのに、出し惜しみなんかしてるからだわ……」

 その中でも一際不気味な雰囲気を放つ、黒いローブの少女が横を歩きながら応える。随分と陰にこもった声色だった。

 フードを目深に被っている。だが声に陰があるのは、そのような外側の理由ではなく、どうやら本人の性格によるもののようだ。

 その証拠にローブの少女は、目つきも険が露になっている。

「で? どうするよ?」

「何がよ……」

「おや! ピンとこない? それとも不運にも、素直になれない?」

「だから何がよ……あんまり回りくどいと――鎌のさびにするわよ……」

 ローブの少女が何処からともなく、巨大な鎌を取り出した。少女の険のある瞳が、鎌の刃と同時に光る。

「あはは! 明日からあたしらは春休み。不運にも追試の為に天落させられた誰かさんとは違ってね」

 法被の少女はにやにやと、動物的な笑みで横を歩く少女に笑みを向ける。刃物を向けられているというのに、むしろその状況を楽しんでいるかのようだ。

「……」

「で、明日から何処で何をしてようと、文字通りお天道様は知らんぷりという訳だろ?」

「手伝いに行くつもり……それはあの娘の為にならないわ……」

「あはは! 手伝い? 何言ってんだよ? 不運にも――笑わせてもらいにに、決まってんだろ!」

「私は行かないわよ……下界なんて、用事もないのに行きたくないわ……」

「あっ、そ。では、あたいは、許可もらいに職員室に行ってくら。じゃ、ご不運を!」

 法被の少女は一人廊下を走り出すと、不吉な挨拶を残して手を振って去っていく。

「ふん……そちらこそ、ご自害を――だわ……」

 ローブの少女は、こちらも不吉な挨拶で返す。

 去りゆく友人の後ろ姿を直視せず、ローブの少女はふて腐れたように応えた。

 それでいて何処か心残りでもあるのか、少女は法被の少女が消えた先をいつまでも見送る。

「もう少し……ねばりなさいよ……」

 手に持った巨大な鎌が、その不気味さとは正反対に、もじもじといじらしく左右に揺れた。



「ぐ……」

 加納勝利は朧げな視界に、己が直前まで気を失っていたことを知ったようだ。痛みに堪えてか、軽く唸りながら何度か目をしばたたかせて、目の焦点を合わせようとした。

 天井が見える。何処かの室内のようだ。それでいて寝かされている。勝利の体の上に軽いシーツがかぶせられていた。

「ん……」

 まだ意識がはっきりしないのか、勝利はそのシーツの下で腕を動かそうとした。

 だが動かない。

「何だ? ひどい怪我なのか……」

 勝利が呟く。

 右手が動かない。シーツの下でもぞもぞとするだけだった。

「そりゃ、空から落ちてくる女の子を受け止めりゃな……」

 勝利は独り言を続けながら、動かない右手の方に顔を傾けた。

 そこには――

「――ッ!」

 少女が軽い寝息を立てていた。

「ななな! 保健室? 女の子! 添い寝?」

 勝利が飛び起きた。その拍子に二人で被っていたシーツが零れ落ちる。

 勝利の言葉通りそこは保健室だった。保健室のベッドに二人寝かされていたようだ。

 右手が動かなかったのは、少女の首筋に腕枕として添えられていたからだった。勝利は起き上がるとともに、強引にその右手を引き抜いた。

 つぎはぎだらけの巫女さん袴。それを纏った少女がシーツの中から少々揺られながら露になった。

「こいつ……朝の……いや。さっき、空から落ちてきた……」

 勝利が息を呑みながら少女の顔を覗き込む。

 吸い込まれるように目が止まったのは、その軽く開かれた唇だ。

 少女の姿はまるで無防備。その象徴のように、唇は安心し切ったように開かれていた。そこから吐息が漏れるのが、勝利の耳にしっかりと届いていた。

「おい……」

 勝利が更に大きく息を呑みながら、その肩に手を触れようと右手を伸ばした。

 だがそこで勝利の手は止まってしまう。少女の肩に触れる寸前で、その手がふるふると震えてその先に進まない。

「おーい……揺するぞ……起こす為に、仕方なく触るぞ、揺らすぞ……おーい……」

「……」

 しかし勝利の呼びかけに少女は目を覚まさない。

「仕方ないからだからな。寝ている女の子の肩を……仕方なく揺するだけだからな……」

「……」

「それじゃ……その……」

 勝利がゆっくりと手を伸ばす。その手が振れる瞬間――

「――ッ!」

 少女がいきなり目を覚ました。巫女さん袴の少女は、そのつぎはぎだらけの衣服を翻して勢い良く上半身を立ち上げた。

「おわ! 何も、してないぞ! ななな、何もまだ!」

「ああ! あなた、さっきの! ――ッ! ちょっと? 何で同じベッドで寝てるのよ! てか、『まだ』って何よ?」

「知るか! 俺だって、さっき目を覚ましたばっかりだ! ままま、まだはアレだ……何でもねえよ!」

「何なのよ……あっ! そんなことより、どうしてくれるのよ?」

「はい? 『そんなことより』? 何だ?」

「そうよ! せせせせ――」

「何だよ? 何、顔を真っ赤にしてんだよ? 『せ』何だよ?」

 勝利が疑問に眉を中央に寄せると、がらりと保健室のドアが開いた。

「マケトシ、起きた? サービスで、一緒のベッドに寝かしてといたあげたから、感謝しなさいよね」

 魅優が暢気なことを言いながら、そのドアから入ってくる。

 丁度その時――


「責任取ってよね!」


 巫女さん袴の少女は真っ赤になって、ベッドの上でそう叫び上げた。



「せっ、責任! 何だよ、急に? 何の話だよ!」

「とぼけないでよ! 自分の行動には、責任持ちなさいよね!」

 思わず後ずさった勝利に、巫女さん袴の少女が詰め寄る。

 勝利は腰をシーツですりながら。少女は四つ足にシーツを絡めながら。保健室のベッドの上で、勝利の上に少女が被さるように詰め寄った。

「はぁ?」

「自分の行動でしょ? 言い逃れなんて、男らしくない!」

「だから、何だよ? てか、お前誰だよ?」

「私? 私の名前はきゅう。ひらがな〝きゅう〟に〝姫〟できゅう姫!」

「『きゅう』に――『姫』ね……」

 勝利が『姫』と口に出して、思わずその後の言葉を息とともに呑み込んでしまう。

 勝利の目が相手の瞳に吸い寄せられたように動かない。

「何? 急に黙り込んだりして?」

「あ、いや。きゅう姫か? 変わった名前だな」

「話を誤魔化さないで!」

 顔を触れ合わんばかりに、きゅう姫と名乗った少女は勝利ににじり寄る。

「ちょ、ちょっとは落ち着けって……」

「『落ち着け』ですって! そうよ! 落ちたわよ! 落とされたわよ! 地上にまた着いちゃったわよ!」

 語尾を跳ね上げる度に、きゅう姫は後ろに退く勝利に詰め寄って行った。

 だがここは狭いベッドの上。勝利は直ぐに行き場を失い、きゅう姫だけが前に出る。

「何言ってんだ? てか。ちょ、ちょっと、あた……」

「『あた』? 何よ?」

「当たってる……」

「だから、何がよ?」

「その――胸が……」

 そう。あまりに真に迫り過ぎたせいか、きゅう姫は勝利の膝小僧に自分の胸を押しつけていた。

 大して大きくはない。だがそれは確かに勝利の膝に力強く触れていた。

「――ッ! もう、最低! 本当に責任取らせてやる!」

 慌てて身を起こしたきゅう姫は、つぎはぎだらけの巫女さん袴の裾を翻して絶叫する。

「いや、だから。そもそも責任って――」

 その隙に勝利が身を起こし直した。無意識にか先程まで触れていた己の膝小僧に手をやり、その感触を確かめてしまう。

「マ・ケ・ト・シ……」

「ひっ! 魅優! どうした、怖いぞ!」

 殺気が込められた声が背中から低く響き、勝利は思わず悲鳴を上げて膝にやっていた手を退けると振り返った。

「『どうした』もこうしたもないでしょ! いくら請求されてるの?」

 いつもは光り輝くオデコと眼鏡に、この時ばかりは陰にこもった影を落として魅優が勝利の肩をがしっと掴んだ。

「はい?」

「『責任』とか言われてんじゃない! 慰謝料? 示談金? ままま、まさか、手術代……」

 魅優の手が肩から首に回された。

「何の話だ! 知らねぇよ! てか、質問しながら、首締めてんじゃねえよ!」

「あんたの保護者は、伯父伯母である私の両親なのよ! お金がかかるような問題、起こされてたまるもんですか!」

「起こしてないって! 心当たりとかねえって!」

「ああ! やっぱり男らしくない! はっきりと、自分で突っ込んだじゃない!」

 きゅう姫が勝利の後ろ頭に再度迫る。

「ブッ! 『突っ込んだ』? 何だ……何の話だ……」

 首を絞められているせいか、はたまた責められている内容のせいか、少々青ざめ始めた勝利が首だけ振りかえる。

「『何』って……その、私の大事な……」

「だだだ、『大事な』って……何だ……」

 勝利の顔か青から赤。そしてまた赤から青へと次々と変わっていく。

「大事なモノを無理矢理……」

「マ、マケトシ……あんた……この子の大事なモノを、まさか……よりによって無理矢理……」

 魅優の手に更に力が入った。

「違う! 何を信じている魅優! 絞まる――いや、折れるって!」

 勝利の首がおかしな方向に曲がり始めた。

「私は大事なアレを失って……」

 きゅう姫がうつむいた。その表情が見えなくなる。

「キーッ! マケトシ! もう、言い逃れはできないわよ! いくらかかるのよ、この問題!」

「いや、まて……知らん……てか、一番の心配はやっぱり金か!」

「当たり前でしょ! 女の子大事なモノ奪って! お金の問題よ!」

「そうよ! 私の大事な――」

 きゅう姫がグッと顔を上げた。

「もう、死んで慰謝料の請求権を放棄してもらいなさい! マケトシ!」

「本当に死ぬ! 首が!」

 そしてバンッ――と己の膝の巫女さん袴に両手を叩き付け、

「私の大事なお金――勝手に募金したじゃない!」

 きゅう姫は何処までも真剣にキッと勝利を睨みつけた。



「はぁ?」

「はい?」

 勝利と魅優がそれぞれに素っ頓狂な声を上げた。

 魅優が手を離し、勝利の首が解放される。半ば持ち上げられる形になっていた勝利の体がドサッとベッドの上に落ちた。

「なんだ。今朝のあの騒ぎか?」

「ああ、あれね」

 勝利と魅優の口調が一気に落ち着く。

「そうよ! 勝手に無理矢理募金箱に突っ込んで! どう責任とってくれるのよ?」

 だがきゅう姫は一人真っ赤な顔で声を荒らげる。

「はいはい」

「何よその反応の悪さは?」

「だってな……」

 勝利は同意を求めたのか、隣の魅優に視線を移す。

「そうよね。ヘタレなマケトシに、そんな度胸ないわよね」

 魅優が呆れたように大きく息を吐きながら応えた。

「おいおい。そんな風に同意するなよ」

「事実じゃない」

「何だと!」

 勝利は文句を言いながらも、肩の荷が降りたかのように全身から力を抜いた。やっと保健室のベッドから降りようとし始める。ひとまずベッド脇に腰を懸け、置かれていた上靴を片方の足で引き寄せた。

「おや? てか、元気じゃない? マケトシ。怪我はともかく、お腹痛はもういいの?」

「貧乏力舐めんなよ! 少々傷んだもの食べたぐらいで、保健室にいつまでもいてられっかよ。明日から春休み。ばりばりバイトもしないといけなしな」

「ちょっと! 何、話が終わったみたいな雰囲気になってのんよ!」

 きゅう姫がボンとベッドの上で両手を着いて跳ね上がった。その勢いで相手の注意を惹き直し、己の体勢を整えた。

「まだ話は終わってないんだからね! ちょっとここに座りなさいよ!」

 きゅう姫はそのまま正座のような格好でベッドに着地する。ぐっと身を乗り出して顔を真っ赤にした。

「何でだよ?」

「だって、あなたのせいなんだからね!」

 きゅう姫がプッと頬を膨らませた。

「ふん……」

 勝利がその様子に鼻で笑う。一度目を離し、己の余裕を見せつけるかのように目をつむってうつむいてみせた。

「何よ……」

「たかが小銭――とは言わん! だがあれは果たしてお前の金だったのか?」

 目を見開いた勝利が強気に振りかえる。

「う……」

 きゅう姫が唸って少し身を退いた。

「マケトシ。あんたもさっきまで、自分のお金みたいに言ってたじゃない」

「それはそれ。俺があの金に対して、お前に責任を感じる必要はないと思うがな」

 勝利が突き放すように立ち上がった。

「むむ。てか、お前、お前って、えらそうね。マケトシなんて、変な名前のくせに」

「勝利だ! 加納勝利!」

「カノウで、カツトシ? 名前負けしてんじゃないの?」

「何を!」

「そうなのよね。マケトシって方が、しっくりくるでしょ?」

 魅優がここぞとばかりにわざとらしくため息を吐いた。

「お前はどっちの味方だよ?」

「私はお金の味方よ」

 その己の信念に一切の曇りはない。そうとでも言いたげに魅優のオデコと眼鏡が輝いた。

「訊いた俺がバカだったよ。えっと……きゅう姫――だったか?」

「そうよ。九条院きゅうじょういんきゅう姫」

「きゅうじょういんきゅう姫? 貧乏臭い名前だな。まあ、お互い貧乏のようだがな」

「むっ。私は貧乏じゃないの――」

 きゅう姫はそこまで口にすると指をぱちんと鳴らす。

「私は貧乏神なの!」

 きゅう姫のその言葉とともに、勝利の頭上に旅行用のリュックが何の前触れもなく現れた。パンパンに膨れ上がったボロボロのリュックだ。

「貧乏神? 何だ! リュック? 何処から? ――ッ! 痛ッ!」

 勝利が突然できた影に驚き、思わず己の頭上を見上げる。

 そしてリュックは現れるや否や重力に負けて落下し、ものの見事にその勝利の顔面に直撃した。魅優の攻撃に耐えた勝利の首が、おかしな方向にあっさりと曲がる。

「ふふん。そうよ。私は貧乏神。貧乏の――」

 その様子にやっと機嫌が直ったのか、


「貧乏の――女神様」


 きゅう姫はとてもいい笑顔で微笑んだ。



「貧乏神だぁ?」

 勝利が首を捻りながら素っ頓狂な声を上げた。疑問に首が曲がったのではなく、その前のリュックの衝撃で曲がったきり戻らないようだ。

「そうよ。あんまりばらしちゃいけないんだけど、二度も空から降臨するところ見せちゃったしね」

 きゅう姫は保健室のベッドに腰を降ろしたまま、胸を張ってえへんと答える。

「『降臨』? 落っこちてきただけにしか、見えなかったがな」

「う……うるさいわね……まあ、一応。見習いだし。ちゃんと降りてくるの苦手なのよ」

「ふうん。えっと――きゅう姫ちゃんって、神様の見習いなの? やっぱ見習いってことは、神様にも学校とかあるの?」

 魅優がベッドに手を着いて興味深げに身を乗り出してきた。勝利の脇からきゅう姫の姿をまじまじと見つめる。

「そうだよ。えっと――」

「魅優でいいよ。魅力的で優しいで魅優ね」

「ふうん。魅優ちゃんね」

「似合わねえだろ? 大げさ、嘘、紛らわしいってんで、いつか訴えてやろうと思ってんだけど」

「うるさい!」

 魅優の腕を振り上げた。その右の肘は、躊躇いもなく傾いていた勝利の顎を直撃した。

「痛っ!」

 あははときゅう姫が笑い、ふふんと魅優が勝ち誇る。

 勝利はイテテと、その衝撃でやっと治ったらしき首を真っ直ぐきゅう姫に向けた。

「……」

 そしてきゅう姫の目を見て無言になってしまう。

「何よ? 人の顔まじまじと見て」

「いや、別に……『人の顔』って、神様なんだろ?」

 勝利は急に顔をそらし、何故だか己の頬を軽く指で掻いた。

「むむ。そこら辺は、言葉の曖昧さってところよ」

「で、きゅう姫ちゃんは何をしにきたの? 何か神様らしいことをしてくれるの? あっ! 貧乏神なんだっけ? 私は勘弁ね! マケトシ、出番よ!」

「るっせー。これ以上貧乏になんて、なりようがあるかよ」

「それもそうね」

「ああ、やっぱり。こうなったら、協力してもらおうかとも思ったんだけど。貧乏神の課題に」

「『やっぱり』とか言うな。好きで貧乏なんじゃねえよ」

 勝利の応えに、きゅう姫はやはりあははと無邪気に笑う。

「しかしだけど、あれだろ? 貧乏神ってのは……こう貧相な格好してだな……」

 そう言って勝利は、あらためてきゅう姫の姿を見る。

 つぎはぎだらけの巫女さん袴。上が薄汚れた白で、下が色の落ちた赤だ。その上ベッドの横に脱ぎ捨てられていたのは、本物のワラジ。

「……」

 確かに貧乏そうだ。だがそれを着ているのは、勝利が時折目を奪われてしまう程の美少女だった。

 今度も勝利の目は、そのきゅう姫の瞳に止まってしまう。

「何よ? さっきから?」

「えっ? いや、確かに――」

 勝利は慌てたように視線を泳がせた。

「貧相だなと……」

 そして思わず目についたところでぽつりと呟いてしまう。

「――ッ! ちょっと! 今どこ見て言ったのよ?」

「あっ! えっ? ど、どこって、む、胸元……かな?」

「――ッ!」

 きゅう姫が顔を真っ赤にして己の胸の前で腕を組んだ。

「えっ! あっ! ご、ごめん……」

「謝らなくってもいいわよ! 余計みじめよ!」

「そうよマケトシ。貧乏神なら仕方がないじゃない――」

 魅優が勝利に習って、きゅう姫の全身を見回す。やはり最後に目を止めたのは胸元だった。

「この貧相は、ある種不可抗力なんじゃないの? 多分貧乏神の職業病か何かなのよ」

「魅優ちゃんまで、失礼ね! てか、こここ、この貧相は! 貧乏神とは、か、関係ないわよ!」

 きゅう姫が腕を組んだまま身を捩り、話題の胸元を二人の視線から遠ざけようとする。

「貧乏神っていかにも、ご飯とか食べてなさそうだけど? ねぇ、マケトシ」

「おう」

「二人して、ホント、失礼ね! それに、こ、これは……こここ、個人差よ……」

 きゅう姫が顔を真っ赤にしてうつむいた。

「豊かな貧乏神もいると?」

 魅優がオデコと眼鏡を光らせて訊く。貧乏でも豊かだと聞けば、興味がわかない訳がない。

「いるわよ……待って! 今そんな話してるんじゃないの!」

「何だったっけ?」

「さあ。できれば貧しくても豊かになれる方法を、先に知りたいわ。栄養を一点に集中させるとか、神様ならできるのかしら?」

 魅優が自分のアゴに手をやり、まじまじときゅう姫の胸元を見つめる。

「離れて! こっちの貧相からは、離れて!」

「そうだぞ、魅優――」

「そうよ……」

 きゅう姫がほっと息を漏らす。やっと貧相の話題から離れてくれる。そう思ったのだろう。

「豊かな貧乏神もいるんだろ? それは成功してる奴に訊かないとな!」

「――ッ!」

 勝利の視界いっぱいに、きゅう姫の拳が大写しになった。



「許可もらったら、考えなしに――即落下!」

 お祭りの法被を翻し、小柄の少女は躊躇いもなく雲の端から身を踊らせた。

「落下地点など確認なし! 待ち人との約束など全くなし! 思惑の勝算なんか勿論なし! 所詮この世は――」

 法被の背中の祭の文字を楽しげにはためかせ、少女は長いが無造作に括られた後ろ髪をなびかせて宙に舞う。

「〝不運〟任せ!」

 少女が身を任せるは文字通りの天の高み。空気すら危ういその空に、少女は法被にスニーカーの軽装で我が身を曝す。

「待ってろよ、きゅう姫! この不運を司る女神様――」

 少女がそう何処とへもなく叫び上げると、その法被の胸元から白い華が零れ落ちそうになった。

「おっと! 不運にも――早速切り札をなくす寸前! 流石あたし! 凄いぞあたし! やっぱ天才不運少女! 疫病神の――」

 少女は胸元に白い華を押し込み直すと、

覇狼院はろういん――まつり様!」

 更なる加速を味わう為にか、その身をぐんと傾けて頭から地表に向かって行った。



「何でついてくんだよ?」

 後ろを歩くきゅう姫に、勝利は困惑げに振りかえる。

「勝利についてってるんじゃないわよ。魅優ちゃんについて行ってるの」

「そうよ。自意識過剰なんじゃない? マケトシ」

 学校のグラウンド。下校する生徒の数も目に見えて減った春先のグラウンドを、勝利ときゅう姫、魅優の三人が連れ立っていた。

「聞けばきゅう姫ちゃん、今晩の寝床もないって言ってたじゃない。ウチのアパート部屋空いてるし。課題とやらが終わるまで泊まってもらうことにしたわ」

「いつもは野宿なんだけどね。まだまだ朝は寒いしね。助かるわ」

「そうか。まあ、部屋もろくに埋まらないようなボロアパートだが、住めば都って言うしな」

「何ですって!」

 二人の様子に、あははときゅう姫が屈託なく笑った。

「……」

 勝利がその笑顔にまたも見入ってしまう。

「何よ?」

「いや、別に……あっ、そうだ。そこのな――」

 己の様子を誤魔化す為にか、勝利は急にグラウンドの一角を指差した。フェンス際だ。

「あっ! タンポポ!」

 そう。きゅう姫が思わず声に出した程、そこには鮮やかな黄色を輝かせてタンポポの一群が生え揃っていた。

「そう。只のタンポポじゃないぞ。幸運の――てっ、おい!」

 勝利が何やら説明を始めたが、ろくに耳を傾けずにきゅう姫はそのタンポポに駆け寄っていた。

「無視されてますな、マケトシさん」

「るっせえって。てっ! あっさり、むしり取ってるし!」

「何よ?」

 『タンポポ』と叫ぶや否や駆け出していたきゅう姫。タンポポの前で膝をつくや、迷いもなくその黄色い茎を摘みだしていた。

「それ、幸運のタンポポなんだけど?」

 勝利と魅優がきゅう姫の下に駆け寄ってきた。

「そうね。こんなところに生えてるなんてラッキーだったわ」

「ちげえよ。毎日色んな生徒が願い事を言って、その多くが叶ってるっていう噂のタンポポなの」

「私の大富豪になりたいってお願いは、未だ叶えられてないけどね」

「そんな下世話な願い、神様だって聞くもんか」

「ケチよね、神様も」

 魅優は心底期待はずれと言わんばかりにため息をつく。

「お前に言われたくないだろうな、神様も。あのな、このタンポポは、もっとこう――高校生らしい幸せをだな」

「何言ってんのよ、二人とも。食べ物があるだけ幸せじゃない?」

 きゅう姫が胸元いっぱいにタンポポを抱えて立ち上がる。

「はぁ? 食べ物?」

「そうよ。今夜は宿のお礼にご馳走するわ。天ぷらで、いい? おひたしもおいしいけど」

 きゅう姫がタンポポを持ち上げ、己の鼻先に持って行く。花の香りを楽しんでいるのでないようだ。

「恥ずかしいけど、喉と腕が鳴るわね」

 その証拠にきゅう姫は照れた様子で喉を鳴らした。

「あの、一応訊くが、そのタンポポのことを言っているのか?」

「他に何があるのよ?」

 きゅう姫がきょとんとした顔で訊き返した。心底その他は思い浮かばないようだ。

「凄いわ、きゅう姫ちゃん。流石貧乏神様ね。野草を躊躇いもなく食べようだなんて。貧乏生活が身についているのね」

「えへへ。それ程でも」

「いや、褒めたようにも聞こえなかったが」

「むむ。貧乏神が貧乏さを認められたら、それは褒められたに決まってるじゃない。私の友達の疫病神の娘なんか――」

 きゅう姫はそこまで言うと空を見上げた。

「――ッ!」

 そしてそこで驚いて固まってしまう。

「どうした、きゅう姫? げっ!」

 勝利も続いた。そしてやはり驚きに声を上げてしまう。

「また、誰か落ちてくるわよ!」

 きゅう姫と勝利に続いて魅優も見上げたグラウンドの空。その上空から、少女と思しきシルエットの人物が落ちてくる。

 普通ならその後の惨劇を想像し、悲鳴の一つでも上げざるを得ない状況だ。

 だがその少女が上げたのは、


「イヤッホーッ! 不運にも――落下予測地点に人が!」


 目下落下中だというのとても楽しげな喚声だった。



「また、受け止めないとダメなのか!」

 勝利がキッと天を見上げて決意に目を光らせた。

「何言ってんのよ、マケトシ! 受け止め切れなかったでしょ?」

「そうよ! どいてくれた方が、私の時もありがたかったんだけど!」

 魅優が軽蔑の視線で、きゅう姫が非難の眼差しでそれぞれ勝利を同時に責める。

「お前ら、ひどいな!」

 勝利が抗議の為に、一瞬きゅう姫と魅優に視線を向けると、

「不運にも、相手も避ける気なし! ヨッシャーッ!」

 天から降ってくる少女は、もうすぐそこまで斜めに落ちてきていた。何と言うか、とても楽しげに。

「――ッ! ヤバい! くるぞ――」

 迫りくる風圧に、勝利はとっさに少女に面を向け直した。

 きゅう姫と魅優を背後にかばうように、両手を大きく拡げて落ちてくる少女を受け止めようとする。

「勝利! 危ないって!」

「止めるな! きゅう姫! てっ! お前も危ないだろ!」

 思わず勝利に抱きついてその場を離れさせようとしたきゅう姫。二人して迫りくる少女の落下線上に突っ立つ結果となった。

「この!」

「キャッ!」

 勝利は堪らずきゅう姫の頭を抑え、己の体重を利用して力ずくで相手を座らせた。

 自身の体ごときゅう姫を押さえ込む勝利。

 さっきまで勝利の上半身があった空間がぽっかりと空いた。

「むむ! 避けられた! だけど一人が避けても、不運にも――」

 斜めに飛び込んでくる――お祭り法被の少女。

「ちょっと! 何、避けてくれてんのよ!」

 突然開けた視界に、その少女の姿が飛び込んでくるオデコと眼鏡が陽に光る少女――香川魅優。


「後ろにもう一人――人が! ウッヒョーッ!」


 お祭り法被の少女の楽しげな嬌声を合図としたかのように、

「ギャァァァアアアアァァァァッ!」

「イヤッホーッ! アンラッキー!」

 悲鳴と喚声をもつれ合いさせながら、二人は何処までも転がって行った。



 もうもうたる土煙がグラウンドに舞っていた。

 そのかすれた視界の向こうに、柔らかな四角い台のようなものが見える。そしてその上にこんもりとした二人分の人影があった。

 その影からはもつれ合った手足が伸び出ている。

 グラウンドの片隅に置いてあった、高跳び用のマットに乗り上げて二人は止まったようだ。

「アイタタタ……」

「ぐぅ……」

 落ちてきたお祭り法被の少女が頭を振ってもつれた手足をほどき、支えを失う形になった魅優が自慢のオデコからマットに身を沈めた。

「あら、よっと!」

 法被の少女が立ち上がろうと手を着いた。

「――ッ! ちょっと! 痛いじゃない!」

「おや、マットかと思ったら――不運にも人様の頭の上! 流石あたし! 転んでも只では起きない不運ぷりっ!」

 そう、少女が手を着いたのは、マットの上ではなく魅優の後頭部の上だった。

 勿論そんな状況も抗議の声も気にせず、少女は追い討ちをかけるかのように勢い良く手を伸ばして立ち上がる。

「痛いって!」

 魅優の頭が更にマットに埋もれていく。

「おいおい」

「大丈夫? 魅優ちゃん!」

 勝利ときゅう姫が慌てたように駆け寄ってきた。

「おや、きゅう姫? くう、ドンピシャで見つけてしまった。不運にも寄り道もできないなんて! やっぱりあたし! 天才不運少女!」

「何だ? 天才不運少女? きゅう姫の知り合いか?」

「うん。不運を司る不幸の女神様……その、お友達……」

「おっと、不運にも――お友達認定がとても恥ずかしそう! 何故? 何ゆえ!」

「いや、普通恥ずかしいだろ……」

「……あはは……」

「まあ、いいわ! 自己紹介が先ね! そう! あたしは不運を司る女神様! 不運ならお任せ! 大盤振る舞いのお祭り騒ぎ! いつでも出血大サービスの――」

 少女が拳を後ろに勢い良くふって、お祭りの法被をこれ見よがしに翻した。自己紹介というよりは、何かの名乗り上げだ。

「ちょっと! 先にこっちに謝りなさいよ! ――ッ! グハッ!」

 そしてその少女の拳は、怒りとともに立ち上がった魅優の顔にまともにめり込んだ。

 魅優が派手に鼻血を吹き出しながら、今一度今度は背中からマットに倒れていく。

「おお! 本当に血が! 下界に着て早々、さっそく不運にも流血沙汰とは! 凄いぞあたし! やったねあたし! くう……流石天才不運少女――」

「……この疫病神……」

 背中から倒れた魅優は息絶えかのように一言言い残すと、ガクッと首から力が抜けてマットに沈んだ。


「そう! 疫病神の覇狼院祭様!」



「……この疫病神……」

「そう! 疫病神の覇狼院祭様!」

 魅優の怨嗟にも似た声をも賞讃ととらえたのか、落ちてきたお祭りの法被の少女はとても楽しげに名乗り上げた。

「〝狼〟藉をもって世界に〝覇〟を唱えるお祭り娘――それがあたし!」

「生きてるか? 魅優!」

「魅優ちゃん!」

 勝利ときゅう姫が流石に血相を変えて魅優の顔を覗き込んだ。

 きゅう姫が力の抜けた魅優を抱き起こした。

「むむっ? 失礼だなそこの大将。あたしは疫病神の祭様。不運を司る不幸の女神様。同じ不幸でも、生死は管轄じゃないよ。そういうのは、死神に言ってくれないかい」

「残念だが、死神に知り合いはいない」

「……今にも、知り合えそうだわ……」

 魅優がきゅう姫の腕の中で燃え尽きようとしていた。

「魅優ちゃん! しっかり!」

「不運にも、あたしらにはいるぜ――マジモンがな……なっ! きゅう姫!」

 お祭り法被を嬉しげに翻し、祭と名乗った少女は不吉なことを楽しげに次々と口にする。

「いるのか? きゅう姫?」

「う、うん。不健康を司る死神のお友達が」

「そうよ! 貧乏! 不運! 不健康! 不幸の女神様ならよりどりみどりよ!」

「貧乏? 不運? 不健康? よりどりたくないわよ!」

 魅優が燃え尽きから一瞬で甦ったのか、勢い良く立ち上がって突っ込んだ。

「生きてたか? 魅優!」

「当たり前よ! マケトシの生命保険を受け取るその日まで、私がそんなに簡単にくたばる訳ないでしょ!」

「待て。何故お前が俺の生命保険受け取る前提になっている?」

「ふん。そんなことより、今はこの疫病神よ」

「ふふん、そうよ。あたしは疫病神。貧乏神きゅう姫と同じく不幸の女神様! 死神少女と合わせて、不幸の女神様だけで不運にも固まった――不幸な幼なじみの友達よ! ビバッ! 腐れ縁!」

 祭が派手に法被をはためかせて叫び上げた。その祭の法被の背中には、大きな字で『祭』と書いてある。ひまわりを模したと思しきイラストの真ん中に明朝体で『祭』だ。

「不幸の女神様? この調子でか……」

「ちょっと、お友達の私も恥ずかしい時はあるわ……」

「そうよ! 不幸の女神様! 我ながら不運に関しては天才よ。きゅう姫の為に、不運にも春休みを潰して駆けつけました!」

「祭ちゃんってば……」

「神様なんて、滅多に会えないでしょ? 遠慮せず寄ってきていいよ! あたいの神々しさにしてやられちゃって、不運にもひざまずいてもオッケーよ!」

「はあ? 何だ、神々しい?」

「何言ってんのよ! むしろ軽々しいわよ!」

「むっ? 言ってくるね! この――オデ子!」

 祭が己の両手で目を隠しながら、殊更眩しそうに魅優のオデコに視線を向けた。

「キーッ! これは自慢のオデコなの! チャームポイントなの! 変なあだ名勝手につけるな!」

「ま、祭ちゃんてっば!」

「いいわ、オデ子も信者にして上げる! 寄進カモン! お布施ウェルカム! お賽銭イン・フトコロ・ナウッ!」

「心底軽いわね。あんた本当に神様なの?」

 皆の非難をものともせず一人で楽しげにはしゃぐ祭に、魅優が忌々しげに視線を向ける。

「そうよ! あたいはお祭り大好きだから、祀るのならそっちもよろしくね。お祭りで街を練り歩く時のかけ声は、『トリック・アンド・トリート!』でお願いね!」

「『お菓子且つ、いたずら!』。踏んだり蹴ったりか?」

「当たり前だろ、大将! 『お菓子はくれても、いたずらはしちゃうぞ!』。そんな素敵フレーズ! 毎日唱えて欲しいわね!」

「祭ちゃん! いい加減にしないと……」

 尚もはしゃぐ友人に、きゅう姫が真っ赤になって抗議する。

「何、きゅう姫? お賽銭もお菓子も欲しいだろ? 天罰もやらかしたいだろ? 何て言うか、神様として。特権と立場を振りかざして、他人を困らせるのが、不運にも一番楽しいだろ?」

「祭ちゃん、いたずら代わりに、天罰下しちゃダメよ!」

「天罰下す瞬間が、一番神様冥利に尽きるのに! 不運にも信者もついてくるのに、祭様って!」

「ふん、お生憎様……神様はもう……きゅう姫ちゃん一人で、充分間に合ってるのよ――」

 はしゃぎ続ける相手に業を煮やした魅優が、きゅう姫と祭の間に割って入った。

「ん?」

「不運にもね!」

「――ッ! な、何を!」

 自分の得意のフレーズで返された祭が一瞬狼狽する。

「フッ……」

「ふ、不運勝負で、一本取られるとは……やってくれるじゃない!」

 魅優と祭が、互いに笑みを向ける。

「ふふふふふふふ……」

「あはははははは……」

 二人は何処まで尾を引く乾いた笑いを向け合った。



「小汚い! 不運にも想像通り! キノコとか生えてそう!」

 部屋に入ってくるや否や、祭はとても嬉しそうにはしゃぎだした。

「うるさい! 嫌なら入ってくんな! こんなモンだ! 男の一人暮らしは!」

 そう。男の一人暮らしらしきアパートの一室。

「それにしても、少しは片付けなさいよね。大家として言わせてもらうわ」

「勝利。台所借りるね」

 どやどやとその中に勝利ときゅう姫、魅優、祭が入ってくる。

 勝利の部屋らしい。必要なものなのか、ゴミなのか。よく分からない物が漫然と部屋に散らばっていた。

 きゅう姫が借りると言った台所も、別に部屋と別れている訳でもない。申し訳程度に板張りになったスペースがある程度の、見るからに安作りな流しとコンロがあるだけだった。

「うは! エロい本、何処! 不運にも、一発で見つけちゃおうか!」

「ここよ、祭」

 魅優が勝利の本棚の、不自然に背表紙が前に出ていた一角を指し示した。

「何教えてんだ――てか、何で知ってんだ!」

 勝利が慌てて本棚を背中に隠した。

「初めて身内以外の女の子を部屋に招き入れて――さっそく辱められている。いやっ! いい不運だね!」

「何故『初めて』だと決めつける?」

「おや? 不運にも見栄を張りますか?」

「何を! ああ、確かにそうだよ! 見えはりましたよ! だけど、お前が俺の何を知ってるってんだよ?」

「そうね。マケトシの初恋が、物心もつくかつかないかの頃だってのは知ってるわ」

「魅優! どさくさに紛れて――」

「キャーッ!」

 勝利の抗議の声をきゅう姫の悲鳴が遮った。

「何だ? どうした!」

「ご、ご、ご、『ご』の字が!」

 きゅう姫が台所から跳ね返るように、部屋の中央に飛んでくる。

 いや――飛んできたのはきゅう姫だけではないようだ。

 きゅう姫を追うかのように、黒い小さな虫が部屋の中央に飛んでくる。

「――ッ! この!」

 勝利がとっさに近くに転がっていた雑誌に手を伸ばした。そのまま間髪入れずに雑誌を丸めと、きゅう姫を背中に守るようにその位置を入れ替える。

「『ご』の字が怖くて――」

 勝利が丸めた雑誌を振りかざした。

「――ッ!」

 きゅう姫が目をつむって思わず勝利の背中にしがみつく。

「貧乏がやってられっか!」

 真っ直ぐ飛んできた黒いソレ。勝利はソレに真っ正面から雑誌を叩き付ける。

「うおおおぉぉぉっ!」

 床に落ちたソレに勝利が止めの一撃を食らわす。

「おお。見直したぜ、大将」

「まあ、これぐらいわ役に立ってもらわないとね」

「おう。任せろ」

 勝利が背中で息をしながら応える。黒いソレは動かなくなっていた。

「……」

 きゅう姫が目をぱちくりとさせて、勝利の背中を見つめた。

 その様は何処か勝利の背中を見ているというよりは、その背中の向こうに何かを見ているようにも見える。

「どうした、きゅう姫?」

 己の背中を掴んだまま離さないそんなきゅう姫に、勝利が不審な顔で振り返る。

「えっ? ちょっと……」

「そんなに、嫌いだったか? まあ、もう終わったぞ」

「う、うん……ありがとう……」

 きゅう姫がゆっくりと勝利から手を離した。その顔は何処か考え事をしているかのように、目の焦点が別のところに合っていた。

「何を言ってるんだい、大将?」

「そうよ。まだ、終わってないわよ」

 祭と魅優が互いに横目で目を合わせた。

「何だよ?」

 勝利がきゅう姫から魅優と祭に注意を移した。

「不運にも――」

「片付けるまで『ご』の字です」

 さっき知り合ったとは思えない程の息の合いようで、魅優と祭は黒い――一部そうでなくなったソレを指差した。



 勝利が丸めたティッシュをゴミ箱に捨てると、

「エンガチョだな、大将」

「しばらく、そこら辺の物に触らないでね」

 祭と魅優がそれぞれにテーブルの脇に距離を取るように座った。勿論距離を置いたのは勝利からだ。

「あのな、お前ら……」

「……」

 きゅう姫は首を半分だけ捻るようにしてそんな勝利の背中を見た。

「どうした? きゅう姫?」

「あ、うん……あっ、タンポポ。すぐできるからね」

 きゅう姫はくるりと身を翻した。そのまま台所に振り返らずに向かう。

「お、おう……」

「やっぱり食べるのね」

「あたしはヒマワリの種がいいんだけどな。不運にも時季じゃないか」

「で、今は食いもんの話より、きゅう姫の課題とやらが気になるんだが?」

 勝利が後ろに振り返る。きゅう姫は揚げた天ぷらをお皿に盛りつけ始めていた。背中しか見えない。

「おうよ、大将。きゅう姫の課題は、勿論貧乏神の課題。これをこなせないと、神級できない。神の級で神級だ」

「貧乏神の課題ね。私には何だか嫌な予感しかしないわ」

「そうだな。やっぱりアレか? お金の話か?」

 勝利がきゅう姫の背中から視線を前に戻した。

「そうだよ、大将。オデ子。ぶっちゃけお金の話さ。まあ、金目のものを提出箱に放り込んでもいいらしいけど」

「残念だが、どちらも力になれそうにないな」

「即答ね、マケトシ。まあ、同感だけど」

「大丈夫よ。大した額じゃないし」

 きゅう姫が皿を手に台所から振り返り、そのままちょこんとテーブルに着いた。

「そうなのか?」

「そうよ。いつもみたいに、落ちてるお金集めたらあっという間よ」

「『落ちてるお金』? そんなに簡単に見つかるのかよ?」

「ふふん。貧乏神を舐めないでね」

「凄いわ、きゅう姫ちゃん。お金の匂いでも分かるの? 私もあやかりたいわ」

「……」

「何だよ、祭? らしくないな。何黙ってんだ?」

 勝利がきゅう姫が座ってから、黙り始めた祭の様子に気がつく。

「大将? おかしいとは思わないかい?」

「何がだよ?」

 勝利がきゅう姫の揚げたタンポポの天ぷらを一つ口に運んだ。

「おっ。うまいな」

「……」

 今度はきゅう姫が黙り込む。料理を褒められたことにも気がついていない様子だ。

「きゅう姫は貧乏神だ。〝貧乏〟の神様だ」

「だから、お金に鼻が利くんでしょ? 何がおかしいの?」

「おかしいのはそこじゃない。貧乏神の本質は、お金を集めることにあるのか?」

「ん? 今朝初めて会った時も、お金拾ってたけど? 違うのか?」

 勝利が次々とタンポポを口に運ぶ。

「ちょっと一人で食べてんじゃないわよ」

 負けじと魅優も天ぷらを口に運び始めた。

「祭ちゃん……別に、結果は一緒だから、いいよ……」

「よくない。これからずっとあんな方法でお金を集めるつもりか? そもそも貧乏神の神性はそんなところにあるのか?」

「だって……」

「何だ? いやに真面目だな。お祭り娘とか言ってるくせに」

「そうよ。私相手にあんなけふざけたことしてくれて。何急に真面目になってんのよ」

 勝利が一つタンポポを口に運ぶと、すかさず魅優もタンポポを口に運んだ。二人は話をしながらも、口と手元はタンポポの奪い合いに余念がないようだ。

「真面目な話だからな。大将、きゅう姫の姿、おかしいとは思わないか?」

「きゅう姫の姿?」

 勝利がきゅう姫に首を廻らせた。つぎはぎだらけの巫女さん袴。いかにも貧乏してますと言わんばかりの格好だ。

「ラス一もらったわ」

 勝利がきゅう姫に気を取られた隙を突いて、魅優が最後の一つの天ぷらを箸で摘まみ上げた。勝利のそれより、一瞬早く魅優の箸が早かった。

「……」

 きゅう姫は勝利の視線から逃れようとしてか、少々顔を赤らめて顔をそらす。

「貧乏神らしい。貧相な格好だが?」

「貧相は余計よ」

「別に、服のことだ。で、何処がおかしいんだよ、祭? 貧乏神だと言われて見れば、何処から見ても貧乏が身についている姿だが?」

「ふん。きゅう姫は貧乏神だ。人間を貧乏にする神様だ。〝自分〟が貧乏である必要はない」

「あれ? でも、イメージ通りだけど。きゅう姫ちゃんの格好」

「格好が人間のイメージであれ、どうであれ。それはそれ。きゅう姫がつぎはぎだらけの巫女さん袴を着てるのには、他に訳がある――」

 祭の視線がきゅう姫を険しくとらえる。

「祭ちゃん……今、その話は……」

「そうだな。その前にはっきりしておかないといかないのは、また別の話だな。そう、人間を貧乏にせずに、お金拾い集めてる貧乏神なんているか? って話さ」

 祭は視線も口調も何処までも厳しい。

「……」

 きゅう姫ととともに、勝利と魅優もその空気に黙ってしまう。

「そう。天落云々以前に――」

 祭は黙ってしまったきゅう姫から、視線をそらさず告げる。


「きゅう姫は貧乏神失格なんだ」


 それは何処かもどかしげな宣告だった。



「失格だって、何だって、いいじゃない! 要は落第さえしなきゃいいんでしょ! 別に誰を不幸にしなくたって、貧乏神の課題はこなせるわよ……」

 きゅう姫はプイッと顔をそらした。

 だが勢い良く捲し立てるも、最後は萎むようにうつむいてしまう。

「ふん。誰も不幸にしたくないってか? 不幸の女神様の貧乏神らしくない発言だな。まあその方が、せっかく――」

 祭はそこまで言うと懐から何やら紙片を取り出した。その紙面には『下界降臨許可書』と書かれている。

「許可までもらってきたかいがあったってもんだけどね――不運にも!」

 祭がようやく笑顔に戻る。

「別に……一人で何とかなるわよ……」

 きゅう姫はうつむいたままだ。視線を合わせずに応えた。

「そんなにトラウマか? 昔のことが、きゅう姫?」

「トラウマ?」

 その言葉に勝利はきゅう姫の横顔をジッと見つめる。

「……」

 きゅう姫はその視線を避けるため、うつむいたまま更に横を向いた。

「トラウマねぇ……マケトシみたいな小さい時に、何か嫌な思い出でもあったの? ま、こいつの場合、大した話じゃないんだけど」

「いちいち、うるせぇな。放っとけ」

「大将のトラウマが何かは知らない。でも、きゅう姫のトラウマは不運にも本物だ。例えば――そうだな、大将。そのお皿、きゅう姫にくれてやってくれないかい?」

 祭が先程まで天ぷらが盛られていたお皿を指し示した。

「祭ちゃん!」

 きゅう姫が血相を変えて顔を上げる。

「皿? 何だよ急に?」

「いや、しばらくこっちに厄介になるんだろ? なら皿ぐらい必要かと。きゅう姫は貧乏で、手持ちの品が少ないからな」

「祭ちゃん! ダメだってば!」

「きゅう姫も何だよ? 別に皿ぐらいいいぜ。貧乏はお互い様だしな、くられや――」

 勝利が全て言い終わる前に、祭が指し示したお皿が音を立てて爆発する。

「キャーッ! 何事よ? お皿がこなごなじゃない!」

 そう魅優の悲鳴の通り、元の原形を止めない程にお皿は突如起こった爆発で砕け散っていた。

「……」

 きゅう姫が俯く。

「何だ……」

「何が起こったの?」

「それは……」

 きゅう姫が顔を上げた。何処か思い詰めた顔をしている。

「大将。この雑誌も、くれてやれよ」

 そんなきゅう姫に向けて、祭が無造作に手にとった雑誌を宙に放り投げた。

「お、おう……って! それは俺が必死の思いで買った――」

「エロい雑誌ね!」

 宙を舞う肌色の紙面に、魅優が眼鏡を光らせる。

「要らないわよ、そんなもの――」

 真っ赤になったきゅう姫の目の前で、何故かその雑誌もこちらもやはり空中で爆発する。

「俺の雑誌が!」

「キャーッ!」

「ちょっと! こっちの方がエンガチョよ!」

 爆発四散し、宙を舞う勝利が必死の思いで買った雑誌。魅優がテーブルから腰を引きながら、その舞い散る紙片を手ではたき除けようとした。

「これがきゅう姫の本来の力。貧乏神として財産と思われる物を〝ダメ〟にする力さ」

「凄いな……でも、こんな力があって、何で落第寸前なんだ?」

 勝利が未練がましくテーブルの上に落ちた紙片の一片を拾い上げた。肌色はしているが、もうどの部分かは分からない。まさにダメになっていた。

「この力を人間に使わないからだよ、大将」

「人間に? だって、俺の皿と雑誌はこの通り――あっ!」

「そうだよ、大将。お皿も雑誌もダメになったのは、大将がきゅう姫にあげた瞬間さ。そう、きゅう姫は――」

「……」

 きゅう姫がまたもや俯いた。

 そんなきゅう姫に祭は、

「自分の力を自分にしか使えないんだ……」

 やれやれと呆れたような、それでいて何処か嬉しげな視線を向けた。



「何てこと……」

 陽光に不吉な刃を煌めかせ、黒いローブの少女が眼下を見下ろした。

 少女は巨大な鎌を持っていた。光っていたのは触れるもの全てを両断しそうなその鎌の内刃だ。

 少女がいるのは白い雲の上。少女は全身を覆う黒いローブで白雲の上に立ち、その崖の端のような場所から地上を見つめていた。

 黒いローブが風にはためく。

 そのはためきの間に、少女の白い手が垣間見える。

 少女の手には二枚の書類が握られていた。

 その一つには『下界降臨許可書』と書かれていた。

「……」

 少女がもう一つの書類を目の前に持ってくる。

 黒いフードの中で少女の顔が不快げに曇った。

 見事なまでに左右対称のかんばせだ。

 その左右の眉が同時に中央に寄せられる。眉間に寄った皺さえも、全くの左右対称の形で刻まれている。

 書類に視線を送る為に細められた目も、完璧な左右対称を描いていた。

「待っていて、きゅう姫……この私――吉祥院きっしょういんマヤが……」

 黒いローブは方々が炎の揺らめきのようにはためいていた。不吉で不安で、不条理で。まるで人の運命を思い起こさせるような揺らめきだ。

「あなたの為に、どんな人間でも刈ってあげる……人の命のしずくを、この鎌の露と化してあげるわ……」

 マヤと名乗った少女の唇が、その瞬間だけは楽しげに――やはり完璧に左右対称に歪んだ。

 そのマヤの不吉な決意に呼応するかのように、大鎌の刃がもう一度陽光に輝く。

「そうでないと、きゅう姫……あなた、このままじゃ――」

 マヤの唇から享楽の色が消えた。再度苛立ちに感情を支配されたのだろう。

 マヤは紙面を苛立たしげに握り締めると、


「消されてしまうわ……」


 険しい表情を崩さずに呟いた。


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