糸端
逢えない人だって分かってるけれど。
高校三年生となって初めての春。
私は,自分の小指をふと見つめていた。
辺りを見回せば、顔見知りの友達が高校生活あっという間に終わりそう、と皆ニコニコと笑い合っている。
ここは,地図にものっていないような田舎で、
日本の点々とある島のうちの一つ。
島にいるほとんどの人が漁をして生計を立てている。最近では観光の船が3か月に一度訪れ、この島の自然や海に触れ、笑顔で帰っていく光景が多く見られるようになった。
このまま島の発展が見込まれる…かもしれないという中、私たち高校三年生は、ある重大な判断をしなければならない。
それは、本土に出て大学に行くか、島に残り、親の後を継ぐか。
皆それぞれ違う家だが,環境はほぼ一緒。
今年の高校三年生は、私を含めて5人。
5人の進路がどうなるかは,島の中で大注目を浴びる。
私は,この小指に結ばれた小さな糸の跡を辿りたい。それが小さい頃の夢だった。
だから、本土に行ってこの小指の意図が指し示す場所に行ってみたい一心で、本土に出て大学に行くか就職をしたいと思っている。
だが、私の家の親は,あまりその判断に肯定的ではない。特に父親が。
考えれば考えるほど、嫌になっていく。
私は机の上で大きくため息をついて項垂れた。
「はぁーーーー。」
「どうしたのさ、翔。」
私に声をかけてきたのは、おぎちゃんだった。
おぎちゃんは、荻原という苗字からとっておぎちゃんと命名された。
おぎちゃんの長くて映える黒髪が私の視界の前をゆらゆらと揺れている。
おぎちゃんは、いつも優しくて、でも凛々しく気高い性格だ。自分の意思に素直な部分がある。だから、学級会などをすると,みんなおぎちゃんに平伏する。
「もー、おぎちゃんには分からないよぉ、…。」
「なにそれ!?も,もしかして恋愛系?」
「んなっー!訳ないでしょっ!」
私は恋をしたことがない。というのは嘘になってしまうが、実際校内恋愛はしたことがない。
では何に惚れたか?って。
それは、
「私に分からないことは恋愛系以外ない!翔が、悩んでいることなら相談に乗る。」
「あーはいはい、もういいです〜。」
私が適当にあしらうと、おぎちゃんはふんっと鼻を鳴らして教室を出て行った。
どうせ,いつもの階段下でいじけてるんだろう
3分経ったら,迎えに行くか。
「あーあー、翔がまた、おぎちゃんの機嫌損ねた〜。もー、機嫌なおるの時間かかるんだからやめなよー。」
私に文句を言うのは、ナノだ。
ナノの由来は、昔幼い頃の口癖が〜なの!だからで、実際の名前は楓だ。
ナノは可愛らしい格好をいつもしていて頭の両横に、三つ編みをしている。
「カップラーメンができるくらいしか掛かんないよ。」
ナノをあしらうのは、コウキだ。
コウキは、頭がキノコのいわゆるスカし系男子で、チャラさが全体から滲み出ている。
昔のあだ名はマッシュルームだったが,本人が泣いて駄々を捏ねたので改正された。
性格自体は悪くなく、素直でおせっかい焼きなのがコウキの特徴だ。
「もうカップラーメンできたかな。ちょっとおぎちゃんの様子を見てくるよ。」
私は席を立ち、いつもの階段下に向かった。
また,私の周りに人がいなくなると,私は無意識に小指に目線を向けてしまう。
それはもう私の癖になってしまっていた。
小指から出ている糸は、私以外の誰からも見れないし触ることができない。
だから、糸が張った部分に人が通ると、人は幽霊かのように透けて通ってしまう。
実際には人ではなくこの系が幻なのだろうが。
いつもの階段下に着くと、そこにおぎちゃんの姿があった。だがそこにいたのはおぎちゃんだけではなかった。
そこには,西嶋がいた。
「あ、こんにちは。尾島さん。ちょうど彼女とあなたを待っていたところです。」
西嶋というのは,つい昨年この島に転校してきた男の子だ。昔からずっと一緒の私たち幼馴染の間にすんなりと入ってきた。
彼自体コミュ力が高い。
だが、彼の元々住んでいた東京がまだ根強く残っているのか、私たちには他人行儀に接する。話をするのは楽しいし性格も嫌いではないのだが、私はどうも好きになれない。
「こんにちは,…。おぎちゃん,ほら、ごめんって教室戻ろ?」
おぎちゃんはグスグスと嗚咽を吐きながら、
ゆらりと立ち上がった。
「私、翔の役に立ちたいのに…。翔ってどうしていつも人のこと頼ってくれないの?」
おぎちゃんは,たまに自分のことを頼ってくれない私に起こることがある。
私はみんなのことが好きだし,みんなが大切だから、自分の悩みに付き合わせるのが悪いと思っているだけなのだが…。
それを言葉にしたことがないから、それを心の中にしまっているから、よくみんなに勘違いされてしまう。
なぜ言葉にしないのかは,自分でもよくわからない。きっとこっぱずかしいからだろう。
「別に…おぎちゃん、私はおぎちゃんにたくさん頼ってると思うよ。いつも助けられてるし、いつもありがたいと思ってるよ。…だからね?教室帰ろ。」
つい、言葉を紡いでしまった。
西島がいるのに…。耳に熱が溜まっているのが分かって、少し恥ずかしくなった。
おぎちゃんはきょとんとして、
ふっと息を吐いた。
「あはっ!翔がそんなこというなんて珍しいね!私に助けられてるかぁ…。なんか嬉しい!」
おぎちゃんは長くて艶やかな髪をたなびかせ、
教室戻ろっと笑顔で言って、教室に走り去ってしまった。
ふと、西嶋の顔を見る。
彼は羨ましそうに、それでいて寂しそうに私たちを見つめていた。
変なヤツ…。私は、何も言わずにおぎちゃんの後を追いかけた。
…
その日の帰り道は、夕日で赤く道が照らされていた。大きく息を吸うと、海の潮の匂いと、かすかに魚の独特な臭みが香る。
「今日は,まだ冬みたいに陽が落ちるのが早いな!今日翔ん家で遊ぼうと思ったのに〜…」
タケルが残念そうに息をつく。
タケルは,ガタイが良くて185センチ越えの
元気で天真爛漫なヤツだ。
将来は野球選手になりたいらしく、
いつもうちの広い庭で野球ボールを手に、
一緒にキャッチングやヒッティングをしている
「お前は早く頭を剃れよ!島出て野球選手になるんだろ!そんな黒い頭じゃ強ぇ野球選手なんかにゃなれねぇよ!」
こうきがからかうと、
タケルはちぇっお前に言われたくねーマッシュルーム!と、反撃する。
自然とその会話から笑いが込み上げる。
みんなで赤く照らされながら、笑いながら
家までの帰路を歩いていく。
この時間が私はすごく好きだ。
これが後一年でと終わってしまうと思うと、
感慨深くなる。
ふと小指を見つめると、赤い夕日のせいか、
糸の輪郭がぼやけてどこに糸があるかわからなくなっていた。
焦って糸があるかを手で探る。
やはりそこには、糸がある。ほっと息をつくと
なのが私の顔を覗き込んできた。
「大丈夫?翔…具合悪い?」
え、と顔に手を当てる。
私の顔には嫌な汗がべっとりと着いていた。
糸がなくなったという焦りで
嫌な汗をかいてしまっていたようだ。
「んーん、ごめん。大丈夫だよ。」
「翔,今日ため息ばっかしだったし、具合悪いんじゃない?」
おぎちゃんが、なのに続けて言う。
「いや!本当に大丈夫!ごめん。心配かけて」
「そー?なら良いけど。」
なのとおぎちゃんは,
心配の色は抜けてないが、私が言った言葉をすんなりと受け入れてくれた。
沈黙が私たちの間を流れた。
気まずいとか,緊張とか、
そういうものは私たちの間にはない。
ただ、こういう時がたまにある。誰も何も言わず、ただただ歩く。
そんな時が。
4人の影が伸びる。
これから先…。先か…。この糸の匙を辿るのは私の昔からの夢だったけど、今のみんなと離れるのは嫌だなぁ…。
感慨に浸っていると、タケルが口を開く。
「そういえばさ、翼はどうした?」
翼というのは,西嶋の下の名前だ。
「あー、あいつ?なんか今日は早く家に帰ってやらなきゃいけないことがあるんだとかなんとか…、あんまし一緒に帰ったことないよな、」
こうきが答える。
「じゃあさ、明日は5人で帰ろーぜ。後この5人で過ごせるのも一年ないんだしな…!」
タケルがいうと、みんな賛成ーっと声を上げる。ただ1人,私だけ口をつぐんだ。
あいつ…変なヤツなのになぁ。
そのままみんなと別れていって家に着くと、
母が暖かくおかえりと言ってくれた。
美味しそうな匂いがした。
「今日はおとさんが取ってきてくれた
大きいサバを味噌煮にしたの。翔。味噌煮,好きだったわよね。」
「ん、ありがとうお母さん。」
私は,お礼を言って部屋に上がり、
荷物を置き、制服を脱いだ。
そして、暗くなり始めた空に小指を透かす。
糸が海に向かって伸びている。
後一年でこの糸の元に辿り着けるかもしれないんだ。私は,胸を躍らせる。
みんなといる時はあんなに寂しくなるのに,1人になると,この糸の辿った先が気になって仕方がない。
「はー…。」
ゴロリとベットに寝そべる。
「島…私…出れるのかなぁ。」
手を天井に伸ばす。糸と目があった。、
「はは…、せめて馬鹿になれたらなぁ。」
私はその後、疲れか眩暈か、疲れが溜まっていたのか…そのままベットで寝てしまった。
…
次の日の朝。
窓の外から聞こえる不思議な音で目が覚めた。
外を見ると日はまだ登っておらず、
不思議な音と少し涼しい
朝の心地よさが立ち込めていた。
不思議な音を窓を開けて様子を確認する。
だが、頭がぼーっとしてるし、目の前もぼやぼやになっていて鮮明に確認できない。
今日は学校が休みだったから良かったものの、
あんな早い時間から寝落ちして、
こんな早い時間に起きて…普通の日だったら疲れて学校で寝てしまうだろう。
「ぐぅー。」
お腹の虫がぐうと唸った。
少し恥ずかしくなって、顔が赤くなる。
私は食べものを求めて、階段を降りた。
だが,みんな寝ているし、今の時間、あの優しい母を叩き起こすのも申し訳ない。
キッチンへ向かうと、そこにはラップのかかった鯖の味噌煮があった。また、余った米で握られたと思われるおにぎりが何個かあった。
蓋の閉まった鍋をパカっと開けると、青さの味噌汁があった。
「ぐうー。」
先ほどよりも少し大きく腹の虫がなく。
だが、流石に朝早くからこんなにたくさんは食べれるような気がしなくて,
私は,おにぎり2つを握りしめて玄関を出た。
おにぎりの一つを頬張り、
私は不思議な音がする方へとかけていく。
不思議な音がする方向は,この島に何ヶ所かある雑木林の中から聞こえてきた。
もしかしたら,熊や狸が、雑木林の中で暴れているのだろうか。
だが、不思議な音は、
何やら,石と石がぶつかり合ってるような音
であって、ガサガサとした、生き物から出るような音ではないように聞こえたのだ。
熊だったらどうしようと、
少し足が震えるが、好奇心を奮い立たせ、
なんとか足を踏み出した。
雑木林の中をざくざくと進んでいくと、
音もだんだんと近づいていた。
ごくりと喉を鳴らし、恐る恐る近づいていく。
葉を避けながら歩けば,
そこには開けた空間があった。
日の出の前の淡い光が充分に届かず、
そこはまるで真っ暗闇のようだった。
目を擦り、かろうじて見えるようになれば、
何やら黒い影がモゾモゾと動いている。
ま,まさか幽霊っ!?
怖くなって腰が抜け、その場に座り込む。
その黒い影は私にゆっくりと近づいてきた。
「、っ!!?来るなっ!!」
大きな声を出すと、影はぴたりと止まった。
「…え?尾島さん…ですか?」
聞きなれた声が上から降ってきた。
「はっ!?西嶋!?」
黒い影は西嶋だった。
「はい…西嶋ですよ。尾島さん,こんな時間に、こんなところで何をなさっているんですか?」
「それはこっちのセリフ、」
抜けた腰をなんとか立たせ、
尻の汚れを叩き落とした。
せっかく、音のする方に来てみれば
気に食わない西嶋だったことに、私は少し残念に思った。
「あんた,こんなとこで何してんの?」
「あぁ、えっと、恥ずかしいんですが…。
その、…うまく眠れなくて、…。」
西嶋は,恥ずかしそうに俯いてしまった。
そっか,西嶋にも眠れない時があるんだ。
「尾島さんこそ何を…?」
「え?あぁ、昨日、疲れてたのか午後6時くらいに寝ちゃって、それでこんな早くに目が覚めて、この雑木林から不思議な音がするから見にきたの、…そしたらあんたがいたってわけ」
「そうなんですか。」
「ぐぅ〜〜。」
お腹の音が一際大きくなった。
そのお腹の音は西嶋の音だった。
「あ、すみません…。」
私は、また恥ずかしそうに俯く西嶋を見て
私がおにぎりをもう一つ持っていることを思い出した。
「そうだ、おにぎりあるんだ。…食べる?」
おにぎりを西嶋の前に差し出すが、西嶋はフルフルと弱々しく首を振った。
「さ,流石に申し訳ないので…。」
「じゃあ…。」
私はおにぎりを二つに分けた。
「ん、これ食べなよ。」
「え。あ,ありがとうございます…。」
一呼吸おいて、西嶋が口を開いた。
「…尾島さんは優しいですね。僕に大きい方をくれるなんて。」
手先が不器用な私は,うまく分けられなくて大きさに差が出てしまった。
そして無意識のうちに、大きい方を西嶋に
渡していたみたいだ。
「そ、そんなの!どうでもいいのっ!お腹いっぱいになれば寝れる…えーっと、けっとーちーあたっく?」
「血糖値スパイクですよ。」
「そ、そう!それ、それで早く寝ろ!」
「ふふっ、あはは!」
西嶋は息を漏らし、
いつもの仏頂面を崩して笑った。
まるで西嶋じゃないみたいだ。
「はーっ、ほんっと、尾島さんってたまに抜けてて可愛いですよね。」
「なっ。!?」
私は顔が赤くなる。
この島の男たちはそう簡単に可愛い
とか言わない。
だから、人生で初めて同年代に可愛いと言われた私はつい頬を染めてしまった。
「本土のやつってほんとチャラいんだな。」
「そーですね、」
沈黙がまた流れる。
どうして気に食わないこんなやつと朝早くからしゃべっているんだろう。
「尾島さんは,私の尊敬した人と似ています。」
「え?尊敬?」
「はい。明るくておっちょこちょいなところとか、たまに抜けてて可愛いとことか…、でも強いとことか…。そして…」
〈その小指を見る癖とか。〉
逢いたい。