10章 『白狐』の切り札 01
「あの、部活の指導にいかなければならないんですか……」
「だめだ。これは職務上必要な健康診断だ。黙って受けてもらう」
俺は今、放課後の保健室で、天才女医っぽい見た目の関森先生に全身をチェックされている。
呼び出しがかかり保健室に顔を出したところ、なぜか急に健康診断をすると言われたのだが……上半身裸にされてあちこち触るのは何を診断しているのだろうか。
身長体重は言うに及ばず、体温や血圧、肺活量や握力や背筋力や、視覚聴覚まで、学校にある機器で調べられるものはすべて調べられた。
一通り俺の身体を触りまくった関森先生はPCに何かを入力し、俺の方に切れ長の目を向けた。
「ふうむ……、筋力などに関しては計測不能の割に、筋肉のつき方は常識の範囲にとどまっているな。なにか秘密があるのか?」
「いえ、特には。特殊な呼吸法とかは使ってますけど。別に身体強化とかはしてませんし」
「身体強化とは?」
「魔力を身体にめぐらせて筋力とかを瞬間的に強化する技ですね」
と言うと白衣の美人はふぅと息を吐いて聞かなかったふりをした。関森先生も裏の人らしいので正直に話したのだが、やはりこの手の話はすぐには受け入れてもらえないようだ。いや、単に自分の守備範囲じゃないと思ってるだけかもしれない。
「筋肉の組成が常人とは違うのか……サンプルを採りたいのだが?」
「お断りします」
いきなりマッドサイエンティスト的セリフを言い出してきたので即答である。
「そこをちょっとだけ頼む。知り合いの腕のいい外科医にやらせるから痛みはほぼないぞ」
「だめです」
勇者の身体を切り刻もうなんて魔王くらいしか考えつかないだろう。恐るべし関森先生。
「しかしこれだけの身体能力があればスポーツの世界に行けば余裕で世界記録が出る気もするが、そういうことには興味がないのか?」
「ええまあ。真っ当なやりかたで得た力でもないですし、表の世界に出るつもりは一切ありません。どうやらこの力は別の方面で使うこともあるようですし」
「変わった男だな君は。いや、そういう人間の方が勇者とやらには向いてるのかもしれんな。まあいい、次は校長に見せたという魔法をつかってみてもらえるか。その時のバイタルの変化も見てみたい」
そんな感じで関森先生の健康診断は1時間ほど続いた。
魔法を見せたりするうちに関森先生の目がだんだんとマッドな方になっていって最後は正直かなり怖かったのだが……この人を養護教員にする明蘭学園の懐の広さに驚くばかりである。
保健室から解放された俺はそのまま部活の指導に向かった。
魔力トレーニングはやはり当たり前のように雨乃嬢が参加しているが、校長の許可も取っているとのことなのでスルーする。
残念ながら今日も三留間さん以外は『魔力発生機関』が身につく予兆はなかった。気長に続けるしかないだろう。
指導を終えて道場を閉め職員室に戻ると、その前の廊下で新良が声をかけてきた。
「相羽先生、少しよろしいですか」
「どうした?」
「実は先日連邦に送った『イヴォルヴ』と『深淵の雫』の件でお話が」
「わかった、相談室でいいか?」
「少しお見せしたいものがあるので夜9時にフォルトゥナに転送します」
「9時ね。アパートにいればいいか?」
「はい、それで結構です。では9時に」
新良が去ってから、女子生徒の部屋(?)に夜訪問するというのはちょっとマズいことに気付くが、まあ事情が事情だけに仕方ないだろう。俺が1人の時に声をかけてきたということは青奥寺や双党には聞かせられない話なんだろうし。
そう心の中で言い訳しつつ、職員室の自分の席に座る。日誌をチェックしようとして、二つ隣の席で山城先生がふぅ、と色っぽく溜息をついているのに気付いてしまった。
「山城先生お疲れですか? 今日はもう上がった方がいいんじゃないですか」
「うふふ、ありがとう。実は清音がまたちょっとへんなことを言い出して困っちゃってるのよ」
「清音ちゃんが?」
「ええ。今度はお友達の家にお泊りしたいんだっていきなり言い出して。向こうの家族にも迷惑がかかるからだめだって言ってるんだけど」
「あ~、最近はそういうのもいろいろ問題があったりしますからね。でも子どもはやりたがるんですよね、お泊りって」
「そうなのよねえ。なんかお友達の神崎さんがお泊りしてるって聞いて自分もしたくなっちゃったんだって。今度神崎さんと一緒に泊まりにいくからって」
『神崎』とはあのひねくれ褐色娘のリーララのことだ。しかしあのリーララを泊める酔狂な家があるとは信じがたいな。
「それって神崎さんの家に泊まるって話ではないんですか?」
「それが違うみたいなのよね。神崎さんが誰かの家に泊まってるみたい。この間はその家の人と一緒に朝食を作って食べて、次の日は山で遊んで、なんて楽しそうに言ってるそうよ」
「なるほど……ん?」
なんか今の話は俺の記憶にもあるような……。いやまさか、リーララが俺の家に無理矢理泊っていったのを清音ちゃんにしゃべってるなんてことが……ありそうだから困る。
「どうしてもっていうならその相手方に一度連絡するからってことで、神崎さんによくお話を聞いてくるようには言ったんだけどね。もし聞いてきたらそれはそれで面倒なのよねえ」
「そうですよね。それはやめさせたほうがいいと思いますよ。どうせなら神崎さんを家に呼ぶとか、その程度で済ませておいた方がいいんじゃないでしょうか」
「あら、それはいい考えかも。神崎さんも訳ありみたいだしね。それで誤魔化しておこうかしら」
よし、とりあえずこれで凌げるか?
どちらにしろリーララは今度来たら口止めを……しようとするとまた弱味を握った気になって調子に乗る気がするな。
まあ山城先生の家に招待されれば寂しさも紛れるだろうし、俺のところに来なくなる可能性もあるか。そうなってくれれば一石二鳥だが……それはさすがに希望的観測が過ぎるだろうか。