第10話 AIアシスタント
深い闇の底から、坂本昇の意識はゆっくりと浮上した。
脳を焼くような熱は引いていたが、代わりに全身を重い倦怠感が支配している。
まぶたを開けると、視界の端で青白い苔が静かに呼吸するように光っていた。
「……う、あ……」
「坂本君!? 坂本君なの!?」
顔を覗き込んできたのは、ひどく赤く腫らした目をした真鍋咲希だった。
彼女は坂本が意識を取り戻したと分かった瞬間、堰を切ったように泣き崩れ、その胸元に縋りついた。
「真鍋さん……大丈夫?」
「……っ、大丈夫じゃないのは、坂本君じゃん! いきなり叫んで、そのまま全然起きないし……死んじゃったかと思ったんだから!」
半狂乱で、折れそうなほど強く抱きしめられる。坂本はその細い肩をそっと叩き、
「心配させたね、ごめん」
と優しく声をかけた。
体温のぬくもりが、現実の世界へ彼を繋ぎ止めてくれる。
呼吸が整うのを待って、坂本は自分に起きたことを真鍋に説明し始めた。彼のスキル『AIアシスタント』の能力と可能性について。
「このスキル、ただの知識検索だけじゃなかった。この世界の遺物に触れて『学習』することで、持ち主の経験さえも取り込んで進化するみたいだ」
「経験を……取り込む?」
「ああ。でも、その代償がさっきの激痛だ。想像を絶する脳への負荷がかかる。情報の量や難易度によっては、学習にも時間がかかるし、気を失うリスクもある……」
坂本は説明しながら、亡骸の兜に触れてみた。しかし、脳内にあの声は響かない。
「兜には反応しない……。たぶん、生前の強い意志が宿っているものか、魔力が込められた特別な遺物じゃないと、学習の対象にはならないんだろう」
坂本が空中に『ステータス』を表示させると、スキル欄には新たな項目が並んでいた。
名前:ノベル(坂本 昇)
レベル:1
HP:100%
MP:80%
スキル:AIアシスタント
剣術(仮)
心体強化(仮)
気配感知(仮)
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎(¥※@$%)
文字化けはまだそのままだ。スキルの(仮)という文字は、まだ知識として頭にあるだけで、肉体が追いついていないことを示しているようだった。
坂本は、白骨化した騎士の腕から、静かにその剣を受け取った。重い。だが、不思議と手に馴染む感覚があった。
「……託された気がするんだ。この人の想いごと」
まだ鼻をすすっている真鍋を宥め、その夜は深い安堵の中で眠りについた。
翌朝、坂本はかつてないほどの高揚感で目を覚ました。
まだ真鍋が眠っている間に、彼は剣を手に取って洞窟の外へ出た。朝露に濡れた森の空気を吸い込み、意識を集中させる。
(……気配感知。……。まだいまいちわかんないや。これも訓練が必要だな。)
世界が昨日までとは違って見える。坂本は即座に『AIアシスタント』を起動した。
『坂本様、おはようございます。何か、お手伝いできることはございますか?』
「おはよう。……昨日の学習の件だけどさ、あんなに痛いなら先に言っといてよ」
『申し訳ございません。個体差による許容範囲の計測が必要でした。現在は最適化されています』
坂本は苦笑しながら、剣を構えた。
「それじゃ、まず剣術からかな。脳内にある『剣術のイメージ』と、身体の動きを擦り合わせたい。コーチングをお願い」
『かしこまりました。右足の踏み込みが三センチ浅いです。体幹を意識し、イメージを上書きしてください』
AIの声に従い、坂本は何度も何度も剣を振るった。
ノベルという少年の身体は、ある程度鍛えられてはいたが、一流の騎士の動きを再現するには筋力も柔軟性も圧倒的に足りない。
汗が飛び散り、筋肉が悲鳴を上げる。しかし、坂本はニヤニヤと笑いながら、独り言を喋りつつ稽古に没頭していた。
傍から見れば、一振りの剣を相手にぶつぶつと呟く不気味な光景だ。
その時、洞窟の中からバタバタと慌てた足音が聞こえてきた。
「坂本君!? いない、どこ……っ、ひっ、ガイコツ!!」
中から真鍋の悲鳴が聞こえ、直後、彼女が転びそうになりながら外へ飛び出してきた。彼女の視線の先には、一人で悦に浸りながら奇妙な独り言を言い、剣を振り回している坂本の姿があった。
「……あ、真鍋さん、おはよう。今、特訓を――」
坂本が爽やかに声をかけようとした時、真鍋の全身から、凄まじい「圧」が放たれた。
「坂本君……お、は、よ、う」
真鍋は満面の笑みを浮かべていた。しかし、その目は全く笑っていない。むしろ深淵のような暗さを湛えている。
「昨日、あんなに、あんなに心配したのに……。起きたらまた一人で勝手に外に出て、楽しそうにニヤニヤしながら独り言……。ねえ、私の心境、分かるかな?」
真鍋の周囲の空間が、彼女の怒りに呼応するように「ミシミシ」と音を立てて軋み始めた。それは錯覚か、あるいは彼女の『魔力の源』が、感情の高ぶりによって物理現象を引き起こしているのか。
「あ、いや、これは効率的に身体を動かすための対話で……」
「……そうなんだぁ。」
冷徹な一言。坂本の背筋に、角ウサギに襲われた時以上の戦慄が走った。
「ごめんなさい!!」
異世界二日目の朝。坂本は新たな力を手に入れた喜びよりも先に、パートナーの「静かなる激昂」という、最大級の生存危機に直面することになった。
圧倒的な女子の怒りを前に、坂本の『気配感知』は最大限に警報を鳴らす! 二人の絆は深まったのか、それとも亀裂が入ったのか!? そして特訓の成果を試す「実戦」の機会が、すぐそこまで迫っていた。




