エピローグ 三 焦らない、焦らない
「ふわぅ……よく寝た」
「うん、よく寝てた」
「ところでさ、みやび」
「うん、どしたのあやか」
「もしかして、私、キスされた?」
聞いといてなんだけど、なんだこの質問って感じだった。
寝る前、意識が途切れるその瞬間に、唇にかすかに柔らかさを感じた。
根拠はただそれだけしかなくて。
寝ぼけてたとか、実は指だよとか、否定する想像はいくらでもできたけれど。
なんでか、私の中で、その答えは真っ先にそれにに行きついた。
自分で口にしといて、顔が赤くなる。言葉尻も少し滲む、みやびの顔も少し見つめにくい。
でも、横目に見た君の顔が、少し紅くて、でも心底嬉しそうに緩んでいるのを見て、私は自然と答えを知ってしまう。
「―――うん、したよ」
そう告げるみやびの顔は心底幸せそうで。
恥ずかしさとか、ファーストキスとか、そんなの勝手にとか。
浮かびかけた文句は全部その笑顔にかっさらわれてしまった。
「…………したかったんだ」
「うん、したかった」
堂々としてるなあ、なんか役者の違いを思い知る。そういえば、愛の奇跡を使われてる時も、私ずっと攻められっぱなしだったし。この手の話題でみやびには当分、かないそうにない。
そして、対する私は、顔が今にも焼けて落ちそうなくらいに熱くなってる。このままだと、恥ずかしさが胸の奥から吹きだしてしまいそう。
いや、みやびとはキスよりももっとすごいことしているはずなんだけれど。どうして私はこんな程度のことで今更照れているんだろう。なんて、そう想わなくもないけれど。
でも、みやびから愛の奇跡を受けるとき、私たちはそういう行為は全然してこなかった。
なんでかはわかんない、でも、みやびはそういうとこには決して直接触れようとはしなかった。みやびなりの最後の一線を守ってたのかもしれない。
……つまり普通の恋人がやるような、身体に触れて、キスをするような、そういう行為、私達両方とも未経験。
だから、もちろんこれもファーストキスなわけでして。
「私……初めてだよ?」
「え、そうなんだ。あやかモテそうだから、した事あると想ってた。…………その私も初めてだったし、許して?」
そう言ったみやびはちょっとだけ慌ててた。む、むう、そこまで申し訳なさそうにされたら責めるに責められない。いや別に責めたいわけじゃないんだけれど。
多分、どうにもならない、この恥ずかしさの行き場を探しているだけだ。えと、私はいま、どうしたいんだろう……。
「べ、別にそこは気にしてないんだけど…………」
「そ……そう、よかった」
みやびと二人、そう言って、ちょっとだけ気まずい沈黙が辺りに流れる。
外を見れば、もう日も陰り始めたころ。
多分、お父さんは程なくして帰ってくる。みやびと二人で話せる時間はもうあんまり残されてない。
だから大事なことは今のうちに伝えておかないと行けなくて―――。
ただそれをするには、私の胸の内はもう限界でいっぱいいっぱい。恥ずかしさでそのまま爆発してしまいそう。
だから。
「え、えとね」
「うん」
みやびは少し顔を赤くしたまま俯いてて。
「え、えっちは少しだけ待ってもらっていい?」
「う、うん。なんか話……飛んだね?」
あ、やば。色々と先走っちゃったかな。慌てた頭がぐるぐると回る。眼も一緒に回ってしまいそう。
「そ、そのみやび、したいかな……って」
「うん…………したい」
うう、そんなにまっすぐ目を見て言わないでみやび。恥ずかしさで焼け死んじゃいそうになるからさあ……。
「だ、だよね……で、でもね、あのね。私、は心の準備が必要というか……今も、ほんとは心臓飛び出しそうで…………」
「…………えっちよりすごいこと、私達もうしてない?」
「そ、そうなんだけど…………。それとこれとは、私の中では別の判定というか……」
で、ですよね。わかってる、わかってるんだけどね?
首を少し不思議そうに傾げるみやびに、あわあわと慌てながら口を上手く動かそうとするけれどうまく動かない。
ただそんな私にみやびはくすっと笑みを浮かべると、ゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫、わかってるよ。もうちょっと心の準備がいるんだよね?」
「う……うん、ほんとに申し訳ない…………」
へたれなあやかでごめんなさい。でも、ほんとに、もう少し、もう少しだけ心の準備がいるのです。
「いいよ、でも、一つ聞いていい? ほんとは嫌じゃない? 無理してない?」
そう聞いてくれたみやびの顔は心底、心配そうで、その真剣さが私の情けなさをさらに刺激してしまう。うう、でも、ここで誤魔化すのは違うんだよなあ。
相変わらずみやびはみやびだ。自分のしたいことをしているようで、ちゃんと私のことは見てくれて、気遣ってくれてもいる。奇跡を使ってくる時は、多少強引だけれど、それも結局私が拒んでないからなんだよねえ。
そして多分、私の本当の心の内は、どうせバレてしまっている。我ながら、肝心な時には一切嫌がってないもんね……。
「…………無理してない。嫌じゃない。私も……その……してみたい」
「…………あやか、私と、えっち、してみたいの?」
「………………うん」
「…………そっか、嬉しい」
そういうみやびはしなだれ抱える様に、ソファの上の私にゆっくりと身体を重ねてくる。部屋着越しに感じる柔らかい身体にさえ思わずドキドキしてしまう。あれおかしいなあ、いっつもみやびと触れ合っても、こんなにドキドキしてこなかったのに。
触れ合う部分が熱くって、こすれる部分が柔らかくって、胸の柔らかい部分がお互いに少し重なって、みやびの下着の感覚までわかってしまう。
首元に感じるみやびの吐息が熱くって、少し小刻みに震えてる声で、みやびがすんごい気持ちを堪えてくれるのがわかってしまう。そして、そんなみやびの声が私の奥のむずがゆい部分を、どんどん刺激してきて止まらない。
うう……。これは、やばいなあ。
咄嗟に待ってなんて言っちゃったけど、これ私もしんどいやつなんじゃなかろうか。
「でもね、あやか」
「……うん」
「私、あんまり、長いことは我慢できないかも」
そうやって求められてることが、どうしようもなく嬉しくって、どうしたらいいかわからなくなる。今すぐ受け入れてあげたい気もするけれど、それをするには時間もないし、心の準備も出来てない。
「…………それは、私もそうかも」
こんなの明日とか明後日に、私の方が我慢が利かなかくなっておかしくないよ。
まあ、うん、それはそれでいいかもなんだけど。
問題は私の心臓がそれに耐えられるのかな…………。
だって、みやびといると、ドキドキが止まらなくなる、身体が震えて心臓が意味わかんないくらいに熱くなる。こんなにドキドキして大丈夫かな、本当に死んじゃわないかなって、感じたことのない量の感情がちょっと怖くなるくらい、想いが溢れ出てきて止まらない。
「ね、あやか」
首筋をゆっくりなぞるみたいに、みやびの吐息が私の身体を震わせてくる。身体の奥が熱くて震えて、それだけで息が止まっちゃいそうになる。
「キスは、してもいい?」
みやびの顔がゆっくりと上がって、ソファに寝ころぶ私を見降ろすみたいに覗いてきた。
夏の夕暮れの頃、少し暗くなったみやびの顔はまっかっかで、どこか火照って熱に浮かされたみたいにとろんとしてる。そんな姿があんまりにえっちで、私の方がおかしくなってしまいそう。
声が上手く震えなかった。息が上手くできなかった。
それでも私の思考とは関係なく、首はゆっくりと縦に揺れた。
いいよ、してって。
私も欲しいって。
そう示すみたいに。
それをみやびが見た瞬間に。
次に瞬きしたときには、もう唇が塞がれてた。
熱い。
柔らかい。
濡れてる。
そのまま溶けてしまいそう。
そのままみやびに全部溶かされて、私ごとなくなってしまいそう。
唇がそうやって少し重ねられた後、みやびの舌がゆっくりと私の唇をなぞってく。
水音がする。みやびと私の唾液が混ざる音。
私の中から流れ出たものに、上から覆いかぶさるみやびから流れ出たものが混ざってく。
頭の奥と、身体の奥が、痺れるみたいに熱くなって、どうしようもないくらいに震えてる。
そうやって快感に呆けている間に、柔らかい、でも明確に意思を持った何かが私の中を侵してくる。その事実がまた私の脳を、どうしようもない快楽で揺らしてくる。
みやびの舌が私の舌にゆっくりと、なぞるように絡められて、その感覚だけで頭の奥がちかちかと明滅する。愛と思いに囚われて抜け出せなくなる。
深い、深い、蕩けるような、甘い口づけ。
身体の中に、みやびの身体の一部が解けて入り込んでくる。
他の誰かにされたら絶対拒絶しなきゃいけない行為なのに、相手がみやびっていうだけで、心がおかしくなっていく。身体が、脳が、君に全てを許してしまってる。
それどころか犯されている、大事なところを、身体の内部を明け渡しているっていう事実ですら、ただ、私を気持ちよくさせていくスパイスにしかなってくれない。
ああ、ぜったい今、下着酷いことになってるよ。
だって、もう私の意思とは関係なく、腰が甘えるみたいにみやびのふとももにこすりついちゃってる。柔らかくて熱くって、みやびの脚に切なくなったお腹の奥を解って欲しいみたいにすり寄っちゃってる。
そのまま何度か口内を舐られて、全てなめて溶かされた。何度か痙攣するみたいに、快楽に身体が震えて、それでもみやびは構わず私の口の中を犯し続けた。貪るみたいに、私の中の大事なところ、身体の奥の奥まで、溶かし尽くそうとするみたい。
そうして、どれくらいそういていたかもわからないくらい時間が経って。
もう全部が蕩け切った私から、ゆっくりとどこか名残惜しそうに唇は離された。
みやびと私の唾液が混ざった糸がお互いの間を伝って、みやびが口元を拭った時になる水音さえ官能的に聞こえてしまう。全部が快楽の余韻にしかなってくれない。お腹や足を軽くなぞられる指でさえ、達してしまいそうなくらいに気持ちがいい。
そうやって、しばらく二人で荒れた息だけを交わし合って、快感の残響に身体を震わせる。太ももが情けなく切なさを埋め合わせるみたいに擦り合わせられているけれど、とめるほどの気力はもうどこにもない。
え……キスだけでこんななの?
本当にえっちしたら私、どうなっちゃうんだろう。
なんて思考をしていると、みやびの身体が一瞬びくっと震えた。
なんだろと周囲に意識をやって、そこでやっと遠く向こうで、車が駐車する音が聞こえることに気が付いた。
あ、お父さんが帰ってきたのかな……いつも通りしてないと。
ただ腰を起こそうにも身体はまだ甘い余韻に震えてて、力が上手く入ってくれない。
あれ、口がうまく塞がらない。息すらうまく整えられない。
そんな私を見つめながら、みやびはふっと顔を真面目な調子に戻すと、何事もなかったみたいに身なりを整え始めた。それから、最後にゆっくりさっきまで私と交わしていた唇を私の耳元にゆっくり寄せて。
まるで極めつけだとでもいおうように。
「私はいつでもいいからね―――?」
そう、吐息と一緒に囁かれた。
それだけで、私の身体はまた情けなく痙攣して力が入らくなってしまう。
ダメ、これ、ほんとにおかしくなる。
身体も、脳も、心も全部ダメ。ぐちゃぐちゃで、溶けてしまう。
でも、多分なにより、ほんとにおかしいのは。
そうやっておかしくなる自分を、みやびに好きなように弄ばれていることそのものを、どうしようもなく気持ちよく感じてしまうこと。
次はどんな風になるんだろうって、どこまでおかしくなってしまうんだろうって、頭の奥で、身体の奥で、心の奥で期待してしまうこと。
私の都合で待ってもらったって言うのに、ちゃんとえっちしたらどうなっちゃうのかな、なんて楽しみにしてしまっている自分がいること。
私、ほんとにどうなっちゃうんだろう……。
そう想いながら、足はまだ切なさを埋めるみたいにゆっくり擦りあわされていた。下着の様子はもう見るまでもなくて、なんなら足にそっと雫が伝っていた。
頑張って、気づかれないようにしないと……。
そんなこんなで、お父さんが帰ってきた後も、ちょっと疲れたって言い訳してしばらく横になっていて不思議がられたのは別のお話。
みやびはなんてことはない顔をしてたけど、その日の夜、おやすみの時間にまたキスされて、うまく眠れなくなったのも別のお話。
…………。
大丈夫かなあ?! ほんとにこれっ?!
※
『じゃあ、あやかとはなんか進展した?』
「んー、今日、キスはできたかな」
『あら、それくらい? てっきりもうヤルことヤッテるのかと』
「るいは私のこと色欲魔人か何かだと想ってない……?」
『ほう、違うんか』
「…………いや、ごめん。あんま違わないかも」
『ま、えるも言ってたけど、それも別に悪いことじゃないでしょ。もう心配事もないわけだし、好きにイチャコラしときなさい』
「そうだけど……でもやっぱり、ちょっと不安かも」
『んー、何が? あやかとの関係なら今更心配することもないでしょうに』
「…………だって、私今まで『愛』の奇跡に頼りっぱなしっで、ちゃんとえっちしたことないんだもん。……下手だったらどうしよう」
『………………』
「…………どうだろ、やっぱりちゃんとやり方とかあるのかな。ネットとか見て事前に勉強した方がいい……?」
『初えっちでそんな難しいこと考えてどうすんの。ちゃんと相手の様子見て、話し合いながらしたら大丈夫だよ。どうせお互い必死で上手い下手とか気にする暇ないから』
「そ、そっか……」
『どうしてもやり方気になるんなら、えるに聞きな』
「あれ、るいは教えてくんないの……?」
『私はタチじゃないから多分参考にならん』
「…………タチ?」
『……忘れなさい。ま、そんなことより、海楽しむのが先じゃない? だって、もう明日だろー?』
「だ、だよね。海、海、楽しみだなあ……」
『そだね。で、本音は?』
「あやかの水着姿……外でイチャイチャしても不自然じゃない……」
『いやあ、ほんと見違えるくらい欲望に素直になったね……』
「それは自分でもそう想う……」
『にゃはは、いいこった。んじゃ、まあ明日ね。おやすみ、みやび』
「うん、また明日。おやすみ、るい」
そんなるいとの通話を切って深夜のベランダで一息ついた。
次は海、念願の海。
そしたら後は、あやかの気持ちの準備が出来たらえっちして。
逸る胸はいつまでもドキドキしてて、あやかが寝る直前にしたキスの余韻がまだ唇に残ってる。
ほんとは今すぐ、ベッドに戻ってあやかに抱き着いて、そのままお互い裸になって肌を重ね合わせたいくらいなんだけど。
まだ我慢。焦らない、焦らない。
今はまだ初めて重ね合わせた唇の感覚を、あやかのファーストキスを奪ったこの余韻を少し感じていたいから。
夏の夜蕩けるような甘い余韻に、私は一人、少しだけ震えてた。
焦らない、焦らない。
そう自分にそっと言い聞かせながら。




