第百三話 片手を挙げる者たち
――「逃げる」という行為に、どれほどの言葉を尽くして飾り立てようとも。
背中に突き刺さる嘲笑と、焼き付いた炎の熱さは、決して消えることはありません。
「故郷へ帰ろう」
それは、兵士を救うための慈悲の言葉か。
それとも、己の心が壊れるのを防ぐための、最後の甘美な逃げ道か。
武人が誇りを捨てて手に入れたのは、「生」という名の泥沼でした。
対して、振り返る勝者たちの姿の、なんと恐ろしく、なんと整然としていることでしょう。
四つの手が天を指す時、それは単なる勝利のポーズではありません。
感情なき合理性が、古い精神論を完全に踏み潰した、冷酷なる支配の完了届。
さあ、ご覧ください。
逃げ惑う敗者の惨めな背中と、それを冷ややかな瞳で見送る、新時代の覇者たちの結束を。
グルナル・ノイマン副将軍は、「死ぬことこそ恥」という、保身のための新たな哲学を掲げ、戦場からの逃亡を決断した。
彼の判断は、一時的な撤退に留まらなかった。
彼の心は、レイ将軍の冷酷な魔術とミケ軍の圧倒的な勢いによって完全に打ち砕かれていた。
「もう、この戦線で抵抗することは不可能だ!ヨン宰相の持久戦の命令も、この圧倒的な武力の差の前では、無意味な血の浪費にしかならない!」
グルナルは、半壊した残存部隊を集め、更なる極端な命令を下した。
「こうなったら故郷まで逃亡してやる! 生き残った兵士全員を戦力として温存し、遠い後方で再起を期す!ここで全滅するより、全てを投げ出してでも故郷へ逃げ帰ることが、国家存続のための最後の手段だ!」
こうして、故郷までグルナル副将軍は撤退することを命じて、部隊を率いて逃走するのだった。
彼のこの行動は、単なる敗走ではなく、タズドットのセシェス戦線における完全な戦線放棄を意味した。
グルナルの「防御と温存」という使命は、最終的に「徹底的な逃亡と無責任な放棄」という、最も悲惨な形で結実したのである。
彼の背後には、炎上する陣地と、勝利に沸き立つミケ軍の冷酷な笑い声だけが残された。
それに対して、行けば勝つレイ将軍側は、まさしく圧勝ともいうべき状況に歓喜するのだった。
グルナルの脆い抵抗と、指揮官自らの逃亡という結末は、レイ将軍の知略の正しさと、ミケ軍の武力の優位性を、明確に証明するものだった。
レイ将軍は、最小限の損耗で、戦略的な勝利と、敵指揮官の精神的な崩壊という、二重の成果を手に入れたのである。
レイ将軍は、自らの冷徹な計算が完璧に機能したことに、深い満足を覚えた。
彼は、特製の『塵忍儀式杖』を軽く振ると、歓喜の言葉を、彼の三人の副将軍たちに向けた。
「やりましたね、ジギフリット、ビテン、リーヴェス。 敵は、我々の予想以上に脆く、そして自己の誇りに囚われていた。」
レイ将軍の言葉は、部下たちへの労いであると同時に、タズドットの旧弊な精神性への嘲笑でもあった。
レイ将軍の言葉を受け、三人の副将軍たちは、最高の士気をもって応答した。
ジギフリット副将軍は、炎を上げ、逃走するタズドット軍を背に、熱狂的な喜びを露わにした。彼の武力は、レイ将軍の策によって、最大限の効率を発揮した。彼は、力強く片手をあげ、雄叫びを上げた。
ビテン副将軍は、冷徹な視線で逃亡するグルナル軍を確認し、勝利の実利的な意味を悟った。彼は、資源と奴隷の確保という行政的な目標が容易になったことに、満足げに片手をあげた。
リーヴェス副将軍は、戦闘の効率に満足し、冷静に戦果を確認しながら、レイ将軍への忠誠を示すかのように、片手をあげた。
三人の副将軍たち全員が、片手をあげて良い反応を示した。
そして、レイ将軍もまた、冷たい知性のうちに熱い情熱を秘めながら、片手をあげて喜ぶのだった。
この四人の指揮官たちによる「片手をあげる」という行為は、単なる歓喜の表現ではない。
それは、タズドットを滅ぼすという共通の目的と、冷酷な実利主義という共通の哲学によって、レイ将軍を中心としたミケ軍の指揮系統が、揺るぎない結束を遂げたことの、象徴的な儀式だった。
セシェス戦線は、ミケ軍の完勝で終わり、レイ将軍の新たな支配が、完全に確立されたのである。
はい、というわけで!
皆さん、今回のグルナル君……まさかの実家(故郷)帰りです!
「死ぬことこそ恥」!
いやあ、言葉だけ聞けば、命を大事にする新しい哲学の誕生に見えます。
グルナル君の場合は「怖いからママのところへ帰る」という、幼児退行に近い全力の逃避!(笑)
「部隊全員を温存する」なんてカッコいいこと言ってますけど、要するに「僕ちゃんもう無理!」ってことですからね。
人間、極限まで追い詰められると、プライドも何もかも脱ぎ捨てて、一番安心できる場所へ走り出したくなる。そのどうしようもない人間臭さ、作者としては大好きです!
そして対照的なのが、レイ将軍と三人の副将軍たち。
四人でビシッと片手を挙げる勝利のポーズ!
これ、想像すると特撮ヒーロー……いや、悪の組織の幹部集合シーンみたいで、めちゃくちゃカッコよくないですか!?
個人の感情で動いて崩壊したタズドット軍と、冷徹なシステムとして機能したミケ軍。
あの一糸乱れぬポーズこそが、彼らの「最強の証明」なんでしょうね。
さて、必死の思いで戦場から逃げ出したグルナル君。
「生きたい」と願って故郷へ走った彼を待っているのは、温かいベッドか、それとも冷たい現実か。
ヨン宰相もまた、胃に穴が空きそうな決断を迫られています。
それでは、続きまして次話。
「逃げ帰った場所にあったのは、断頭台だった」へ、物語を進めましょうか!




