幕間 ミケ将軍と三地方官の戦いⅡ
ミケ将軍の指示は、夜明けの霧に溶け込むように伝達された。
彼が狙ったのは、一万八千の連合軍の中でも最も油断しがちな、中央の継ぎ目、すなわちクラウス地方官が率いる六千の部隊であった。
クラウス地方官は、もともと戦場よりも政務室で筆を走らせることを好む将であった。
この大規模な会戦自体に乗り気ではなかった彼は、夜が明けてもなお、自分の幕舎の奥で、戦後の領地の収益配分について、延々と頭を悩ませていた。
「この戦で、どれだけの出費と引き換えに、どれだけの利を得るか……」
彼は卓上の計算書に目を落とし、将軍としての役割を完全に忘れていた。
戦場のざわめきが大きくなったことに気がついたのは、彼に仕える老齢の侍従が、血相を変えて駆け込んできた時だった。
「だ、旦那様! 大変です! ミケ軍の急襲です! 敵は中央を突破し、既に千名が……!」
クラウス地方官の頭の中で、計算書が一瞬で灰燼に帰した。
千名。
それは、己の率いる軍の六分の一が一瞬で失われたことを意味する。彼は茫然と立ち尽くした。
「ぐ、馬鹿な……! なぜこんなに早く……!」
クラウスが慌てて鎧を身につけ、幕舎から飛び出した時、眼前の光景は地獄絵図と化していた。
霧の中から飛び出したミケ軍の精鋭部隊が、クラウス軍の中核を寸断し、規律を失った兵たちが悲鳴を上げて四散している。
その混乱の中心で、一人の若き将が、嵐のような剣さばきで敵兵を薙ぎ倒していく姿が見えた。ミケ将軍である。
「た、たった六千のくせに、これほどの狼藉を……!」
憤怒が、クラウスの胸を突き上げた。
彼の失策と遅れた判断が、この千の犠牲を生んだ。
もはや、計算も、臆病風も、彼の頭にはなかった。
あるのは、「ここで敗れては、何もかも失う」という本能的な恐怖と、それを覆い隠すための意地だけ。
「全軍聞け! 生き残った者は、私に続け! 臆病風に吹かれるな! 我々は三倍の数だ! 数の暴力をもって、あの生意気な若造を叩き潰せ! 出陣だ!」
クラウス地方官は、自ら剣を抜き放ち、残りの五千の兵を鼓舞した。
彼の怒号に押され、混乱していた兵たちは何とか陣を立て直し、ミケ将軍の突進を止めにかかる。
六千のミケ軍と、五千のクラウス軍。
さらに、両翼には他の二地方官が率いる一万二千の軍勢が、この異変に気づき、今まさに中央に向けて包囲の網を広げようとしていた。
帳簿に目を落とした一瞬が、一万八千の運命を決した、夜明けの霧に消えた千の命、熟練の将軍が、焦燥の凡将を討つ。




