第百八話 歴史が渡った河
――「簡単」とは、なんと甘美で、そして呪われた響きでしょうか。
死地へ赴く者が、その道を散歩道と錯覚した時。
そこに待つのは栄光の凱旋か、それとも泥濘への転落か。
高揚する若き猛将と、眉をひそめる老練な副官。
熱狂と冷静。侮りといましめ。
二つの視線が交錯する河のほとりで、賽は投げられようとしています。
さあ、ご覧ください。
彼らが踏み出す一歩が、歴史を塗り替える偉業となるのか。
それとも、ただの「死に急ぎ」として処理されるのかを。
レイ将軍によるタズドット侵攻作戦は、ジギフリット、ビテン、リーヴェスの三人の副将軍に伝えられた後、迅速かつ正確に全部隊へと浸透していった。
命令は明確だった。「国境の河川を渡り、タズドット本国の領土を占領せよ。抵抗は無視して進め。」
そして、作戦が無事に全員に行き渡ったところで、 ミケ軍の征服への意志は、揺るぎない一つの塊となった。
全軍は、レイ将軍の知略とグルナル処刑という敵の無力化を背景に、極度の高揚感と勝利の確信に満たされていた。
この歴史的な渡河作戦の先鋒に指名されたのは、武力と実行力に優れるジギフリット副将軍だった。
彼は、部隊を率いて河岸に立ち、タズドットの土地へと続く冷たい水の流れを見下ろした。
ジギフリット副将軍は、緊張感に包まれた河岸の雰囲気の中で、自身の熱狂的な興奮を抑えきれなかった。
彼は、戦闘そのものを勝利への儀式と捉える楽観的な武人だった。
彼は、渡河作戦という軍事的な重要性を、自己の武功を証明する舞台として捉えていた。
彼は、傍らに立つ経験豊富な腹心、レナード大隊長に、軽口を叩くように話しかけた。
「レナード、聞いたか!今回の作戦は渡河して敵を破るだけだってさ、簡単だな!」
ジギフリットにとって、敵が既に敗走している状況での国境越えは、勝利が約束された、手軽な武功に過ぎなかった。
彼の言葉には、レイ将軍の知略、ミケ軍の圧倒的な武力、そしてタズドット軍の士気の低さへの絶対的な信頼が込められていた。
彼は、「困難な抵抗」がないことに、安堵と、わずかな拍子抜けを感じていた。
しかし、レナード大隊長は、長年の戦場経験からくる慎重さを持っていた。
彼は、「簡単」という言葉が、油断と不測の事態を招くことを知っていた。
特に渡河作戦は、防御側が一瞬でも抵抗すれば、甚大な被害を被る可能性がある、最も危険な作戦の一つだったからだ。
レナード大隊長は、熱狂するジギフリット副将軍の軽率な言葉を、厳しくたしなめるのだった。
「ジギフリット、そんなこと言っちゃあいけねえ。」
レナードの言葉には、以下の二つの懸念が込められていた。
まず第一に、軍規の厳守である、レイ将軍が「油断は許されない」と強調した直後の「簡単」という発言は、軍規を乱すものだった。レナードは、ミケ軍の冷徹な統率を維持する必要性を感じていた。
次に、戦場への敬意である、たとえ敵が弱体化していても、敵の領土に踏み込むということは、常に不測の抵抗の可能性がある。戦場を侮る心は、命取りになりかねなかった。
この熱血漢と経験者の対立は、ミケ軍の多層的な性質、すなわち純粋な武力と冷静な合理性が、レイ将軍の指揮のもとで統合されていることを示していた。
しかし、渡河の時は刻一刻と迫っており、ジギフリットの熱狂は、レナードの懸念を押し流し、タズドット侵攻という歴史の歯車を、確実に前へと進めていくのだった。
はい、というわけで!
皆さん、今回のジギフリット副将軍……見事なまでの「フラグ建築士」ですね!
「簡単だな!」
戦場において、これを口にして無事に済んだ人間はいません。物語の法則で言えば、本来なら最初の矢で射抜かれても文句は言えないレベルの暴言です。
しかし、恐ろしいのは彼の実力が本物であることと、ミケ軍の勢いがそれを「真実」にしてしまいそうなところ。
対するレナード大隊長。
「そんなこと言っちゃあいけねえ」という言葉には、過去に「簡単だ」と言って死んでいった仲間たちへの鎮魂と、目の前の若造への危惧が入り混じっています。
階級はジギフリットが上ですが、戦場の怖さを知っているのは間違いなくレナードの方。
この「実力だけの若き天才」と「経験豊富な古強者」の組み合わせ、燃えますね! 噛み合っていないようで、実は最強の布陣なのかもしれません。
さあ、川を渡ります。
ジギフリットが考えるような「ピクニック」になるのか、それともレナードが恐れる「泥沼」になるのか。
水面の下には、何が潜んでいるのでしょうね。
それでは、続きまして次話。
「プロフェッショナルたちの、静かなる入水」へ、物語を進めましょうか!




