17歳ー烏の帰還 第35話 戦乱の幕開け
「カァァァ! カァァァ!」
澄み渡る青い空を、一羽のカラスが飛んで行く。
そのカラスはグルリと空を旋回して回ると、下降し――俺の腕へと止まった。
そんなカラスの顎下を撫でてやると、彼女……クロウは目を細めて嬉しそうに俺の手に頭を擦り合わせてきた。
時刻は午前7時。
日課のトレーニングを終えた俺は、魔女の里で一番小高い丘の上に立って風景を見つめていた。
―――ついに、この日が来た。
3年間、ずっと待ち続けていた、この日がやってきた。
「……雛の時、仲間に追われて瀕死だったのを私が助けてあげたのに……結局、グレイスに一番懐いてしまうなんて、薄情な子。雌だから男の人の方が好きってこと?」
その時。
背後からやってきた、魔女の帽子を被る少女が、俺にそう声を掛けてくる。
俺は振り返らずに、その少女に言葉を返した。
「こいつは、何故、仲間に追われていたんだ?」
「一部の野生の鳥というのは、巣に弱った雛がいると、他の雛たちが餌の取り分を増やすために弱った雛を巣から落とす習性があるの。その子は、産まれ付き、親から餌を受け取るのが苦手だった。だからどんどん衰弱して……他の兄弟たちに蹴落とされ、巣から追い出された」
「そうか。だからお前はこのカラス……クロウを……」
「……うん。半・森妖精族の私と似ていたから、見過ごせなかったんだ。弱肉強食。それがこの世界の摂理なのかもしれないけど……私は……強い者が世界を支配するなんて、嫌だから。だから、木の下に落ちていたその子を、私は助けた」
「同感だ。俺もそのような世界は、ごめんだ、ドロシー」
俺は振り返り、彼女に顔を見せる。
すると、魔術師の少女……ドロシーは、ニコリと小さく微笑を浮かべた。
そして彼女は俺の元に近付き、背伸びをして、手で背を比べてくる。
「……この3年間で随分と大きくなったね、グレイス。最初は私と同じくらいの背丈だったのに。今は、170cm近くはあるんじゃない?」
「逆にお前は何も変わらないな」
「……そりゃあ、私は半分だけど、森妖精族の血が入ってるから。人間とは老化のスピードが違うよ。でも、ちょっとだけ寂しいかな。何だかグレイスだけ先に大人になっちゃった感じがして」
「いや、大人になるも何も、お前は元々俺よりも大分年上のはずだろう? イザベルから聞いた話では、確か32―――」
「グレイス。女性の年齢を聞くのは、良くないよ。君はイケメンで優しいのに、デリカシーがないのが欠点だ。お姉さんは君をそんな子に育てた覚えはない。あと、私たち半・森妖精族の年齢基準からすると、30代は10代と変わりない。そこ、ちゃんと復習しておくように」
「あ、あぁ? す、すまない?」
普段は無表情でぼんやりとしているドロシーが、物凄い勢いで捲し立てるように喋る。その光景に、俺は思わず引いてしまった。
「……うん。聞き分けが良くてグレイスは良い子だね。特別に頭を撫でてあげる。良い子良い子」
「ドロシー。何度も言っているが、俺を子供扱いしないで欲しい」
「……でも、グレイス、私が頭を撫でていると、よく私の胸を見て嬉しそうな顔をしている。素直になった方が良い」
「み、見てなどいない! 適当なことを言うな!」
「……えっちな弟を持つと姉は大変。でも、グレイスならいいよ。触ってみる?」
胸元の服を開け、こちらに谷間を見せてくる無表情のドロシー。
俺はそんな彼女に対して、額に手を当て、大きくため息を吐く。
「はぁ。度々俺に対して、胸元を見せつけてくるが……いい加減、その行動は改めた方がいいぞ、ドロシー。もう少し自分の身体は大切にしろ」
「……別に、誰にだって見せているわけじゃない」
「俺に見せるのもやめろ」
「……むー」
頬を膨らませ、怒った表情を見せるドロシー。
そんな彼女の様子に俺が困っていると、小屋の方から声が聞こえてきた。
「殿下! ドロシー! 朝食の準備が整いましたぞ!」
そこにいたのは、両手におたまとフライ返しを持った、ピンクのフリル付きエプロンを付けた筋骨隆々で顔中傷だらけの老騎士……俺の師であるギルベルトだ。
そのエプロンは、イザベルが面白半分でギルベルトに着用させたものだが、正直言って似合っていない。
ギルベルトは食事も体作りの一環として、俺に健康な料理を食べさせるべく、3年前から修行の合間に調理の勉強を始めた。
そんな真面目な彼を、イザベルは調理は恰好から入るのが基本だと唆し、結果、イザベルのいたずらであのような何とも言えない姿になってしまった。
この3年間で調理の腕をぐんぐんと伸ばしていったギルベルトなのだが……イザベルにからかわれていることを、本人が気付いていないのは、何とも言えない話だ。
「……ギルベルトが呼んでいる。行こう、グレイス」
「あぁ」
ドロシーの言葉に頷く。
するとドロシーは、俺に、優しい微笑みを見せてきた。
「……3年間。今日まで長かったね」
「いや、そうでもないさ。俺にはあっという間に感じられた」
俺は肩にクロウを乗せると、ドロシーと共に、3年間暮らしていたイザベルの小屋へと向かって、歩みを進めて行く。
この3年間で、俺の身長は伸び、筋肉も付き、髪の毛も伸びていった。
後ろに髪紐でまとめた長い黒髪が、フワリと、そよ風に揺れる。
変わらないのは、左目に眼帯をしているところくらいか。
とにかく、俺はあの頃から随分と、姿を変えた。
烏の爪のみんなも……成長しているのだろうか。
それに……リリエットも、アルフォンスも。
―――ガストンの奴も。
この3年間、平穏な生活を送ってきた俺だが、片時も心の中の憎悪の炎を燻らせたことはない。
いや、むしろこの時のために、俺は炎に薪をくべ続けていた。
簒奪者どもから全てを取り戻す、その日まで。
「復讐を忘れたことなど、一度もない。俺は……今、戻るぞ」
その一言は誰の耳に届くこともなく。
春のそよ風によって、霧散して消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ついにこの日がやってきましたな、殿下」
テーブルにサニーサイドアップとレタスの載った皿を置くと、ギルベルトは俺に笑みを向けてくる。
俺はそんな彼に笑みを返し、コクリと頷きを返した。
「あぁ。俺はこの3年間で、随分と力を付けることができた。感謝するぞ、ギルベルト」
「いいえ。私ではなく、殿下が努力を惜しまなかった結果でございます。私は、この3年間、殿下に全てを教えてきました。未だに貴方様を危険に晒したくない気持ちが大きいですが……最早、私の課した修行を乗り越えられた貴方様を、お止めはしますまい。殿下。必ずや王国をお取り戻しくださいませ」
「勿論だ。……ちなみに、俺がお前の修行についていけなかった時は、どうしていたんだ?」
「殿下を気絶させ、無理やり神聖国家へと亡命させていました」
「な、なるほど。確かに今思えば、お前は無理やり俺を連れて行くこともできたはずだな。それなのに、俺の意志を尊重し、修行を付けてくれた。感謝するぞ、ギルベルト」
「いいえ。私は王国の剣ですから。ガイゼリオン陛下亡き今、殿下のご意志が絶対です」
胸に手を当て、騎士の礼をするギルベルト。
……フリル付きのエプロンが無ければ、様になった光景なのだがな。
俺がギルベルトの姿に引き攣った笑みを浮かべていると、奥にある部屋の扉を開け、イザベルが姿を現した。
「おや、朝からみんな集まっているようだねぇ」
「おはようございます、イザベル様」
「……ギル坊。あんた、なんだいその恰好は? 頭がおかしくなったのかい?」
「? そんな恰好とは? 調理をするに当たり、エプロンの着用は絶対だと仰ったのは、イザベル様では?」
「あぁ、そういえばそうだったね。まぁ、良いや、面白いから」
イザベルは根は良い奴なのだが、人をからかうのが趣味なのが、欠点だと俺は思う。
「殿下、ギル坊、ドロシー。ちょうどいい、私の部屋に来な」
「? ご朝食は?」
「そんなもの、後でも良いよ。とにかく早く来な」
イザベルのその言葉に、俺とギルベルト、ドロシーは同時に首を傾げ、イザベルの部屋へと向かって行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イザベルの部屋は薄暗く、壁一面に置かれている本棚と、そこかしこに魔術で扱うような怪しい道具が散乱していた。
その部屋の中央に置かれているのは、妖しく光を放つ、水晶玉。
イザベルは水晶玉の前に立ち、手をかざす。
するとその瞬間、水晶玉に、ある光景が移った。
「これは……」
「これは遠見の水晶と呼ばれる魔道具さ。まぁ、情報属性魔法の【遠隔透視】と同じ効果を持つものなのだけど……魔力消費が良い分、魔道具の方が使い勝手は良くてねぇ。おっと、そんな話をしている場合じゃなかった。この光景がどこだか、分かるかい、殿下」
水晶玉に視線を向けると、そこに映っていたのは、以前烏の爪の団員たちとギルベルトを助けるべく赴いた、王都の中央広場だった。
演説台らしき場所に居る男は……あれは……。
「ガストン、か……?」
「そうだよ。3年で随分と見た目が変わったねぇ。まぁ、人相が悪いのは相変わらずだがね」
成長して身長が伸びたガストンは膝まづき、父親であるアグランテ公爵から頭に王冠を被せられる。
そして立ち上がると、騎士と民たちに向け、声を張り上げた。
「聞け、者ども! 余はたった今、父上より、騎士王の冠を授かった! これより余が、このランベール王国の王である!!」
「騎士王ガストン、万歳! 万歳! 万歳!」
騎士たちは声を張り上げ、ガストンを賞賛する。
それに続いて民たちも、賞賛の声を上げた。
そんな彼らの姿に満足げな笑みを浮かべると、ガストンは手をかざし、大きく口を開いた。
「余は騎士王として、宣言する! 余はこれより、大陸全土を統一すべく、この大陸にある全ての国家に向けて宣戦布告をする! 全ての国々よ、余に臣従の意を示せ! さすれば騎士王ガストンの名の元に、安寧と平和を約束しよう! だが、余に反意を示す国には、武力を持って制裁を加えてやる! 手始めに、いつまでも余に臣従の意を示さぬ神聖国家に絶望を見せてやる! 最初の狙いは、ギーシャだ!」
「何……!?」
ギーシャとは、かつて、俺が烏の爪の団員たちと向かうはずだった街。
ガストンめ、そこを攻め落とすというのか?
「ギーシャには、3年前、愚かにも余に盾突いた烏の爪の残党どもが拠点を築いて住みついているという。首魁レイスは死んだというのに、いつまでも団を解散しない、困った反乱軍どもだ。よって、余は決めた。まずは、ギーシャの反乱軍どもを始末すると!」
その言葉に、俺はギリッと奥歯を噛む。
そんな俺の様子を見て、ドロシーが、俺の手を掴んできた。
「……大丈夫?」
「問題ない」
「……グレイスのそんな顔、初めて見た。やっぱり、ガストンは君にとって……」
「あぁ。俺にとってあの男は、絶対に殺さなければならない相手だ」
そんな俺の様子を見て、イザベルはパイプの煙を吐き出すと、静かに口を開いた。
「殿下にはあえて、今まで外の情報を与えてこなかったわけだけど……この3年間で、ランベール王国と神聖国家は、非情に険悪な状態になっていてねぇ。発端は、神聖国家に亡命した烏の爪の残党によるものなのだけれど、それと付随して、もうひとつ、問題があるんだ」
「その問題とは?」
「ガストンは……神聖国家の聖王に対して、娘の聖王女を自分の妾にしたいから差し出せと、そう要求したんだ」
なるほど。どうやらあの男は姿は変われども、その中身は本当に、何も変わっていないようだな。
リリエットだけでは満足していない、というわけか。
「リリエットという婚約者がいながら、妾を求める、か。まぁ、王というのは基本的には世継ぎを求めるために、たくさんの妾を作るものだが……にしたって、奴が求めているのは一国の姫だ。それを正妻ではなく妾にしたいというのだから、聖王の怒りも最もなものだろう」
「……グレイスも王様になったら、後宮にお妾さんをたくさん集めるの?」
「俺が言っているのはあくまで一般論だ、ドロシー。父上は母上一筋だったし、俺もその在り方を尊敬している」
以前、父上はこう言っていた。
王冠というのものには、強欲な魔が宿ると。
故に、自身を律することのできる、正しき者が王冠を被るべきである。
でなければ、王冠に宿る欲の呪いに、討ち負けてしまうから……と。
俺は、けっして、ガストンのように欲に溺れたりなどはしない。
必ずや、父上が被っていたあの王冠を、奪い返してみせる。
ランベール王国を導くのは、この俺だ。
「まぁ、どうやらリリエット様は、ガストンとの婚約を破棄して、彼に対して完璧に絶縁を申し入れたみたいだからねぇ。権力者というものは、いつの世も金と美女を求めるものさ。リリエット様にフラれたあの馬鹿は、腹いせに、好きにできる女が欲しいのだろうよ」
「何? リリエットはもう、ガストンの婚約者ではないのか?」
「あぁ。今は、大陸の中央にある、貴族学校に通っているという話だよ」
「貴族学校……?」
俺のその疑問に、ギルベルトは声を返す。
「この大陸の中央には、不戦条約の地である、アルテミス教の本拠地があるのです。そこには全国の貴族の子息や子女が入学する、貴族学校が建てられています。王国の王族や貴族は、基本的に16歳になるとこの学園へと通うものです」
「なるほどな。リリエットは今そこにいるというわけか」
「……殿下。恐れながら申し上げますが、私は旅立つ前に、貴方様に一度この学園に行って欲しいと、そうご提案するつもりでした」
「何故だ?」
「貴族とのコネクションをお作りになられて欲しかったのです。この貴族学校には、私と旧知の仲である、反アグランテ家の同志の子息が何人か入学しております。『烏の爪』という反乱軍を指揮していく以上、どうしてもお金が必要になってきます。ですから……」
「なるほど。裏で烏の爪として活動しつつ、表では偽りの貴族の子息として学園に入学し、スポンサーを募る、と、そういうことか」
「はい。ご成長なされ、姿が変わられた今の殿下を、グレイス王子だと思う者は誰もおりますまい。学園への潜入は、簡単にできるかと」
「ふむ。確かに、烏の爪を運営するにおいて、資金面において苦労することはありそうだな。お前の言いたいことはよく分かる」
「私が事前に作り上げておいた、偽造の身分証明書もございます。どうか、私の策、ご一考のほどを」
各国の貴族とのコネクション、か。確かにそれは大事なことではあるな。
だが……今、俺がすべきことは―――。
「――――ケルベロス騎士団よ! ギーシャに向かい、烏の爪の残党どもを狩るのだ!」
水晶玉の向こうから聴こえてくる、ガストンの耳障りな声。
俺は懐から懐かしい仮面を取り出し、邪悪な笑みを浮かべる。
「……悪いな、ギルベルト。まずは俺は、仲間たちの元へ帰らなければならない。随分と待たせてしまったのだ。烏の長として、俺は、群れの皆を助けにいかねばならない責務がある」
俺のその言葉に、ギルベルトは微笑を浮かべ、コクリと頷く。
「ええ、殿下ならばそうなさることは理解しておりました。資金繰りは後でいくらでもできましょう。今は、お仲間の元へと行ってください、殿下」




