第七話 レモンメレンゲパイの謎
吹き抜ける風が爽やかになってきた。桜も散り、日差しも眩しい。
そろそろ春も終わりかけだ。
そんな時期、咲はいつものように聖書研究会の部室へ。
「愛美!」
なぜか愛美はぼーっとしていた。テーブルにはメレンゲクッキーや紅茶が並べられていたが、愛美はそこに目もくれず、ため息。
咲が話しかけても、ぼうっとしていた。長いまつ毛がパタパタと揺れていたが、いつものような目に光がない。
これは何かあるのに違いない。
「愛美、どうしたん?」
咲は愛美の肩を揺さぶりつつ、叫ぶ。
「ああ、咲ね」
ようやく愛美の目の焦点があったが、一回ため息していた。
そして事情を語る。海香のように友達に隠し事をするのは良くないから、と。
「実は最近ね、私のストーカーがいるみたいなの」
「え!? 本当!?」
「ええ、登下校に後をつけられてる。家に嫌がらせの電話とか手紙も来てね」
「そんな……。警察には?」
愛美は力無く首を振る。
「こういうことは昔からよくあったけど、警察は無視された」
「やっぱり……」
咲も去年の秋、とある犯罪に巻き込まれたが、警察はろくに調査しなかった事を思い出す。
「愛美、大丈夫? そうだ、今日は一緒に帰ろう!」
「でも咲、あなたの家と反対方向よ」
「いいよ、別に」
という事で今日は愛美と一緒に帰る事になったが、彼女の表情は重い。
「ところで何でストーカーなんてするんだろうね」
正直、咲は全くわからない。相手が好きだったら直接アプローチすればいい。そもそも相手の幸せを考えたらできない事。
「たぶん、自己肯定感がないのでしょう。自分を大切にしていたら、犯罪行為はできない。犯罪者は自分の事が嫌いな確率も高いそう」
そう語る愛美は犯人を憎んでいる様子はなかった。
こうして愛美と一緒に下校するようになったが、相手は狡猾だった。咲がいる時は決して尻尾を出さない。
「何なの、愛美のストーカー、めっちゃズル賢い!」
いつものように放課後、愛美とお茶とケーキを楽しんでいた咲だが、頬を膨らませていた。
「まあ、咲。そんなもんよ。レモンメレンゲパイを食べましょう。今日のおやつは母に作って貰ったからね」
一方、愛美はだんだんと冷静さを取り戻し、今は呑気にレモンメレンゲパイを食べていた。
レモンメレンゲパイはふわふわの白いメレンゲが特徴だ。サクサクな生地とともにレモン味のフィリング、そしてメレンゲの甘さが最高。レモンの爽やかな匂いもそうだ。見た目も味も爽やかなレモンメレンゲパイは、確かに食べていると咲も冷静になってきた。
「美味しい! 愛美のママって天才だ」
「そう? へへ、実はこのメレンゲパイは私が子供の頃から作ってくれていてね。最高なんだ」
愛美は無邪気に笑う。お嬢さまなのに、この時だけは子供のよう。
どうやら愛美は家族に大切にされているらしい。本当は誰でもそういう存在だ。ふと、部室に貼ってある聖書の言葉が書かれたポスターと目があう。「あなたは高価で尊い」と書いてある。
愛美の推理通り、犯人は自分の事が嫌いなのかもしれない。愛されなかったのかもしれない。そう思うと、何とも咲の表情が複雑だ。美味しいレモンメレンゲパイを食べていたら、犯人への憎しみが消えてしまう。
そして数日後。ストーカー問題は全く解決の糸口がなかったが、放課後、愛美の下駄箱近くで挙動不審の生徒を見つけた。
しかも相手は逃げる。
「待って!」
逃げたら追うしかない。咲は不審な生徒を追いかけ、聖書研究会の部室まで連れて行った。まさに連行という感じ。
「さあ、何をしていたか告白してもらうからね!」
咲はそう言い怒っていたが、愛美は無表情。かえって怖いぐらいで、犯人は白状し始めた。
犯人の名前は浅田桃佳。一年A組の新入生だったが、聖書研究会の勧誘に来た愛美に憧れてしまったという。
「そう」
愛美は眉ひとつ動かさない。こういう事は才色兼備なお嬢さまとして珍しくないのだろう。
一方桃佳は小さなリスのようにガタガタ震え始めた。黒髪で顔立ちも地味。いかにも優等生のルックスの桃佳。ストーキングという行為と桃佳のルックスが噛み合わず、咲はため息しか出ない。
「私、実は受験で失敗したんです。聖アザミのようなエセお嬢さま学園にしか行けないのかって親に責められて……」
しかし桃佳の親は毒親らしかった。子供の頃はベランダに放置されたり、押し入れに閉じ込められたり、箒で叩かれるという笑えないエピソードも飛び出し、咲と愛美は顔を見合わせた。
「あなた、これは虐待では? もしかしたら福祉関係に通報した方がいいかも?」
愛美はそんな犯人は流されず、あくまでも冷静だったが、咲は複雑。桃佳を憎む気分にはどうしてもなれない。
「わ、わかった……」
案外素直に愛美のいうことを聞いているのも拍子抜けしてしまった。
「場合によっては警察へ。そうね、あとは自分の為にお菓子を焼くと良い」
現実的なアドバイスをしていた愛美だったが、急に笑顔になった。
「人の為でもいいわ。とにかく誰かの為にお菓子を焼こう。うちの母も落ち込んでいた時はよくレモンメレンゲパイを焼いてたわ。元気になるわ、食べてみて」
愛美は桃佳にレモンメレンゲパイを差し出す。
「ありがとう……。美味しい……」
桃佳は泣きながらレモンメレンゲパイを食べていた。もうストーキングしないと約束し、何度も頭を下げて帰っていった。
これでストーキング事件は解決らしい。余計にレモンメレンゲパイの香りが爽やか。
「ところで愛美、新入生の勧誘はどう?」
すっかり忘れていたが、咲はその問題もあった事を思い出す。
「あ、忘れてた! どーしよ! 今も新入部員ゼロよ!」
頭を抱えて涙目になる愛美。
また残念お嬢さまらしくなった模様で、咲は苦笑しながらレモンメレンゲパイを食べる。
「まあ、何とかなるよ。今はレモンメレンゲパイ、食べよう」
「そ、そうね。せっかくママが焼いてくれたしね」
ひとまず目先の事は忘れ、愛美と咲はお茶とお菓子を楽しんだ。
校内の桜の花びらは散り、風もより爽やかだ。季節は変わって来ている。ずっと同じ季節のままではないのだから、部員確保の問題も何とかなるかもしれない。
「美味しいね、愛美」
「ええ」
今はただ笑顔でいよう。
咲はそれが一番な気がしていた。