32章 応魔 09
それから3日間は特に何事もなかった。
その日は授業の準備をしていたら夜7時を過ぎてしまい、教頭先生に注意をされてアパートに帰された。今は学校も残業にうるさいのである。
珍しく部屋で一人新良の弁当を食っていると、玄関の呼び鈴の音が鳴った。
カーミラやルカラスは勝手に入ってくるので誰かお客さんだろうか。玄関を開けると、そこには見たことのない大人の女性が立っていた。
一言で言うと、全体的に白い女性であった。長い髪も肌も、着ている和服も白く、その瞳だけが真紅に光っている。歳は20代中ごろだろうか、多分すごい美人なのだろうが、とにかく白いというイメージが先行して、美しいという判断まで脳が到達しない。
ただまあ、明らかに常人ではないというのだけはわかる。そして彼女が敵対的な存在でないというのも。
「ええと、どちらさまでしょうか?」
「夜分に……申し訳ありません。わたくし……クウコ……です」
「へっ……、あ、ああ……」
なんと幻獣様がわざわざやって来たらしい。しかも普通に人化しているのだが……そういえばクウコはネットカフェで少年たちに連絡をしていたのだった。とすれば自由に人の姿になれるのだろう。そこはルカラスより上だな。
「あ~、じゃあとりあえず中へどうぞ」
「済みません……お邪魔いたします……」
楚々とした所作で部屋の中に入ってくる和服美人。
座布団を用意すると、彼女はそこに正座をし、そして深々と頭を下げた。
「急な訪問を……してしまい、申し訳……ありません」
「いやまあ構わないが、なにか急ぎの用事か?」
「はい……あの少年たちについて……です」
ペットボトルの茶を出してやりつつ俺も腰を下ろした。
そういえばクウコは人の姿になると普通にしゃべるんだな。
「先日また『応魔』と模擬戦闘をさせたんだろ? そこでなにかあったのか?」
「はい……。戦いの後に……彼らと話を……してみたのです」
「それはご苦労さん。それでどうなったんだ」
「私の立場は……彼らを異世界へ転移させた女神……というものなので……、そのふりをして、接触したのです……」
「ふむ」
「確かに……彼らは、以前よりもずいぶんと……自信にあふれている……様子でした。もとは……とても、大人しい子たち……だったのですが……」
そう言いながら微妙に目を伏せるクウコ。あ~これはちょっと言葉を飾ってる感じだな。教員の世界でも、わがままな生徒を「主体性が強い」とか言葉を換えて書類に書いたりするんだが、それと同じ匂いがする。
「それで、クウコの言うことは聞きそうなのか?」
と聞くと、クウコは静かに首を横に振った。
「彼らは……今の振る舞いを改める気は……ないと言っていました。むしろ……力を得る前の自分のほうが……おかしかったのだと……考えている……ようでした」
「そうか……。まあしょうがないといえばしょうがないのかもしれないな。彼らはまだ子どもだし、周囲の環境によって言動が変化するのは普通にあり得ることだからなあ」
「ええ、それは……そうかもしれません。わたくしも……少し考えが……足りなかったようです……。彼らの幼さまで……考えに入れては……いませんでした」
と言って、へこんだように下を見るクウコ。
まあ彼女も使命感があってやってることだから、それが上手くいかなかったとなるとツラいところではあるだろう。
「そうすると、どうなるのが最善なんだ? あいつらが心を入れ替えることか? それとも、他の候補者を探してそっちに『応魔』の対応を任せる感じか?」
「できれば……彼らに……正しい道を進んでもらいたいと……思っているのですが……、わたくしが……それを言ったところ……自分たちの力が必要なら口をだすなと……言われまして……」
「あ~、うるさく言うなら『応魔』退治を手伝わないって感じで脅されたのか?」
確認をすると、クウコは悲しそうにうなずいた。
う~ん、これは微妙な話になってきたなあ。
力を与えられたとはいえ、それによって命がけの戦いに駆り出されるのだから、多少のわがままは許容しろという少年たちの意見も正当なもののように思える。
それにたぶん、彼らは異世界に行って戦って力を得たという記憶になってるはずだからなあ。多少イキがってしまうのも仕方ないのかもしれない。
「わたくしが一番恐れているのは……与えた力を、人に対して行使してしまうこと……なのです。……彼らの言動からは……その恐れがあると……強く感じられました……。以前にも……例がないわけでも……ありませんので」
「そういうときはどうしてたんだ?」
「その人間から……力を取り上げ……ました……。しかしそうすると……今度はその人間が……不幸になってしまうのです。ただ彼らは……まだ……間に合うと思いますので……」
なるほど、最終手段はあるということか。
ただ彼らにしてみれば、勝手に与えられた力を勝手に奪われるというのも可哀想な話だ。もう一度くらいはチャンスをやってもいいのではないだろうか。
仕方ない、高校生のカウンセリングとなれば教員の仕事には違いないだろう。
「あ~、もしよければ一度俺が話をしてみようか。この間のルカラスが言ったことじゃないが、必要なら一度へこませて自重するように伝えてみるわ。それでダメなら諦めてくれ」
俺がそう言うと、クウコは真紅の瞳で俺のことをじっと見つめた後、深々と頭を下げた。
「どうか……よろしくお願いいたします……」
結局こうなってしまったが、正直予感はあったからなあ。勇者は諦めが肝心、文句を言う前にやることをやったほうが早いのは今までの経験でよくわかっているし、さっさと話をしてみよう。