第百十四話 選ばされた敗北
――命を拾うことが、必ずしも救いになるとは限りません。
死は全ての苦悩を終わらせる絶対的な幕引きですが、生は苦悩を引きずり続ける泥沼の行進だからです。
正しかったはずの判断。
誰よりも合理的で、誰よりも損害を抑えたはずの選択。
けれど、その代償として支払ったものが「誇り」だったとしたら?
かつて誓った錦の御旗は色褪せ、猫のような愛嬌ある語尾は、今や断末魔の悲鳴のように虚しく響く。
さあ、ご覧いただきましょう。
生き残ってしまったがゆえに始まる、敗者たちの終わりのない煉獄を。
タズドットの防衛線が、ビテン副将軍らのミケ軍の指揮官たちの目の前で、無血という最も屈辱的な形で崩壊していく。
城門から武器を捨てた兵士たちが、生き残りの本能に突き動かされ、無秩序な奔流となって逃亡する。
この悲惨な光景は、ラルフ・パーション地方官が降伏という苦渋の決断を下した結果だった。
ラルフ地方官は、この自らが招いた結果を見て、深い絶望と自己嫌悪に沈み込み、残念無念そうにするのだった。
彼の残念無念は、敗北の事実ではなく、自分の論理的な選択が、最悪の形で裏切られたことへの痛恨の念だった。
彼は、ヨン宰相の生き残るように、という命令を拡大解釈し、部下の命と城の資源を無駄な抵抗で失うことを避けた。
しかし、その結果は、資源の完全な喪失と、部下の無秩序な逃亡、そしてミケ軍の冷酷な嘲笑だった。
彼の猫のような口調は、もはや自己を慰める機能を失い、悲鳴のような自嘲に変わっていた。
「当たり前にゃ、降参するのではにゃく、逃げ出すべきだったかもだにゃ。」
彼は、グルナル副将軍の悲劇的な運命を思い起こした。
グルナルは逃げ過ぎで処刑されたが、その逃げ過ぎの部隊は、もしかするとタズドットの奥地で存命しているかもしれない。
(ああ、グルナル様は、 指揮官として逃亡という恥を選んだが、結果として部隊の生命を守れたかもしれないにゃー、それに引き換え、みゃーは降伏という規律正しい道を選び、兵士たちの命の尊厳と城の資源を、ミケ軍の掌中に差し出してしまったにゃ。逃げることは、軍規上の恥だが、捕虜となることは、人間としての耐えがたい屈辱だにゃ。)
ラルフの後悔は、降伏と逃亡という、タズドットの武人たちが直面した二つの地獄のどちらを選んでも、破滅しか待っていないという、絶望的な構造を理解してしまったがゆえのものだった。
ラルフ地方官の感情的な混乱に対し、ドーゲ・ヘルゲソン地方副官は、自己の感情を完全に切り離した、軍事的な合理性をもって反論した。
彼は、ラルフの判断を論理的に肯定することで、敗戦という現実を受け入れようとしていた。
「そんなわけないだろ、ラルフ。」
ドーゲ地方副官は、冷静な視線で、今も河を越えて増援するミケ軍の隊列を見据え、その言葉でラルフを軽く嗜めるのだった。
ドーゲのそんなわけないだろという言葉は、ラルフの感傷的な後悔を戦場の冷たい現実で打ち砕くものだった。
「ラルフ。もし我々が抵抗、あるいは逃亡を選んでいたらどうなっていた?レイ将軍は、グルナル様の二の舞を防ぐため、我々全員を魔術の炎で焼き尽くしただろう。我々が城内で玉砕すれば、兵士たちはもちろん、資源も全て灰燼に帰し、ミケ軍は怒りをもって領土を荒らしたはずだ。」
ドーゲは、最悪の事態と今の状況を冷静に比較し、降伏の合理性を再度述べるのだった。
「降伏は屈辱だが、我々の兵士の一部が無抵抗のまま逃亡できた。そして、城の財宝は失ったが、都市そのものは、戦闘による破壊を免れた。これが、玉砕と徹底的な殲滅を避けた唯一の選択だ。逃亡は、この城にいる全ての人間を、絶望的な追撃戦へと放り込む行為だった、感傷的になるな、我々は、戦力温存というヨン宰相の非情な命令を、最低限、実行したのだ。」
「それが降伏することを正当化には一切ならないにゃ、みゃーはヨン宰相を裏切ったんだにゃー」
そして、かつてを思い出すのだった。
「みゃーは未熟者にゃ、どうやって地方を治めればいいのにゃ」
「ははは、そう難しく考えることはありません、国の為、人の為動けば自然と治ることでしょう、あなたも地方官なら錦旗に恥じぬようにするべきです、それでこそ素晴らしき国となるというもの」
「みゃーの錦旗に恥じないようにかにゃー」
そして、ラルフ地方官は海狸の錦旗を見つめるのだった。
「ミャーは頑張るにゃ」
そして、現在に戻る。
「みゃーはクズにゃ、人間として生きる価値もないクズに成り下がったにゃ」
そして、泣き伏せるのであった、海狸の錦旗は心無しか輝きを失っているように見えた。
錦旗は泥に塗れ、ラルフ地方官の目の色は輝きを失った、全ては絶望というに相応しい、タズドットに英雄はいるのだろうか、この国を救おうとする英雄はいるのだろうか
ドーゲの合理的かつ冷徹な言葉は当然ながら、ラルフの魂の苦痛を和らげることはできなかった。
彼らは、タズドットの指導層が、名誉ある抵抗か卑怯な生存の二者択一であり、かといって、確実に死ぬ抵抗と屈辱的な奴隷化の二つの地獄の間に追い込まれていたことを、最も深く理解している者たちだった。
ラルフ・パーションとドーゲ・ヘルゲソンの敗者の対話は、ミケ軍の冷酷な合理主義が、タズドットの武人哲学を完全に粉砕したことの生きた証拠だった。
彼らは、勝利者の笑い声が響く城内で、誰にも理解されない、自らの選択の重みと永遠の後悔という、冷たい鎖に繋がれることとなったのである。
はい、というわけで!
皆さん、今回のラルフ地方官……辛すぎませんか!?
「みゃーは頑張るにゃ」。
かつての回想シーン、あれは反則です!
若い頃の彼は、本気で国のため、民のために「海狸の錦旗」を掲げようとしていた。その純粋な志が、こんな形でへし折られるなんて。
「みゃーはクズにゃ」。
同じ「にゃ」という語尾なのに、希望から絶望へ。この落差! これぞ人の心が壊れる音です!
そして、隣にいるドーゲさん。
彼は「論理」という鎧を着込んで、必死に自分たちの正当性を守ろうとしています。
「最悪は免れた」「都市は破壊されていない」。
言ってることは正しい。100%正しいんです。
でも、正しさが人を救うとは限らない。
ラルフが欲しいのは「正解」ではなく、「許し」だったのかもしれません。
けれど、ヨン宰相を裏切ったという自責の念は、誰にも消すことができない。
生き地獄。
死ぬことよりも辛い、「生き恥」という名の煉獄が彼らを待っています。
さて、そんな敗者たちが泣き崩れている壁一枚隔てた向こう側で、勝者たちは何を語るのか。
次回、温度差で風邪を引きそうな展開が待っています!
それでは、続きまして次話。
「無邪気な勝者たちの凱歌」へ、物語を進めましょうか!




