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【第74話:泥だらけの逃走】視点:エルナ

【タイムリミット:残り7日】


風が、痛い。

頬を叩く夜風がこれほど冷たく、そして激しいものだとは知らなかった。


「走れ、エルナ! 止まったら捕まるぞ!」


カイに手を引かれ、私は石畳の路地を無我夢中で駆けていた。

ヒールはとっくに折れて脱ぎ捨てた。

裸足の足裏に、小石や砂利が突き刺さる。

痛い。血が出ているかもしれない。


でも、不思議と嫌ではなかった。

この痛みこそが、私が今、自分の足で大地を踏みしめている証拠のように思えたから。


「はぁ、はぁ……っ!」


息が切れる。心臓が破裂しそうだ。

白いローブは泥とすすで汚れ、見る影もない。

神官長が見たら卒倒するだろう。

「聖女たるもの、常に清廉潔白であれ」と、耳にタコができるほど言われてきたのだから。


(ざまあみろ、だわ)


ふと、カイの口調が移ったような言葉が脳裏に浮かび、私は走りながら小さく笑ってしまった。


「……なに急に笑ってんだよ、こんな時に!」


カイが振り返り、呆れたように言う。

彼の顔も泥だらけで、汗で髪が額に張り付いている。


「だって……私、今、すごく汚いでしょう?」


「ああ。最高に汚いね。ドブネズミの俺とお揃いだ」


カイはニカっと笑い、さらに強く私の手を引いた。


「こっちだ! 下水道へ潜るぞ!」


「げ、下水道!?」


カイがマンホールの蓋を蹴り開ける。

中からは強烈な悪臭が漂ってきた。

以前の私なら、顔をしかめて後ずさりしていただろう。


でも、今は違う。

この臭いさえも、清浄すぎて窒息しそうだったあの白い部屋より、ずっと生き生きとして感じられた。


「……エスコートしてね、カイ」


「へいへい、お姫様」


二人は暗い穴の中へと飛び込んだ。

背後で、聖騎士たちの怒号が遠ざかっていく。

暗闇の中で繋いだ手の温もりだけが、私の世界を照らす唯一の光だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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