第三話 魚のチョコレートの謎
聖アザミ学園はお嬢さま学園というイメージでみられていた。実情はそんな事はなく、咲はいじめのトラブルに巻き込まれた事もあったが、今日は特別だ。
数ヶ月に一家、テーブルマナー講座の日があり、今日は学生食堂に集まり、お嬢さまらしく、フォークやナイフの扱い方の練習も受けていた。
見本の生徒として愛美が選ばれた。一番前のテーブル席で優雅に魚料理を食べる姿は、マナー講師、担任教師、シェフだけなく、クラスメイト達も唸るほど。そこには聖書ヲタクで字が下手な残念美人の愛美の姿はない。
奥の方のテーブルでマナー講座を受けている咲は、お嬢さまのモード中の愛美にため息が出てくるものだが、魚料理は普通に美味しい。性格名称は白魚のナントカという長ったらしいものだったが、柑橘系のソースが爽やかで春らしい一品。テーブルマナー講座の時間でなかったらもっと楽しく食事ができそうなのに残念だと思うぐらい。
「咲、よく食べるね」
隣の席にいる桜川ヤスコに話しかけられた。ヤスコは漫画研究会で一緒だった友達だ。漫画やアニメの話が気が合う。咲と似たような太眉で野暮ったい雰囲気も似ていて、教師からはヤスコと名前を間違えられる事も多かった。
「いや、普通に魚料理美味しかった。テーブルマナーの時間じゃなかったらなぁ」
咲は魚料理用のナイフを置き、空になった皿を名残惜しそうに眺めた。
一方,ヤスコの皿はほとんど残っていた。付け合わせの野菜、飾りのハーブ類は消えていたが,白魚の切り身だけがまるまるそのまま。
「うち,魚料理全般嫌いなんだよね」
「へえ、ヤスコ。お寿司もダメ?」
「ダメだね。小さい頃、お寿司食べて吐いちゃったから。生魚が特に無理っていうか」
「これ生じゃないよ?」
「それでも何か嫌なんだよ」
「へえ。まあ、食べ物の好みなんて人それぞれだね」
そんな会話をしつつ、テーブルマナー講座も終わり、最後にベリーケーキとコーヒーのデザートも出た。これには咲だけでなく、ヤスコも笑顔になっていた事はいうまでもない。
その数日後の事だった。
今日はカフェのバイトもないので、愛美のいる聖書研究会の部室へ向かった。
部活棟は軽音部も入っていた。軽音部の流行りのロック音楽も漏れ聞こえてくるので、部活棟は思ったよりも静かではなかった。
「愛美、来たよー!」
「ごきげんよう、咲」
部室に入ると、愛美は紅茶を飲みながらビスケットを食べていた。相変わらず優雅そうだったが、サクサクとした咀嚼音を聞いていたら、咲は負けた。咲もビスケットを食べる。
「おお、美味しい。紅茶にしたして食べちゃおうかな!」
「咲、それはテーブルマナー的にはアウトよ。でも、まあ、別に部室だからいいわ」
こうして二人でマナーを無視しながらビスケットを食べている時だった。
部室に客がやってきた。しかもヤスコだ。ヤスコは頬を膨らませ、明らかに不機嫌そうだった。
「あら、ヤスコさん。ごきげんよう。どうぞお座りになって」
笑顔の愛美に椅子を引いてもらい、ヤスコの機嫌は良くなっていたが。毒気が抜かれたような顔を見せていた。
こうして三人で紅茶とビスケットを楽しんだが、ヤスコが部室に来たのは謎だった。
「どうしてうちに来たの?」
咲が無邪気に聞く。
「いや、なんかお菓子食べながら悩み相談できるっていう噂を聞いたから」
ヤスコはおずおずとしていた。なかなか本題に入りそうになかったが、愛美はにっこりと笑顔を向けていた。
この笑顔でヤスコもぽーっとばっていた。咲はルッキズムの威力にため息が出てくるものだが、ポツポツと事情を話し始めていた。
「実は……」
ヤスコはカバンから小さな包みを出す。可愛いラッピングで明らかにプレゼント用だった。中身は缶に入ったお魚のチョコレート。一見缶詰めに見えるが、中身はどう見てチョコレート。魚の型で作られたものだろう。
缶のでデザインもオシャレだ。フランス語のロゴもオシャレで咲は「可愛い!」と声をあげてしまったが、ヤスコはブスッとしていた。
「実はこれ,幼馴染の高田勇太郎ってヤツからもらったんですよ。でも魚のチョコって? 私、魚って全般的に嫌いで。嫌がらせな気がして、なんだかな」
ヤスコの不機嫌の原因はこれだったらしい。
「でも、これチョコでしょ。型が魚ってだけ」
愛美はそのチョコレートを一つだけ手にし、モグモグと食べていた。
「うん、美味しい」
それに釣られて咲も食べてみたが、味はチョコレート。形が魚だけ。
「これ、フランスのお土産でしょう。フランスのエイプリル・フールでは魚の形のパイやケーキ、チョコがお店に並ぶのよ」
愛美はお嬢さまらしく、何度もフランスに行った事があるという。
「たぶん、そんな奥深い嫌がらせの意味はないはず。女性ならともかく男性がこんな手の込んだ嫌がらせしないわ」
「そうですけどー」
ヤスコは愛美の推理に納得いかないらしい。口を尖らせつつ紅茶を飲む。
「私、魚が嫌いなのは子供の頃に生魚食べてはいたから。雄太郎もその現場にいたんですよ。やっぱり嫌がらせでは?」
どうもヤスコはマイナス思考に突入してしまったらしい。
「確かに雄太郎は春休みにフランス旅行行って来たらしいけど……」
「ヤスコ、このチョコ、実際に食べてみたら? 見た目は魚だけど、完璧にチョコだよ?」
咲に押されたかは不明だが、ヤスコは包みをはがし、魚の形のチョコレートを食べていた。
「うん、普通にチョコだわ……」
「ヤスコさん、本人に直接確認したら? その方が早い。私たちがいくら推理しても、証拠は出ないわ」
愛美にも押され、ヤスコは頷いた。
「そうだね。雄太郎に直接の聞いてみる」
そう言葉を残し、ヤスコは帰って行った。
翌日、ヤスコから咲に報告を受けた。ヤスコは雄太郎に直接聞いたところ、そんな意図は全くなく、幼いころのことも全く覚えてなかったという。ただ、ヤスコに喜んでもらいたく、店員のおすすめを買ったとか。店員のフランス語はよく聞き取れなかったらしいが。
「という事で、ヤスコの勘違いだったみたいです」
咲は部室に向かい、事の顛末を愛美にも報告た。
今日の部室のテーブルは紅茶、魚のチョコレートもあった。
ヤスコが貰ったものとは違い、サイズも大きめだ。愛美によると、父親におねだりし、買って貰ったという。
「え、それですぐ買ってきてくれたの?」
咲の目が丸くなった。日本でも売っている魚のチョコレートをわざわざ探して貰ったとか。
お嬢さま特権なのか。咲はちょっと声も出なくなるが、愛美は満足そうに頷く。
「やっぱり、欲しいものはちゃんと言葉にするべきね。自分の頭でいくら考えても、欲しいものは手に入らない」
「そっか……」
咲は頷く。ヤスコの一件で愛美も何か考えさせられる事があったらしい。
「ちなみこの魚のチョコレートは春を告げる菓子とも言うらしいわ。ええ、本当に春が来たような気分」
愛美は満足そうだが、この大きな魚のチョコレートの食べ方は分からんない。
結局、ヤスコも呼び、三人でチョコレートを分け合った。
「魚は相変わらず嫌いだけど、このチョコレートは好きかも!」
ヤスコが一番このチョコレートを楽しんでいた。その後、ヤスコと雄太郎が付き合い始めたという報告も聞いた。煮え切らない雄太郎にヤスコが先に告白したらし。
欲しいものはちゃんと言葉にした方が良い。
愛美は再びしみじみと呟いていた。