6章 九神家 02
放課後山城先生とテスト問題の検討会をしていたら、アパートに帰るのが8時を過ぎてしまった。
自室の扉を開けようとして、俺は感知スキルが部屋の中に人がいると警告を出していることに気づいた。
確かに勇者時代には暗殺者に狙われることもあったが、さすがにこっちの世界ではまだそこまで名は知られてはいないだろう。
ならば空き巣か? と考えつつ一気に扉を開けると、
「帰るの遅い! 2時間も待ったでしょ!」
スマホ片手に俺のベッドに横になっているクソガ……神崎リーララの姿がそこにあった。
「おま……どうやって入ったんだ? いやそれ以前になんで俺の部屋を知ってる?」
「魔法使えば鍵なんて簡単に開くでしょ。おじさん先生くらい魔力が強ければ跡をたどるのも簡単だし。まさかそんなことも知らないの?」
くっ、確かに言う通りだ。あまりの驚きにコイツが魔法使うのを一瞬忘れてた。
「……まさか部屋に入るの見られてないだろうな」
「くっ、ぷぷっ。わたしが部屋にいるのバレたらおじさん先生がヘンタイ先生になっちゃうね」
ベッドに腰かけてむかつくニヤケ顔をするリーララ。くそ、すぐにこめかみグリグリの刑に処してやりてえ。
とはいえコイツは話をしに来たんだろうし、こちらも聞きたいことがある。ここはガマンだ。
俺はネクタイを外してテーブルの脇に腰を下ろす。
「話すこと話したらさっさと出ていけよ」
「おじさん先生の部屋なんていたいワケないでしょ。なにカンチガイしてるのぉ?」
「ああそりゃそうだな悪かった。で、俺が聞きたいのは君の世界の歴史についてだ。勇者とその仲間が魔王を倒した話なんてのは残ってるのか?」
「あ~つまんないおじさん」
俺が悪態を流したのが退屈だったのか、リーララはやれやれ、みたいな感じで肩をすくめた。すべての動作が相手を煽る力に満ちてるんだから大したもんだ。
「ま、いいや。勇者と魔王の話は残ってなくもないけど、大昔の戦国時代の一部って扱いだったかな」
「あ~、そんな扱いなのか……。じゃあ勇者の仲間がどうなったかなんてのは……」
「たぶん記録も残ってないんじゃないかなぁ。戦国時代の後に大統一帝国が生まれて、それ以前の記録を全部燃やしちゃったんだって」
なるほど、魔王がいた時は国同士が争う余裕もなかったが、魔王がいなくなって戦国の世になってしまったのかもしれないな。世界を救ったはずなんだが、人の世から争いが消えなかったというならやるせない話だ。
しかし俺がこっちに戻ってきた時に時間軸が戻っていたからなんとなく感じていたが、異世界間の移動は時間を飛び越えるんだろうか。いや、あの勇者召喚の儀とかいうのがイレギュラーだったのかもしれないな。賢者に話を聞いたらかなりムチャクチャやってたみたいだし。
「それで、おじさん先生は自分が魔王を倒した勇者だって言いたいワケ? この間もそんなこと言ってたよね」
「まあな。ただ君の世界にその話が残ってないんじゃしょうがない。俺のことは古い魔法が使える先生だとでも思ってくれ」
「そんなので片づけられるワケないでしょ。昨日最後に使ってた魔法は信じられないくらい複雑な魔法陣だったし、威力もとんでもないし。もしかしてロストテクノロジーの継承者だったりするの?」
「そんな大それたものじゃ……いやもっと大それてるのか。その言い方だと魔法の技術もどこかで断絶したのか?」
「今言った大統一帝国が魔法の技術を独占しておきながら、その後内乱でメチャクチャになって魔法の技術が散逸したんだって。私たちが使ってるのはその散逸した技術をなんとかかき集めたのがもとになってるって話」
「そりゃまた難儀なことで。そういうことなら確かに俺はロストテクノロジーを持っているのかもしれないな」
そう言いつつ、腹が減っていたのを思い出して空間魔法から新良の弁当を出す。
うん、今日も美味い。持つべきものは料理のうまい教え子だな。教師としては完全に失格な発言だけど。
俺がいきなり飯を食い始めたのをリーララは呆れた顔で眺める。
「なんで唐突にお弁当食べ始めるのよ。それより今の空間魔法でしょ。しかもお弁当を入れていたってことは時間も止められる感じよね」
「それが普通だろ?」
「それもロストテクノロジーなの。まったく、こっちの世界におじさん先生みたいな人がいるなんてふざけてるでしょ」
ま~たひとに冤罪ふっかけやがってこのクソガ……娘は。
「ふざけてるってのはないだろ。俺に魔法教わりたいなら態度を改めることだな」
「へぇ、教えてくれる気あるんだ?」
「君の世界で学んだ知識だからな。それを返すのはやぶさかではない」
「なにがやぶさかではない、よ偉そうに。まあ教わっても仕方ないんだけどね。どうせ伝えられないし」
「なぜだ? 自由に行き来できるんじゃないのか?」
「あ~、実は『次元環』は今のところ一方通行なのよね」
「はぁ?」
それってもしかしてコイツ帰れないのにこっちの世界に来たってことなのか? この間言ってたお役目のために? いやいやまさかそんな……
「なにその目? 別におじさん先生に同情されてもうれしくないから勘違いしないでね」
「おう分かった」
俺がそのまま弁当を食べ始めると、リーララはムッとした顔をして、そのままベッドに横になって布団をかぶってしまった。
寂しいならそう言えば少しは優しくしてやったのに……ではなくて、マジで帰れないのか? なんだそれ、子どもをそんな風に扱うって、あっちの世界の倫理観はどうなっているんだろうか。
「……あ、おい、もしかしてそのまま寝るつもりじゃないだろうな」
俺が気づいた時にはリーララはすでに寝息をたて始めていた。
翌朝俺がテーブルの脇で目を覚ました時にはリーララはすでに部屋にいなかった。
あいつが部屋から出る時に人の目に触れてなければいいんだが……さすがにそれくらいの常識はあると期待しよう。
学園の校門を通ったあたりで前方に細身の男が歩いているのが見えた。同期のイケメン教師、松波真時君である。
「松波先生おはようございます」
「ああ相羽先生ですか。おはようございます」
振り返った松波君は学園赴任当初の生気ある顔に戻っていた。このあいだの回復魔法が相当効いたのだろうか。
「今日はずいぶんと元気そうに見えますね。なにかいいことがあったんですか?」
そう聞くと、松波君は心底嬉しそうな顔をして頷いた。
「ええ、どうやら悩みの種の女子が私を標的から外したようでしてね。今解放感に浸っているところですよ。ああそう、この間のおまじないも効きました。相羽先生にも感謝してますよ」
「それは良かったですね。まああの年頃の子なんて気まぐれなんでしょうね」
「そうなんでしょうね。その気まぐれで他の方に迷惑がいってなければいいんですが」
残念ながらその心配は的中しているんだよなあ。とはいえそれを言うと彼も気をもむだろうし、俺の方はリーララごときどうにでもなるので問題はない。
他愛ない話を少しして、俺と松波君はそれぞれの校舎に向かおうとする。
そのとき後ろから接近してくる気配があった。
「あっ松波先生おはよ~っ、あとおじさん先生もおはよ」
「先生方おはようございます」
リーララと清音ちゃんだった。松波君は褐色ひねくれ女子を見て顔を一瞬引きつらせる。
「……あ、ああ、おはよう」
「おはよう清音ちゃん。そっちの君もおはよう」
俺が清音ちゃんの方だけ見て挨拶を返すと、リーララがわざわざ俺の視界にふてくされたツラをねじこんできた。
「そっちの君ってなに? 先生なのにそういう不公平な扱いをするワケ?」
「相互主義ってやつだ。君が俺のことをきちんと呼んだらこっちもそれなりの対応をしてやる」
「あっもしかしておじさんって言われるのが気に入らないの? ふぅ~ん、一応そんなプライドがあるんだ」
「プライドじゃなくて礼儀の問題だ。わかるかリーララちゃん?」
「うわキモっ! そんな風に呼ばれるのゴメンだからおじさん先生呼び継続っ!」
ビシッと俺の目の前に指をつきだして、リーララは嵐が通り過ぎるように去っていった。
清音ちゃんが「相羽先生申し訳ありませんっ!」と頭を下げ、慌ててその後を追いかけていく。
松波君は2人の後姿を見送ってから俺の方を振り返った。尊敬の眼差し、みたいな感じなのは気のせいじゃなさそうだ。
「相羽先生、あの神崎相手に一歩も退かないとは……僕は先生のことを尊敬しますよ」
ええ、そこまでの相手かなあ。いやそれより奴には一度礼儀を徹底的に叩きこんだほうがいいのかもしれないな。第二の松波君が生まれないように。