第一話 サンデーとパフェの謎
「えー、咲ちゃんってお嬢さま学園にいるんだよね? 聖書研究会にそんな子いるのー?」
カフェ店長の水川泉美は目を丸くしていた。
ここは咲がバイトしているカフェだ。のどかな住宅街にあるレトロなカフェ。カフェというよりは喫茶店に近い雰囲気だったが、元々泉美の両親が経営していたカフェだった。
そこを引き継いだ泉美はSNSや動画サイトなども利用し、安定的な売り上げを出している。最近は看板猫のミャーも可愛いと評判だ。
見た目は茶髪でしっかり者のような雰囲気のアラフォー女だ。仕事の教え方も上手く、咲もあっという間に仕事をマスターし、今は店長というより歳が離れた姉のような存在。
今は閉店間近。席や床の掃除を二人でしながら、ついつい愛美の事も話してしまう。
看板猫のミャーはそんな人間の事は待った知らぬ存ぜぬで窓際でゴロゴロしていた。黒猫でスマートな体型の猫だったが、窓辺から春の日差しをたっぷりと浴び、気持ちよさそう。
「いるんですよー。でも、愛美は本当にいいとこのお嬢さまです。何でこんな聖書ヲタクで残念美人なのーって感じです」
「まあまあいいじゃないの。いい家のお嬢さまって事でストレスも多いんじゃない? っていうか咲ちゃん、あっちのテーブル全部片付けて」
「はーい」
愚痴を話していたといってもバイト中だ。咲は窓際のテーブルを片付けに向かう。
確かこの席は数名のグループ客が来ていた。近所の教会の人らしく、年齢も性別もバラバラだった。
咲が通っている教会とは違う。同じクリスチャンといっても色々宗派もあり、そもそも年齢や性別が違う事も多く、このグループ客には何も感じていなかったが。
「おかしいな。パフェが全部残ってるよ。店長、これもったいないですね」
片付けに向かうが、咲は首を傾げた。リームソーダやナポリタンなど注文されたものは綺麗に食べられていたが、パフェだけ綺麗に残されてる。
フルーツのパフェで見た目も豪華だ。春らしく桃や蜜柑などの果実だけでなく、トッピングの食用花もあり、見た目も鮮やか。咲の時給二時間分のお値段で、けっして安くはないが、人気メニューだった。誕生日や就職祝いで食べるお客さんもいるのに?
「そうね。確かにパフェが丸ごと残されているのは変ね。どうしてかな?」
店長の泉美も不明らしい。さすがに長年カフェ店長をやっている泉美は特に悲しむ様子はなかったが、咲は少しショック。
元々咲は美味しいものが大好き。おかげで平均より少し太ってはいたが、両親からも残さず料理を食べるよう躾られていた。
クリスチャンの咲は食前に神様に感謝の祈りもする。食べ物も神様が与えてくれたものの一つだという考えもある。
丸ごと残されたパフェを見ながら、どうも笑顔が作れない。咲は元々そんな暗い性格ではない。ヘラヘラ笑ってしまう癖もあったが、なぜパフェを残したのか全くわからない。意味不明。
「だったら咲ちゃん。その愛美ちゃんって子に相談してみれば? 謎が解けるかもよ?」
「えー、店長。そんなわかります?」
「わからないけど、何となく?」
泉美はわざとらしく笑顔を作り、看板猫のミャーを撫でに行ってしまう。
「え? 愛美が謎を解く?」
そんな訳はないだろうと思ったが、翌日、放課後。
咲は聖書研究会に扉を叩いていた。
中に入ると、愛美は優雅に紅茶を飲んでいた。普通に飲んでいるというよりは、嗜むという雰囲気だ。背筋も伸ばし、所作も美しい。
テーブルの上には茶器だけでなく、ケーキスタンドもある。そこにはスコーン、サンドイッチ、イチゴのケーキや焼き菓子も並び、聖書研究会の部室を勝手にアフタヌーンティーの場所にしてしまった愛美の行動力にため息しか出ない。
とはいえ、紅茶やスコーンの良い香りの咲は抗えない。
結局,バイト中の小さな謎について相談していた。
「ふむふむ。日曜日のカフェでパフェだけが残されていた、と」
愛美はノートに状況をメモしていた。字はさほど綺麗ではない。むしろだいぶグチャグチャだったが、育ちが良い才色兼備のお嬢さまにも隙があるらしい。
「それで、そのクリスチャンの団体客ってどこの教会かわかる?」
「うん。あの宗派のあの教会で……」
なぜこんな事を質問されたか謎だったが,咲も暖かい紅茶を飲み、ホッと一息だ。それにスコーンも美味しい。今日はハチミツをつけて食べてみたが、口の中が天国のよう。水分はとられたので急いで紅茶を飲んだが、すっかりリラックスしてしまった。
一方愛美はノートパソコンを開き、調べ物を始めてしまった。例のクリスチャンの団体が通う教会のホームページなどを見ている。
「わかった。謎が解けたわ」
「えー、どういう事?」
愛美は紅茶を啜り、一呼吸すると、推理を披露し始めた。
その教会は厳しい宗派らしい。一応プロテスタントの福音派に入るらしいが、お酒やタバコも禁止。なぜか女性が働くのも禁止で結婚もクリスチャン同士でないとダメらしい。また、礼拝がある日曜日もなるべくお金も使わず、質素な食事にしろと公式ホームページに書いているという。
「つまり、そんなルールを守った結果、パフェを残した」
「えー、そんな宗教的な理由?」
咲は日曜日も礼拝後にカフェでバイトしていたから驚く。それに酒、タバコ、女性の働き方,結婚、日曜日の過ごし方は聖書にきっちりとしたルールは書いていないので、なおさら意味がわからない。ちなみに咲の教会では自由だ。ただし、何かあった場合、責任は自分でとるというルールで、聖書でいう罪も犯す自由もあった。牧師の藤河七道という男は自由意志をとても大事にしていた。
「キリスト教といっても宗派は色々あるからね。一般の人はカトリックとプロテスタントの違いもわからないでしょうけど」
「だからって愛美。そもそもパフェを注文しなきゃいいじゃない?」
「ルールを破ってみたかったんでしょう。人は禁止されるとやってっみたくなるからね」
愛美の言葉に咲は絶句。スコーンを食べる手も止まるが、頷くしかない。
「そのお客様にあったら、サンデーを食べるよう勧めてあげて」
「サンデー?」
「パフェよりもっとっと地味な菓子よ」
「ああ!」
サンデーと聞いて咲はすぐ思い出す。確かにパフェより地味だが、アイスにチョコレートソースがかかり、決してカロリーは低くない。
「サンデーの起源は諸説あるけど、アメリカのキリスト教徒が日曜日に食べる為に作られたという説も。だからパフェよりちょっと地味らしい」
「へえ。さすが聖書ヲタク!」
「咲、茶化さないで。あと、そのクリスチャンに会ったら、この伝言も伝えて」
「伝言?」
意味がわからないが、次の週の日曜日。あのクリスチャンの団体客がやってきたため、咲はサンデーを勧めた。
「確かに色んなルールを守るのも素敵ですが、神様が何の為にルールを作ったのか、想像したら良いと思います。人を苦しませる為ではないと思います」
ついでに愛美の伝言も伝えた。正直、咲は愛美の伝言の意図は全くわからなかったが、客たちはハッと我に返ったような表情になり、サンデーも楽しみ、笑顔で帰っていった。
「ルールはなぜあるか自主的に考えるのがいいってことかな?」
咲は客たちが帰ると、独り言を呟いていた。
そして、この一件を愛美に報告したが、彼女は鼻の穴を膨らませ、胸を張っていた。よっぽど自分の推理が当たっていた事が嬉しいのだろう。
「佐倉愛美さん! 聖書研究会の部室を勝手にアフタヌーンティールームっぽくしない! 校則はちゃんと守ってください!」
もっとも愛美はこの一件が学年主任にバレ大目玉をくらっていたが。
「ごめんなさい、先生……」
シュンと学年主任に謝罪している愛美は、どこからどう見ても残念美人だった。
「愛美って一体……」
咲も呆れてしまうが、そんな愛美は嫌いではない。愛美は字も汚いし、住む世界が違うというのも勘違いだったらしい。