空気がなければ生きられない
あの子……ミアーラが、晩餐会で突然ナイフを首に当てたとき、思ったのは、
(テロだ)
だった。
ミアーラは、姉や弟にコンプレックスを持つほど能力が低い訳ではなかった。ただ、両親の扱いが彼女にだけ粗雑だったのだ。
それに対して、ラティーサは幾度も心配していると零していた。
『あの子は、一度こうと決めると頑固なので、何か起こる気がしています』
ラティーサは、妹を気にかけたくてもその時間がない。
王太子妃教育が佳境に入り、たまに城に泊る日もある。しかし、王家と公爵家の面子もあるから、成績も落とせない。けれど……先に卒業した王太子よりも成績が上にならないように、難易度の高いテスト調整を行っていた。
だから五番以内、そして未来の王妃として生徒会長もこなす。……ひどい暮らしだ。
何も指示などしていない。しかし、かつての私を見るようだった。
王を立てると決めた者の思考は、大抵こんなものなのだ。だから、私だけはラティーサの味方をしようと思っていた。
ミアーラは、処罰されても構わないと言った。本当に捨て身だった。
そして公爵夫妻の扱いに問題があったことを知る。そして王家も無意識にそう扱っていたことに気付いた。
公爵家は、末の令息がラティーサに強いコンプレックスを持っていて、反抗的な上に素行が悪い。素行の悪い下級貴族の令息たちから息子を切り離すのが難しく、夏季休暇には修道院に奉仕体験に行かせる話まで出ている。
いっそミアーラに継がせればいいとまで私は思っていたのに、そのミアーラがいきなり自傷行為に及んだのだ。もう公爵家を継がせることはできない。
謝罪して少しこちらを見るようになったミアーラに、私は取引を持ちかけた。
「本当なら、あなたを公爵家の籍から外してもいいのだけれど……そうはしない」
「……」
ミアーラはじっと私を見ている。
「公爵夫妻との話し合いの場は作るから、後は自分で何とかしなさい。王家は罰を与えないわ」
そこでミアーラは目を丸くして言う。
「では、殿下の側近との婚約というお話は……」
「もうしない。側近たちにとって、王太子妃との縁があるというのは一族の出世にいい影響があるから、あなたとの縁談は今も奪い合いよ。でも、あなたを扱えない令息に嫁がせれば、後々の禍根になるもの」
王族の前で死のうとしたのだ。
側近たちは、公爵と似た考えの集団だ。高位貴族の出身者らしく、自分が場を取り仕切ることが当たり前で、自分より下だと思っている者の言葉を聞かない。……つまりミアーラは一生誰にも意見を言えないままになる可能性がある。
今回のことも、きっとこの辺りに原因があるのは分かっている。だったら、原因を削り落としてしまうのが一番だ。
ミアーラの目に輝きが戻る。……やはり、縁談絡みだったらしい。
「好きな……男性がいるのです」
ミアーラは、学園で知り合った伯爵令息と長い間、交流してきたことをぽつぽつと話した。
「偶然、彼の釣書きが片付けられるのを見てしまいました」
つまり、ミアーラに縁談の話があったことすら言わなかったのだ。それが今回の発端になったようだ。
「そのことを聞いていなかった公爵家にも、そして私たちにも責任があったことは認めるわ」
今回ほどの勢いで訴えられなければ、私も放置していただろう。
「けれど、事件は事件。その分は働いてもらうわ」
「分かりました……」
修道院に行けと言われると思っているのだろう。顔色が悪い。
「あなたは、ラティーサを助けなさい」
「お姉様を?」
驚いた様子でそういうミアーラに私は頷く。
「そう。あなたと違って、与えられた縁談を親が自分にくれた大事なものだからと、投げ出さず、逃げ出さないあの子を、妹として支えなさい。茶会でも夜会でも、情報を集めて姉に報告し、困っているなら相談にも乗りなさい。……特にあの子の誇りを傷つける者がいたら、私かラティーサにすぐに報告しなさい」
気迫のこもった私の言葉に、ミアーラは少したじろぎながら言う。
「王太子殿下ではいけないのですか?」
「どう受け取るか分からないのが権力を持つ男よ。彼らは他人の心情よりも、国益を優先する。期待してはいけないわ」
それは、私が夫や息子を信用していないと告白するようなものだったが、別に構わなかった。夫も息子も聞けば腹を立てるだろう。だが私はこの考えについて、一歩も譲る気はない。
「王妃様なら、もしかしたらと……少し期待をしていました。その気持ちは間違っていなかったようです」
「それで?」
ミアーラは、私の方を向いた。その目には、強い信頼があった。
「王妃様方のために、私の力は使わせて頂きます」
留学に行きたいとか、文官になりたいとか……両親と距離を置くかと思われたミアーラは、逆に親を懐柔して自分の言い分を呑ませる方針に打って出た。
(それができるなら、最初からやってよ!)
と内心思いつつも、ミアーラはただ権力に大人しく従うのではなく、自分が選んだ者にしか仕えない『狂犬』気質だったことに気付き、肝を冷やすことになった。
ミアーラの弟である公爵家の嫡男は、心を入れ替えた。
王の目の前で自傷行為に及ぶなど、普通の神経があれば出来ない。そういう部分でイカれ具合をしっかりと見せつけた彼女が、恐ろしかったらしい。
さらに、ミアーラは家に戻って両親を従わせ、自分の思い通りに縁談を進めた。そして未来の王妃となるラティーサが恥じる様な当主になるなら、公爵家を潰すと嫡男を脅した。
茶会の席でミアーラがそう報告してきた。……修道院の奉仕体験よりも効果があったのは間違いない。
ミアーラが欲しかったのは、話を聞いてくれる優しい夫だけだった。用意できないものでなくて本当に良かった。公爵家も落ち着いて、これで一件落着のはずだったのに。
「ラティーサより、ミアーラ嬢の方が、王妃にむいていたやも知れぬな……」
夫が、想像の斜め上を行くことを言い出した。
脳内では、夫を扇子で叩きまくっていた。こういうところが夫を信用できないところだったりする。
ラティーサの努力も、王太子の気持ちも、私のここまでの苦労も、全く見ていないし、話したところで鬱陶しそうにされるだけなのだ。
それでも、私はこの場を収めねばならない。相手は『狂犬』だ。信用を失えば命に係わる。
「無理に望まぬ相手に嫁がせなかっただけ、よかったと思わなくてはいけませんわ。恨んだまま夫人になっていたら、国政を捨て身で壊されていたかもしれませんもの」
国益を出せば、この程度の軽い思いつきは消えるはずだ。というか潰す。
「確かにな……」
国難は去った。……家族しかいない空間にも火種がある。それが王家。私は今日も王家を火事にしないで済んだことに安堵した。
「「「お帰りなさいませ、王妃様」」」
部屋に戻ると、私専属のケアマッサージ部隊が出迎えてくれる。
「今日は、とても疲れたの。スペシャルでお願い。明日の朝食はいらないわ」
「「「かしこまりました」」」
王家に嫁いで一番よかったのは、最高のケアマッサージを実行する侍女たちがいることだ。
スペシャルは、入浴から全身のオイルマッサージ、ネイルに至るまで磨き上げる三時間コース。
これをした翌日は、昼まで眠ると決めている。
王妃の予算はドレスと装飾品に消えていて、私の好みはほとんど反映されない。食事も体調に合わせて出されているので、私の好きなものが出てくるわけではない。
自分で好きにできるものがない中で、これだけが私の楽しみだ。
「こっていらっしゃいますね」
グリグリと痛気持ちいいマッサージを受けながら、私はうんうんと頷く。
「とても大変だったのよ~。国家機密だから言えないけど、本当に大変だったの~」
「そうでございますか。王妃様の心までほぐれるように頑張らせていただきますね」
「おねがい~」
とろけそうなマッサージを受けながら、私は明日のことも忘れてひたすらに癒しを堪能したのだった。
非認知労働という話があります。お給料でるような時代がくるといいですね。




