閑話 報告
ここは、城塞都市ハーバス。
イベルノ大陸の最西端に位置するこの都市は、太古の昔に築かれたという堅牢な城壁に囲まれていた。
その壁は、歴史上幾多の戦火や魔物の襲撃を受けても一度として破られたことがなく、今もなお人々の安寧を守る守護者として、夕闇の中に力強くそびえ立っている。
当代の領主、クリエ=ハーバス侯爵は、日が傾き始めた執務室で一人、目を閉じて腕を組んで、間もなく届けられるであろう腹心ライカからの報告を静かに待っていた。
事の始まりは、”女神の騎士”との遭遇という、にわかには信じがたい報せだった。
当初、魔法通信でもたらされたこの報告に対し、クリエは極めて懐疑的で、辺境の森に神格が存在するなど、吟遊詩人の語る御伽話に過ぎないと断じていたのだ。
しかし、早馬で届けられた「ブラッドグリズの右手」が、その疑念を粉砕した。
あまりにも巨大なその前足は見る者に原初的な恐怖を植え付け、そして何より、その「あまりに鮮やかすぎる切断面」が、討伐者の圧倒的な能力を証明していた。
ライカの報告書には、直筆でこう付け加えられていた
「この討伐には、”女神”と呼ぶべき超越的な力の関与があった可能性が極めて高い」と。
ライカは報告の使者を送った後も自らは戻らず、次回の会合に向けて現地で準備を進めると共に、王国の魔導の権威である「ユタル老師」にまで協力を仰いだという。
そして四日前、ついに”女神”との接触に成功し、詳細を報告すべく領都へ帰還するとの魔法通信が入ったのだ。
「……そろそろ、来る頃か」
クリエが独りごちたその時、重厚なドアが規則正しくノックされた。
「閣下、カドモンド伯爵がお目通り願っております」
「通せ」
入室してきたのは、旅の埃を纏いながらも、その瞳に異様なまでの光を宿したライカであった。
「ライカ=カドモンド、ただ今帰還いたしました」
「ライカ、苦労をかけた。帰還直後で悪いが、早速報告を頼む」
「はっ。まず、北の森の魔力異常は、間違いなく”女神”の影響であると断定いたします。会合場所が近づくにつれ、空間的な重圧が増し、練達の騎士ですら歩行に難儀するほどでした。詳細については、同行いただいた老師より…」
ライカが促すと、背後に控えていた小柄な老人が一歩前に出た。
「ハーバス殿、お久しぶりですじゃ。”女神”……あれは、実に異質な存在じゃ。見た目の可憐さからは想像もできぬほどの力を秘めておる。このわしですら、そこにいるだけで息苦しさを感じるほどだった。…いや、空間そのものを支配されていたと言ったほうが正確かのう。魔力行使の理が、我らとは根底から違うのじゃよ」
「老師…、あなたほどの御仁がそこまで仰るとは」
クリエの顔に驚愕の色が走る。ユタル老師は、かつて宮廷魔導師として王国を担ってきた男だ。
「見た目の美しさといい、あの姿も何らかの神性が纏った仮初めの器かもしれぬ。だが、こちらの窮状を説明した際、瞬時にその『威圧』を解いてくれた。話の通じる、極めて理性的かつ良性な存在であるのは間違いなかろう。このまま会合を続け、様子を見るのが最善じゃのう」
「それほどの方か……」
「っふふ、この歳になって、まだ世界の真髄が隠されていたとは。魔導の道は、なんと深く遠いものよ」
老師の目は、未知の知識を見据えていた。
「閣下、これからの方針ですが……」
ライカが言葉を引き継ぐ。
「引き続き、私の方で対応を継続したく存じます。第2騎士団の演習を延長し、万が一の不測の事態にも備えます。……決して敵対してはなりませんが、備えは必要かと」
「よかろう、一任する。……して、その”女神”の目的は何だ? 王国への要求は?」
「それが、よく見えないのです。あほどの実力を持ちながら、どこか【生活】への必死さが見て取れました。
ブラッドグリズの返礼に何が欲しいか問うたところ、返ってきた答えは塩や香辛料、穀物、衣料……。どれも日々の営みに欠かせぬ物ばかりで… 」
「生活に困窮している……というのか?」
「いいえ。生死の境にいるというよりは、生活水準の向上を求めているような、そんな印象です。彼らは森に居ながらにして、高度な文明を求めている」
クリエは顎をさすり、深く思考した。
「……こちらに囲い込めそうか?」
「それも今後の交渉次第かと。しかし、無理強いは破滅を招きます。あくまで彼らの自発的な意思を尊重すべきです。
場合によっては、我が国が彼らを『奉る』形になるやもしれません」
「分かった。とりあえず、必要そうな物資はすべて用意してやれ。恩を売り、徐々にこちらとの縁を太くしていくのだ。くれぐれも、他の勢力にさとられぬ様にな 」
「はっ!肝に命じます 」
「ライカ殿、わしも次の会合に同行させてもらってよいじゃろうか? 年甲斐もなく、心が逸って仕方がなくてのう」
ユタル老師の提案に、ライカは頼もしげに頷いた。
「老師がご一緒くだされば、これほど心強いことはありません」
こうして、沈みゆく夕日に照らされた執務室の中、森の奥深くで暮らす真鍋の【神格化】が勝手に進んで行くこととなる。
真鍋、神様になる?それって破壊神!?




