第六十五話 血の盟友
――戦場は、いつだって誰かの“選択”の上に成り立っている。
だが、そのどれほどが本当に正しかったのか。
そのどれほどが、本当に望まれた未来だったのか。
答えを知る者は、誰一人としていない。
セシェス攻略作戦の前夜、ミケ軍最前線の野営地で灯る火は、
遠い空の星々よりも不吉に揺れていた。
その熱は、希望か、それとも破滅の兆しか。
それすらも、今の彼らには判断できない。
この夜、レイ将軍は“確信”を抱いていた。
それが勝利へ向かう道なのか、
それとも取り返しのつかない破滅へ続く道なのか――
未来は誰にも見えないまま、ただ静かに運命だけが進んでいく。
そして、その運命の歯車の中心にいるのが、
ジギフリットとレナード、二人の男だった。
血と信頼で結ばれた彼らは、互いの背中を預けるために生まれたかのように、
迷いなく肩を並べる。
だが、その絆ですら、まだ知らない。
彼らが背負うことになる未来の重さを。
――生き残る誓い。
――果てなき渇望。
――宿命に立ち向かう意志。
それらすべてが、まだこの野営地の炎の中で燃え始めたばかりだ。
血の盟友の物語は、ここから始まる。
誰かが死に、誰かが裏切り、誰かが願いを叶えるその瞬間まで――
何度でも選び直すことになる運命の戦場が、
静かに口を開けようとしていた。
ブヌの地でアンセルム大隊長が紅茶の心配をしている頃、遥か離れたミケ軍の最前線野営地では、セシェス攻略のための最終会議が開かれていた。
テント内には、松明の熱気と、成功への熱狂が渦巻いていた。
レイ将軍は、地図が広げられたテーブルの前に立ち、七三分けの黒髪を指で何度も丹念に撫でて整えた。
彼のこの仕草は、計画が完璧であることへの、彼自身の冷徹な確信の表れだった。
彼は、周囲を見回すこともなく、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで宣言した。
「今回、我々はタズドットの植民地の一つに数えられるセシェスを襲い、手に入れます。ギーラピでの勝利と、その後の外交的状況は、この計画に『正当な反撃』という最高の鎧を与えてくれました。タズドット軍の戦力がギーラピで大きく損耗している今が、千載一遇の好機です。質問はありますか」
レイの声は低いが、その言葉の一つ一つには、勝利と略奪という甘美な報酬が隠されていた。
それに対し、中央軍の指揮官であるジギフリット副将軍は、前のめりになって力強く答えた。
彼の顔は興奮に上気し、ミケ将軍の教義に染まった貪欲な熱意を隠そうともしなかった。
「特にありません!絶対手に入れてやりましょう!」
ジギフリットの返答は、単なる命令への服従ではない。
それは、暴力的な勝利によって自らが富と地位を得るという、自己の欲望への絶対的な肯定だった。
これにはレイ将軍も満足した。
彼は口元に薄い笑みを浮かべた。
彼の計画は、部下の狂気と欲望によって完璧に支えられている。
セシェスは、この貪欲な蛇と、それに付き従う精鋭たちにとって、最高の獲物となるだろう。
レイ将軍がセシェス攻略の計画を閉じ、テント内の熱気が一段と高まった頃、ギーラピの勝利の立役者であるレナード大隊長が、野営地の冷気と共に作戦テントに滑り込んできた。
中央軍の指揮官ジギフリット副将軍は、レナードの姿を見るや否や、先ほどの緊張感に満ちた表情を一変させ、心からの笑顔を見せた。
ジギフリットは、レナードの戦術眼と、魔弾による「一点突破の決定力」を誰よりも深く信頼し、敬愛していた。
レナードもまた、ジギフリットの卓越した統率力と、いかなる困難にも臆さない胆力を、ミケ軍随一と認めていた。
レナードは、まるで幼馴染にじゃれつくかのように、何の躊躇もなくジギフリットの背後に回り込み、がっしりと彼の肩を組んだ。
二人の体格は異なるが、組まれた肩からは、戦場で互いの命を預け合ってきた者にしか通じない、鉄のような信頼感が伝わってくる。
「おい、ジギフリット!もう次の狩りの獲物を品定めしていたのか?」
レナードの声には、血腥い戦場を共に生き抜いてきた者同士の、飾らない親愛と、心からの揶揄が込められていた。
「ハハッ、レナード!貴様は相変わらず血の匂いをさせているな!」
ジギフリットは、レナードの腕を掴み返しながら、声を上げて笑った。
「そりゃ、貴様のように後方で優雅に作戦を練っているわけにはいかないからな。だが、これで俺たちの手は完璧に繋がった。今期一番の出世頭様が『問題無し』って言うんだ。貴様の完璧な計画と俺の決定力が組み合わされば、セシェス攻略など、時間の問題だろうよ!」
レナードは、ジギフリットの急速な昇進を素直に褒め称えた。ミケ軍では、実力と功績こそが全てであり、レナードもジギフリットも、その競争の激しさを楽しんでいるのだ。
「ああ、任せてくれ!貴様が血塗れで持ち帰ってくれたギーラピの報告書のおかげで、タズドットの防衛線は紙切れ同然だ。レイ将軍の計画は完璧。あとは俺たちが、その勝利の収穫を確実に手に入れるだけだ!」
ジギフリットは、レナードの顔を真っ直ぐに見つめ、力強く、そして心底から信頼を込めた笑顔を浮かべた。
その表情は、彼らが単なる同僚ではなく、この狂気に満ちた戦場で互いの命を預けられる唯一の盟友であることを示していた。
「なあ、レナード。戦場では何が起こるか分からないが……絶対生き残ろうな。俺たちが生き残って、ミケ将軍の野望を叶えるんだ」
ジギフリットの言葉は、単なる希望ではない。
それは、ミケ将軍の勝利という共通の目標と、その後の最高の褒賞という現実的な利害によって裏打ちされた、固い誓いだった。
レナードは、肩を組んだまま、熱い眼差しを返した。
「当たり前だろ、ジギフリット。俺たちの武力と知力が、この戦乱で潰えるはずがない。お互いの命は、俺たちが責任を持って守り抜くさ」
二人の間の友情と決意が、作戦テントの中に確かな熱を生んだ。
彼らは、セシェス攻略という巨大な作戦を、「共に生き残り、共に富を築くための、最高の共同事業」として捉えていたのだ。
彼らの信頼関係こそが、ミケ軍の常識外れの強さの秘訣だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回の物語では、ジギフリットとレナード――
互いの背中を預け合う二人の絆が、はっきりと形を成した回でした。
ただ、それは同時に、
彼らが“選んでしまった未来”を確かなものにした瞬間でもあります。
強く結ばれた絆は、時に力となり、
時に逃れられない鎖にもなる。
彼らはまだ気づいていません。
戦場という場所では、
正しいと信じた決断が、後に残酷な代償を求めてくることを。
仲間を思う気持ちさえ、未来の悲劇の引き金になることを。
レイ将軍の睨む先には勝利があり、
ミケ軍の胸には野望が燃え、
セシェス攻略へと進む戦の歯車は迷いなく回っていく。
しかし――
歯車が回るということは、
いつか誰かの指を巻き込み、血を流すということでもある。
それが誰の血で、どんな結末を呼ぶのか。
その答えは、まだ霧の中です。
ただひとつだけ確かなのは、
今回の“血の盟友”という誓いが、
未来のどこかで彼らの運命を強く動かすだろうということ。
続く物語で、その意味が徐々に姿を現していきます。
よければ、次も一緒に見届けてください。




