9章 師匠強襲 04
青奥寺が持ってきている木刀を手に道場の真ん中で雨乃嬢と正対する。雨乃嬢はすでに木刀を構え臨戦態勢だ。
道場の端では3人娘+1が様々な表情で座っている。青奥寺は呆れ顔、新良は無表情、双党はわくわく顔、三留間さんはまだ状況がよく分かっていない顔だ。
俺が木刀を構えると、雨乃嬢は「寝取り男成敗の時……」とつぶやいた。
ん? 『寝取り男』って何の話……と思っていたら、青奥寺が「始め!」の号令をかけた。
「天誅ッ!!」
なんかとんでもないことを叫びながら、いきなり『疾歩』と同時に斬り込んでくる雨乃嬢。
さすがに『師匠』なだけあって予備動作のなさも速度もキレも青奥寺の一段上を行く。
俺が軽くいなすとそこから流れるように連続攻撃を加えてくる。
切っ先の速さも狙いの正確さも回転の速さも、さらには緩急のつけ方も隙のなさも文句のつけようがない。彼女の年齢でこれほどの腕の剣士は『あの世界』でも滅多にいなかったはずだ。長ずれば『剣聖』クラスになれるだろう腕前である。
俺はそれら殺気がこもりまくった斬撃をあるいは外し、あるいは払い、あるいは受け止める。
「この寝取り男……強いッ!」
だから「寝取り男」ってなんなの……と聞く間もなく攻撃は続く。
さすがに一方的なのもアレなので時々強引に打ち返すと、雨乃嬢は『疾歩』で避けつつさらに激しく打ち込んでくる。
しかし体力もすごいな、相当に鍛錬も積んでいるんだろう。そう考えると弟子が他の人間に取られたことの悔しさも分からないではない。いや別に取ってないんだが。
ともかく持久戦で疲れたところを一発というのもなんか勇者っぽくないので、そろそろ力を見せておいたほうがよさそうだ。
雨乃嬢の神速の突きを軽く弾いてやり、隙ができた胴に返しで軽く一発。雨乃嬢は「あうっ」と呻いて膝をついた。
「すみません、青納寺さんの剣が鋭いので少し強く叩きました」
俺は雨乃嬢の背中から『回復魔法』をかけてやる。これで痛みも後遺症も残らないはずだ。
膝をついてうなだれていた雨乃嬢は、それでもしばらく背中をぷるぷる震わせていたが、そのまま嗚咽をもらし始めるに及んでさすがに俺も驚いてしまった。
「えっ、あの、まだどこか痛みますか?」
「あ~っ、先生が雨乃姉を泣かせてるっ!」
双党が人聞きの悪いことを叫ぶ裏で、雨乃嬢がなにかをつぶやいていた。
「……られた」
「ん? なにか言いましたか?」
「寝取られた……」
「は?」
「美園ちゃんを寝取られた……。担任の立場を利用した男に寝取られた」
「いやいやちょっと何を言ってるんです……」
「あ~っ、最低のクズ男に美園ちゃんを寝取らぶふっ!」
いつの間にかそばに来ていた青奥寺が、冷たい目で雨乃嬢の脳天に拳を叩きつけていた。
やだこの娘師匠相手に容赦ない。
「すみません先生、師匠は時々おかしくなるときがあるんです。私のことを実の妹のように思ってくれてるんですけど、ちょっとその気持ちが強すぎるみたいで」
「なるほど? いやまあそれは分かるけど、さすがに寝取るってのはちょっと……」
「よく分からないんですけど、なんかそういうお話に最近ハマっているとかで……」
「あ、そういうこと……」
同級にもいたわそんな奴。脳が破壊されるとか意味不明なことを言っていたが……なるほどこういうことか。
「とにかく立ち会っていただいてありがとうございます。そして申し訳ありませんでした。後で師匠にはキツく言っておきますので。先生の方が強いと分かったはずなので、これ以上はちょっかいは出さないと思います」
「そうか……いや俺の方は大丈夫だ、ちょっと立ち会っただけだし。まあその、別に師匠の座を奪ったりするつもりはないってわかってくれればいいから」
俺がそう言うと、青奥寺は雨乃嬢を立ち上がらせて「ほら師匠も謝って」とか言っている。どっちが保護者か分からないなこれ。
「うう、すみませんでした……。美園ちゃんが取られたと思ったらかっとなってつい……」
さっきまでのアクティブ女子大生なイメージはどこへやら、しおれきった雰囲気で雨乃嬢はそう言った。俺が一方的な被害者なはずなんだが、どうもこっちが悪い気がしてしまうのは美人の特権か。
「いえまあ、わかっていただければそれで結構ですから。青納寺さんも大変な責務を負っていらっしゃるようですし、美園さんつながりで今後は仲良くしていただけたらと思います」
「はい、ありがとうございます……」
というわけで道場の壁のほうに連れていかれる雨乃嬢。
その後の青奥寺たちのトレーニングを見ているうちに回復したのはよかったが、なぜか最後は魔力トレーニングに参加していたのは謎である。
ミイラ取りがミイラになる的なやつだろうか。まさか毎日トレーニングを受けに来たりはしないよな?
その週の金曜の夜、二週連続で青奥寺から連絡が入った。今度はどうやら『深淵窟』が出現したようだ。
『師匠』こと雨乃嬢もいるのだが、規模が大きく2人でも手に余るかもしれないとのことだった。
場所は山の麓にある小さな神社であった。普段人が来ないタイプの無人の神社である。
「待たせた」
『機動』魔法で飛んできた俺が着地するのを見て雨乃嬢が目を丸くする。
「本当に飛んできた……えっ、美園ちゃん、さっきの冗談じゃなかったの?」
「だから嘘じゃないって言ったじゃないですか。相羽先生って私たちの常識の外にいる人なんです」
「いやでも限度ってものがあるでしょ? 人が空を飛ぶとか簡単にやっちゃいけないと思うんだけど」
「こんなので驚いてたら先生の相手はできないですよ」
「ええ……」
という感じで再度勇者の洗礼を受けた雨乃嬢だったが、はっと気づいたように「すみません、今日はよろしくお願いします」と一礼をした。
前回の立ち合いから態度が変わって俺も一安心する。普通に話をする限りはキリっとした美人女子大生だ。青奥寺と並ぶと確かに姉妹っぽい。
「いつもの通り俺は補助という立場でいいのか?」
「はい、その形でお願いします。じゃあ師匠、行きましょう」
青奥寺の言葉で、俺たちは鳥居の真ん中にぽっかり開いた穴に入っていった。
その『深淵窟』は、鳥居が等間隔に並んで通路を形作るという、いかにも摩訶不思議な景色のダンジョンだった。こういう和風なダンジョンは勇者的にも初めてで少し気分が盛り上がる。
しばらく進むと出てきたのは背中に蝙蝠の羽が生えた大型の猿のような『深淵獣』2体。
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深淵獣 丙型
高速で移動しながら殴打攻撃を繰り出してくる深淵獣
嗜虐性が強く、獲物の息の根が止まるまで殴打することに固執する。
特性
打撃耐性
スキル
滑空 殴打
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丙型の別種のようだ。スピード格闘型というのはこちらが弱いとかなり厄介なモンスターだ。
「美園ちゃん、一体任せるからね」
「はい師匠」
『深淵獣』がこちらへ滑るように接近してくる。
雨乃嬢は先制して『疾歩』を使い、すれ違いざまに腕と羽を切り裂く。この時点で勝負ありだ。
青奥寺はぎりぎりまで引き付け、向こうの攻撃が届く瞬間に『疾歩』を発動。回避と同意に腕と首を斬り落とす。『ムラマサ』の力もあるが青奥寺自身も確実に強くなっているな。
振り向きざま『深淵獣』を袈裟斬りにして、雨乃嬢がこちらへ戻ってくる。
「はあ、美園ちゃん丙を一撃で倒せるようになったのね。ついに追い越されちゃったかなあ」
「いえ、刀の違いが大きいと思います。この刀は乙型も簡単に切り裂いてしまうので」
「でもその刀を使いこなすのも技量のうちだから。やっぱり強くなってると思うの」
「褒めてもらうのは嬉しいですけど……先生はどう思います? まだ師匠の方が剣の腕自体は上だと思うんですけど」
「立ち会った感じだとまだ青納寺さんの方がワンランク上だと思いますよ。俺が勇者として戦っていた世界でもなかなかいないレベルだと思います」
と一応師匠の顔を立てて……といっても事実でもあるが、ちょっとリップサービスも加えてあげると、雨乃嬢は少し安心したような顔をした。
「相羽先生がそうおっしゃるなら自信を持つようにします。でも刀の差かあ。そればかりはどうにもならないですよね。この『早乱』も気に入ってるんですけど、確かに美園ちゃんの刀に比べると差は感じます」
まあ確かにその通りではある。二本の刀を比較すると、その刃がまとう魔力には相当な差がある。
……あ、そうか、刀の魔力量を上げてやればいいのか。いいアイテムがあるのを忘れてた。
俺は『空間魔法』からビー玉くらいの大きさの水晶球を取り出した。武器を強化する効果がある『魔力刃+1水晶』という名前そのままの便利アイテムだ。
「青納寺さん、その『早乱』を少し強化できますけどどうします?」
「……えっ? もし強くできるならもちろんお願いしたいですけど……」
「じゃあその刀を少し拝借します」
まだ要領を得ていないような雨乃嬢から『早乱』を受け取ると、俺は水晶球を刃に押し当てた。水晶球が刃に吸い込まれるように消えていく。
「これで倍くらいは斬れるようになると思います」
刃の魔力量が倍になった『早乱』を受け取ると、雨乃嬢はぱあっと明るい顔になった。
「えっ!? 本当に力が増えてる! いま何をしたんですか!?」
「ちょっとした便利グッズがありまして、それで強化をしました。効果は永続的なので安心してください」
「はあ……いえ、ありがとうございます! この御恩は必ずお返しします」
急に女子大生っぽく(?)ぴょんぴょん跳ねて喜びを表す雨乃嬢。どうやら感情表現が豊かな人のようだな、色々と。
「先生、そんなに色々していただいていいんですか?」
青奥寺が横からちょっと複雑そうな顔で見上げてくる。青奥寺家としてもあまり俺に借りを作るのは……とでも思っているのだろうか。
「勇者としては戦う人間には力を貸したいからな。青奥寺もそうだけど、ここまで剣の腕を高めたことに対する報酬はあっていいと思うんだ」
「そう……ですか。先生がそうおっしゃるならいいんですけど。師匠が美人だから、とかではないんですね?」
「え? いや、そういう理由はない……かな、多分」
う~ん、言われてみれば完全にないとは言えないかもしれないなあ。だけど男が美人に弱いのは仕方ないと思うんだ。だからそんなに睨まないでね、青奥寺さん。