第七十七話 勝利が約束された日
――それは、最悪の『停滞』を選んだ瞬間だったと言えるでしょう。
タズドットの兵たちは、ミケ軍という圧倒的な暴威を前にして、思考を放棄しました。
彼らが選んだのは、リガナーヴ砦への籠城。
「守り」と言えば聞こえはいいですが、その実態は、ただ死刑執行までの時間をわずかに引き延ばすだけの、無意味なあがきに過ぎません。
彼らは知りません。
その石造りの壁が、自分たちを守る盾ではなく、逃げ場を塞ぐ『棺桶の蓋』であることを。
迫りくるのは、燃え盛る野心を瞳に宿したジギフリットと、慈悲なき合理性を振るうレイ将軍。
この二人にとって、砦の厚みなど薄紙一枚にも劣ります。
ここには、運命を書き換える少年はいません。
時を戻す奇跡も、都合の良い英雄も現れません。
あるのは、物理的で、不可逆な、圧倒的な暴力のみ。
一度きりの命が、石壁の中で無慈悲にすり潰されていく音だけが、セシェスの空に響き渡ることになるのです。
さあ、始めましょう。
希望という名の皮を被った、残酷な蹂躙劇を。
セシェスの新政権がタズドット軍の撃退を要請するという前代未聞の事態を受け、中央軍の指揮官ジギフリット副将軍は、この「裏切り者」たちを叩き潰すべく、意気揚々と部隊を率いて出陣した。
彼の瞳は、冷たい勝利と熱い野心に燃えていた。
しかし、ミケ軍の精鋭たちがセシェス近郊に展開したとき、彼らを待ち受けていたのは、真っ向からの戦闘ではなかった。
ヨアキム大将軍の派遣したタズドット救援部隊は、ミケ軍の冷徹な速さと残虐性を警戒し、セシェスからほど近い戦略的要衝、リガナーヴ砦へと全軍が籠城するという、防御優先の戦術を選択したのだ。
「まさか、奴ら……リガナーヴ砦に籠るとは!」
ジギフリットは苛立ちを隠せなかった。ミケ軍が望んでいたのは、野戦での一撃離脱による完全勝利と、タズドット軍の士気の決定的な破壊だった。
腰にかけていた神滅霊剣を上下に揺らして、イライラするジギフリット副将軍なのであった。
しかし、500名のタズドット兵が難攻不落の要塞に立てこもるという展開は、ミケ軍の電撃戦の優位性を一時的に削ぐ、戦術的な停滞を意味していた。
この籠城は、「セシェスの住民を救出する」という大義名分を掲げたタズドット軍が、その第一歩で籠の中に閉じこもるという、何とも皮肉な状況をミケ軍に突きつけた。
リガナーヴ砦への籠城という事態は、作戦の即時的な変更を要求した。
タズドット軍が砦に立てこもる限り、ミケ軍のセシェス支配は常に脅威に晒され、レイ将軍の次の戦略(タズドット本国への圧力)を実行に移すことができない。
レイ将軍は、事態を素早く分析し、短期決戦による砦の早期陥落を決意した。
彼は、自ら総大将となり、ミケ軍の主力となる1500名の精鋭部隊を編成し、リガナーヴ砦へ向けて出撃することにした。
「籠城兵は500名。我々の戦力は1500名。兵力差は三倍だ。数だけの問題ではない。士気、武力、合理性において、我々が圧倒している。ここで籠城を許せば、タズドットは『リガナーヴは落ちない』という希望を持つ。その希望を、我々は即座に打ち砕かねばならない。そうすればリムリアのためになるかもしれねぇ…」
レイ将軍の命令は冷徹で明確だった。
この攻撃の目的は、砦を落とすだけでなく、タズドットの指導層に「ミケ軍からは逃げられない」という絶対的な恐怖を植え付けることにあった。
ミケ軍の主力である1500名の部隊は、レイ将軍を先頭に、ジギフリット副将軍の中央軍と、リーヴェス副将軍の左翼の突撃に特化した部隊を中心に編成された。
ビテン副将軍の部隊は、セシェスの治安維持と徴兵の監督という、苛烈な占領行政のためにセシェスに残された。
リガナーヴ砦攻撃の最前線に立つことになったジギフリット副将軍は、この籠城戦という展開にこそ、己の武力と功名心を発揮する最大の機会を見出した。
彼は、レイ将軍の命令を背に、集結した1500名の精鋭たちを前に、強く、そして熱狂的に宣言した。
「我が精鋭たちよ、よく聞け!奴らは自ら閉じこもり、恐怖と怠惰の殻に隠れた!しかし、要塞とは、逃げ込む場所じゃない、あいつらの巨大な墓標にしてやるんだ!俺たちの活躍は全世界が注目し、全国民が見届けているぞ!」
ジギフリットの瞳は、まるで内燃機関のように熱く燃え盛っていた。
「我々は、あの鉄の檻を、奴らの血と肉で満たす!500名が籠る砦など、我々1500名の力と怒りの前には、瞬く間に崩れ落ちる砂の城にすぎない!レイ将軍の計画は絶対だ!我々の勝利は既に決まっているんだ!」
彼は、武具に手を叩きつけ、金属音を響かせた。
「何としても勝利するぞ!このリガナーヴ砦の陥落こそ、タズドット全土に、ミケ軍の力と、旧体制の終わりを、最も明確に告げる狼煙となる!」
ジギフリットの力強い宣誓と、レイ将軍の冷徹な指揮の下、ミケ軍の1500名の精鋭部隊は、地の底を揺るがすような行進を開始した。
彼らの目的は、籠城する500名のタズドット兵を打ち破り、セシェスの運命を決定づける最終的な武力行使を完遂することにあった。
リガナーヴ砦は、まもなく血と炎に包まれようとしていた。
はい、というわけでリガナーヴ砦攻防戦、開幕前夜でございます。
「籠城」。それは弱者が選ぶ、最も愚かで、最も緩やかな自殺の別名に過ぎません。
500名のタズドット兵は、リガナーヴという石造りの棺桶に逃げ込むことで、一時的な安寧を得たつもりでいることでしょう。
ですが、彼らが稼いだのは「生存の時間」ではありません。自らの恐怖を熟成させ、絶望の味を深めるための時間でしかないのです。
扉の向こうで待ち受けるのは、功名心という名の業火に焼かれた獣・ジギフリット。
そして、盤面上の駒を感情なく削ぎ落とす、氷のような合理性・レイ将軍。
熱狂と冷徹。炎と氷。
逃げ場のない閉鎖空間で、この二つの圧倒的な殺意に挟まれた時、人は一体何を祈るのでしょうか?
「慈悲」か? 「奇跡」か?
――残念ですが、ミケ軍の辞書に、そのような甘美な言葉は記されていません。
要塞とは、守るための盾ではなく、逃げ場をなくすための檻へと変わる。
次回、語られるのは戦いではありません。一方的な蹂躙と、必然の破壊です。
どうか、目を背けないでくださいね?
積み上げられた石垣が崩れ、希望が砕け散るその瞬間こそが、この物語の醍醐味なのですから。
――震えて待て。絶望は、もう扉に手を掛けている。




