第七十二話 独立布告
この物語は、一人の将が抱えた理想と狂気、そしてその影で蠢く権力者たちの思惑が交錯する戦記である。
舞台となるセシェスは、長らくタズドット本国の支配に縛られてきた植民地であり、その日常は惰性と腐敗によって形を保っていたにすぎない。だが、ひとたび“新しき秩序”を掲げる者が現れれば、その均衡は脆くも崩れ落ちる。
ミケ将軍――反逆の象徴にして、旧時代の権威を嘲笑う男。
レイ将軍――冷徹な合理と静かな慈悲を併せ持つ炎の戦略家。
ジギフリット副将軍――燃える忠誠を胸に抱き、己が信じた主の覇道を重ねる切り札。
彼らがセシェスへと歩を進めた時、植民地の運命は既に決していた。
その日、タズドットの威信は自壊し、
弱き者は新たな支配者の前に再び膝を折り、
そして歴史は、静かに――だが確実に色を変える。
これは、ただの征服譚ではない。
これは、一つの布告を皮切りに始まる、
「世界の形」を書き換える戦いの序章である。
夜間の戦闘の痕跡が残るセシェス地方官邸の中庭。
その中心に据えられた簡素な布告台の上で、元タズドット軍の大隊長、そして今はミケ軍が据えたバート・ミュルバリ新地方官が、震える声で歴史的な文書を読み上げていた。
彼の顔には、恐怖と、新たな権力の波に乗ろうとする日和見的な決意が入り混じっていた。
周囲を取り囲むのは、タズドット軍の捕虜となった官僚たち、そして彼らを冷酷に見下ろすジギフリット副将軍の中央軍精鋭たち。
夜明けの冷たい光が、バートの持つ文書を照らし出し、そこに記された文字の重みが、この植民地の運命を決定づけた。
「本日をもって、この植民地セシェスは、タズドット本国との全ての政治的、軍事的、経済的な隷属的関係を破棄することを、厳粛に、そして不可逆的に宣言する!我々は、タズドットの旧態依然とした支配を終結させ、ミケ将軍が示す新しい秩序の下に組み込まれることを、ここに内外に布告する!」
バートの声は、最初はか細かったが、支配者の権威を否定し、新たな権威を宣言するにつれて、自己保身からくる一種の狂気的な確信を帯びていった。
これは、単なる領土の移動ではない。タズドットが長年、威信と虚飾によって維持してきた植民地システムの核心が、バートという日和見主義者によって、自らの手で引き剥がされる瞬間だった。
この劇的な布告を見守るミケ軍の指揮官たちの中で、ジギフリット副将軍は、最も深く、そして冷酷な満足感を噛み締めていた。
レイ将軍の傍らに立つ彼の瞳は、夜明けの光を反射し、澄んで綺麗な青色をしていたが、その奥では熱く燃えたぎる炎が揺らめいていた。
「ハッ……!今日から、ミケ将軍に従うんだなあいつら!」
ジギフリットは、喜びを隠すことなく、ニンマリと笑う。彼の笑みは、勝利の熱狂だけでなく、人間の弱さを見抜いた者特有の傲慢さに満ちていた。
昨日まで、アルフォンス地方官の「威信」にひれ伏していた下級官僚やタズドット兵が、今、ミケ将軍の武力という新しい現実の前で、いかに簡単に服従し、主を変えたか。
彼は、捕虜となったタズドットの官僚たちを一瞥した。彼らの顔に浮かぶのは、恐怖と新体制への順応という、見苦しいほど人間的な感情だった。
「レイ将軍の策は見事だ。我々が流す血を最小限に抑え、敵の官僚自身に敵の支配を終わらせる宣言をさせるとは。これで、セシェスの人々は、新しい支配者が『タズドットの腐敗を正した者』だと認識する。我々の戦いは、物理的な征服に留まらない。精神的な支配の完了だ!」
ジギフリットの心の中で燃え盛る炎は、私腹を肥やす欲望だけでなく、ミケ将軍の教義――古い権威は全て無価値であり、力と合理性によって新しい世界秩序を築く――という狂気的な理想への、絶対的な確信だった。
彼の勝利は、新しい時代が到来したことの、ゆるぎない証だった。
その隣で、レイ将軍は、バート地方官の震える声と、ジギフリットの満足げな笑みを、一歩引いた場所から静かに観察していた。
彼の表情には、高揚感や感情的な喜びはなく、ただ計画が完全に、そして無駄なく実行されたことへの冷徹な達成感だけがあった。
レイの戦略は、セシェスを単なる略奪の対象とするのではなく、タズドットへの外交的、戦略的な布石として利用することにあった。
バートという実務家を据えることで、セシェスの行政機能を維持し、ミケ軍は占領に貴重な人員を割く必要がなくなった。
彼は、バートが読み上げた宣言文書の響きが完全に消えるのを待ってから、静かにジギフリットに囁いた。
「これで、我々はタズドットに対し、二つの打撃を与えた。一つはギーラピでの軍事的な優位性、もう一つはセシェスでの政治的な権威の剥奪だ。この布告が、タズドット本国に届くころ、彼らは我々の力を、単なる反乱軍としてではなく、国家の存亡を脅かす、新しい力として認識せざるを得なくなる。」
レイ将軍は、セシェスを対タズドット戦略の橋頭堡として完全に確保した。
彼の思考は、既にセシェスの統治ではなく、この勝利によって動揺したタズドット本国の指導層、特に彼らが依存する黄金同盟の対応へと向けられていた。
この布告の瞬間、ミケ軍は単なる軍事組織から、一つの領土を支配する、無視できない政治勢力へと変貌を遂げたのである。
セシェスを巡る戦いは、一見すればひとつの布告と、わずかな抵抗の果てに終わったように見える。
だが実際には、これは幕開けにすぎない。
ミケ軍が掲げる新しい秩序は、旧世界の権威を否定し、
タズドット本国が積み上げてきた支配体制を土台から崩し始めた。
ジギフリットは勝利の熱狂の中で理想を確信し、
レイは静かに次の局面を読み、
そしてタズドットは、ようやく気づくことになる――
一つの反乱軍と思っていた勢力が、
国家の根幹を揺るがす“新たな政治勢力”に化けていたことに。
セシェスの布告は、ただの宣言ではない。
これは、本国の中枢にまで届く、最初の「警鐘」であり、
同時に次なる戦火への「導火線」でもある。
この静かな夜明けが、
どれほど大きな破局を招くのかを、
今はまだ誰も知らない。
――物語は続く。
そして、世界はまだ変わり続ける。




