第八十一話 赤く染まる門
――要塞とは、外敵を拒むための「殻」であり、同時に、一度破られれば内部の者を逃がさないための「檻」へと変貌します。
リガナーヴ砦の堅牢な扉が、マルク・バーダーという一人の男の命と引き換えに開かれた時、そこで勝負は決していました。
戦術も、武勇も、もはや意味を成しません。
なだれ込んでくるのは、友を奪われた怒れる獣たち。
その瞳に宿るのは、理性的な制圧の意思ではなく、ただひたすらに焼付くような復讐の業火です。
守将ヴァルナル・オークランスに突きつけられたのは、戦いの継続ではありません。
それは、単純で、あまりにも残酷な『詰み(チェックメイト)』の宣告です。
全滅か、それとも屈辱に塗れた降伏か。
誇りを守って死ぬか、泥をすすってでも生き延びるか。
どちらを選んでも、待っているのは地獄。
ですが、選ばなければなりません。指揮官という生き物は、最後の瞬間まで、他者の命を背負う呪いにかかっているのですから。
さあ、幕を下ろしましょう。
希望という名の砦が陥落し、冷たい現実が支配する時間の始まりです。
マルク・バーダー隊長の血塗られた亡骸は、リガナーヴ砦の内門前で、ミケ軍の新たな結束点となっていた。
ジギフリット副将軍の慟哭は、一瞬の悲嘆の後、冷酷で狂気的な復讐のエネルギーへと昇華された。
彼の傍らで、レナード大隊長は、マルクの最期を冷静に見つめながらも、その献身に動揺していた。
彼は、自身の冷たい合理的思考では測れない、個人の熱情が持つ力を、改めて目の当たりにしたのだ。
「マルク隊長が死んだのか……リムリアのために戦った闘士だったのに、おお、リムリアよ、なぜだ、我らが友を、何故に奪ったのだ」
レナードの呟きは、彼の感情としては異例の、動揺を含んでいた。
ジギフリットは、その言葉を力に変え、燃え盛るような眼差しで周囲の精鋭たちを見回した。
「ああ、死んだよ!だが、彼はその命と引き換えに、この勝利の門を開いてくれたのだ!全てはリムリアのため、そして友のために」
ジギフリットは、マルクの亡骸を指差しながら、全軍に問いかけた。
その声は、悲しみではなく、覚悟と怒りに満ちていた。
「けれど俺たちは生きている!彼の命を無駄に終わらせるわけにはいかない!マルク隊長の意思を継ぐ者はいるか!みんな」
その問いかけに、中央軍の精鋭たち、そしてリーヴェス副将軍の左翼突撃部隊の兵士たちが、怒号と共に応えた。
「俺たちで継いでやるぜ!」「マルク隊長の忠誠は、俺たちが完成させる!」「タズドットに復讐を!」
マルクの「ずら」という素朴な口調とは裏腹の壮絶な献身は、ミケ軍全体に、合理性を超えた感情的な熱狂を注入した。
ジギフリット副将軍とレナード大隊長を筆頭に、ミケ軍の指揮官たちは、マルクの血の代償を完遂すべく、一致団結するのだった。
門が開いた瞬間から、リガナーヴ砦の内部は、地獄の修羅場と化した。
ヴァルナル・オークランス副将軍と500名のタズドット兵は、背後からの致命的な奇襲という、最悪の事態に直面した。
彼らは、目の前の門を閉ざそうと必死に抵抗し、マルク隊長を討ち取ることに成功こそしたが、それは一瞬の延命に過ぎなかった。
「なんとか敵を撃破したものの……」
タズドット兵たちは、門前で数名のミケ軍兵士を押し返し、一時的な防御線を築いた。
ヴァルナル副将軍も、自ら剣を振るい、必死に部下を鼓舞した。
しかし、彼の部隊が討ち取ったのは、マルク隊長を含めてわずかな数に過ぎず、ミケ軍の1500名という波は、止める術がなかった。
「副将軍!門が開ききりました!敵の第二波が、雪崩を打って入ってきます!」
ヴァルナル副将軍は、絶望的な報告に、戦意の喪失を覚えた。
彼の戦術は「籠城」であり、「内部からの奇襲」という、最も恐れていたシナリオには全く対応できていなかった。砦の堅牢な壁は、もはや無意味となった。
ミケ軍の狂気的な復讐心に満ちた怒号が、砦内部に木霊する。
ジギフリットの部隊は、マルクの血を眼にしており、一切の容赦なく攻め込んできた。
ヴァルナル副将軍は、周囲を見渡した。抵抗を続ければ、部下500名は全員が犬死にする。
セシェスで布告された「虐待の許可」を思えば、捕虜となることも地獄だが、無駄な抵抗は、さらに苛烈な報復を招くだけだった。
彼は、自身の武力と統率力が、レイ将軍の冷徹な知略とジギフリットの圧倒的な勢いの前には、全く通用しないことを悟った。
ヴァルナル副将軍は、重い剣を下ろし、疲弊しきった部隊に向けて、絶望の命令を下した。
「……全軍、武器を捨てよ。降伏する。それしかない、タズドットよ、すまない」
彼の部下500名は、もはや戦う気力も残っておらず、その命令に安堵と屈辱が混ざった複雑な表情を浮かべた。
ミケ軍の先鋒が彼らに詰め寄る。ジギフリット副将軍が、怒りの余韻を残した表情で、ヴァルナル副将軍の前に立った。
「お前達、降参するのか」
ジギフリットの声には、勝利の歓喜よりも、マルクの死に対する冷たい怒りが滲んでいた。
ヴァルナル副将軍は、項垂れながらも、タズドットの副将軍としての最後の義務として、答えた。
「ああ、降参する。 これ以上の戦闘は、無益な犠牲を増やすだけだ。我々は、レイ将軍とミケ軍の圧倒的な力と策略の前に、完敗を認める。ああ…タズドットよ、すまない」
ヴァルナル副将軍と配下500名は、リガナーヴ砦という最後の希望と共に、屈辱的な降伏を受け入れた。
この降伏は、セシェス奪還を目指したタズドットの最初の反撃が、マルク・バーダー隊長という一人の兵士の命と、ミケ軍の冷酷な合理性によって、完全に打ち砕かれたことを意味していた。
リガナーヴ砦は、ミケ軍の支配下に落ちたのである。
「マルク、勝利したぞ、やったんだ、俺たちは勝ったんだ、地獄でまた会おう、いや、天国だ、お前は天国に行け、俺たちはまだ戦場という地獄を潜り抜けてやる」
ジギフリット副将軍はレナード大隊長と共にほろ苦い勝利を喜ぶのであった。
戦場に走る、熱風が涙を乾かして、勝利の情熱が全身を覆う、我らの勝利だ、大勝利。
はい、というわけで、リガナーヴ砦陥落。決着でございます。
「降伏」。
一見すると、命を守るための賢明な判断に見えます。ヴァルナル副将軍は、これ以上の流血を避けるために、プライドを折って剣を置きました。
ですが、物語の視点から言わせてもらえれば、それは「早まった」かもしれませんね。
死ぬことだけが、敗北の最悪の形ではないのです。
むしろ、死んで楽になることを許されず、生かされたまま勝者の慈悲(という名の管理)の下に置かれることこそが、本当の地獄の始まりだったりします。
特に、今のミケ軍を見てください。
彼らはただの勝利者ではありません。愛すべき同志・マルクを殺され、復讐心で内臓まで煮えくり返っている集団です。
ジギフリット副将軍のあの冷たい目。あれは、ただ「勝った」目ではありません。「どうやって償わせようか」と値踏みする目です。
500名の捕虜たち。
彼らは命を拾ったのか、それとも、死ぬよりも辛い運命を拾ってしまったのか。
セシェスの「虐待の許可」なんて不穏なワードも飛び交っていましたし、彼らの明日は、曇天どころか漆黒の闇でしょう。
戦いは終わりましたが、本当の「蹂躙」はここからが本番です。
剣を捨てた人間に、もはや抵抗権はありませんからね。
次回、勝者が敗者をどう料理するのか。
マルクの死の代償は、果たしてタズドット兵たちの命だけで足りるのでしょうか?
――震えてお待ちください。生き地獄の扉は、今、閉ざされた砦の中で静かに開きましたよ。




