【第46話:美しい彫像】
光が収まった時。
そこには、一体の美しい彫像が立っていた。
両手を広げ、何かを守ろうとするポーズのまま。
髪の一本一本、服の皺までが、透き通るような青い水晶で再現されている。
その顔は、穏やかに微笑んでいた。
「……う、そ……だろ……?」
カイは震える手で、彼女の足元に触れた。
冷たい。
氷のように冷たく、人の温もりはどこにもない。
息遣いも、心臓の音も、聞こえない。
「リリア……さん……?」
名前を呼んでも、返事はない。
「バカね」と笑ってくれる声も、「相棒」と呼んでくれる声も。
静寂を破ったのは、ザガンの拍手だった。
「ああ、素晴らしい!」
彼は恍惚とした表情で、水晶になったリリアを見上げていた。
ザガンは、リリアを見上げながら、遠い目をした。
(……錬金の都の《水晶迷宮》を思い出す。
あそこには、たくさんの古代の生物が、水晶となって眠っていた。
永遠に変わらない静寂の姿のままで……)
「完璧だ! これこそが究極の美だ!
怒りも、悲しみも、苦しみもない。
ただ美しく、永遠に変わらない『静寂』!」
ザガンがステージに降り立ち、リリアの頬――水晶の表面を撫でる。
「彼女は君以上の価値がある。
……このまま私の屋敷へ運び、永遠の芸術として愛でてあげよう」
カイの中で、何かが切れた。
「……触るな」
「ん?」
「その汚い手で……リリアさんに触るなああああああ!!」
カイは床に落ちていたリリアの剣を拾い上げ、ザガンに切りかかった。
Eランクの、魔力もない、ただの暴力。
だが、それはザガンに届くことはなかった。
ドォォォン!!
見えない衝撃波がカイを直撃し、壁まで吹き飛ばした。
「ガハッ……!」
カイは血を吐いて崩れ落ちた。
肋骨が折れた。内臓が破裂したかもしれない。
視界が霞む。
「リリアを運べ。丁重にな。傷一つでもつけたら、ゆるさんぞ!」
ザガンはカイを一瞥することなく、部下に命じた。
物言わぬリリア――水晶の像が、台車に乗せられて運ばれていく。
カイの前を通り過ぎる時、彼女の水晶の瞳が、悲しく光った気がした。
「待っ……て……行くな……リリアさん……!」
カイは這いつくばり、泥と血にまみれた手を伸ばす。
「ザガン様。こちらの男はどうしますか?」
部下が、虫の息のカイを顎で指した。
「10億の賞金首です。回収すれば、かなりの金になりますが……
それに、あの《鍵》を利用するという手も――」
「バカめ」
ザガンは心底うんざりしたように吐き捨てた。
「金など、今さらどうでもいい。
それよりも──騎士団長ガルドとの取り決めを忘れるな」
「取り決め、でございますか?」
「そうだ。
あの男は、『鍵』──ノクスの破壊を望んでいる。
私のコレクションと、この都市の秩序のためにも、
ここで《芽》を摘んでおくに越したことはない」
ザガンは、血まみれのカイと、その胸元にかかる黒い魔道具を見下ろす。
「10億の賞金首? 滑稽だな。
そんな金よりも、厄介な火種を片付ける方がよほど価値がある」
彼は鼻を鳴らし、ハンカチで口元を押さえた。
「それに──」
わずかに目を細め、吐き捨てるように言う。
「私の神聖なコレクションに、
こんな薄汚いゴミは必要ない。
美しくないものは、私の世界には不要だ。
……ここで息の根を止めろ。
『鍵』もろとも粉々にして、街の外れのゴミ捨て場にでも捨てておけ」
「はっ!」
部下たちが一斉に頭を下げる。
ザガンはもうカイに興味を失ったのか、
リリアの青い像だけを大事そうに見つめながら去っていった。
「……ガルド殿も、これで満足するだろう」
そう独りごちる声が、遠ざかる。
ザガンたちが去った後。
ステージには、虫の息の少年と、数人の処刑役だけが残された。
「さて……と言っても、ほとんど死んでますけどね」
一人の男が、つま先でカイの体を小突いた。
「おい、まだ息があるぞ。
ザガン様の命令は《息の根を止めろ》だ。手を抜くな」
別の男が、無造作に剣を抜く。
血で濡れたステージの光を反射して、刀身が冷たく光った。
「どうせゴミになるんだ。
せめて楽に殺してやろうぜ。……感謝しろよ、10億の坊や」
刃先が、カイの喉元へと向けられる。
(……ああ、ここまでか)
もう、体は動かない。
視界の端で、青い彫像が遠ざかっていく幻が見えた。
(ごめん、リリアさん……)
その時だった。
『──まだだ、カイ』
頭の奥で、ノクスの声がした。
いつもよりも、ずっと低く、ひりつくような声。
(……ノクス?)
『契約者の生命反応、臨界値。
魔法の都で付与されたサブルーチン──緊急転移術式を起動する』
ノクスの言葉と同時に、カイの胸元が熱を帯びた。
焼けるような痛みが走る。
「な、なんだ……?」
処刑役の男が眉をひそめる。
カイの体の下に広がった影が、じわり、と濃く滲んだ。
『この機能は一度きりだ。
発動条件は──契約者の死亡直前、かつ短距離限定。
……行くぞ、カイ』
(どこ、に……)
『生き延びる可能性が、わずかでも残っている場所だ』
影が、ぱきんと割れた。
世界が裏返るような感覚。
「おい、足元……!」
処刑役の男が叫ぶより早く、
振り下ろされた剣が空を切った。
そこにいたはずの少年の姿が、影ごと消えていた。
「なっ……消えた!?」
「バカな、転移魔法だと!? ザガン様の結界の中で……?」
男たちが慌てて周囲を見渡す。
だが、そこには血の跡と砕けた瓦礫だけが残っていた。
カイは、落ちていた。
底のない闇の中を、ゆっくりと沈んでいくような感覚。
耳鳴りがして、遠くで誰かの叫び声が聞こえた気がする。
『……代償は、大きいぞ』
ノクスの声が、霞んだ意識に直接染み込んでくる。
『当面、まともに機能しない。
魔力も演算も、すべてを削って、ここまでだ。
あとは──お前のしぶとさに、賭けるしかない』
(ノクス……)
何か言おうとしたが、口が動かなかった。
全身の痛みも、冷たさも、すべてが遠のいていく。
(リリアさん……)
最後に浮かんだのは、青い彫像となる前の彼女の笑顔。
その面影を胸に抱いたまま、カイの意識は、静かに闇へと沈んでいった。
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