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深夜、幼女を拾う 5

 風呂から上がった少女に、自分のTシャツを着せてあげる。ぶかぶかでワンピースのようになっている。


 彼女には訊きたいことが山積みだ。駅前では混乱していたようで、すべての質問に「わからない」と言っていたが、落ち着いた今なら話せるだろう。


 蛍太郎(けいたろう)の部屋。1DKのアパートだ。二人はテーブルを挟んで、向かい合って座る。


「じゃあ改めて……。君、名前は?」


 出してあげたホットミルクを飲みながら、少女は首を傾げる。


「だからわからないんだって」


「そんなことないだろう。自分の名前くらい知ってるだろ」


「でも! ホントにわからないんだもん……」


 もしかして、彼女は嘘をついていないのか。


 知らない相手に名を名乗るのが怖いのかもしれない。けれどここまで来て、その線は薄いと考えられる。


 それじゃあ、本当に名前がわからないということなのだろうか?


 せめて生年月日とか、どこの出身なのかとか、それだけでも手がかりが欲しい。


「年齢は? 何年生まれとかはわからないの?」


「えっと……10、何歳か。誕生日はわかんない」


「今日が何年何日かはわかってる?」


「うーん。平成……」


「令和だよ。平成継続させていいのは、世界の破壊者か時の王者くらいだよ」


 蛍太郎のツッコミに、少女はきょとんとしている。内容がやや複雑だったか。


 しかし、元号すら曖昧になっているとなると、いよいよお手上げだ。ここまで重度の記憶喪失だとは、思ってもみなかった。


「じゃあ、反対にわかることは何かある?」


「うーん……。ここがアタシの知らない街だってことくらい」


 どこか遠くから来たのか。そもそも、何を根拠にそう思っているのか。


「どうしてそれはわかったの?」


「えっと、音、かなぁ。もっと静かだったような気がするんだ」


 この地域は住宅街が多く、それほど騒がしいわけではない。それでも静かに感じられないということは、もっと郊外にいたのか。


 でもそれだけでは、何の手がかりにもならない。身元はわかりそうにない。


 どうしたものか、と蛍太郎は頭を抱える。こんなことになるなんて、思ってもみなかった。記憶喪失の幼女を拾う?


 そんな出来事を人生の想定に入れている人間が、いったいどれだけいるというのか。断言できる、いるわけがないと。


「何か情報ないかな……」


 警察のホームページで、失踪届や行方不明者の情報をチェックする。近い地域から探っていったが、関係がありそうなものは見当たらない。


 実際に警察署を訪ねた方がいいだろうか。だがさっき、嫌がる彼女のために嘘を吐いてしまったばかりだ。今更頼れない。ここで頼ることのできるのが、きちんとした人間なのかもしれないが。


 蛍太郎一人では、どうしようもない。


「本当に、警察には行きたくないのか?」


 訊くと、少女は眉間に皺を寄せた。


「……イヤだ。特に理由はないけど」


 どうするのが正解だろうか。


 悩んでいると、くるる、と小さな音がした。探らなくてもわかる。少女のお腹の音だ。


「腹減ってるのか?」


「うん。多分、なんにも食べてないから」


 それすらも曖昧らしい。もう日付が変わる。夜食を作ってあげようか。


「何か食べるか?」


「うん。お願い」


 とは言え、急な事態だ。備えなんて置いていない。作り置きの料理はなかった。冷蔵庫の中にも、食材はほとんど入っていない。何かを作ってあげるのは難しそうだ。


「ごめんな、これで我慢してくれ」


 今すぐ出せそうなものは、食パンとイチゴジャムだけだ。トーストにして、少女の前に置く。


「へへ。ありがとう、オジサン」


「だからオジサンはやめろ。そんな歳じゃないんだよ」


「じゃあなんて呼べばいい?」


「無難に『お兄さん』とかでいいだろ」


 お腹にものを入れたおかげか、少女の顔がだんだん明るくなってくる。


 それに合わせて口数も増えていった。


「年下の子にお兄さんって呼ばれたいとか、そういう趣味?」


「何でそうなるんだ……。さっきまでもっとしおらしかっただろ」


「うーん。ちょっと調子出て来たかなって感じ、おにーさん♪」


 いざそう呼ばれるとむず痒い。実家には実妹がいるから呼ばれ慣れていると思ったが、他人に呼ばれるのはまったくの別物だった。


「じゃあ蛍太郎でいい。俺の名前は、柏木(かしわぎ)蛍太郎だ」


「けーたろー? ふーん……、じゃあそう呼ぶね」


「俺は君のことを何て呼べばいいんだ? 名前がわからないとは言え、呼び名が決まっていないのは不便だろ」


 少女はしばし首を捻る。本名をなんとか思い出そうとしているのか、それとも呼び名だけでも決めようとしているのか。


 待っていると、何かを呟き始めた。


「――――マ」


「何か言ったか?」


「タマ。そう呼ばれていたような気がする……」


 猫みたいな名前だなぁ。本当にそう呼んでいいのか、疑問に思う蛍太郎。口にするのがやや憚られる。


 しかしこれが本名に由来するあだ名であれば、彼女の素性を知る手がかりになる。


「わかった。タマって呼ぶよ」


「うん。よろしくね、けーたろー」


 少女、改めタマは、初めて笑顔を見せた。ここまで明るさが戻れば、今のところは大丈夫だろう。


 呼び捨てにされたころは少しショックだったが、オジサン呼ばわりよりはマシか。どうも舐められている感が拭えないが。


 さて。問題は明日、違うもう今日だ。今日からどうするかだ。


 蛍太郎が大学の講義があるから出かけなくてはいけない。その間タマには、留守番していてもらう他ないだろう。勝手に出歩いて、そのままいなくなられては気掛かりだ。


彼女のことを、誰かに相談するべきである。それは承知だ。だが頼れそうな人物がいない。


 実家に連絡しても今日明日には来られないだろう。


 大学にも、こんなことを話せる相手はいない。かと言って、一人で抱え込むことはもっとできない。


「どうすりゃいいんだ、俺……」


それに誰に相談しようにも、警察に届けろと言われるに決まっている。最初に警察相手に嘘を吐いた時点でもう八方塞がりなのかもしれない。


 頭を抱える蛍太郎をよそに、トーストを食べ終えたタマは船を漕ぎ始めた。奇妙な存在とは言え、まだ小さい子だ。0時にもなれば眠たくなるに決まっている。


「そうだ、布団とか歯ブラシもないとダメだよな……」


 一宿一飯になるかもしれないが、適当に済ませるのは良くない。歯ブラシは確か、買い置きのものがあったはずだ。布団は自分で使っているもの1つのみ。今日ばかりは、タマに貸してあげよう。


「ほら、こんな所で寝るな。歯を磨いて布団に入れ」


 頭をかくんと垂らした彼女の肩を叩き、意識を取り戻させる。だがそれは一瞬で、すぐにまた眠ってしまう。


 疲れているのか。それもそうか。記憶喪失になってパニックなのだ。気が落ち着くはずがない。ここに来てようやく緊張が解けたのだ。


「仕方ないな……」


 寝てしまっては、歯磨きはできない。朝になったらでいいか。


 タマを抱き上げる蛍太郎。力が抜けきっているせいか、見かけよりも重い。彼女をベッドに運んでやると、自身はデスクに突っ伏して寝た。

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