36章 深淵窟異常あり 01
「相羽先生、少しよろしいでしょうか?」
『応魔』の脅威が去った3日後、昼休みの職員室に金髪縦ロールお嬢様の九神世海がやってきた。
「どうした?」
「先生は、以前『クリムゾントワイライト』の手からお救いになった権之内碧という女性を覚えていらっしゃいますか?」
「ああもちろん」
碧さんは、クゼーロという『クリムゾントワイライト』の幹部によってハメられて、半死半生の状態で力を利用されていた女性である。九神にとっては姉のような存在だったらしいのだが、いろいろあって俺が中心となって彼女を助け、今は病院でリハビリをしているはずだ。
ちなみに彼女と、九神の兄である藤真青年は『いい仲』であるらしい。勇者としてはそういう話を聞くとなんとなく嬉しくなる半面、己が身を振り返って一抹の悲しさ……は決して感じたりはしないのである。
「リハビリの方は順調なのか? 若いし『エクストラポーション』の効果もあるから回復は早いと思うけど」
「はい、実は先日ようやく退院できまして、今は家の方から時々リハビリと検査に通っている状態ですわ」
「なんだそうか、ならよかったな。それで彼女がどうかしたのか?」
「実は碧姉さまが先生にお礼をしたいと言っていまして、一度会っていただけないかとお願いに参りました」
「あ~……」
俺としては半分忘れかけていたが、確かに普通の人間なら挨拶くらいはとは考えるよな。権之内家は九神家に連なる家らしいし、そのあたりの教育もしっかりしているだろうしなあ。そういうことなら社会人としても面倒くさいからパスというわけにはいかない。
「もしよければ、迎えに参りますので私の家に来ていただければと思うのです。父からも耳に入れたいことがあるそうなので」
「わかった。けど飛んでいくから迎えはいいわ。日時は?」
「明日の夜6時でいかがでしょうか?」
「了解。ところで九神も特になにもなさそうだな?」
「なんのことでしょうか?」
「いや先日の『はざまの世界』で結構ショッキングなものを見たと思うんだが、青奥寺たちも九神も普段通りだから俺としては少し気になってね」
特に『ソリッドラムダキャノン』のアレはPTSDとか発症してもおかしくないレベルの映像だったからなあ。まあその時はカーミラに『精神魔法』療法を頼むつもりだったのだが。
そんな俺の心配をよそに、俺の質問のなにがおかしかったのか九神は「ふふっ」と口元に手をあてて笑った。
「心配していただいてありがとうございます。ですがあの程度のことで心を動かすようでは九神の総帥は務まりませんわ」
「そういうものか」
「もちろんあのようなことをできる力を持った先生も、九神の総帥となるのに十分な資質をお持ちと思います。先生としてはその道を歩まれるのはどうお思いになりますでしょうか?」
「は?」
いきなりなにを言い出すのかと思えば、まさか俺に九神の総帥をやれとか言い出すとは。
まあこれもお嬢様流の上流階級ジョークなのだろう、と思って見ると、九神の顔は意外にも涼しげで本気っぽい。いやなんでよ。
「そういうのは俺の趣味じゃないし、能力的にもできるとは到底思えないな。勧めてくれたのは嬉しく思うけど」
「先生はモンスターを前にしたときはとても自信家に見えるのですが、そういう所は控え目ですのね」
「九神の家のことを知っていたら、できると思う奴の方が少ないんじゃないか。むしろ九神のその覚悟には敬意を持つくらいだよ」
「あら、ありがとうございます。でしたらなおのこと、先生には九神と、そして私のことを知っていただきたいですわね」
九神はそこで、妙に色っぽいというか、意味深そうな目つきをした。
この年頃の女の子は時々大人っぽい雰囲気を出してくるので、俺としても対応に困る時があるんだよな。特に九神や青奥寺たち『訳アリ』グループはそういう傾向が強い気がする。大人としては、彼女らに常人とはかけ離れた責任を負わせているのだと負い目を感じるくらいである。
「まあそこはおいおいな。ともかく明日の6時に行くからその時に」
「ええ、お待ちしております」
一礼し、縦ロールを翻して職員室を去っていく九神。
その後姿が扉の向こうに消えると、隣の席の熊上先生が、妙に真剣な顔で話しかけてきた。
「どうも九神は本気で相羽先生を狙いに来ている感じだね、あれは」
「どう見てもからかっているだけだと思いますが」
「いや、あれは獲物を狙う肉食獣の雰囲気だよ。しかしそうか、やはり相羽先生は教師の枠には収まらない人間だったか。確かに九神家の総帥なんて並の人間ができるものでもないからねえ」
「自分はちょっと強いだけで、人の上に立つとかそういう方は一般人以下ですから。九神にとっては使い道がある人間かもしれませんが、それくらいのものですよ」
「校長の話を聞く限りそんなことはないと思うけどねえ。まあそういう風に普通に構えるところが先生のいいところだし、九神も気に入っているのかもしれないね」
なんて熊上先生はひとり納得しているんだが、そもそも狙われているということが事実と反しているので賛同できるはずもない。
俺が愛想笑いで誤魔化していると、さらに向こうの席のサキュバ……山城先生が、椅子を引いてこちらに身体を向けてきた。
「相羽先生については清音からもいろいろ聞いているけれど、九神さんが気にするのは当然だと思うわよ。先生にその気がなくても、最低でもつながりは保っておきたいと思うんじゃないかしら」
「まあそれくらいなら相手はしますよ。青奥寺たちについてもそうですが、卒業してはいさよならってわけにはいかないでしょうし」
「ふふっ、それはその通りでしょうね。でも先生の周りにはいろいろと綺麗な人が揃っているから、本格的にお付き合いとなると目移りはするわよね。九神さんもとても美人になるとは思うけれど」
職員室でちょっと危険な話をいきなりぶっこんでくる山城先生。
いや確かに、言われるまでもなく俺の周りには見た目のいい異性が多くいるのだが、そのほとんどが訳アリで俺のそばにいるだけである。宇佐さんとか年齢的にはちょうどいい人もいるんだが、最近は少女化した古代竜ルカラスがいろいろひっかき回し気味でそんな話になりそうもない。そもそもアイツが『後宮』とか言い出すから、多分ドン引きされてるんじゃないかと思うんだが……。
「へえ、やっぱり相羽先生ともなるとやはり候補は多いのか。青納寺とかちょうどいいと思ったんだけどなあ」
「あら、もちろん青納寺さんもそのうちの一人みたいよ」
「ええ、あのレベルの娘さんが大勢の一人扱いになるのかい? そりゃ相羽先生、ちょっと夜道には気を付けた方がいいかもね。ああでも先生なら余裕で返り討ちにできるのか」
「いえいえいえ、そもそもそんな話は微塵もありませんから。周りに美人が多いのは認めますが、全員色々あってそういう感じではないので」
「ふふっ、私はそのあたりも清音の話を聞いているからなんとも言えないのだけれど。ルカラスさんが色々頑張ってくれているみたいだから、そちらにお任せするのも一つの手じゃないかしら。先生以外の人だと到底勧められない話だけれど、地球の平和のためにはそれが一番な気もするわ」
「はぁ……?」
いやいや、ルカラスに任せたら大変なことになりますからね。というか山城先生がルカラスの話まで知っているのはかなり危険な気がする。地球の平和までかかってくるのも意味がよくわからないし。
そういえば清音ちゃんもよくわかっていないのか、「勇者の子孫は多い方がいい」とかとんでもないことを口にしていたけど、親御さんである山城先生からしたらむしろ通報案件なのではないだろうか。今は子どもの言うこととして流してくれているのだろうが……。
どちらにしろ山城先生の言い方だと今のは大人の冗談なんだろう。ただ処刑人たちに聞かれたら勇者生命が危険なことになるので、冗談でも滅多なことは言わないでほしい。