深夜、幼女を拾う 1
その日は1講目から講義があったため、柏木蛍太郎は朝早くに家を出た。
それなのに、講義開始の時刻になっても講師が教室に姿を現さない。
教室に1人の学生が入ってきた。彼は受講生全員に向かって「連絡です!」と声を張る。どうやら、講師の持っているゼミ生らしい。
「先生は渋滞に巻き込まれて遅れるとのことです、この講義は30分遅れて開始になります!」
なるほど、そんな事情があるらしい。
蛍太郎は小学生の時、遅刻した際のことを思い出した。
あの日は雨で、風も強く、思うように登校できなかった。やっとの思いで教室に辿り着くと、待っていたのは教師の罵声だった。
10分も遅れている。お前が遅刻したせいでホームルームが始められなかった。みんなに謝れ。
まだ純粋だった蛍太郎は、自分が遅れたのが悪いと思い、素直に頭を下げた。今考えれば、実に馬鹿らしい話だ。悪天候の中、なんとか登校したのに、心配など一切されなかった。
よくもまぁ、自分が悪いと受け入れられたものである。
それが何だ。大学では教師だって遅刻するではないか。本来咎める側の人間ではないのか。考えれば考えるほど、昔の担任と今の講師に腹が立ってくる。
しかし今ここで怒っても仕方がない。スマホで適当なサイトでも見て、暇を潰そう。
そうしていると、隣の席に誰かがやって来た。
「おはよう、柏木くん。よかったぁ。今日先生遅れてくるんだってね」
声の主に視線をやると、さっぱりとしたショートカットの女性がいる。同じゼミに所属している藤原夕花だ。
「おはよう藤原さん。今来たの?」
「うん。なんか電車が混んでてさぁ。1本遅らせたんだ。間に合わないと思ったけど、ラッキーだったよ」
彼女は机に教科書やレジュメを綴じたファイルを出していく途中、何かを思い出して蛍太郎の顔を覗き込んだ。
「ちょっとお願いがあるんだけど……。今日の課題、見せてくれない?」
「別にいいけど」
彼女の頼みに応じて、自分の課題用紙を取り出す蛍太郎。
「ありがとう~、恩に着るよぉ。お礼と言っちゃなんだけど、これ読んでていいよ」
そう言って夕花はバッグから本屋の袋を取り出した。中身は雑誌らしい。女子大生の読む雑誌がどんなものかわからない蛍太郎は、首を捻りながら袋からそれを取り出す。
表紙には『月刊レムリア』と書いてある。パラパラとページをめくると、パワースポット特集だの、UFO写真名鑑だの、胡散臭い話題ばかりが載っている。オカルトや眉唾物の寄せ集めだ。
「藤原さん、こういうの好きなの?」
「うん。私オカ研だもん。それは必読書」
彼女がどこのサークルに所属しているのかなんて、知らなかった。ちょっと抜けているものの、真面目な生徒という印象があったので、少し意外だ。
「俺、こういった話あんまり信じないからな……。読んだことないや」
「別に私も、全部信じてるわけじゃないけど。でも、信じて読んでも、嘘だと思って読んでも、どっちも面白いよ」
「へぇ。オカ研とかに入る人は、全部信じてるもんだと思ってた」
プリントにシャーペンをはしらせながら、夕花は笑う。
「さすがに偏見が過ぎるよ。案外、わかってて楽しんでいる人の方が多いんじゃないかなぁ。でもたまーに真実が紛れ込んでいるから、それが面白いんだよねぇ」
課題を写し終えた夕花は、「ありがと」とプリントを蛍太郎に返す。
「それじゃあプリントを見せてくれたお礼に、もう一つだけ、いいことを教えてあげよう」
「いや別にいいよ」
あしらおうとする蛍太郎に、「遠慮するなって」と詰め寄る夕花。
そして衝撃の話を耳打ちした。
「実は私、神隠しに遭ったことがあるんだ」
「……マジで言ってる?」
「マジじゃなきゃ言わない」
蛍太郎は彼女の話を信じなかった。まっとうな反応かもしれない。いきなり神隠しの話をされても、受け入れられないだろう。だが夕花の瞳は真剣だ。自分の言葉に疑いを持っていない。冗談を言っているようには見えない。
そうこうしているうちに、講師が教室に姿を現した。
「今日はここまでね。機会があったら、また教えてあげるよ」
「別に興味ないんだけどな」
楽しみにしている、と目を輝かせる夕花を、蛍太郎は止められそうになかった。