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GREAT HISTORY〜大史伝〜  作者: アイラル
第三部 ミケ将軍タズドット侵略編

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第七十六話 正義の拒絶

――正義は、いつも少しだけ遅れてやって来る。

そして、その「少し」が、人を救えなくする。


この物語に登場する救援軍は、確かに正義だった。

掲げる理念も、掲げる旗も、歴史書に記される名目も、何一つ間違ってはいない。

だが――間に合わなかった。


恐怖が秩序を築き、暴力が日常となり、

人々が「生き延びるために尊厳を捨てる」選択を終えた後で、

正義はようやく馬を進めたのだ。


その時、民はもう祈らなかった。

救われることを望むより、罰せられないことを願う方が、

遥かに現実的だと知ってしまったから。


この物語に英雄は現れない。

あるのは、合理と恐怖、そして「正しかったはずのもの」が

最も残酷な形で裏切られる瞬間だけだ。


――これは、悪が勝った話ではない。

正義が“遅すぎた”というだけの、ありふれた悲劇である。


だが、その悲劇こそが、

世界を最も確実に壊していく。

 タズドット本国からヨアキム・イェンソン大将軍による救援部隊が派遣されたという報は、遅れて、そして歪んだ形で、ミケ軍の苛烈な支配に苦しむセシェスへと届いた。


 そのニュースは、希望の光とはならず、むしろ痛烈な皮肉として、住民の心に突き刺さった。


 彼らは、ミケ軍の三布告(略奪、徴兵、虐待)の下で、馬車馬の如く扱われる屈辱的な日々を送っていた。


 タズドット軍が「救援」に現れるという知らせは、彼らにとって、「今更」という激しい怒りと「見世物」にされる屈辱を再認識させるだけだった。


 強制労働の現場、そして荒廃した市街地の隅々で、住民たちの間で、絶望に満ちた声が交わされた。


「タズドットが助けに来るだと?今更か!この惨状を、一体誰に見せろというのだ!」


 ある老人は、ミケ軍に略奪された自宅の瓦礫を見つめながら、虚ろな目を上げた。


 彼が最も恐れたのは、故郷の軍隊に、自分たちが家畜のように扱われ、尊厳を失った姿を見られることだった。


 タズドットの無関心と怠慢が、この地獄を生み出したのだ。


「我々が最も苦しんでいた時、タズドットはどこにいた?アルフォンス地方官の傲慢な油断が、全てを崩壊させた!今、命がけで我々を『救い出す』など、何の慰めにもならない!」


 彼らの心は、ミケ軍の恐怖と、タズドットの見捨てられたという感情によって、既に二重に蝕まれていた。


 タズドットは「守護者」としての役割を放棄した。故郷の軍隊の出現は、彼らの見捨てられたという過去の痛みを、無慈悲に引き戻す行為だった。


「ああ、正義は何処に……。我々にとっての正義は、最早、生き延びることだけだ。そして、今、我々を確実に『生かしている』のは、ミケ軍の鉄鎖なのだ!」


 住民たちの意識は、「善悪」ではなく、「生存」という、究極の現実に支配されていた。


 彼らの敵は、既にミケ軍から、この地獄を生み出したタズドットの旧体制へとすり替わっていたのだ。


 この住民たちの絶望的な反転感情を、最も敏感に察知し、利用したのが、ミケ軍によって新地方官に任命されたバート・ミュルバリだった。


 彼は、自身の「時勢を見極める知性」を最大限に働かせた。


 バートは、レイ将軍の執務室へと駆け込んだ。


 彼の立場は、最早タズドットの元配下ではない。彼は、ミケ軍の代理人であり、セシェスという船の新しい船長だった。


「レイ将軍!大変です!タズドットの救援部隊が、このセシェスに向かっているとの報告が入りました!」


 バートの表情は、一見、焦っているように見えたが、その瞳の奥には自己保身のための冷徹な決意が宿っていた。


 彼は、タズドット軍の到来が、自分の新体制を危うくすることを理解していた。


 そして、彼は、この地の住民の切実な声を盾にし、最も皮肉な要請を、レイ将軍に突きつけた。


「住民たちは、タズドット軍の無策による裏切りを激しく非難しております!彼らは、今更タズドットの支配下に戻ることを拒否しています!このままでは、住民たちが反乱を起こしかねません!」


 バートは、居住まいを正し、ミケ軍への絶対的な忠誠を示すかのように、深く頭を下げた。


「どうか、レイ将軍に頼んで追い払ってもらわなくてはなりません! この地の新しい秩序と住民の安全を守るため、我々の支配を揺るがすタズドットの救援部隊を、撃退していただきたい!ミケ軍の武力で、『旧体制の亡霊』を完全に払いのけていただきたいのです!」


 バートの要請は、タズドットに対する究極の裏切りであり、ミケ軍の政治的勝利の完成を意味していた。


 レイ将軍は、この展開を予想していたかのように、椅子に深く腰掛けたまま、その七三分けの黒髪を微動だにさせなかった。


 彼の冷徹な表情には、満足感と、計画の完璧な実現への確信が浮かんでいた。


「よろしい、バート地方官、あなたの判断は、極めて合理的ですね」


 レイは静かに頷いた。


 彼は、セシェスの住民が、タズドットの救援軍を「解放者」ではなく、「自分たちの絶望を生み出した過去の亡霊」として拒絶する――という、最も残酷で、最も効果的なシナリオを、恐怖と合理性の支配によって実現させたのだ。


 セシェスは、もはやタズドットの植民地ではない。


 それは、ミケ軍の鉄鎖に繋がれ、自らの過去の宗主国を撃退するという、歴史的な皮肉を演じる舞台となった。


 レイ将軍は、この裏切りと絶望の連鎖こそが、タズドットを内部から崩壊させる最も強力な武器となることを確信していた。

セシェスの民が恐れたのは、ミケ軍ではない。

恐怖には、慣れることができる。

人は、鞭の痛みよりも、その後に与えられる水と食料を覚えてしまう生き物だ。


彼らが本当に怯えたのは、

「今更現れて、すべてを元に戻そうとする正義」だった。


なぜなら、正義は責任を取らない。

救援軍は撤退し、将軍は昇進し、報告書は美しく整えられる。

だが、家畜のように働かされた日々と、

人として扱われなかった記憶だけは、誰も回収してくれない。


だから彼らは選んだ。

解放ではなく、支配を。

希望ではなく、確実な恐怖を。


――少なくとも、恐怖は約束を守るからだ。


レイ将軍は悪として語られるだろう。

残虐で、冷酷で、非情な男として。

それは正しい評価だ。反論の余地もない。


だが、彼が最も評価される点は、

人々に「選ばせた」ことではない。

 「選ばざるを得ない状況を、完璧に整えた」ことだ。


正義は遅れ、恐怖は先に手を差し伸べた。

その違いは、たった数日。

――だが、世界をひっくり返すには、十分すぎる差だった。


もしも、あと少し早ければ。

もしも、あと少し優しければ。

もしも、あと少し覚悟があれば。


そんな「もしも」は、歴史書には載らない。

なぜなら、歴史とは――

勝者が安心して眠るために書かれるものだからだ。


そして今日もまた、どこかで誰かが言う。


「我々は、正しいことをした」


その言葉が、

次の地獄の始まりであることを知らぬまま。


――物語は、ここで終わる。

だが、同じ過ちは、決して終わらない。

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