第28話 これから
大聖堂での【女神降臨】という、歴史を塗り替えるような事件から一夜が明けた。
商業都市トルメキにあるライカの屋敷へと戻った、坂本と真鍋を待っていたのは、
昨日までとは打って変わった、張り詰めた空気だった。
「お帰りなさいませ、使徒様。ならびに騎士様 」
屋敷の玄関ホールに並んだ使用人、そして武装した騎士たちが一斉に深々と頭を垂れる。
その一糸乱れぬ動きには、昨日の”賓客への礼儀” を超えた、純粋な畏怖と信仰が宿っていた。
「あ、あの……ライカさん、そして皆さん、本当に、今まで通りでいいんでよ。
普通に接してくれないと、僕たち、居心地が悪くて……」
坂本が困り果てたように手を振るが、
「……滅相もございません。
あのような神威を目の当たりにして、昨日までのように不敬を働くことなど、人の身には許されぬことにございます」
「……。ねぇ、真鍋さんからも何か言ってよ」
助けを求められた真鍋だったが、彼女もまた、向けられる視線の熱量に気圧されて坂本の後に隠れるように、
「わ、私たちは別に偉くなったわけじゃないです。そんなに畏まられたら、どうしていいかわからないです… 」
「…女神様の使徒様が、おっしゃるのであれば……」
ライカは苦渋の決断を下すようにしてようやく顔を合わせてくれた。
それでもその視線は、主君に対するそれよりも遥かに恭しいものに変わっていた。
応接室に移り、ようやく一息ついたところで、ユタル老師が身を乗り出してきた。
「して、ノボル、サキ。…イシテル様と接触した際、どうじゃったのだ? 世界の真理か?魔導の極致? 少しでも良い、この老いぼれにその断片を教えてはくれぬか」
期待に目を輝かせる老師に対し、坂本は昨日得た【世界の真相】を思い出そうとした。
(ええと、この世界はシステムによって管理された揺りかごで……僕たちは……)
「ええと、イシテルさんは……『■■■■』、そして『■■……』」
「……え?」
坂本が口を開いた瞬間、言葉は音にならず、意味の伴わないノイズとなって消えた。
隣で真鍋も同じように説明しようとするが、やはり彼女の唇から漏れるのは、この世界の言語体系には存在しない不可視の障壁に阻まれたノイズだった。
『……坂本様、無駄です』
脳内のアイが、静かに、しかし断定的な声を響かせる。
『管理者から開示された【世界の知識】に関する情報は、この世界の言語プロトコルでは出力できないよう制限がかかっています。
低次元の言語では、高次元の真実を定義できない様です 』
「……ダメみたいです。話そうとすると、頭の中では分かっているのに、喉から先が出てこないんです」
坂本の言葉に、老師は残念そうに、しかしどこか納得したように深く頷いた。
「神の言葉は人の舌には重すぎるということか……。いや、それだけで十分じゃ。お主たちがその『言葉』を預かっているという事実だけでな」
「……それで、これからのお二人の指針をお聞かせいただけますか?」
ライカの問いに、坂本は腰に差した一本の剣をテーブルの上に置いた。
あの森の洞窟で、骸骨から借り受けた装飾の一切ない剣。鞘や持ちての部分には、実戦の傷跡が無数に刻み込まれてたが、刀身には傷一つ存在しない。
「まずは、ユタル老師の下でもう少しこの世界の知識を学びたいと思っています。準備が整ったら、この剣の『本当の持ち主』を探して、世界を巡る旅に出るつもりです」
この剣は、以前、老師と真鍋に鑑定してもらった際、驚くべき事実が判明していた。
かなり古い時代の一振りで、古びているが、その内部では信じられないほど高密度の【魔素】が循環し、使い手と一体化するような精緻な回路が組み込まれているのだ。
「……この剣との出会いがあったから今の自分達が生きていられた…。この持ち主を探し出す事で、恩返し出来るような…。理由はわかりませんがが、気がするんです」
「なるほど……。その旅、私も微力ながら支援させていただきましょう」
ライカが頷いた、その時だった。
「お父様! そのお話、私にも関わらせてくださいまし!」
応接室の扉が静かに、しかし有無を言わせぬ勢いで開いた。
入ってきたのは、薄桃色のドレスを完璧に着こなし、非の打ち所のない優雅な所作でカーテシーする淑女エリスだった。
坂本と真鍋は、思わず目を丸くした。
森でブラッドグリズを前に、剣を構えていた、あの騎士候補生の姿はどこにもない。
今の彼女は、髪の一筋まで整えられ、指先の動き一つにまで洗練された美しさを宿す、まさに”貴族令嬢の鑑” そのものだった。
「……え、エリスさん?」
「はい、坂本様。お久しぶりにお目にかかりますわ」
しとやかに、そして弱々しく微笑む彼女は、まるで剣の重みすら知らない深窓の令嬢のようだ。
あまりのギャップに、真鍋が小声で「別人……」と呟く。
「お父様。使徒様と騎士様が旅に出られるのであれば、このエリスも同行を許していただきたく存じます。
お二人の身の回りのお世話、そしてこの地の案内役として、わたくし以上の適任はおりませんわ」
「……エリス、お前、何を…」
ライカが困り顔で制止しようとするが、エリスの瞳の奥には、決して折れない強い光が宿っていた。
「駄目ですわ、お父様! わたくし決めましたの! このお二人と共に歩み、世界の真理をこの目で見届けると!」
「……困った…。使徒様の旅への同行となれば、私の一存では決められん。
まずはハーバス侯爵閣下に事の次第を報告し、お二人の今後について伺いを立てねばならない 」
ライカは即答を避け、逃げるように視線を逸らした。
父と娘の攻防を前に、坂本と真鍋は苦笑いするしかない。
「……とりあえず、侯爵閣下へのご挨拶が先になりそうだね、真鍋さん」
「そうね。……でも、エリスさんと一緒の旅、ちょっと楽しみ なんだ 」
坂本は、再び手に取った古い剣の柄を強く握りしめた。
その剣が導く先の物語に期待が膨らんでいた。
何だか、面倒な気配が忍び寄ってきてるかな?
侯爵閣下も大変になるかな?




